身体の芯を意識して――。みんな! プリキュア・おなかいっぱいパンチ!!
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「シェアリンエナジー! ありがとうを重ねて」
Lead Character:がんばったひと
ゆい
Major Happening:大きなできごと
世界を支配できるほどの力を手に入れたゴーダッツは強欲で、ゆいが起動させたほかほかハート蓄積装置まで自分のものにしてしまう。さらにジンジャーの残したスペシャルデリシャストーンを自分がつくった贋作に取り込み、いよいよ手がつけられない存在になっていく。
しかし、ゆいたちに諦めるつもりはなく、おいしーなタウンの人々に諦めるつもりはなく、蓄積装置を残したジンジャーもそこで終わるつもりは元よりなかった。ほかほかハート蓄積装置の直接支援を受けつつ、ゆいたちは暴走するゴーダッツを食い止める。
Sub Questions:小さなできごと
「ありがとうは心のあつあつごはん」
ゆいが見出した、自分自身の言葉。
ゆいはみんなのためにおいしいごはんをつくる人ではない。むしろ食べる側。それ自体に周りに影響を与える作用は何もない。それでもゆいの周りには多くの人が集まっている。ゆいのために何かしたいと考えてくれている。それは「ありがとう」のおかげだと、今なら思う。
「言葉はバトンだ」とお婆ちゃんは言っていた。ゆいが身近な人に渡した「ありがとう」は、さらにその次の人にも渡されていって、気がつけばゆいはたくさんの人の思いの真ん中にいた。
きっと「ありがとう」は誰もが当たり前に持っている言葉なのだろう。だからみんなでつながることができた。今、ゆいは身近な人の思い、そして亡くなった人の思い、会ったこともない人の思いにすらも支えられて、今ここに立っている。
それはゆい自身が見つけた言葉であり、それでいて誰もが当たり前に知っている陳腐な真実。
フェンネルだって例外ではない。
こじらせた愛情の極み
二段階変身してなお猫のモチーフだけは絶対に手放さないゴーダッツ。そこまで露骨に愛を訴えておきながら、彼はジンジャーの思いは自分に向けられていない、自分以外に向けられた思いなどわかるわけがないと言う。
だからゆいは思う。そんなわけがないと。
ゆいはフェンネルの強い思いが間違いなくジンジャーに届いていたことを確信している。ジンジャーもフェンネルに対して思いを渡していただろうことを確信している。根拠はない。だが、「ありがとう」は重ねるもの。受け取ったなら返していないはずがない。
単にフェンネルが見落としているだけだと確信するからこそ、ゆいは彼を救いたいと考える。
Battle Depiction:どんなバトルだったか
総力戦。ゆいたちは死力を尽くしてゴーダッツと戦い、それでも力及ばなければほかほかハート装置蓄積装置からパワーを受け取って、さらにそれでも足りなければ今度はほかほかハート蓄積装置自体が参戦してゆいたちを支援してくれた。今や世界の全てはゆいたちに味方している。
対するゴーダッツも世界征服を諦めることなく、ゆいたちを支援する力が強まれば強まるほど、自らもパワーアップを繰り返して対抗し、やがて暴走することになる。今、世界の全てが彼の敵に回っていた。
だからゴーダッツは嘆く。「なぜ、私を選ばない」と。
現実は違う。ゆいたちはむしろ、ゴーダッツに思いを届けるためにこそ、一致団結していた。
I’m curious !:気になるポイント
元ブンドル団
プリキュアと敵対していたはずのナルシストルー、セクレトルーすらも今はゆいたちに協力している。そろって2人とも「自分のためだ」と言って。
元々彼女たちは自分が周りから孤立している、自分の気持ちを誰も理解できないという思いからブンドル団に加わっていた。だからもしその勘違いさえ払拭できるなら、彼女たちが自分の希望を叶えるための最善は、初めから周囲と協調することだったのだ。
アバンからいったい何枚描いてんだ!?
