・・・俺が、・・・父さんか。全力で守ってやるから安心しろ。
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(主観的)あらすじ
担任の内富士先生がはなのお父さんに弟子入りしました。もうすぐ赤ちゃんが生まれるというのに自分がまだ父親になりきれていないような気がして、内富士先生は焦っていたのでした。
はなのお父さんが内富士先生に課した修業はなんてことないHUGMANの通常業務でした。内富士先生は戸惑いつつも、これが修業になるならと一生懸命がんばりました。
途中ではぐたんを抱っこすることにもなりました。こちらは少し苦労しました。おっかなびっくり抱こうとする内富士先生の手つきをはぐたんが不安がって、泣きだしてしまいました。けれどちょっとしたトラブルで棚にぶつかってしまったとき、内富士先生がはぐたんを守ろうとしてぎゅっと抱きしめると、それではぐたんは安心して笑顔を見せてくれるのでした。
一方同じ時間、内富士先生の奥さんに陣痛が始まり、いよいよ赤ちゃんが生まれようとしていました。病院まではさあやが付き添いました。さあやは驚きます。陣痛に苦しむ奥さんが、さあやの手をとても強い力で握ってきたからです。さあやはその力をお母さんの強さとして感じ取り、産科のお仕事に憧れるようになりました。
内富士先生もなんとか間に合い、奥さんの手を握って一緒に出産に立ち会いました。初めて抱く我が子の息吹を胸の内で感じ取り、内富士先生は感涙します。まだまだ頼りないところもありますが、それでも先生はお父さんの目をしていました。
前話で自分の原体験をふり返ったばかりだというのにまーたさあやを迷わせるようなことを。これだから東堂いづみは。フレフレ。
一般に、男親は親心つくのが女親より遅れやすいといわれます。妊娠 / 出産という大きな変化を身体で経験する女性と違って、男性にはこれといった転機がないからだともよくいわれますね。私は(普段エラそうに語っていながら)独り身でそのあたりの実際を知らないので、残念ながら想像でしか考えることができませんが、たしかに大変だろうなあと思います。
ですが、生まれてくる子どもにとっては両親ともに最初からお母さんで、お父さんなんです。こちらの気持ちなら経験しているので理解できます。・・・大変ですよね。本当は初めからお父さんだったわけではないのに、子どもからは最初からお父さんであることを当然だと思われてしまうんですから。そのためにちゃんと間に合わせなきゃいけないんですから。
その苦心を、子ども向けアニメで見せるわけですよ。親というものを絶対視しがちな幼い子どもたちに向けて。これだから東堂いづみは。さすが“憧れ”の価値をわかっていらっしゃる。
親になる覚悟
「どうしたらあなたのような父親になれるのでしょうか」
「父親になる覚悟を教えてください!」
内富士先生の目の前にはただ事実だけが転がっていました。どうやら自分は父親になるらしい。
それなのに、自分は何も変わった気がしません。人間というものはどうやら子を授かったからといって自動的に父親に変われるものではないようです。これもまた今まさに体験している事実。
焦ります。
たとえば自分の父親はどのようにして父親になったんだったか。知りません。自分にとって父親は初めから父親でした。
親なのだから子育てすれば父親になれるだろうか。不可能です。我が子はまだ妻のお腹の中にいます。産まれてくるまでお世話してやることはできません。
それでいて、悠長に産まれてくるのを待っているわけにもいきません。だって自分の父親は自分が生まれたときにはすでに父親だったんですから。
もはや一刻の猶予もありません。
焦ります。
妻はいつの間にか母親の顔になっていました。
せめて子育ての片鱗だけでもとオムツを買ってみますが、いくら試してみてもまるで父親らしくなれた気がしません。
焦ります。
この気持ち、たぶん子どもたちにはなかなかピンとこないでしょうね。
かくいう私もさっきから別の経験に当てはめて考えています。小学校の年長さんになったとき。中学生になったとき。部活の先輩になったとき。大学生になったとき。社会人になったとき――。
なってみるまで、自分が本当にそういう“大人”な人になれる自信はありませんでした。なってみて、自分が想像していたほど“大人”ではないことに焦りを覚えました。
