HUGっと!プリキュア 第7話感想 あなたの瞳に映る私を演じて。

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天使のなかには強さもあるの!

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(主観的)あらすじ

 薬師寺さあやは大女優を母に持つ人気子役でした。けれど今はいくつかのオーディションを受けては落ちてしまうばかり。さあやにはわかりません。周りが自分に何を期待しているのか。自分は本当に女優になりたいのか。その迷いは演技を鈍らせてしまうけれど。それでも彼女は自分の気持ちを見つけるためにオーディションを受けつづけています。
 そんな自分を見失っている有様をさあやはカッコ悪いと言いますが、はなの目にはむしろめっちゃカッコよく見えました。悩むことはちっともカッコ悪くない。落ち込むことがあるなら傍にいて励ましてあげる。はなとほまれはさあやの今度のオーディションを応援することに決めました。
 結局さあやは今回もオーディションに落ちてしまいましたが、その表情は晴れ晴れとしていました。自分の気持ちを見つめなおすことができたから。女優になりたいかどうかまではまだわかりませんが、これからもがんばりたいと、さあやは自分の心に強く誓います。

 さあやの個人回1発目。さあやは優しい子です。そしてその優しさは賢さから来ています。この子は他人の気持ちを酌み取るのがすごく上手な子で、だからこそ変なところでがんじがらめになっちゃうんでしょうね。他人の目のないところでなら優れた演技ができる理由、いつか気づいてくれたらいいのだけれど。
 ところで一条蘭世さん、ひょっとして本名は五星だったりしませんか? らんこの血統というより麗奈のニオイを感じる・・・。絶対さびしがり屋ですよね、あの子。

天使

 「ここはどこ? 私は誰? わからない。暗くて何も見えません。それでも、私の道は私が開かなくては」
 義務感。焦燥。受動的意志。

 学園の天使と呼ばれているさあや。
 彼女のステキなところは、ただ誰にでも親切だというだけではなく、相手の事情を慮ってその人のために力を貸してくれることにあります。
 「はー。確かにかわいい・・・」(第2話)
 だからこそ優しくしてくれる彼女は魅力的に見える。親切な行いとともに、ちゃんとこちらを見て、こちらのためを考えてくれるから。

 「色々考えすぎちゃうのかな。この人は私に何を求めているんだろう。何が正解なんだろうって」
 その考え方は何も間違っていません。オーディションというのは演技の優劣を競うための場(コンテスト)ではなく、配役と演者を最もふさわしいかたちでマッチングさせるために行われるものです。もちろん配役にふさわしい演者になるためには基礎的な身体能力や演技力も前提条件ですけどね。
 演出家はこのキャラクターに何を見ているんだろう、このキャラクターは物語全体に対してどんな役割を担っているんだろう。作品解釈は俳優にとって最も大切な技術のひとつです。
 そこに気づくことのできるさあやはやはりステキな子です。何を求められているのかを考えるのは決して悪いことではありません。
 ただ・・・。

 「私は母のようになりたいのか、それとも・・・。だんだんいろんなことがわからなくなっていって、女優になりたいかどうか、自分の気持ちもわからなくなっちゃった」
 この子の賢さは、求められている以上の気持ちまで酌み取っちゃうんですね。
 「キミ、薬師寺れいらさんの娘さんなんでしょう。才能はお母さん譲りだね」
 「お母さんに負けないようにがんばってね」

 誰もさあやにお母さんのようになってほしいとは言っていません。むしろこれらの言葉は才能豊かなさあや個人に向けられたエールです。
 それでも賢い彼女は酌み取ってしまうんです。彼らが飲み込んでくれたはずの身勝手な期待を。新人女優の未来を思うなら期待するべきではないとわかっているけれど、才能があるからこそ期待せずにはいられない、母親の精巧な模倣品としての娘を。
 それを飲み込んでくれているからこそ「お母さん譲り」「お母さんに負けないように」と、彼らはさあやをお母さんとは別の一個の個人として応援してくれているのに。それでもさあやの賢さは言外に隠した心理まで見透かし、あげくそれに応えようとしてしまいます。

 さあやは優しくて、何より賢いんです。
 その秀でた読解力を人の心ではなく台本に向けられたなら、本当の彼女は素晴らしい演技ができるはずなのに。
 優しくて賢い彼女はどうしても周りの人への“気づかい”を優先してしまって、どこかの誰かにとってのさあやをひとりで演じはじめてしまいます。

肯定

 「別に、悩めばいいじゃん。私たち傍にいるし」
 自分のことで悩んでいるひとに対して、他人にいったい何がしてあげられるでしょう。

 それはもう、ステキなことをしてあげられますとも!
 キラキラプリキュアアラモード、立神あおいはあるときバンドの新曲づくりに悩んでいました。憧れの人に披露して恥ずかしくない曲をつくろうとするあまり、自分を見失ってしまっていました。
 そんな彼女の悩みを氷解させたのが宇佐美いちかのつくったらいおんアイスでした。当時の彼女たちは出会ったばかりで、お互いのことをまだよく知りませんでしたが、それでもいちかがあおいをイメージしてつくったスイーツはあおいに自分を取り戻させることができました。
 いちかにとっては自分の目に映るあおいのありのままの姿こそがカッコよく見えていたからです。あのとき、あおいはいちかの目を通してはじめて自分のステキな個性を見つめなおすことができたのでした。

