若いからまだ迷うことはあるやろうけど、それでも自分で前に進める子なんです。
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(主観的)あらすじ
いつも笑顔で親切なあきらと比べて劣等感を感じるゆかり。ゆかりはあきらのように何でも楽しむことはできません。けれどあきらはそんなゆかりと一緒にいるのが楽しいと言います。ゆかりにはその気持ちがよくわかりません。
そんなとき、お婆さんの言いつけでゆかりは抹茶を使ったスイーツをつくることになりました。いちかがマカロンを提案しますが、ゆかりはそれを完璧にはつくれないので不安に思います。けれど、いざみんなでつくりはじめるとなんだか楽しくて、ゆかりは笑顔になるのでした。
抹茶マカロンを持ち帰る途中でエリシオに襲われたゆかりは、彼の誘いに乗って自分の心と向きあいます。そこには幼い頃からずっと孤独を感じてきた自分がいました。それは周りの世界が楽しそうだから、眩しいからこそ色を濃くする心の闇。けれど、最近のゆかりはその世界が好きになっていました。好きだと感じる自分に気付けました。
だから、ゆかりの心は闇に染まらず、ありのままの自分を好きになれたのでした。
最終回でやれ。いえまあ、これスイートプリキュアあたりから何度か繰り返し扱っているテーマなので、今さら本当に最終回に持ってくることはないでしょうけれど。それにしても第3クールから始まった悪意との戦いに半ば答えを出してしまった感じですが、じゃあ第4クールでは果たしてここからどうやってテーマを拡張させていくんでしょうね。楽しみです。
ゆかりはプリキュア史上稀に見るきわめてメンドクサイ子です。その複雑にこんがらがった心情をそのまま絵にしたような今回の物語は、だから、今話単体だけではとても完璧にまとめ上げられているとはいえません。これまでのゆかりの物語を最初から振り返りつつ観ることをオススメします。その意味でも最終回仕様。長い長い物語の果てに成長を遂げた彼女の笑顔に祝福を贈りましょう。
雨
「こうしてきれいな空が見えることも、こうして小さな花が咲いてるとか見つけられることも、全部幸せ。単純なのかな」
いつも笑顔で周りの人からも感謝されていて、いかにも日々充実していそうなあきらの、その幸せの秘訣。
そんな気持ち、そんな感性、そんな世界観、そんな、そんなもの、ゆかりはひとつとして持ちあわせていません。だから自分はつまらないのか。だったら自分は永遠に楽しくなれないのか。
今話はこんな問題提起から始まります。
ほら、空を見てみなさいな。
ゆかりの頭上の空には雨雲が立ちこめていて、ちっとも「きれい」じゃない。
ゆかりにとっての空はこういうものです。あきらとは違う。いちかたちとは違う。たとえばいちかと初めて出かけたゲームセンター。あのときのクレーンゲームの台も曇り空でしたっけ。
だったら、今話の物語は雨雲を晴らせば解決なのかな?
「お世話になってる人への手土産にお茶菓子を持っていきたくてなあ。キラパティのみんなで何かつくってもらえへん?」
ゆかりが言いつけられたお願い事に、雨模様の彼女に代わってあきらが答えてくれます。
「わかりました。おいしいスイーツ、つくりますね」
何をつくるべきか迷うゆかりに代わっていちかがアイディアを出してくれます。
「ゆかりさんがつくるならマカロンで決まりでしょ!」
他のみんなも口々にゆかりを後押ししてくれます。
「何をもってパーフェクトと呼ぶか、それは人の心によって変わるのよ」
「私もいろんなコツ、メモメモしてますから」
「うん。卵白混ぜすぎない!」
実際、スイーツづくりをはじめるとだんだん楽しくなってきます。そもそもゆかりがキラキラパティスリーに居着いたのだって、一筋縄ではいかないマカロンづくりが面白かったからです。
みんなの言っていることは全部正しい。みんなは、それからスイーツは、ゆかりを笑顔にしてくれます。ゆかりはこんなキラキラパティスリーが大好きです。
「キラキラキラルン、おいしくなあれ」
ゆかりが笑顔を取り戻したことに同調したかのように、雨空は光差し込む青空へと変わりました。
スイーツはつくるひとの「大好き」を運び、そしてその「大好き」が篭もったスイーツは食べる人の「大好き」を増幅して引きだしてくれるものです。
「大好き」いっぱいのいちかたちと一緒にスイーツをつくって幸せな気持ちにならないわけがないんです。
よし、これで全部バッチリ解決!