子どものころになんとなく想像していたものとは違って、“大人”とは自動的になれるものではありませんでした。それでいて、具体的に何をすれば“大人”になれるというものでもありませんでした。
気がついたらいつの間にか“大人”と呼ばれる人になっていました。
お父さんはいつからお父さんだったんでしょう。
子どもはそんなこと知りません。子どもにとってお父さんは最初からお父さんでした。
「いったい何をするんや?」
「そりゃあ、修業だから・・・(滝行)」
「もっと実用的なことじゃない?」
「オムツの替えかたとか、ミルクのあげかたとか?」
あからさまにトンチンカンなことを言っているはなはもちろんのこと、さあややほまれのイメージもちょっとズレています。今どきそのくらいのことは産科病院の育児講座でひととおり教えてもらえます。行く行かないは任意ですが、内富士先生くらい不安がっている人ならおそらく通っていることでしょう。
「どうしたらあなたのような父親になれるのでしょうか。立派に野乃さんの父親をされているじゃないですか。父親になる覚悟を教えてください! 修業させてください! 何でもしますから!!」
内富士先生が求めているものはそういうことではなくて、父親になる心構え、父親になれたという実感です。実際に父親になれた人以外には知りえない経験則です。だからムリを押してでもはなのお父さんを頼りました。
さて、いったい何を教われば立派なお父さんになれるのでしょうか?
さあやの憧れていたもの
さあやはテレビのなかのお母さんに憧れて育ちました。
「お母さんは昔からちょっと不器用で、でもすっごくがんばり屋で――」(第26話)
さあやにとってお母さんは不器用さんでした。その分努力家で、いっぱい遊んでくれて、愛してくれたけれど、家にいるお母さんは特別なところが何もない普通の母親でした。
「私いつもテレビに出ているお母さんを見ながら応援してたんだ。『すごい!』『がんばれ!』って」(第26話)
そんな普通のお母さんが、テレビに映っているときは大女優だったんです。不器用で努力家のお母さんのことですからすごくがんばって女優しているんだろうことは想像できましたが、そうして本当に大女優になれているお母さんのことが不思議で、お母さんを大女優に変えるテレビのことが不思議で、さあやはいつしかそういう変身ができるお母さんに強く憧れるようになりました。
今日、さあやは人が親に変わる現場を見ました。
衝撃を受けました。
「どうしたのですか?」
「ゆかさん、すごい力だった・・・」
「相当辛いのですね」
「ううん。感じたのは辛さじゃなくて、お母さんの“強さ”」
内富士先生の奥さんは、子どもを産み落とす前からすでに母親でした。
「はい、もうちょっと! 赤ちゃん出るよ!」
「ウァーッ!!」
「――おめでとうございます!」
それでいて、やっぱりお腹を痛めて必死にお母さんになるんです。
それがすごく不思議で、涙が出るくらい心を揺さぶられて、命が生まれる瞬間のことをすごいと思いました。
さあやのお母さんは不器用で、なのに大女優で、何もできなかったり何にでもなれたりする不思議な人でした。
前話、さあやはお母さんのその不思議の一端を知る機会を得ました。
お母さんはさあやが思ったとおりテレビの向こうでも努力家で、そしてそのお母さんの努力をたくさんの人が支えてくれていました。だからこそお母さんは大女優になれたのでした。
翻って今話。
産科病院ではお母さんの職場とよく似た光景が見られました。
「俺たちは君たち親子を応援したいだけ。だってあいつは、今でもがんばりつづけているからね」(第26話)
「――そうだね。苦しいよ。でも、私も助産師さんも一緒に戦うからね。赤ちゃんもママに会うためにがんばっているよ」
そこにはがんばるお母さんを支えてくれるプロフェッショナルの姿がありました。
「辛ーい! ――料子なら素材は生で味見すると思って・・・」(第26話)
「辛いけど、嬉しい。赤ちゃんががんばってる。私たちに会いに来る・・・」
そこには何かのために必死にがんばるお母さんの姿がありました。
さあやが子どものころからずっと憧れていた光景は、意外なことに女優の道以外にも存在していました。
