花が散って、風に種を飛ばすように、僕の世界は広がっていく。
今日、春分の日のお休みにまたプリキュアスーパースターズ!を観てきました。客席はなんと満席。ここ数年、大抵の映画はこの映画館で観ているのですが、席が全部埋まっているところなんて初めて見ましたよ。ニュースによると初週の興行収益もシリーズ過去最高だとか。
このあいだの感想文では「人気が安定してきた」なんて書きましたが、そんなレベルじゃなかったようですね。むしろ未だ天井知らずの上がり調子です。まだまだどんどんがんがんいっくよー!
ひとりぼっち
「クローバーのいた世界とはなんだったのか」なんて表題をぶち上げてみましたが、作中設定としてどういう世界だったのか、どうしてあんなさびしい世界になってしまったのか、などを考察する記事ではありません。
そのあたりは劇中でも特に語られてないし。どうせ闇のオニビの仕業でしょうね、としか。
ただ、ふと思ったのですよ。
約束を信じる / 信じないの話をテーマに据えるなら、クローバーがひとりぼっちの世界に閉じ込められているって設定は必要なかったんじゃない? と。この設定を成立させるためだけに六角形の扉だの緑の扉だの闇のオニビだの、テーマに直接関わらない大がかりな舞台装置が必要になってしまって、ひとつの作品としてあんまり美しい構図じゃないな、と。
どうしてわざわざこんなメンドクサイ設定を置いたんだろうと不思議に思ったんです。
まあ結論としては東堂いづみがこういう大事なところで雑な仕事なんてするはずもなく。
当然のごとくこのあたりの設定はテーマに深く関わっていたわけですが。
優しかった少年・クローバーは怪物・ウソバーッカになりました。
はなが約束を守らなかったせいです。
事情はどうあれ、はなに心を傷つけられた少年はもう何も信じられなくなってしまいました。“約束”を小馬鹿にする言動を繰り返し、プリキュアを世界から消してしまおうと企て、あらゆる世界を色のない石に変えてしまおうと暴れ回るようになってしまいました。
そう。名前とウラハラ、ウソバーッカの目的って世界をウソで満たすとかそういうのじゃないんですよね。世界を石に変えてしまうんです。ウソをつくどころか、誰も何もしゃべることすらできない世界。
どうして彼はそんなさびしい世界を望んだんでしたっけ? そうそう。外の世界をクローバーの世界と同じものにしてしまえば外に出られると言って、闇のオニビがクローバーを唆したんでしたね。
もちろんクローバーは心に引っかかりを覚えました。だって彼が外に出たがっていたのは“自分のいる世界がさびしい”というのが理由だったのですから、外の世界まで同じ色のない世界になってしまっては元の木阿弥です。
闇のオニビはクローバーのこの心の引っかかりをごまかすために、重ねて全然別の論理を彼に押しつけます。それが“復讐”。でもクローバーって、特段誰かを恨んでいたりはしていなかったはずなんですよね。そもそもひとりぼっちの世界に閉じ込められていたわけですし。唯一つながりを持ったはなですら、ウソバーッカになったあとは特に固執している様子もありませんでしたし。
さびしい世界を望まず、さりとて復讐でもなく、では、ウソバーッカは本当はどうして世界を石に変えてしまおうと思ったんでしょうか。
「信じれば裏切られる。裏切られれば深く傷つく」
たぶん、これが動機になったんでしょうね。
はなと約束をしたせいで傷ついた。こんなに辛いなら約束なんてもうしたくない。誰かと約束してまた傷つくくらいなら、これからもひとりぼっちのままでいた方がずっといい。
もう、外の世界なんて要らない。
クローバーのいた世界とはなんだったのでしょうか。
そう、あれはひとりぼっちの世界です。
あるいは“約束”のない世界と呼んでもいいでしょう。
どんなにさびしくても騙されるよりはいい。どんなに冷たくても傷つけられるよりはいい。
そんな妥協からくる自己防衛的世界観がクローバーをウソバーッカに変えてしまいました。
物語としては“約束”がもたらすステキな未来像と対比させるために、“約束”がない世界を描く必要があったわけですね。
プリキュア
そうするとどうしてウソバーッカがプリキュアを襲ったのかも理解できますね。ただのお約束というわけではなく。
「私たちは仲間を信じてる。だからあなたも信じて」
プリキュアは仲間を大切にします。みんなで一緒に変身し、みんなで助けあって戦い、ときに自分の身を危険にさらしてでもみんなを守ります。
“約束”を拒絶し、ひとりぼっちの世界を選んだウソバーッカとは対極の存在です。
キラキラプリキュアアラモードのメンバーはウソバーッカの体内に閉じ込められても、いつもと変わらないマイペースを貫きました。いちかならひとりになってもがんばってくれると信じられたからです。