いやまあ、細かいところの動画枚数は間違いなく多いんですが、ストップモーションやループ処理、スロー演出も多用してあるので、見た目のダイナミックさに反して意外と省力化できているんでしょうけども。
そしてこの美麗動画から繰り出されるアンポンタンな展開ときたら。最高かよ。
この物語の主人公・ゆいにとって一番大切なことは「ごはんは笑顔」です。みんなのおいしい笑顔を守るため、そのおいしいごはんを司るレシピッピたちを守ろうと、これまでずっと戦ってきました。
今回、ゴーダッツは世界中全てのレシピッピを独占してしまいました。ゆいからすると絶対に許してはならないことです。
しかし。今話のゆいはそういったいつもの思いから少しだけ離れた理由によって、ゴーダッツに立ち向かいます。
「フェンネルさん。あなたを止める」
「何度失敗しても、敵わなくても、守りたいものがあるから」
レシピッピは救い出したい。
おいしいごはんも取り戻したい。
だけど、今はそれよりもっと大事な用事がある。フェンネルを止めてあげたい。今はそれこそがゆいの「ごはんは笑顔」を叶えるうえで一番大切なことでした。
だって、ゆいは“みんなの”おいしい笑顔を守りたい。そこにはフェンネルにもいてくれてほしいんです。
世界中あらゆる者がゆいの味方についてくれました。
それは裏を返せば、世界中全ての者がゴーダッツの敵に回ったようなものです。
だけど、そうじゃない。
元よりこれはゴーダッツとなってしまったフェンネルを「ごはんは笑顔」の輪に引き戻すために始めた、ゆいの戦い。みんながゆいに力を貸してくれているのは、みんながゆいと同じ願いを叶えたいと思ってくれているから。
ゆいはゴーダッツを倒したくてここに来たのではありません。彼の手からレシピッピを取り上げ、おいしいごはんを取り上げ、彼のくだらない野望全てを無に還すこと自体が目的でここにいるのではありません。
だから、戦うことにはなったけれど、敵対じゃない。
今、世界中全ての思いが、ゴーダッツの笑顔を取り戻すためにこそ、ここに集まっていました。
きれいなものだけ拾い上げた言葉
「たったひとりから始まった温かい思いがたくさんの人を繋いだ。『ありがとう』を重ねて結んだこのバトンは、誰にも奪えない!」
キレイゴトです。
だってゆいは知りません。人の悪意を。人の憎しみを。善意には善意をもって返す、そんな当たり前のことがまかり通らないこともある現実を。
だってゆいは知りません。フェンネルがどれほどの絶望を味わったのかを。信愛していたジンジャー。喜びを分かちあえると信じていたシナモンやマリちゃん。その関係が壊れてしまったときの心の痛み。
だって確かめたわけではありません。自分の渡した「ありがとう」が、ゆいの知らない人と知らない人同士の間で実際にはどのようにやりとりされているのかを。
だって確かめたわけではありません。実際のところ、ジンジャーがフェンネルをどういうふうに思っていたのかを。シナモンやマリちゃんが本当のところフェンネルにどういう感情を抱いているのかを。
だから、これはキレイゴトでしかありません。
現実に確実に存在する汚いもの、醜いものを無視して、きれいなものだけを見て語っているに過ぎません。知らないこと、確かめたわけではないことがある事実をぶち抜いてこのような妄言を放つさまは傲慢ですらあります。
「聞いたような口を叩くな!」
「ううん。これは私が感じて考えたこと。私自身の言葉!」
しょせんはキレイゴトです。
だから、彼女と違っておぞましい現実を知っているゴーダッツは怒りを露わにします。
だけど、これはキレイゴト。
これこそがキレイゴト。
誰もがそうであってほしいと願う理想、叶うならそうなってくれるのが一番いいに決まっている非現実が、今、ここに語られています。
イノセントなひとりの女の子の口から。
実際のところ。
「わかってる! わかってるんだ。でも、でも、頭ではわかっていても、ジェントルーの犯したことが自分の肌に染みついているようで忘れられない。私は、私を許せない・・・!」(第18話)
「時間をあげるよ。自分の弱さに悩んで、苦しんで、嘆く時間をね。俺様が見たいのはそういう絶望の顔さ」(第28話)
