デリシャスパーティプリキュア 第23話感想 ワガママが言えないくらい大好きな人へ。

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自分の気持ちを伝えるのはワガママじゃない。よね?

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「ここねのわがまま? 思い出のボールドーナツ」

Lead Character:がんばったひと

ここねのお父さんとお母さん

Major Happening:大きなできごと

 いつも忙しくしているここねの両親の出張が急遽中止になり、久しぶりに家族で食事できるようになった。しかし、ここねは両親との距離感をうまく掴めず、両親も最近のここねを知らなすぎて話題を見つけられずにいた。
 お互いがそれぞれ少しずつ一歩踏み込んだことでお互いに希望を伝えやすい関係性へ変化し、ここねの家族は団らんを手に入れた。

Sub Questions:小さなできごと

ここねのワガママ

 幼いころ伯母に「パパとママを困らせないようにね」と言われて以来、ここねは両親に遠慮がちになっていた。ちょうど同じ時期から両親が忙しくするようになってしまい、関係の修復もままならないまま。
 今日、勇気を出して自分の好きなこと、やりたいことを何でも話してみるようにしたところ、両親はちゃんと応えてくれた。

ママの心残り

 ボールドーナツを食べたいというささやかなワガママを叶えてあげられなかったとき以来、ここねは両親に何のお願いもしなくなった。
 だからここねのお母さんはそのことをずっと気にしていて、今回、今度はお母さんのほうからボールドーナツを食べに誘ったところ、それを皮切りにここねのほうも態度を変えてくれた。

パパのお願い

 少し空気を読めないところがあるここねのお父さんは、ここねとうまく会話できないせいで彼女の好きなこと、やりたいことを全然把握できておらず、そのせいでなおさら会話が難しくなる悪循環に陥っていた。
 今回、ここねが断片的に話してくれたことを自分で調べ、それから思いきってここねにも教えてほしいと直接頼んだことでここねが家族に望むことを引き出した。

Battle Depiction:どんなバトルだったか

 なぜかナルシストルーのテンションが高くて激しいバトルとなったが、プリキュア側もここねを先頭に、ブラックペッパーやマリちゃんまで含めてみんな一丸となって戦った。

I’m curious !:気になるポイント

家庭内個食

 これも近年の個人を尊重する価値観のもとで生じるようになった社会問題のひとつ。せっかく同じテーブルを囲んでいるのに、ここねはパンとスープ、お父さんはテイクアウトのお寿司、お母さんは仕事で先に食べてしまったということで水だけ。
 子ども視点からすると両親がそんなだから会話が途切れるんだと怒りも湧くが、少し想像力をはたらかせてみると両親もできるかぎり食卓を共にする努力はしたことが窺える。
 でもそこ改善させたい気持ちはあるんだから、夕食は妥協してでもせめて食後のティータイムを共食すればいいのに、とも思う。カヌレ山盛り買ってあるんじゃん! 呼んでよ!

 ここねは性根の部分からもう根本的に気にしいで、自分でもわかっているくせに、誰に対しても必要以上に気を使いすぎてしまう難儀な子です。
 ふらっと現れた伯母さんの言葉なんかを真に受けてしまうのもしゃーない。大人が言ったことだから、とかそういうの以前に、そもそもここねの感覚にマッチしすぎた。『キラキラプリキュアアラモード』の宇佐美いちかがお母さんに言われたことを過剰に実践しすぎて逆に困らせたことがありましたが、まさにあれの同類です。ほんと一途というか、頑固というか。

 「昨日、どうして私に『ありがとう』と?」
 「それは、うれしかったから! フィナーレの言葉が。私、自分が両親から大切なものを受け取っていたなんて気付いてなかった。フィナーレがそれを教えてくれた。だからフィナーレは充分思いやりの心、あると思う」
(第20話)

 こういう子なんです。
 自分が両親に愛されていることはなんとなく自覚しているくせに、相手に迷惑だからって自分で直接それを確認しようとしない。そのせいで愛に飢えてしまっている。
 じゃあどうして自分から動こうとしないのかといえば――。

 「嫌われたくない。せっかくお友だちができたのに、楽しく話しかける方法も知らないし、勝手にリップ勧めちゃうし、お料理もできないうえに、プリキュアまで・・・。こんな私じゃ嫌われる」(第5話)