テレビのなか以外にも現実に存在して、輝いていました。
「――大変ですね」
「大変だよ。でも、この仕事最高だよ!」
カッコよく、見えました。
その道すじ
たとえば内富士先生にとっては自分の奥さんやはなのお父さん。
たとえばさあやにとってはお母さんや産科医さん。
憧れを体現しているモデルが身近に具体的に存在しているとしても、だったら自分も同じようになれるのかというと、そのために歩む道すじは遠くおぼろで。
「では、荷物運びからいきましょうか!」
はなのお父さんが内富士先生のために用意した修業プランは子育てとは一切関係ないHUGMANの通常業務でした。しかもまったく同じことを全然違う目的のために現れた零細youtuberにも課しました。不安です。これは本当に父親になるための修業なんでしょうか。
「さあ。生まれる赤ちゃんのために」
けれど先達がこれでいいというなら信じるしかありません。
一見作劇的には無意味な賑やかし要員のように見えた某youtuberでしたが、意外にも彼は内富士先生より早く“父親”らしくふるまえるようになりました。内富士先生より早くはぐたんの抱きかたのコツをつかんでみせました。
「抱っこは腰で抱くといいます。彼はダンスをやっているようですから、腰が安定していて、はぐたんも安心するんでしょう」
彼は初めから良い技術を持っていました。ですが、その技術が彼を父親らしくさせたのではありません。
「・・・うるせえなあ。これだから赤ん坊ってキライだ」
彼はむしろ子育てにふさわしくない感性の持ち主でした。
「ええー。俺は赤ん坊とか――うるさく、ない?」
「Aoh! 俺のステップに惚れるなyo,yo,yo! ・・・悪くないじゃんyoー」
元々は赤ん坊がキライだったチャラリートですが、彼ははぐたんを抱いてみて、それではぐたんに喜んでもらえて、それが嬉しくて、今この瞬間この場で子ども好きな人物に変わったのでした。
抱っこがうまいだけでなく、心底楽しそうに子どもと接している彼は、もしかしたら今の内富士先生よりも“父親”らしく見えました。
はなのお父さんが種明かしします。
「抱きしめて、まっすぐ向きあってあげる。まずはそこからですよ。何をすればいいのか全部赤ちゃんが教えてくれます」
初めからお父さんとして生まれてくる人はいません。そういうことです。お父さんは子育てしながら、子どもと一緒にゆっくり“父親”らしくなっていくんです。
ですが内富士先生には自分の妻が一足先に母親らしくなったように見えたんです。だからこそ彼は焦りを覚えて修業を望みました。はなのお父さんはその疑問についても続けて説明します。
「先生。今日は何でもやったでしょう。力仕事も、掃除も、接客も。生まれてくる赤ちゃんのために、と」
チャラリートは元々赤ん坊ギライでした。けれど試しに抱いてみて、それで一気に赤ん坊のことが好きになったのでした。
「辛いけど、嬉しい。赤ちゃんががんばってる。私たちに会いに来る・・・」
なんのことはない。内富士先生の奥さんはただ単に生まれてくる子どものことを愛していて、子どものために何でもしようと心に決めていただけだったんです。その気持ちが表に出た表情が、内富士先生には“母親”らしく見えていただけなんです。
そんなの、内富士先生だって同じ気持ちだったはずじゃないですか。
たったそれだけのことでした。自分の顔は鏡に映してみるまで自分で見ることができないものです。
「・・・よかった。笑った。笑ってくれた・・・」
内富士先生くらいの年齢になれば誰もが自然に気付くことです。
大人になるって、意外と特別なことではありません。
子どものころに憧れていた大人は、いざなってみれば意外と全然“大人”じゃなくて、むしろ大人になってからも少しずつ“大人”になろうとがんばっていかなければならないものです。
大人になることはゴールでもなく、スタートでもなく、憧れに至る道すじの途中でしかありません。
周りからは大人として見られ、大人らしくふるまわなければならないけれど、私が本当の意味で“大人”になるのはこれからずっと先の話です。
私は人の親になったことがないので自信を持って断言することはできませんが、たぶん、“父親”になるってことも似たようなものなんじゃないでしょうか。
「すごい。じっと見ているとわかる。ちゃんと息してる。・・・俺が、・・・父さんか。全力で守ってやるから安心しろ」
