HUGっと!プリキュア 第8話感想 広い世界はどこにある?

けど、私に新しい世界を見せてくれたのははなとさあやなの。

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(主観的)あらすじ

 輝木ほまれは将来有望なジュニアアスリートです。そんな彼女をモスクワというふさわしいステージに連れて行くため、昔から競いあっていた仲間のアンリが迎えに来ました。優れたステージには優れた才能を持つ者にしか見えない世界があるのです。
 だからはなにはわかりません。自分がほまれのために何をしてあげられるのか、ほまれと一緒にいられるための特別な理由が自分にあるのか。はなは応援することができますが、そんなものは誰にでもできるとアンリに笑われてしまいます。
 けれど、ほまれがその答えを示してくれました。ほまれのフィギュアスケートにははなやさあやと一緒に過ごした時間の輝きがいっぱい織り込まれていました。アンリはその演技を見て納得し、自分も心の広がりを求めて、はなたちと同じ学校に根を下ろします。

 ほまれの個人回。話の流れとしては概ねキラキラプリキュアアラモード第37話のキラ星シエルのときと同様です。才能ある者にとって、その才能にふさわしいステージで自分を磨くことは絶対に正しいこと。その正しさに並び立つ価値を平凡な日常のどこに見出すことができるか、そこが今回の物語の焦点となります。
 「広い世界を見てほしい」 きっと、子どもに対してそういう願いを抱かない大人はほとんどいないでしょう。ところでその“世界”というのは、物理的に遠い土地のことなんでしょうか? そもそもどうして“広い世界”を見ることが子どもにとって良いことなんでしょうか?
 一年後、きっとほまれもさあやも最終的には本来の夢に向かって羽ばたいていくことでしょう。今話の描き方を見るかぎりHUGっと!プリキュアはおそらくそういう物語を指向しています。元々やりたいことのあった彼女たちのために、ミライパッドのお仕事体験や「なんでもできる、なんでもなれる」を謳う未来の多様性は、はたして何をもたらしてやることができるのでしょうか。
 それが今話でほまれが示した答えとなります。

 ちなみに「応援なんて誰にでもできる」とまで言われちゃったはなの応援の価値については、第6話感想で散々語ったことと重複しますし、次回また本格的に掘り下げられるっぽいので、今回は特に触れません。
 ほまれが立ち直ることができたのは、それでもはなの応援のおかげだったんだよ、とだけ。
 詳しい経緯を知らないアンリに言っても仕方ないことではありますが。はなの方はもう少し胸を張れ。

スペシャリティ

 「ほまれをここに縛るのはやめてくれないか」
 「君たちとほまれは住んでる世界が違うってわかってる?」

 ほまれがジャンプできなくなったのは心因的なトラブルもありましたが、並んで身体の成長にともなう身体感覚の変化の影響も大きいものでした。
 幸いなことに最近ほまれの心の問題は取り除かれ、残るは身体感覚の問題、テクニック面での遅れだけ。
 ならばこそ、アンリの言うことは正論です。優れたスケーターが集い、互いに切磋琢磨できるモスクワこそが、今のほまれがステップアップするためには最高の環境です。ほまれと同じ夢を共有できないはなとさあやでは彼女のテクニック面での向上に寄与することはできません。

 確かにほまれの心の問題を解決できたのははなたちのおかげですが、解決した以上はそれはすでに過去のものです。冷たく聞こえるかもしれませんが、未来のほまれのアスリートとしての大成を願うなら、はなたちは彼女のために身を引くべきでしょう。
 「ここにはない一流のコーチとサポートが君を待っているんだ」
 「星に選ばれた者、頂点を目指す人間にしか見えない世界がある。ほまれと同じ世界を見られるのは僕しかいない。あの子たちには無理だ」

 HUGっと!プリキュアが未来志向の物語であるからこそ、なおさらアンリの言い分は正論です。

 「それが何? それがパリよりも価値があるとでも?」
 「何かを得るためには何かを捨てなければならない」
 「ここにあなたの夢と希望があって?」
 「才能のある者は最高のステージに立つべき。それがパリにはある」
(キラキラプリキュアアラモード  第37話)
 苛烈な物言いで(主に視聴者の)反感を買った、キラキラプリキュアアラモードのソレーヌオーナー。彼女はアンリと同じ世界を見ていました。アンリと同じく、その才能に惚れ込んだキラ星シエルの将来を誰よりも真摯に考えてくれていました。
 けれど、シエルのためを思っての彼女のプランは、当のシエル自身によって覆されました。
 シエルはキラキラパティスリーの仲間がいるいちご坂を選びました。ワガママではなく、将来を見据えた明確な理由をともなって。シエルはパリには無いいちご坂の価値を提示することができたのでした。