 自分のなかにこういう感覚が根づいてしまっているからなんですね。
 自分が主体となって起こす行動への信頼感が低すぎるというか。成功体験不足というか。

 ゆいの家族関係のことを友達みたいでステキだと言っていましたが、案外、ここねの家族に対する接しかたも友達に対するそれの延長線上だったりします。

個食か、孤食か

 「んーっ! これだよ、これ。やっぱり日本の寿司はおいしいなあ」
 「私は昼間仕事で食べたお料理でお腹いっぱい。――ここねは本当にパンが好きね」

 近年は個人それぞれの趣味嗜好を尊重する価値観が広まった結果、同じ食卓についたとしても家族それぞれが違うものを食べる「個食」が増えてています。
 私の家もそうでした。それぞれ結構偏食が激しいので全員同じメニューということがあまりなかったですし、各人それなりに料理もできたので気に入らなければ勝手に自分でつくって食べるなんてこともよくありました。

 これがもうちょっと進むと、塾や残業など家族間のライフサイクルの違いによりそもそも同じ食卓につかない「孤食」が当たり前になることもあります。
 これが常態化するとさすがに誰から見ても子どもの教育に悪いだろうということで、ちょくちょくテレビニュースに取り上げられていますよね。

 ここねの家でいうと、普段が「孤食」、今話のが「個食」ということになります。
 (注:現状「個食」「孤食」の定義は話者によって結構ブレがあって、↑で書いた「孤食」のほうの意味で「個食」という言葉を使っている人も多いです)

 「そのスープ、おいしい?」
 「うん」
 「そう。このお水もおいしいわ」
 「うん」
 「いやー。はっはっはっは・・・」

 「孤食」に比べると「個食」の深刻度は低いので何が問題なのか認識しにくい部分はあるのですが、たとえばこういう部分が問題とされていますね。他にも家庭の味が継承されないとか、偏食を直す機会が失われるとかも挙げられますが、今話のところはこれ。

 せっかく一緒にいるのに話題として使いにくい。会話がふくらまない。「お水おいしい」とか言われても反応に困るわ。

 でもまあ、孤食が慢性化している家庭なだけに、お父さんお母さんがせめてこの数日だけでも一緒の食卓につきたいと思っているのは伝わってくるんですよね。
 お父さんにとっては日本で過ごせる貴重な時間なわけで、そりゃあこんなときくらい自分の好きなものを食べたいでしょうとも。
 お母さんに至っては食べてきたばかりで食事を取りたくない気分だというのに、せめて水だけでもとここにいてくれるわけで。
 そもそもここねの食べているものがジャムトーストにサラダ、スープ。朝食かとツッコミを入れたくなる軽さなわけで、これにお父さんを付きあわせるのもちょっと申し訳ない。

 「はあ。何話したらいいんだろう」
 「パム?」

 「何を話したらいいのかしら」
 「そういえば、最近のここねのこと何も知らないしな」

 お互い好きあっていて、歩み寄ろうという意志もあるのに、それでもうまくいかないこの状況をさてどう解決しよう? というのが今話の趣旨になります。

心理的な距離ではなく

 「ここねが出張先に送ってくれたんです。『お仕事がんばってね』と。でも、これも何かムリさせているのではと心配で」
 「ここねのメッセージにウソはないと思うわ。お仕事がんばってるご両親を誇りに思ってるんじゃないかしら」
 「うん。昨日も雑誌の記事を見て嬉しそうだった」

 離れていても心はつながっています。

 想い出に、言葉に、表情に。思いというものは本当にありとあらゆるものに宿って、どんな遠いところにいる人にもちゃんと伝わるもの。
 ここねはそのことをすでに知っています。普段さびしい思いをしてはいますが、彼女は両親から愛されていることを疑っているわけではありません。また、彼女自身も両親のことをよく愛していて、それが伝わっていないのではないかと不安を感じているわけでもありません。

 では、何が彼女たちの間をギクシャクさせているのか。

 端的にいえばまあ、結局のところワガママなんですよね。
 甘えたいだけ。ここねも、お父さんお母さんも。

 だって、相手が自分のことを愛してくれているのはもうわかっているんです。わざわざ確かめる必要なんてありません。
 そして、確かめる必要がないことだからこそ、躊躇してしまいます。迷惑をかけてしまうんじゃないか。負担になってしまうんじゃないか。嫌われてしまうんじゃないか。
 あえて確かめる必要なんてない、本当にただ甘えたいだけ。そんなささやかなワガママだからこそ、ほんのわずかにでも相手の負担になってしまいそうというだけで、ためらってしまう。
 ローリスク・ノーリターンに誰がわざわざ手を出すものか。

