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(主観的)あらすじ
お仕事スイッチオン! 今日は保育士さんに挑戦です。さあやなんて事前にテキストを読み込んでいて、もう準備カンペキ! だけどルールーも同じくらい勉強してきたみたいで、珍しくさあやに火がついちゃったみたいです。
さあやとルールーはたくさん張りあって、一生懸命赤ちゃんたちのお世話をしました。そんなものだから赤ちゃんたちは大喜び! すっかりふたりに懐いてくれました。
今日のお仕事体験を通して、さあやは自分の意外に負けず嫌いなところを知ります。そしてルールーも、いつの間にか自分が赤ちゃんたちのことを好きになっていたことに気がつくでした。
保育士にロングヘアは鬼門だってば。結って来なさい。ほっぺ? ・・・えーと、痩せるしか?
というわけで保育士体験のお話です。さあやのロングヘア以前に、外部の人に乳児を任せるのはどうよ? とか、記者不在じゃ写真素材すらままならなくない? とか、色々ツッコミどころはありますがスルーしましょう。物語を楽しむ側の態度として無闇にヤボに目を向けるのは真摯じゃないな、うん。
その物語としては、さあやの個人テーマである“自分らしさを見つけること”と、ルールー編のテーマである“愛を知ること”の2本並立。さらにはふたつのテーマが絡みあいながら同時に語られるので、同じひとつの体験をしているのにそれぞれ違うテーマに触れるという“多様性”も強く実感できる物語となっています。プリキュアって子ども向けアニメの割には意外にちょくちょく大人向け作品顔負けの複雑な構成を仕込んできますよね。
デスワヨ。
「ねえ、さあやはどうしてオーディションを受けつづけてるの?」
「きっと、自分の気持ちがわかりたいからだと思う。答えがわからないまま諦めたくない」(第7話)
さあやは自分というものを知りたくて日々をがんばっています。
「色々考えすぎちゃうのかな。この人は私に何を求めているんだろう。何が正解なんだろうって」(第7話)
周りの期待に応えようとするばかりで、自分自身は何をしたがっているのかわからなくなってしまったから。
「野乃さんは自由な発想があって、なりたい自分の未来があって、私よりずっとすごいよ。私には何もないから」(第2話)
何者でもない自分のままでは、どうしても自分を好きになれないから。
その目的のために具体的に何ができるのかといえば。
「さあや、どうしたの? 目、赤いね」
「昨夜、保育士のテキスト読んでて」
今はまだ、先人の知恵に助けを求めることしかできないのだけれど。
「すごーい! よし、困ったらさあやに聞こう!」
けれど、こうすることで何らかのポジションを得ることができる。それが自分らしさかどうかはまだわからないけれど、少なくとも何者かにはなれる。
なにかはできる、なにかになれる。今の私にだって。
だからこそ。
「はな、そういうときは――」
「ムリヤリやめさせるのではなく、別のことに興味を持たせるのもひとつの方法です。テキストに書いてありました」
今のさあやにとって、自分とポジションがダダ被りのルールーは無視できないライバルです。
それも自分が依って立つ先人の知恵を「浅い」などと批判されてしまった日には、もうね。
「すずかちゃんはあのピンクのぬいぐるみが好きみたい」
「正確には、ぬいぐるみの赤い鼻を気に入っています」
「ちいちゃんはあの絵本を読んでもらうの、好きね」
「正確には、絵本を読んでいる保育士さんの表情が楽しいんです」
「いいえ! 声のトーンですわ!」
「せいたろうくん、この格好をすると喜びます」
「違ってよ! 正確にはこうきて、こうきて、こう!」
バトるしかないよね。
「焦っちゃった?」
それはまあ、どうしても。
「意外だった。さあやにこんな負けず嫌いなところがあったなんて」
自分でもびっくりするくらい必死で。
「・・・なんか、恥ずかしい」
周りのみんなはこんな私を見苦しく思うでしょうか?
負けず嫌い。
そういう性格が果たしてカッコいいかというと、どうでしょうね。
素直に喜べることではない気もします。それがせっかく見つけてもらえた自分の“自分らしさ”だとはいえ。
さあやは自分を好きになりたくて“自分らしさ”を探しているんです。
好きになれない“自分らしさ”じゃ意味がありません。
かわいい・・・?
「かーわーいーいー!! ね、かわいいよね、ルールー」
「え? はい。かわいいです」
前話の軋轢を経て、多少は周りと話を合わせるということを学習したルールー。
けれど本当のところ、ルールーにはよくわかりません。赤ちゃんの「かわいさ」とはそんなにはしゃぐようなものなのか。
ついさっきも自分がテキストを読んでいたところをはぐたんに邪魔されました。赤ちゃんは一日中泣いたり騒いだりしているだけ。そのくせ周りの人間の手を煩わせる。何の生産性もありません。非効率そのものです。
そのうえ。
「あのピンクのぬいぐるみが好きみたい」
「正確には、ぬいぐるみの赤い鼻」
「あの絵本を読んでもらうの、好きね」
「正確には、絵本を読んでいる保育士さんの表情」
「いいえ、声のトーンですわ!」
「この格好をすると喜びます」
「正確にはこうきて、こうきて、こう!」
事前にテキストを読み込んでいたふたりなのに、意外とすんなりとは正解にたどり着けません。
単にどちらかの学習が不充分なだけなのでしょうか?