・・・なんて単純にいかないのがゆかりのゆかりたる所以でして。
笑い声
自分が蚊帳の外にいるときの他人の笑い声ほど耳障りなものはそうそうありません。
ひねくれ者の私は昔っからそういう性質でして、脳天気にヘラヘラしている人たちがみんな大嫌いでした。
なに笑ってんだ。そんなものちっとも面白くないじゃないか。何を笑ってんだ。誰を笑ってんだ。耳障りだ。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
そうして耳を塞ぐと自分の心臓の音が聞こえるんですよ。笑っている周りの人には聞こえていない、私だけの音が。
ドキン、ドキン、ドキン、ズキン。ヘタしたら周りの笑い声に負けないくらいやかましくて耳障りな音が聞こえるんですよ。私だけに。
ああ、私はひとりぼっちなんだなあって、その音を聞くたびに思い知ったものです。
せっかくいちかたちの力で青空の下に立てたにもかかわらず、わざわざ自分の心と向き合おうとするゆかりは私よりメンドクサイ子かもしれません。
そうなんです。この青空はゆかりのものではありません。いちかたちがつくってくれた借り物です。
ゆかり自身は相変わらず自分では青空をつくれないまま。相変わらず自分の力で自分を笑顔にできないまま。
ゆかりはずっとそんな無力な自分が大嫌いでした。嫌いなまま、だからといってどうしようもないと諦めていました。
「私の性格は誰のせいでもない、私が自分で選んでこうなったの。寂しさも憤りも、誰のせいにするつもりもないわ」
いつかジュリオと対峙したとき、ゆかりはこんなことを言っていましたね。周りに当たり散らすことなく自分の嫌いな部分をありのまま受け入れる。その精神はとても尊いもので、このときのゆかりはカッコよかった。
けれどこれって裏を返せば、いちかたちがいてくれないとゆかりは笑えないということなんですよね。
ゆかりが向き合う自分の心。そこにいたのは幼い頃の自分でした。
茶道、華道、弓道、書道、バレエにピアノ、バイオリン。何でも器用にこなし、周りの人からの賞賛を、笑顔を向けられてきた、けれど自分だけは笑っていなかったあの頃の自分。
そんな自分の弱い部分は、これまでも彼女自身が自覚していたとおり、今もずっと変わっていません。
ゆかりにとっての幼い頃の自分とはつまり、「大嫌い」。
「私、いつもひとりなの」
周りの笑い声が賑やかなら賑やかなほどに、自分の心臓の音がやかましく聞こえます。
周りの笑顔がキラキラまばゆく見えるほどに、自分の心の闇はますます色濃く見えます。
劣等感。寂しさ。憤り。
「どうして? あなたの周りには大勢の人がいるじゃない」
いいえ。だからこそ心の闇は増幅されてしまうんです。
「いつも幸せそうに笑っている人、バカみたい。嫌い。嫌い。嫌い。大っ嫌い!」
幸せそうな彼らから目を背けると、自分の「大嫌い」な部分と正対せざるをえなくなってしまうから。
いちかたちのくれた青空に自ら目を背けたなら、ゆかりは必然として自分の「大嫌い」に向き合わなければいけません。
いやあ、あえて事前に青空をくれるなんて、東堂いづみはつくづく性格が悪いなあ!(ウキウキ)
看脚下、自琢、楽。
「大嫌い」。
さて、コイツとどう戦いましょう。
コイツは自分の問題で、ならばいちかたちの助けは期待できません。
けれどコイツは生まれたときからずっと決着をつけられずに来た相手です。
誰にも助けを求められず、しかし自分ひとりでは勝てないことがわかっている敵です。
ひとつだけ、どうにかできる方法が目の前にあります。
「その苦しみはすべて心が闇に包まれたとき解放されますよ」
かつてピカリオがすがった救済。
けれどそんなものは却下です。ゆかりはその彼がたどった悲劇を知っています。第一彼女はすでに誓っています。
「確かに両親も祖母も私に好きに生きろと言ってる。それが苦しいときもある。けどね、どんなに苦しくても私は闇に逃げたりしないわ。私の性格は誰のせいでもない、私が自分で選んでこうなったの。寂しさも憤りも、誰のせいにするつもりもないわ」
ゆかりは別の手段で自分の「大嫌い」に立ち向かわなければなりません。
「そうね。私はどうしてもいい子にはなれない。明るくて、いつも笑顔で、そんな子になれない。暗い闇が私の心の中にあるの。認めるわ」
「大嫌い」は、誰にも助けを求められず、しかし自分ひとりでは勝てないことがわかっている敵です。どうやったって勝てっこありません。
「私はあの子たちと一緒にいると楽しいの。色々と面白いことが増えたの」
誰にも助けを求められず、ひとりでも勝てないのなら――それでもいちかたちがくれたものを使いましょう。
「前より世界が鮮やかに見えるのよ」
ゆかりはすでに持っています。いちかたちから借りた、あの青空を。
自分の「大嫌い」との戦いにいちかたちの助けは借りられません。けれど、あの青空は本当にいちかたちだけの力で生みだされたものだったでしょうか?