 たまたまお出かけ先で見つけたボールドーナツを食べ損ねたなんてこと、そんな何年も引きずるほどの話じゃありません。ここねやお母さんもそのくらいわかっています。そんなことわかっていて、だからこそ、未だ忘れられずにいるのにお互いを誘って食べに行こう、と簡単には踏みきれずにいます。

 「まだここねが小さいころ、『ボールドーナツを食べたい』って言われたことがあって、だけどそのとき買ってあげなかったの。それからずっとボールドーナツを一緒に食べたいと思っていたの。でも、なんだかそれをうまくここねに言えなくて」

 お母さんの言葉にも、ここねはきっと覚えていないだろうという思いが表れていますね。
 今話、お母さんがここねを誘ってくれたのは、本当にただの自己満足。ここねを喜ばせたいというよりは、むしろ自分の未練にここねを付きあわせているという思いのほうが強い。これは単なるお母さんのワガママ。
 ゆいのお母さんに「ごはんは笑顔」だと教えられて、一緒にごはんを食べること自体そう悪いことではないはずだと信じられて、それでようやく娘に付きあってもらう決心がついたくらいの話です。

 けれど、お母さんが想像していたよりはるかに重度の気にしすぎ娘には、このワガママを向けられたことこそが、心に深く響くのでした。

共食

 「ママもあのボールドーナツのこと覚えていた・・・! 私と同じ気持ちだった! 私たちの大事な大事な想い出を、この手で絶対に取り戻す!」

 思い返せばここねの初めての友達・ゆいもそうでした。
 別に頼んでないのにいきなり手助けしてくれて、静かなところがお気に入りだった空間に入りこんで来てはにぎやかにしてくれて。
 ゆいはここねの力になりたくて近づいてきたのではありませんでした。ただ、ここねの友達になりたかっただけ。ここねのためというよりは自分のため。あれだってゆいのワガママといえばそのとおりでした。

 今、お母さんが自分を求めてくれました。
 なんてことないちょっとしたワガママに自分を巻きこんでくれました。
 そういうことをしても平気なくらい、気安い相手なんだと思ってくれていました。

 「初めてゆいとゆいのお母さんを見て、こんな親子もいるんだって驚いた。友達同士のようにお喋りして」

 孤食だの共食だのの話題は主に教育問題の文脈で語られるので、正直この視点は私のなかにありませんでした。
 いわゆる友達親子。世間一般には善し悪しともにあるとされますが、少なくともここねの場合はその気安さをこそ求めていたようです。

 身も蓋もない話、ここね自身が気にしいだから。
 ワガママを言えない子どもだから。

 この子の場合、子どものどんなワガママも受け止めてくれる親らしい親よりも、多少は親からもエゴを出すお互い様な関係性のほうが、かえってワガママを言いやすいのでした。

 ここねの家族に必要だったのは愛情ではありませんでした。愛情はお互いすでに充分感じていました。
 それでもギクシャクしてしまっていたのは、なんのことはない、ただ言いたいことを言えずに我慢していたせい。好きだからこそ。そして、嫌われたくなかったからこそ。
 今のここねに必要だったのは愛よりも何よりも、距離感でした。

 「パパ。ママ。私、パパとママと一緒にボールドーナツ食べたい。・・・ワガママかもしれないけど」
 「そんなのワガママなんかじゃ――」
 「だったらパパだってワガママ言うぞ。パパとママにここねのことを教えてほしい。・・・ごめん。ここねのこと、知らなすぎた。でも、ここねと話がしたいんだ。お気に入りの店とか、好きなものとか」

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    コメント

    1. 亀ちゃん より:

      今日は芙羽 ここねと両親が食事を楽しむ話になりました!!☆☆♬
      でもってというセリフにはシックリ着ましたね!!☆☆♬
      私も「でもって」というセリフはよく使います
      さらに芙羽 ここねのお母様の方のおばあ様には娘が2人(以上)はいることもわかって、感無量でした!!☆☆♬
      ひなたがのどかのお母様の方のおばあ様と出会った時は、「のどかママのおばあちゃんにはのどかママも含めて娘が何人いるの?」という話も交えたいと思っている亀ちゃんでもあります!!
      するとのどかのお母様の方のおばあ様が「3人(以上)よ」と即答するのもセットで交えたいとも思っています
      しかし親戚の伯母さんとは自分の親のお姉さんで、兄弟姉妹は他人の始まりということわざもありますが、自分の親のお姉さんも我が子の出産に成功すると、その子の世話など血がつながっていても甥っ子・姪っ子のことまで普段は会いたくても会えないのも現状ですね
      それはのどかのお母様のお姉様達にも言えることでした!!
      ちなみにのどかには「お母さんのお姉ちゃん」と最初っから言われるのどかのお母様のお姉様は姪っ子であるのどかから大好きといわれるのどかのお母様が羨ましい気持ちもありました
      だから彼女ものどかの年上・年下の娘が2人いるから「好き・大好き」と言われたいのに…と口惜しむことも今でもありますね!!(汗)
      こういうことも踏まえて、プリキュアでは同い年の従姉妹同士がプリキュアというパターンは実現しなくても、プリキュアの後続の女児向け変身ヒロインニチアサアニメでは、主人公や主要メンバーの親戚のオ父(叔父・伯父)さんもオ母(叔母・伯母)さんも常日頃登場するけど、彼女のいとこの世話などで、普段は血がつながっていても姪っ子のことまで頭が回らないというパターンもあっていいと思います!!
      ちなみにわがままはオシャレじゃないねは私はむろん、Max Heartのお姉ちゃんと小学校の時までの近所の幼稚園児以下の女の子に名付けられたキュアアイドルギャンブラーも好きな魔法アラ・ドーモの1番にもある歌詞ですね
      これを女児向けプリキュア本編ではこの話で初めて見事に体現した感じもします

      で、今回プリキュアとは完全に無関係な雑談で言いたいちょっとしたこととは
      イオン倉敷の銀のあんはクロワッサンたい焼きがシックリ来る食感であることが多いのに、今年の8月末をもって閉店は淋しいですね!!(汗)
      これで私の自宅から1番近くの銀のあんが広島市内になってしまって、おかやま山陽高校がある地域から気軽に行けるワケがないので、新しいスタンプカードの譲渡の話があっても、今年の9月以降に向けて、当面の間断ろうとハラに決めました

      • 亀ちゃん より:

        今夜の風呂前後に思い出しワケですが、ナルシストルーが「見ていて下さい。ゴーダッツ様」と誓ったのもシックリ着たセリフでした!!
        キュアアイドルギャンブラーは女子寮の寮長(プリキュア=キュアバドミントンギャンブラー)が身に着けてしまっている地獄の鎧をブチ壊しにすることで、東京都の男女共学のスーパーエリート学園から広島市内に帰ってしまうのを阻止しようと、
        「見ていて下さい。ギャンブルの神様」→「私…絶対に○○(女子寮の寮長)さんを救い出します」
        と誓ったこともありました
        だから半分プリキュア的に感慨深いですね

        >で、またプリキュアとは無関係な雑談で言いたいことは
        聖光学院(福島県)には今日の甲子園でも横浜高校相手に甲子園における三度目の正直で、神奈川県勢相手に甲子園では9回目の挑戦にして初勝利を遂げることが出来たことに感謝して、審判団にも一礼するカッコ良い選手がいました!!☆☆♬

      • 疲ぃ より:

         姉妹や従姉妹のプリキュアが出てこないのは、やっぱりプリキュアになってから絆を深めていく描写をしたいからなんでしょうかね。仮面ライダーや戦隊ヒーローとはヒーローについての考えかたがそれぞれ少しずつ違うので単純比較はできないですけどね。
         とはいえ、最初から仲のいい幼馴染み同士でのプリキュアまでは実現できているので、そのうち姉妹プリキュアも試みられそうなものです。
         もっとも、今だとLGBTとか喫緊の社会テーマのほうが優先されそうなところもありますが。そっちもそっちで大事なことです。

    2. ピンク より:

      伯母様が言ったこと自体も、小さい子の躾としてそんな間違っちゃいないのがまた難しいところ。

      デパプリの裏テーマを敢えて表現するなら、『シェア』の対極とも言える『ワガママ』になるんでしょうか。
      今回描かれたように、大人でも健全な自己表現やコミュニケーションとごっちゃになりがちな概念なので、いざ突きつけられると難しいなあと感じます。
      ここら辺突き詰めていくとブンドル団(=デリシャスパーティプリキュアのアンチテーゼ)に対する理解がより深まりそうだと思ってはいますが、まあこれは来週以降も全力で楽しみつつ追々ということで。