「悩みとは弱さ。弱さは弱点。それを見せれば最後、足を引っぱられ、つけ込まれ、築きあげたもの全てを失う。私の経験上、完璧でなければこの世界では生きていけません」(第39話)
実際のところ、ゆいは現実の汚らしさ、醜さを全く知らないわけではありません。そういったものに挫折し、悪に染まってしまった人たちの思いを、彼女は確かに聞いています。
「・・・大きくなったらなんでもできると思ってたコメ。でも、字が書けるようになっても、化けるのが上手になっても、みんなが傷ついてるのに、――何にもできないコメ!! みんないっぱいいっぱい優しくしてくれたのに、一世みたいな力も無いし、コメコメは全然ダメコメ!」(第18話)
「落ち着いてなんかいられるか!! ・・・父さんは故郷のクッキングダムを本当に大切に思っていた。だから父さんは故郷を守るクックファイターの使命に誇りを持っていたんだ。なのに。ゴーダッツが父さんの大切なものを奪った! 俺はあいつを許せない!」(第42話)
実際のところ、ゆいは自分と近しい人たちが意外な一面を隠し持っていた事実を知っています。自分の知っている姿だけがその人の全部じゃない。その事実にびっくりして、一度なんて泣いてしまったことすらあります。
「『ありがとう』って言うと胸が温かくなる。だって、『ありがとうは心のあつあつごはん』!」
ゆいはおぞましい現実を知らないからイノセントなのではありません。
ゆいは未知なる現実を知ろうとしないからイノセントでいられるわけではありません。
たとえ知ったとしても、思い当たることがあるとしても、それでもキレイゴトを諦めない。
たとえ現実が理想と異なっていたとしても、キレイゴトを信じることをやめたりしない。
このキレイゴトはゆい自身の言葉です。
ゆいが自分で感じて、自分で考えたことから紡ぎあげた言葉です。
きっと誰もが本当は、現実がもっと美しいものであればいいと思っているはず。
それだからキレイゴトを憎むんだ。それだからキレイゴトに怒るんだ。そんなものありえないんだと、裏切られるだけなんだと、辛そうな顔で訴えかけてくるんだ。
だから、そんなあなたにこそ、きれいな理想が現実にも存在しうることを“もう一度”信じてほしい。
信じる者の幸福
「次世代の者たちよ。『ごはんは笑顔』! みんなの笑顔を守るのニャ!」
みんながゆいを支えてくれます。
みんながゆいを守ってくれます。
ゆいが謳うキレイゴトを、ゆいが信じるきれいな現実のありようを。
「なぜ・・・。なぜ、他の者ばかりを・・・! 認めぬ!!」
相対するはゴーダッツ。人を信じることを諦め、現実の醜悪さに怯え、たったひとりが君臨する、少なくとも自分だけは穏やかでいられる世界を目指す人。
誰も彼のやりかたに賛同しません。
むしろそれは間違っているのだとみんなで訴えます。
もしかしたら現実というのはきれいじゃないのかもしれません。
ゆいは現実の全てがきれいなばかりじゃないことを確かめたわけではありませんし、逆に現実の汚らしさ、醜さを見てもいます。
客観的にはゴーダッツの言っていることのほうが真実なのかもしれません。
しかし、その正しさは誰にも支持されません。
そんなものを信じたところで誰も幸せになれないからです。
「てゆーか、自分が本当に笑顔になれる未来を選んだだけだっつーの」
理想というのは本来無力なものです。だって、現実はそうではないとわかっているからこそ、ありえない理想を思い描くわけですから。
キレイゴトに現実を変える力はありません。
おぞましい現実。望むような未来が見えない、辛いことばかり起きる冷たい世界。
それを変えることができるのは、現実を受け入れた人ではありません。
理想でしかないとわかったうえで、それでもキレイゴトを訴える人だけです。
だからこそ、世界中のみんながゆいを支持してくれています。
自分の幸せな未来のために。
叶うべき理想を叶えるために。
「パフェになりたい」という、ありえない夢想を諦めた人がいました。
嫌いな食べものが多すぎて食事に楽しみを見出せず苦しんだ人がいました。
料理がどうしてもうまくなれず、プライドを傷つけられて悩んだ人がいました。
彼女たちは自分が直面した現実を他のみんなにも押しつけることで心の安寧を得ようとしましたが、それはうまくいきませんでした。
抵抗されたからです。プリキュアに。プリキュアに味方する全ての者たちに。