 「さあやがこーんな顔してたからさ」
 「してない」
 「してたよ」

 自分の顔は自分の目で直接見ることができません。しょぼくれた自分の顔からどれほど魅力が損なわれてしまうものか、自分で確認することはできません。

 「ねえ、さあやはどうしてオーディションを受けつづけてるの?」
 「きっと、自分の気持ちがわかりたいからだと思う。答えがわからないまま諦めたくない」

 自分の心は自分の目で直接覗くことはできません。こんなに強い意志が乗った言葉ですら、さあやはこれまで自分の心から引き出すことができませんでした。

 「落ちてばっかりだからカッコ悪いけどね」
 「なんで。それめっちゃカッコいいじゃん!」

 自分の魅力に自分で直接気づくのは難しいことです。そもそもあらゆる個性は長所にも短所にも捉えることができるもの。自分が好きじゃない人はどうしても何事もネガティブに考えてしまいがちですが、幸いなことにはなとほまれはさあやのことが大好きです。
 オーディションに落ちてばかり。自分の気持ちもわからない。カッコ悪い。
 どうして? ずっとオーディションに挑戦しつづけてきた。自分の気持ちを知ろうとがんばってきた。それって、めっちゃカッコいい!

 はなとほまれは現在のさあやを肯定します。
 たとえさあやが本当の自分を見失ってしまっているとしても。
 なぜならはなとほまれが現在のさあやのことを大好きだからです。さあや自身にはわからなくても、はなとほまれならさあやのステキなところをたくさん知っています。
 「別に、悩めばいいじゃん。私たち傍にいるし」
 だから安心して自分を見つめなおせばいい。
 好きじゃない自分を変えるためではなく、今よりもっとステキな自分になるために。
 私にできないことがあなたにはできます。あなたにできないことが私にはできます。力を合わせれば、素晴らしいことが、きっとできるでしょう。
 もしも自分がわからなくなったなら、そのときはまた私たちを頼ってくれればいい。私たちの心のなかにはいつだってステキなあなたがいます。

 「ひとりじゃないから」
 「フレフレさあや」

 「ここはどこ? 私は誰? わからない。暗くて何も見えません。けど――、私は私。私の道は私が開く!」
 さあやは優しくて賢い子です。それ故に周りの人の期待を慮って、自分というものがわからなくなってしまいました。
 けどーー。

 「私は諦めない。なぜなら・・・ふたりを守りたい気持ちは、誰にも負けない!」
 さあやには、ステキな自分を見てくれる友達がいます。
 はなとほまれがいる限り、さあやはもう自分というものを見失わずに済みます。
 それはあくまでふたりが見てくれた自分の姿であって、さあや自身が思い描く本当の自分とはちょっと違うかもしれないけれど。もしかしたら買いかぶりすぎかもしれないけれど。それでも、少なくともさあやがなりたい理想の自分のひとつではあるでしょう。
 なんでもできる、なんでもなれる。今はまだまだかもしれないけれど。それでも、なりたい自分がわからなかったさあやに、ふたりはステキなさあやを見せてくれた。
 さあやはそんなステキなふたりが大好きです。
 だったら、優しくて賢いさあやは、ふたりが見せてくれたステキなさあやを演じることができる。

 「天使のなかには強さもあるの!」
 はなとほまれの目に映るさあやが何度オーディションに落ちても諦めないがんばり屋さんであるならば。
 さあやはそんな強い自分を目指して、いくらでも強くなっていくことができます。
 未来は無限大。どんな未来を選び取り、どんな自分を目指して成長していくかは自分の意志が決めることなのだから。

 そもそも私は「本当の自分」なんてものに興味がありません。そんなもの存在しないとすら思っています。
 だって、会社にいるとき、学校にいるとき、友達と一緒にいるとき、そこらをぶらついているとき、あるいは自分の部屋でひとりで過ごしているとき、全部少しずつ違ったペルソナを使い分けた別人じゃないですか。それが当たり前だと思っていますし、その方がいろんな人と一緒に自分らしく生きていけると信じています。
 好きな人の前で平気で毒を吐く自分が本当の自分だと思いますか? 誰もいないところで無意味に自己卑下する自分が本当の自分だと思いますか? 私はそうは思いません。そんな私は好きじゃありません。好きじゃないからそんなのが私だとは認めません。
 だから、周りの期待に応えようとするさあやのような人物を好ましく思います。自分らしさに混乱してうまく演じ分けできなくなるようでは本末転倒ですけどね。その優しさは、その賢さは、確かに今の自分を変えていこうとする強さだと思います。

 「私だけの光、それが私の強さ」
 たとえ目指す先にあるものが個人としての強さだとしても、それで友達の手を借りてはいけないなんて理屈にはなりません。自分にできないことを誰かにしてもらい、誰かにできないことを自分がしてあげて、そうして初めて手が届くものがあることを、すでにさあやは知っています。
 「オーディション、受けて良かった。女優になりたいかはまだわからないけど、自分の心をきちんと見つめて、がんばろうって思えたから」
 何が自分らしさなのかは重要ではありません。なりたい自分を探して、そのために努力しようと思える意志こそが、さあやを強くしていきます。

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