 「さよならなんてヤだよ。でも、ほまれはすごくスケートの才能があるんだもんね」
 「悩むよね。アンリくん、ちょっと強引だけど、すごくほまれのこと考えてるってわかるから」

 基本が未来志向のはなたちはアンリの言い分が正論だとわかっています。もしほまれと別れたくないと思うのなら、直情ではなくきちんと正論に並び立つ論拠でもって反論しなければ誰のためにもならないということを理解しています。

 「ほんま3人ともよう似とるわ。誰かを思ってそのために動く。けど、人のことを優先しすぎとちゃうか? 自分の心に素直になるんが大事なときもあるで」
 それも大事なことです。はなたちはほまれと別れたくないと思っています。ほまれ自身ももちろんそう。ですが、正論を覆すだけの論拠が足りません。
 スマイルプリキュア!の青木れいか留学のときはある意味ワガママにも似た直情で別れを覆すことができました。けれど、最近のプリキュアはそれができません。Go!プリンセスプリキュア以降、それができなくなるくらいに気高い未来志向を培ってきたからです。
 Go!プリンセスプリキュア。魔法つかいプリキュア!。キラキラプリキュアアラモード。3作続けて物語の終わりは別れとともにありました。

 けれど、それでも自分の心に素直になることは大事なことです。
 キラ星シエルはソレーヌオーナーの言い分こそが正論だと理解しながら、そのうえで彼女のプランを覆してみせました。
 直情ではなく、彼女を納得させられるだけの論拠をともなって。
 選びたい未来があって、そのための論拠が足りないなら、探せばいいんですよ。

論拠

 ハリーのイケメンアドバイスを受けてなお、ほまれはただ「行きたくない」という自分の気持ちだけを振りかざしてアンリの正論を拒絶するようなことはしません。
 その正論に込められた彼の暖かな気持ちを無碍にはしません。
 「ごめん。私、アンリとは一緒に行けない」
 そう言いながら、彼女は握った彼の手を放そうとしません。
 その気持ちに真摯に向き合い、なおかつ自分の希望を通そうとするなら、正論を覆すだけの論拠が必要です。
 「見せたいものがあるんだ」
 必要なら、示せばいい。

 ほまれは力のある子です。
 彼女のフィギュアスケートには見る人の心を揺さぶる力があります。
 幾千の言葉を重ねるより遙かに雄弁にものを語ることができる、そんなステキな力を、彼女は秘めています。

 キラ星シエルがソレーヌオーナーに示した答えは何だったでしょうか。
 それは宇佐美いちかと出会い、宇佐美いちかから教わった大切な思いでした。
 ソレーヌからパリ行きを求められるよりはるか以前から、シエルの胸の内には彼女の正論を覆せるだけの論拠がとっくに存在していました。シエルがそれを自覚してソレーヌに伝えるまでに丸々1話かかっちゃっただけで。

 同様に。
 ほまれの胸の内にはすでに論拠が存在していました。探してみればそれははじめから自分のなかにありました。
 そして、彼女にはそれをストレートに伝えるための力がありました。
 彼女はただそれを披露するだけではなたちの傍に留まる未来をつかみとることができます。
 なんでもできる、なんでもなれる。それがいつになるかはまだわからないけれど、もしかしたら今すぐにでも。

 「天使の羽根! あれはさあやの羽根だよ!」
 「お花が咲いた!」
 「わぁ、ほまれキラキラしてる。まるで流れ星みたい!」

 ほまれが示した論拠は“多様性”でした。
 さあやの悩みにみんなで取り組んだ想い出。みんなでお花屋さんに挑戦した想い出。その他たくさん、たくさんの、はなたちと一緒に経験してきたものすべてがほまれの演技の糧となっていました。
 はなたちと一緒にいなければこれらの想い出は経験できず、従ってはなたちと一緒にいなければこの表現豊かな演技は生まれませんでした。
 以前のほまれのスケーティングを知っているアンリだからなおさら、その価値を理解することができます。