いいえ。ふたりとも一進一退、正解したりしなかったり。どうやら単に観察対象の揺らぎが大きくて絶対の正解が存在しないだけのようです。
「やりますわね」
「あなたも」
ちょっと楽しくなってきました。
ついには泣き声のオーケストラ。
どちらが正解する・・・どころか、どちらもお手上げです。もう何が正解なのやら。
「赤ちゃんだって10人いれば10通りの性格があるわ。テキストどおりにはいかないものよ」
個性。それがルールーの学習能力を持ってしても手を焼いた揺らぎの正体。
だとしたら、ますますわかりません。
「なぜですか? なぜ泣いたり騒いだりしているだけの赤ちゃんに、みんなそんなに必死になるんですか?」
この非効率の権化みたいな存在を、どうしてみんなかわいいと言うんだろう。
よしんば「かわいい」のが事実だとしても、どうしてこれほどの苦労と非効率を飲み下してまで、それでもただかわいいとポジティブに受けとめられるんだろう。
「ルールーだってかわいいと思ってる。きっと。ルールーの表情見てればわかる」
どうして私はこの子たちの相手をするのを楽しいと感じていたんだろう。
「かわいい」とはいったい何なんだろう。
“お仕事”
今日のお仕事体験を通して、さあやとルールーが見てきたものは何だったでしょう。
意外に負けず嫌いな自分?
非効率な存在をかわいいと思う自分?
もちろんそれもありました。それも大切な気付きです。
ですが、もっと単純に考えましょう。もっと単純に、今日あなたの目の前にあったもの。
笑顔。
赤ちゃんたちは笑っていました。
あなたたちがいっぱいがんばったおかげで、赤ちゃんたちはいっぱい笑っていました。
特にさあやはよく知っているはずです。
「大変だった。でも――、みんなの笑顔、最高だった!」(第6話)
「与えられたことをやるだけじゃなくて、自分で工夫するのも大事なんだなって」
「お客様に頼られるって、すごく嬉しいなって思いました」(第10話)
“お仕事”とはいったいどういうものだったかを。
さあやは「負けず嫌い」という、ちょっと恥ずかしい“自分らしさ”を見つけました。
「そういうの、いいじゃん」
恥ずかしいのに、どうしてでしょう、ほまれはさあやのそういうところを褒めてくれました。
だって、その負けず嫌いのおかげでさあやはいっぱいがんばることができて、いっぱい赤ちゃんたちを笑わせてあげられたんです。
それはとてもステキな性質です。もっと誇ってもいいことなんです。
たとえばたこ焼き屋のお手伝いで何の特技もないはなが、それでもみんなを喜ばせられたもの。
お茶目なところ。
はなも自分のそういう性質があまり好きではありませんでしたが、結果として彼女のお仕事を成功させたのはその「お茶目」でした。
赤ちゃんたちは喜んでくれました。一見するとちょっと恥ずかしい気がするさあやの「負けず嫌い」の、そのもたらした結果によって。
たくさんの笑顔を見てあなたは何を感じたでしょうか。がんばって良かったと、嬉しいとは思わなかったでしょうか。
負けず嫌いは良いことです。みんなの笑顔がその証拠です。
ルールーは「かわいい」がよくわかりません。
どうしてかわいければ苦労と非効率を飲み下せるのかが理解できません。
「ルールーだってかわいいと思ってる。きっと。ルールーの表情見てればわかる」
けれど、事実としてルールーは赤ちゃんたちのお世話をしていて楽しいと感じていました。
いつの間にか赤ちゃんをかわいいと思うようになっていました。
赤ちゃんたちが笑ってくれたからです。
ルールーががんばってお世話して、それを赤ちゃんたちが喜んでくれたからです。
これまでのお仕事体験でさあやたちが学んできた“お仕事”の楽しさとはまさにそれでした。
相手に喜んでもらえると自分まで嬉しくなるんです。それまでの苦労全部が幸せな気持ちに変わるんです。
それこそが、みんなが赤ちゃんを「かわいい」と言う理由でした。
たくさんの笑顔を見てあなたは何を感じたでしょうか。がんばって良かったと、嬉しいとは思わなかったでしょうか。
あなたは「かわいい」を知りました。苦労と非効率を飲み下して、それでもあなたが嬉しそうに笑っているのがその証拠です。
「これ? この顔?」
「どうやら筋肉の緊張と弛緩を伴う表情の急激な変化に驚きと興味を覚えているようですね」
「こうかな?」
「こうかもしれません」
「これはいかが?」
「こうではないでしょうか」
あなたの努力をみんなが喜んでくれたから。
「はーぎゅ。はーぎゅ。はーぎゅ。はーぎゅ」
「応援してくれてありがとう!」
私の努力をあなたが喜んでくれるから。
だからプリキュアは強くなれる。
その努力はみんなの明るい未来を描き、輝くアスパワワの源となる。
なにもできない、なににもなれない私たちが、いつかなんでもできるように、なんでもなれるようになる。
今、そう信じられる。
さあやが好きになろうとしている自分、ルールーが学びつつある愛の強さとは、つまりそういうものでした。
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