だって、彼女たちが実現しようとしていた未来は、誰も幸せにしなかったから。
ゴーダッツが何度パワーアップを繰り返したところで、ゆいと思いを共にする人たちの力は際限なく増していくばかり。絶対に勝手を許すものかという断固とした意志を感じます。
延々と抵抗され、ひたすらに孤軍奮闘を強いられたゴーダッツの目に、ついには涙が。
きわめて穿った見かたをするなら要するに弱いものイジメの構図そのものなんですが、こればかりは誰もゴーダッツの味方をしたくない状況なのでどうしようもありません。
お前ホント、考えかたの根本から間違ってたんだよ。
そんな彼を救ってあげられる人がいるとしたら、だから、それもまたゆい。
「ありがとう」を重ねて
「ほかほかハートがね、お料理への感謝の気持ちから生まれるように――。この招き猫の広がりも、『ありがとう』から生まれたんだよ」
おいしーなタウンにやたらと招き猫が流行しているのは、ゆいのお婆ちゃんの影響でした。別にお婆ちゃんが流行らせようとして流行ったわけではありません。
ただ、当時お婆ちゃんは本当にいろんな人を助けてまわっていて、助けられた人は少しでもその恩返しがしたくて、あるいはステキな彼女にあやかりたくて。お婆ちゃんが個人的に大事にしていた招き猫をみんなこぞってマネしだしたのが始まりでした。
「『ありがとう』って言うと胸が温かくなる。だって、『ありがとうは心のあつあつごはん』!」
お婆ちゃんは本当にたくさんの言葉を残してくれていました。どの言葉もゆいは大好きでした。きっとそれは、言葉ひとつひとつにお婆ちゃんの日ごろの実践が、優しい人柄が、にじみ出ていたからなのでしょう。
実際のところゆいはお婆ちゃんと違う人間なので、お婆ちゃんの言葉全てを正しく実践できるわけではありません。
でも、お婆ちゃんはこうも言っていました。ちょっとだけでもいい。もしも何かの役に立てれば、それだけでいい。
だからゆいは、渡された言葉のバトンのうち、自分が特に大事だと思う部分だけを抽出して自分の言葉に込めました。
すなわち、お婆ちゃんの優しさ。みんなを助けてまわっていたその実践。
「『ありがとう』。私はひとりじゃない」
ここねと友達になれたのは、彼女が困っていたところに率先して手を貸してあげたのがきっかけでした。
彼女は大切なお気に入りのお店をゆいに教えてくれて、それまで誰に対しても不可侵を貫いていた領域に入れてもらえて、そこでもっとお互い仲よくなれました。
「『ありがとう』。どんなに苦しいことがあっても」
あまねはかつて自分を責めていました。彼女の何者にも平等であろうとする価値観は、たとえ自分が相手であっても大勢を傷つけてしまった行いを許すことができず、ひとり苦しんでいました。
ゆいが諦めないで言葉をかけつづけ、やっと彼女が立ち直ってくれたのは、それはもう何より嬉しいことでした。
「『ありがとう』。自分を信じて」
ゆいが知るかぎり、らんという子は本当にすごい子でした。料理の知識が本当に深くて、言葉のセンスも魅力的で。
最初、彼女は自信がないんだと言っていました。だけどゆいはずっと覚えています。彼女が自分の強さを信じたときの、その爆発的な輝きを。
「『ありがとう』。笑顔で歩いて行ける、その勇気をくれる!」
昔はイジワルしてくることもあった拓海。なのに、気がつくといつも困ったとき傍で支えてくれていた拓海。色々言ってくるけど、結局最後は自分のしたいようにさせてくれる拓海。
振りかえれば彼は本当の意味でゆいを信じていました。ブラックペッパーとして影で支えてくれていたときですら、ゆいが心配だからというわけではなく、ただ自分がそうしたいからしてくれていただけでした。
「『ありがとう』にはそんな力がある。たったひとりから始まった温かい思いが、たくさんの人を繋いだ」
始まりがお婆ちゃんだったのか、あるいはゆいなのかは何ともいえません。もしかしたらもっと別のところにルーツがあるのかもしれません。全てはとめどなく連続していて、そう行動することこそがゆいにとって自然でした。
「ありがとうは心のあつあつごはん」。ゆいがこの言葉を紡いだのはたった今、ごく最近のこと。だけど昔からずっと、自分はその言葉の通りに実践していたんだと感じられます。