      にしても芙羽家の料理人さん、せめてお父さんに合わせてここねの分を和食にするくらい気を遣ってやっても……と、外野が言ったところでいよいよどうしようもない話ですねw
      在庫管理の都合とか色々あるでしょうし。

      • 疲ぃ より:

         今回「ワガママ」として出てきた話はどっちかというとここね個人に与えられたテーマですかねー。
         クラスメイトとの付きあいかたとか、そういう感じで初期からずっと扱われてきた話題でもあります。

         まあでも、らんがやってる感動を共有することとか、あまねが取り組んでいる自分ひとりで抱えこみすぎないこととか、あのあたりもワガママといえばワガママですよね。
         根本にあるのがごはんを食べる側から何かできることを探すというスタンスなので、つくる側と違ってそもそも誰かに求められてから活動するって流れにはならないんですよね。基本、自発的。自分から活動を提案していくことをワガママというならそれはそう。

    3. 与方藤士朗 より:

      私は、昨日のここねの伯母(叔母?)の弁には、御意見番として、「喝!」を入れました。

      親族の範囲内のことで、そこまで目くじら立てるほどでもないことかもしれませんが、あのシーンを観ていて、ふと、金ぴか先生こと佐藤忠志氏が予備校講師時代に書かれたとある本の、私立小学校から公立に移ったときのエピソードを思い出しました。
      佐藤少年の母の知人で元教師の女性が、「男の子は公立でもまれたほうがいい」とか何とか、そういうアドバイスをして、両親がそれに従って、(ちょうど金がない時期だったこともあるようだが)公立に息子を転向させたと。
      その元教師というのは、代用教員から正教員になった努力の人だったそうですが、第三者が無責任な立場で言うならともかく、教師たるものがなんてことを言うのだと、まあ、お怒りでしたね。

      さて、確かにその伯母の弁ですが、姪に対する言動としては、間違いとは言えない。
      だが、その状況は本当に、ここねの親を困らせるようなわがままと言えるのか?
      そう考えると、いくら親族とはいえ、あまり余計なことはこういう場面で言うものではなかろうと、個人主義の権化?! の私には、思えたわけであります。

      それから、私は「個食」や「孤食」どころか、ほぼ毎日「外食」の毎日でして、大きなことは言えませんが、養護施設にいた幼少期のの無駄に集団を押し付けるやり方への反発が、家族主義や集団主義への厳し過ぎるほどの否定になっているところがありますので、そこは、まあ、あまり言わないようにした方がよさそうでしょうな、ってことで。

      追記:甲子園球場の真弓ダンスの「禁止」は、確かに建物との兼ね合いもありましたが、実際のところ、マナー面でも当時、問題視されていたようです(そういう投書が、月間タイガースにもありました)。ただ、あの応援スタイルは、今に至るまで、二次会と称する場所で締めに行われているようです。
      食事にしてもそうですが、マナーの問題になると、まあ、結論なんてまずでないと思って間違いないですから(明らかに不快にさせるものは、別)。

      • 疲ぃ より:

         あの伯母さんは明らかに憎まれ役として登場しましたからねえ。それこそ代用教員なんて制度があった戦前ならいざ知らず、今の価値観にああいう押しつけはなかなか馴染まないでしょう。
         完全に拒絶してしまうのもそれはそれで多様性が狭まるので一応「そういう意見もある」程度には頭の片隅に置いておきたいですが。

         教師という立場って、まあ難しいものだと思います。日本では(私立校も含めて)基本、国が定めたカリキュラムのもとで学校教育を行っているわけで、ならば思想的にもそのときどきの国や国民の考えかたを反映しなければいけない仕事だと思うんですよ。
         “まっさら”でもなく社会に準じる。誰よりも鋭敏に価値観をアップデートしなきゃいけない。なにしろあの人たちの仕事は未来の人材育成ですからね。教師こそある程度思想的に画一化されたほうがいいです(※ されなければいけない、とまではいわない)。
         私、どうやら自分で思っていたより我が強いタチだったらしくて、子どもは好きでも学校教育には適応できないだろうなと教職を目指すのはやめちゃいました。

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