「ゆかりさんがつくるならマカロンで決まりでしょ!」
いちかは言っていました。ゆかりの雨雲を晴らしたあの抹茶マカロンは、ゆかりらしさなんだと。
「ゆかりといると楽しいからだよ」
あきらは言っていました。いつもの彼女の笑顔は、ゆかりがくれたものなんだと。
あの青空はいちかたちだけの力でつくったものではありません。ゆかりが無償で借り受けたものではありません。いちかたちとゆかりの共同製作です。・・・ゆかりは気づいていなかったみたいだけれど。
そう。ゆかりは賢いくせに自分を知りません。
「あきら様とゆかり様、以前より仲よくなられたような。麗しい! 麗しいです!」
「でもゆかりって本当にネコそっくりよね。気まぐれで、自由で、でも本当は甘えんぼうさん!」
「そうなんです! お姉さんなのにかわいいんですよね!」
「ほんま自慢の孫です、ゆかりは。若いからまだ迷うことはあるやろうけど、それでも自分で前に進める子なんです」
自分が本当は他人からどんな風に見られているか、知りません。
「あっ、い、今のは私が言ったなんて絶対にゆかりさんに言わないでくださいね!」
そりゃそうですよ。そんなの本人の前で言えることじゃないですもん。恥ずかしい。賢いならそのくらい察して。
「誰も友達じゃないわ。きれいだとか、何でもできるとか、誰も本当の私をわかってくれない。誰も私の心に興味がない」
そんなわけがあるか! あなたから見えないからって勝手に周りを規定するな。
いちかたちはみんなゆかりのことが大好きで、「きれい」とか「何でもできる」とか、そういう表面的なところじゃなく、ゆかりという人だから大好きなんです。ゆかりの傍にいるからみんな笑っているんです。
あなたの周りでみんなが笑っています。あなたを中心にしてみんなが笑っているなら、それはつまり、あなたは蚊帳の外なんかじゃないということです。その笑顔はあなたがつくったものです。
たとえばマカロンづくり。
キラキラパティスリーにゆかりほど上手にマカロンをつくれる子はいません。だからこそ「ゆかりさんがつくるならマカロン」なんです。
たとえばスイーツを扱う手。
エリシオに襲われたときそっとマカロンの箱をベンチに置いたあの手つきです。以前いちかが好きだと言ってくれたその手は、今もゆかりらしさとして根付いています。
あなたには、あなただけがよくわかっていない、周りのみんなを笑顔にする不思議なパワーがあるんです。
「私の周りにはカラフルな世界が広がっている!」
それをつくったのはあなたです。いちかたちの笑顔に混ざって、あなたがつくりあげました。
今回要所要所で描かれていた花の名は「マーガレット」。意中の相手の気持ちを占う、花占いに使う花として有名ですね。この花は相手の気持ちがわからず不安に苛まれたあなたの臆病な気持ちを解消してくれます。花言葉は「信頼」。
「楽しさは誰かが与えてくれるものじゃない。自分でつくるものだった!」
ゆかりはプリキュアです。自分の「大好き」をスイーツに込めることで誰かの「大好き」を育み、誰もが幸せになれる「大好き」の円環をつくりあげる、伝説のパティシエです。
あなたは周りを笑顔にした。幸せにした。だったらつまり、あなたの「大好き」はそこにある!
いちかやあきら。周りにいるたくさんの人たち。そしてそのみんなが好きだと言ってくれるゆかりらしさ。ゆかりはそういったものが本当は「大好き」なんです。
「心の闇は消えない! 明るいところにいたら寂しい気持ちがもっと目立っちゃうんだから!」
それでもいい。だってそれはゆかりの「大好き」を構成する、「ゆかりらしさ」のひとつなんだから。
「大嫌い」の仮面を被って隠れていたものは他でもない、あなたの「大好き」です。
だから、
「あなた、好きよ」
プリキュアの歴史のエポックメイキングとして知られるスイートプリキュアのラストシーンは、人々のネガティブな気持ちの化身たるノイズを受容することで決着しました。
その物語の主人公は北条響。ゆかりによく似た、器用だけれど変なところで不器用で、とびきりの甘えんぼう。プリキュアの主人公としてはずいぶんと心の脆い子で、実際主人公らしくないくらいに何度も何度も傷ついて情けない顔を見せていました。けれどそんな彼女だからこそ、誰もが目を背けてきた「ノイズ」を正面から見つめてあげることができたんです。
「若いからまだ迷うことはあるやろうけど、それでも自分で前に進める子なんです」
今回ゆかりがしてみせたことはスイートプリキュアのラストシーンとおおむね同じことです。
「大嫌い」なものと正面から向き合い、それを「大好き」という反転した概念に変えてしまう。ただちょっとだけ見方を変えるだけで、一見どうしようもないような存在を受容できてしまう。
そんな、弱い子だからこそできることです。
どうか、弱いから、情けないからって、自分を嫌いにならないでください。
あなたが知らないだけで、どこかの誰かはあなたの本当の強さを知っているはずだから。情けなさの裏にはとびきりのステキが隠れているはずだから。
だからどうか、自分を大好きになってあげてください。
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