この言葉は自分そのものであり、自分とはこの言葉のとおりの人。
聞く人が聞けばこの言葉はキレイゴトでしかないと思うかもしれません。
けれど、ゆいにとってはこの言葉こそが確かな現実です。
「『ありがとう』を重ねて結んだこのバトンは、誰にも奪えない!」
だから、言います。
このキレイゴトを信じられないというゴーダッツ / フェンネルに。
だって、この人はこんなにもジンジャーのことを心の真ん中から深く慕っているはずなのに。
ジンジャーがそれに対して何も感じていなかったなんて、ウソだ。そんなわけがない。
「ありがとう」で渡された温かな言葉のバトンは誰にも奪えないはずだと、ゆいは信じます。
それはたとえゴーダッツであったとしても、シナモンであったとしても、マリちゃんやクッキング、他の誰かであったとしても。あるいは、ジンジャーその人であったとしても。
渡されたバトンは温かな温度として必ず心に残る。だからないがしろにされることなんてない。絶対にない。
ゆいはゴーダッツほどジンジャーの人となりに詳しいわけではありません。過去に何があったのかもそれほど詳しくありません。
ゆいが信じているのは自分の信念です。これまで自分を支えてくれた、みんなとの温かな繋がりです。
現実にはそういうものを誰とも結べなかった人だっているのかもしれません。冷たい現実をひとりで生きるしかなかった人というのはゆいの周りの世界にも実際に存在していました。
だけど、言います。
だから。
「フェンネルさん! ジンジャーさんを大切に思っているあなたなら、ジンジャーさんの思いを受け取れるはずだよ!」
「ジンジャーはもういない。貴様の思い込みだ」
「そうかもしれない。でも、たとえもう会えなくても、交わした言葉から思いは受け取れる! フェンネルさん!!」
これはキレイゴト。
勝手な思い込みといわれたらそのとおり。
だけど、どうか、ずっとひとりで辛い思いをしてきたフェンネルにも、みんなと一緒に笑っていてほしいから。
この言葉を信じてもらえたほうが、理想を現実に変えようとがんばったほうが、きっとゴーダッツも幸せに生きられると思うから。
なにより、みんなの「おいしい笑顔」を守ることがゆいの願いだから。
プリキュアシリーズの歴代主人公たちの窮極的な目的はいつの時代も一緒です。
地球のため。みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないものはまず、“自分のため”。
ゴーダッツ / フェンネルさえもみんなの輪に含めて、ゆいは今、自分の夢を叶えようとしています。
コメント
今日はゴーダッツを浄化して、フェンネルの姿に戻すことが出来た最終決戦のファイナルラウンドな話でした
ゴーダッツが4つ以上あった気がするシックリ着たセリフを3回言いましたが、すべて仮面ライダーの時間帯の時に忘れちゃいましたね!!(笑)
それでもいとこのお姉さんの次女には
シックリきたセリフが3つはあったよ
といとこのお姉さんのスマホに向けてLINEしました
ちなみにこのサイトの管理人さんのいとこの我が子さんはそろそろ誕生日を迎えてもおかしくはない頃だと思いますが、いとこ姪さんならプリキュアの感想をそのいとこさんのケータイ・スマホにメールやLINEは楽しいはずなので、おススメしますよ!!☆☆♬
私はいとこのお姉さんのスマホにいとこのお姉さんの娘にはプリキュアの感想をメールやLINEして楽しいですし、いとこのお姉さんの息子にも2017年から始まって2021年の2月,3月までに終わったレンジャー系の感想をメールして、楽しかったです!!☆☆♬
で、ゴーダッツはその存在が浄化され、フェンネルも姿は救われましたね!!☆☆♫
あとは目覚めさせるのもプリキュアを信じ抜いて行きましょう
そして次回はデリシャスパーティプリキュアの最終回ですね
前回のトロピカル~ジュプリキュアは記憶に新しいワケですが、女の子やプリキュアの変身シーンを好む大人のプリキュアファンサービスのための変身だったワケですが、デリシャスパーティプリキュアの最終回は2年ぶりに最後の関門となるやられ役が登場して、最新作の主人公プリキュアもお手伝い感覚で参戦するようになると、断続的に女児向けプリキュア的に感慨深い最終回と言えます!!☆☆♬