 はなたちとともに過ごしてきた時間すべて。
 これが、ほまれがアンリを説得するための物言わぬ論拠となりました。

ゼネラリティ

 「広い世界を見てほしい」
 私も子どものころはよくそんなことを言われていました。
 大人になった今、実際それができているかというと、だいぶ疑わしいところですけどね。
 でも、まあ、両親祖父母学校の先生その他その他その他、どうしてみんな口を揃えてそんなことを言っていたのかは、なんとなくわかってきた気がしないでもないかな。

 「赤ちゃんのお世話をしたり、お店屋さんのマネをしたり、それって今の僕たちに必要なもの?」
 そうです。
 「友達と遊ぶのは引退してからでもできる」
 今でなければいけないんです。
 モスクワに無くて、はなたちの傍にならあるもの。
 以前のほまれには無くて、今のほまれが築きあげようとしているもの。
 「昔のムダのない正確なスケートも好きだったけど、今のほまれの気持ちあふれるスケートも悪くない」
 それを培うためには、少なくともほまれの場合は、はなたちと一緒にいなければなりません。

 「広い世界を見てほしい」
 大人たちはみんな口を揃えてそう言います。
 それは、たとえばモスクワのような遠い土地に行きさえすれば叶うものでしょうか?
 いいえ。そういう話ではないんです。
 大人は子どもにたくさんの経験をしてほしいんです。
 いつか大人になったとき、どんなことでもできるように。どんなものにもなれるように。
 いつか目指す未来が定まったときにその願いを叶えられるように。未来の可能性を無限にふくらますことができるように。
 誰もが憧れる心豊かな人間になれるように。イケてるお姉さんになれるように。
 子どもたちには広い世界に出て、たくさんの経験を積んでほしいんです。
 そういう多様な経験を積む機会に巡り会ってほしいからこそ、「広い世界を見てほしい」。

 HUGっと!プリキュアとはそういう物語です。
 たとえばミライパッドにはそんな多様な経験を望む大人たちの願いが込められています。
 あのアイテムはただいろんな職業に合ったお着替えをできるようにするだけで、その職業ならではのスキルを今すぐ与えてくれるものではありません。
 「なれる」「できる」ことよりも、職業体験することに主眼が置かれています。
 たとえば今話の憎まれ役を担ったアンリにしても、多様性を大切にするキャラクター設計がなされています。
 男性だけど似合うなら女性服も着こなす。「ハーフ」ではなく「ダブル」。
 LGBTを想起させるその言動は、彼が性的マイノリティであることを示すのではなく、万事において多様性を支持する人物として描くためにデザインされています。

 そういう多様性の片鱗をいくつかほまれに経験させたうえで、この物語はそれらを彼女が元々抱いていた夢のために昇華させます。
 「未来は無限大。なんでもできる、なんでもなれる」(第2話)
 それはなにも夢がまだ定まっていない子や、新しい夢を模索している子のためだけにあるスローガンではありません。
 「人生にムダな時間なんてない!」
 多様性(ゼネラリティ)は専門性(スペシャリティ)ほど直接的に未来に作用しませんが、夢や目標を問わずすべての人の心を豊かにし、いつかどこかで、ひょっとしたらものすごく意外なかたちで、その人の人生を輝かせるものです。
 小学校で習った算数の知識とかね。歴史の知識とかね。当時はこんなもの何に使うんだと思ったものですが、びっくりするくらい日常のちょっとした意志決定にまで役立ちますよね。

 「友達と一緒に学校に行ける時間が好き。かわいい赤ちゃんの温もりを感じる時間が好き。ふたりと一緒に過ごす時間が、私の心を輝かすんだ!」
 はなたちはアンリのようにほまれと夢を共有することはできません。
 けれど、それがすなわち彼女のために何もできないという話にはなりません。
 はなたちはほまれがスケートから逃げた心情を理解できませんでしたが、それでも彼女を立ち直らせることができたのははなたちの応援でした。
 「がんばれ」の言葉をもらうまでもなくほまれは元々がんばっていましたが、それでも彼女を勇気づけられたのは「がんばれ」の言葉に込められたはなたちの善意と好意でした。

 「確かにアンリと私は同じ世界に生きているのかもしれない。けど、私に新しい世界を見せてくれたのははなとさあやなんだ」
 ほまれにとっての“広い世界”とは、遠いモスクワの地ではなく、それぞれの未来のためにがんばるはなたちの傍に。専門性の世界から飛び出した多様性の世界にこそありました。

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