内富士先生の奥さんが子どもを産む前から母親でありながら、これからますますお母さんになっていくのと同じように、内富士先生自身もまたすでに父親で、そしてこれからどんどんお父さんらしく変わっていくのでしょう。
お父さんとお母さんにはじめて出会ったときにはすでに彼らが父親と母親の顔をしていた子どもたちにとっては、もしかしたらちょっと意外なお話かも知れませんね。
はなとさあやとほまれはそれぞれ自分のお母さんに憧れて育ちました。
何をしたらあんなふうになれるのかわからないけれど、けれどいつかああなりたいと思って、毎日いろんなことをがんばっています。
なんでもできるように、なんでもなれるように。そうしたらきっとお母さんにもなれるから。
それで大丈夫です。彼女たちはそのやり方で、憧れている未来にたどり着くことができます。
憧れのお母さんたちもきっと、そういうふうにしてがんばってきたはずですから。
コメント
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いきんでる奥さんに向かってトンチンカンな講釈垂れようとして「黙って手を握ってて!」と一喝される内富士先生をみていて、結構いたたまれない気持ちになった私でございます(汗)。分かるんですよ理屈先行・知識先行形の人間がしばしばやらかすヘマ。私にも身に覚えがありましてね(涙)。
多分チャラリート君なんかは理屈よりもフィーリングで動ける人間なので赤ん坊あやすのも(ひとたび勘をつかんでしまえば)上手いんでしょうね。腰遣いは…一応関係あるのかな。さあやも基本知識先行形だとは思うんですが感受性がずば抜けて高いおかげでバランスがとれているんでしょうね。
それと、さあやは"女優志望"で、あらゆる事にのめり込んでいく姿勢を「森羅万象全てが"芸の肥やし"になる」という理由で正当化しやすい"便利"なキャラクターでもあります。ほまれだと自分の将来(競技スケーター)の為にやるべき事が絞り込まれ過ぎていて興味の幅を拡げにくい(この点を突いてきたのがアンリ君)し、はなは逆に興味が散漫過ぎて個々のテーマに焦点を絞って追求していくのが苦手。つまり、「なんでもできる。なんでもなれる。」をテーマに掲げる本作品の"ナビゲーター"役に最適の人材がさあやで、今回彼女が前面に出てきたのもそういう"役割上の理由"だったんだろうと思います。別に「将来産婦人科医になりたい」とかいうことではなくて(断言は出来ませんが…)。
ところで、今回は"野乃はなの担任としての"内富士先生には触れられる機会が無いままに終わってしまったんですが、この点今後のエピソードで是非扱って欲しいところですね。なにぶん野乃家の人間以外で「はなの過去」を知っている(筈の)唯一の人物なので、この先はなが"全てを抱え込んだストレス"でいよいよ崖っぷちに追い詰められたときに助け舟を出せるのはこの人ぐらいしか…いや、ひなせ君も居るか。
「プリキュアの力でも救えない人間を救う」ミッションに挑む"パッと見ヘタレ"男子の大活躍を大いに期待したいところ、ですね。
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> 理屈先行・知識先行形の人間がしばしばやらかすヘマ
してあげられること精一杯全部してあげようと思うと、どうしてもですね。手を握るだけより口も動かした方が正しい気がしちゃうんですよね。数打った方が何かしら刺さる確率も上がるかもしれませんし。
・・・ってな感じで私も似たようなことをしたことがありますが、うん、つまり私の場合は理屈先行というより単なる多動っ気ですね。落ち着きがなくて一番肝心の“安心させる”っていうのができていないという。
さあやはああ見えて理屈屋じゃなく洞察の人なのが大きいでしょうね。
保育園のときなんか特にそうでしたが、あの子って頭に入れた知識に頼りきりになるんじゃなくて、むしろその場で相手の顔を見てのアドリブの方が得意なんですよね。知識じゃなくて知恵。他人の考えることを想像(エミュレート)するための賢さ。意外と今までの青色にはいなかったタイプ。比較的近いのが実は来海えりか。
ホント頭のつくりが俳優向きだと思うんですが、はてさて、どっちの道を選ぶことやら。