だからいとこのお姉さんの次女にも感想を送る際
おたがいデリシャスパーティプリキュアのさいしゅうかいはたのしみだよね
といとこのお姉さんのスマホにLINEしました
>で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談。いわゆる蛇の足は
アイカツの最新作の映画を昨日MOVIX倉敷で観ました!!☆☆♬
アイカツスターズ時代の時以来にMOVIX倉敷でも放映されたので、今でもおかやま山陽高校がある地域の家に物心ついた時にはそっからずーっとい続ける私にとって、素直にうれしく感無量だったワケです!!☆☆♬
自分でも理由はサッパリわかりませんが、いつの間にか目に涙が浮かんで、泣きそうで泣けませんでしたが、今となってはこれも半分青春ですね!!☆☆♬
アイカツの映画の次回作の発表はMOVIX倉敷ではありませんでしたが、もし関西のMOVIXや愛媛県のエミフルMASAKIなどでは、アイカツの映画の最新作の予告があった場合、今度はアイカツプラネットとアイカツオンパレードを半々に分けて同時上映することで、
強靭無敵最強女子アイドルらのスクリーンデビューをすごく強く願いたいです!!☆☆♬
私はアイカツの映画にアイカツスターズには元祖で登場した強靭無敵最強女子アイドルのスクリーンデビューが今でもすごく楽しみなのです!!☆☆♬
でもって岡山代表の倉敷商の3年の選手として甲子園に出場した中学校の時の友達同級生は私の現職の会社の後輩の1人で、彼の分まで観た後は、ほぼ充実感を味わうことが出来ました!!☆☆♫
かがみの孤城も観た後は充実感を味わうことが出来て、やっぱり主人公の同中の先輩・後輩女子の風歌は、かがみの孤城のみのりちゃん(キュアパパイア)と言っても今でも過言ではないですし、大ヒット上映中であることもアイカツの映画の公開目前になって知りました!!☆☆♪
私、仕事以外で人に連絡を取るという習慣自体が無いんですよね・・・。親戚どころか兄弟にも10年以上メールしてないでござる。会えば喋るけども。
最終話でストーリー上の必然性なく変身バンクを流したのは『スイートプリキュア』が最初でしたが、大人から見てピンと来ないアレも子どもにとっては大事な要素だったりするんですよね。いわれてみれば私もウルトラマンのドラマ部分をほとんど観ていなかったなりに変身→バトルのシーンだけテレビにかじりついてたものです。
なるほど、「いただきます」と「ごちそうさま」は「ありがとう」の変形ですもんね。
おばあちゃんは若い頃からずっと食に感謝し続けたお方で、招き猫が大好きで、歳を取る頃には老若男女問わず地元民の支えになってて、そんな彼女のバトンを引き継ごうと考えた人がたくさんいました。
それを踏まえた20年前のジンジャーさんが、招き猫やそれに近いものを媒介にほかほかハートの蓄積装置を仕掛けたというわけで、やはりあのおばあちゃんは最後まで只者ではなかったなと。
シナモンさんが世界各国に配ってたのは偶然でしょうか。まあ結果的にファインプレーなら良し。
プリキュアやクックファイターやブンドル団、あと地球の皆さんお疲れ様でした!
今年も良いバトルを見させてもらいました。
まだ1話残っていますけど、多分大体エピローグでしょうし。実のところもうフライング気味にひろプリへと心が飛んでおります(だから年末の先行公開をやめたのか……?)
お疲れ様ですの中に、クッキングとクックイーンを入れ忘れてました……えーとほら、マリちゃんやコメコメたちを遣わせたりほかほかハートの結晶体をくれましたし!
これはもう完全に妄想なんですけど、ゆいのお婆ちゃんはなんというか、善意の超人とでもいいますか――。
理屈のうえでは普通の人でもできるけれども実際やるとなったら壮絶な覚悟が要ることってたくさんありますよね。1年間毎日休まず10時間受験勉強するとか。20時間ぶっ続けで100マス計算だけやりつづけるとか。一日一善とか。
ゆいのお婆ちゃんのやってたことってそういう、「当たり前だけど全然当たり前じゃない」レベルのことだったんじゃないかなって勝手に思ってるんですよね。だって、そうでもなきゃ街ぐるみで半ば崇拝じみたリスペクトなんてしませんもん。よっぽど尊敬されるようなことを(地道に)やってのけたんだと思います。