魔法つかいプリキュア!のメンバーは仲間を守るために、自らウソバーッカに囚われることを選びました。みらいなら離ればなれになっても絶対に諦めないでがんばってくれると信じられたからです。
HUGっと!プリキュアのメンバーは他の2チームと比べるとまだちょっと未熟で、ウソバーッカの体内で多少取り乱してしまいました。けれどはなを大切に思っていることについては他のチームと同じ。はなの助けになりたくて必死に脱出する術を模索していました。
それは明確に“約束”というかたちをとっていたわけではありませんが、人が何かを約束するときと同じ思いのかたちでした。
プリキュアは仲間を信じています。そして、ひとりよりもみんなでいた方がもっとステキな未来をつくれることを信じています。
プリキュアは最後の大技・プリキュア・クローバーフォーメーションを繰り出す前に改めてみんなで約束を結びます。夢を、希望を、明るい未来を諦めない、と。
他人を信じることができず、自分のいる場所が冷たい世界と知りながら全てを諦め、自分からひとりぼっちになることを選んでしまったウソバーッカには受け入れがたい存在です。
彼の信じる論理の正しさはプリキュアを消し去らない限り証明されることはないでしょう。だって、そもそも彼の論理は妥協の産物で、自分が本当に望んでいたものでないことは彼自身がよくわかっているんですから。
怪物・ウソバーッカは“ウソ”の擬人化ではありません。彼のつくろうとした世界はウソの世界ではありません。彼がつくろうとしたのは約束を結ぶ相手がいないひとりぼっちの世界で、つまり彼は“他人を信じられない思い”を擬人化した存在でした。
プリキュアスーパースターズ!の物語は“約束”をテーマに掲げ、これを通じてひとりでいることの寂しさと、みんなで一緒にいることの力強さを対比します。
七色の世界
ひとりぼっちの世界に縛りつけようとする闇のオニビを振りきり、クローバーは外の世界に飛び出しました。改めて約束を果たしたいというはなの思いに勇気をもらって。
魔法つかいプリキュア!は、いつか再会できることを強く信じる絆の力で、不可避の別れの悲しみを乗り越える物語でした。
キラキラプリキュアアラモードは、バラバラの個性を絆の力で束ねることによって、あらゆる心の闇をはねのける物語でした。
約束を結ぶことで誰かとの絆を築くことができるのなら、それはすなわち力です。
ならば約束を信じる / 信じないの物語は、強くなれる / なれないの物語でもあります。
現実として約束を守ってもらえないこと、騙されてしまうことは多々あります。正直者が馬鹿を見るなんて話は陳腐なほどにありふれています。幼いはなのようにどうしようもない事情によって反故にしてしまうこともあれば、闇のオニビのようにはじめから悪意でもって騙そうとする人もいます。約束を信じることは必ずしも幸せにつながりません。
それを知ったうえで、どうして約束を信じることが美徳とされるのでしょうか。
この物語はその答えとして「強くなれるから」という論理を提示しました。
「僕の心に手を当てて君が信じてくれたから、ひとりじゃないこと、こんなにも強くなれると知った」
幼いはなはクローバーと約束を結びました。クローバーがこの世界はさびしいと知りながら、どうしようもできずに悲しそうな顔をしていたから。不幸にしてその約束は果たされず彼を傷つけてしまいましたが、少なくとも約束を信じている間、クローバーは笑顔でいられました。
現在のはなはさあやとほまれと約束を結びました。不運が重なってにさあやたちは2時間も遅刻することになってしまいましたが、それでもはなは待ちつづけることができました。さあやたちも諦めずにたどり着く方法を模索しつづけることができました。
約束が果たされることできっと訪れるであろう、明るい未来を夢見て。
約束が果たされる / 果たされないの結果だけではなく、約束には信じることそれ自体にもステキなパワーがあるんです。
約束は絆で、絆は力です。
いつも怪物をやっつけてくれているプリキュアと同質のパワーがあるんです。
七色の世界。
たくさん、たくさんの人と約束を結ぶことのできるステキな世界。
そんなステキな世界を守るためにクローバーはプリキュアに力を貸しました。
そしてプリキュアは約束しました。この世界の夢を、希望を、明るい未来を守る。
それが、またひとつ新しい力となりました。
「花が散って、風に種を飛ばすように、僕の世界は広がっていく」
幼いはなが結んだ約束は、長いすれ違いのときを経て、やがてクローバーを広い世界に解き放つほどの大きな力を生みだしました。
今、クローバーはひとりだったころとは比べものにならないくらい広い世界を旅しています。
彼は今も世界のどこかで誰かと一緒に幸せな未来を築いていることでしょう。
クローバー、特に四葉のものには「幸せ」の花言葉が託されています。
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