あつあつごはんで、みなぎるパワー! キュアプレシャス! おいしい笑顔で満たしてあげる!
↓これ何?っていう解説はこちらの記事で↓
和実ゆい(キュアプレシャス)
過去――何が自分をつくったのかという認識
1=A+C【誰の役に立ちたいか】
「『おいしい』『うれしい』『ありがとう』って笑顔になるとこの子たちは現れる。レシピッピって『ごはんは笑顔』そのものだなって」(第10話)
ゆいはいつでもみんなの「おいしい笑顔」のために戦っていた。
2=B+D【誰に支えられているか】
「よねさんはステキな言葉をいっぱい持ってますよね。私、特に『ごはんは笑顔』が大好きです!」(第38話)
ゆいの心を支えていたものは、お婆ちゃんが残してくれた言葉たちだった。
3=B+C【嬉しかった想い出】
「ゆいは強い子だね。仔猫がこんなに強くなって。ゆいのおかげだよ。この世で一番強いのは、誰かのためにがんばる心なんだ」(第2話)
お婆ちゃんはいつもゆいの努力を応援してくれていた。
4=A+D【傷ついた出来事】
「私のせいだ――。私のせいで拓海もコメコメも傷ついた。私が、傷つけ・・・。ひどいことしちゃった・・・!」(第43話)
ゆいはお婆ちゃんが亡くなるなどの不幸を経験してもトラウマにまではしない。彼女が心萎ませるのは“自分のせいで”誰かが傷ついてしまう瞬間だけ。
ゆいはお婆ちゃんの言葉をたびたび引用している印象に反して、自主性がとても強く、意外と「お婆ちゃんならこうする」みたいな基準で判断することのない子です。
仔猫を助けたときのように、ゆいが自分で決めて行動することをお婆ちゃんが褒めて育ててくれたおかげでしょうか。自分への信頼感が強いから自己判断している意識も強く、そして、だからこそ行動の結果に対して自己責任も重く受け止めてしまうわけです。
現在――自分は何者なのかという認識
A=1+4【がんばっていること】
「お婆ちゃんの言葉も大切。でも、今度はバトンを受け取った私自身が、生きて、感じた言葉を届けなきゃいけないんだ!」(第39話)
ゆいは自分の言葉で思いを伝えられるようになる必要があると感じている。
B=2+3【任せてほしいこと】
「その言葉を私は信じてる! だから、絶対できるって信じてる! マリちゃん! 私、諦めないよ!!」(第2話)
ゆいはみんなのためにがんばる自分の努力に全幅の信頼を寄せている。
C=1+3【よく気がつくこと】
「仲よく・・・。ああ! 『違う味が仲よくなれば味噌も人も旨味が増す』! おいしい合わせ味噌のコツ! 味が違えば違うほどいいってお婆ちゃん言ってた!」(第9話)
ゆいは数々のお婆ちゃん語録のなかからその場に適切な言葉を見つけることが得意。
D=2+4【恥ずかしいこと】
「そんなこと言わないで! たとえコメコメでも、私の大好きなコメコメをダメだなんて言うのは許さない!」(第28話)
ゆいは自分を卑下する人を見るたび悔しい思いを感じている。
↑でも書いたとおり、ゆいの根底を支えているものはお婆ちゃんの言葉以上に、実は自分への信頼感の強さのほうが比重として大きいです。お婆ちゃんの言葉をたびたび引用していたのも自分の気持ちを言語化する(既存の言葉に代弁させる)ためのことでしかありませんでした。
だからこそ、自分の言葉で語る必要性を感じたあとそれほど時間を置いていなくても、自分の全人生を踏まえた言葉を紡ぎ出すことができたんです。彼女はお婆ちゃんの言葉を借りていた時期からすでに、ちゃんと自分でものを考えて、ちゃんと自分で語ることができていました。
未来――これまでの総括とこれからの夢
α=1+2+3+4【守りたいもの】=【プリキュアになりたかった理由】
「レシピッピはお婆ちゃんとの大切な想い出。いつも笑っててほしい。だって、『ごはんは笑顔』だから!」(第1話)
ゆいはレシピッピを「ごはんは笑顔」の概念を司るものとして捉え、彼らを守るためにプリキュアになった。
β=A+B+C+D【足りないもの】=【物語のなかで起きる成長・変化】
「ありがとう! あなたの言葉、胸に響いた。きっとあなた自身の、あなたが生きてきたことを実感させる言葉だったから」(第39話)
ゆいの価値観において最も重要なものは自分自身への信頼であり、このため彼女は自分の言葉で語ることができる人物を強く尊敬する。
いつも借用していたお婆ちゃんの言葉だけでは自分の気持ちを伝えきれないと痛感したとき、彼女はいかに自分がたくさんの思いを周りの人たちに伝えたがっていたのかを自覚する。
γ=α+β+1+A【なりたい自分】
「『ありがとう』にはそんな力がある。たったひとりから始まった温かい思いが、たくさんの人を繋いだ。『ありがとう』を重ねて結んだこのバトンは誰にも奪えない!」(第44話)
ゆいにとって「おいしい笑顔」とはつまり、おいしいごはんを通じてみんなで思いを通いあわせる営みのことだった。ゆいは料理人ではないが、食卓に参加する一員として周りのみんなと思いを共有する方法を模索していく。
つまるところ、この物語を通じてゆいがずっと目指していたものは、表現者です。
ゆいは画家や音楽家、料理人などではありません。かたちあるアートとして何かを表現したいわけではありません。彼女が表現したいものは、もっとずっと素朴な思いのありかた。おいしいごはんを食べたときの笑顔や感謝の言葉、そういうちょっとしたところに宿る相互の思いやり。そういったありふれた思いを日常的にみんなに伝えたいと願います。
ゆいは魅力あふれる女の子です。いつも溌剌としていて底抜けに思いやり深く、そして何より、彼女はそういう自分のことをそれなりに気に入っています。その自信こそが彼女一番の魅力です。
そんな彼女だから思います。みんなだって本当は自分と同じはずだと。ときどき自分のことを嫌っている人も見かけるけれど、そういう人すら含めて、本当はみんな、それぞれに輝ける魅力を持っているはずなんだと。
だから、ゆいは伝えあいたい。自分のステキ。相手のステキ。みんなのステキ。そういったたくさんのものと出会えるステキな関係性を築きあげるため、ゆいはまず自分のほうから積極的に思いを発信していく第一人者になることを志しました。
やっていることは「いただきます」「ごちそうさま」、それから「ありがとう」といった、日常的な言葉のやりとりでしかありません。ですが、それで充分なんです。なぜならゆい自身がまず魅力的な女の子ですから。他のみんなもそれぞれ魅力的な人たちばかりなんですから。素朴な、自分らしい言葉を紡ぐだけでも、その魅力はお互い充分に伝わってくれるはずです。
ゆいはそう信じます。信じて、伝えていきます。
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