ひろがるスカイ!プリキュア 第10話感想 実質自分自身に憧れているという不思議概念。

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パパ。ママ。今日は私のなかの輝きをひとつ信じられる日になりました。

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「むむむ! 思い出の料理ってどんな味!?」

大きな出来事

メインキャラクター:ましろ

目標

 ツバサが心から喜んでくれるヤーキターイを完成させる。

課題

 ヤーキターイはプニバード族の伝統料理で、ほとんどたい焼きと同じもの。ただしスカイランド産の素材を使うため、たい焼きとは微妙な味の差があり、再現は困難。とにかくたくさん試行錯誤するしかなかった。

解決

 結局ヤーキターイが完全に再現されることはなかった。
 しかしツバサは心から満足する。ツバサにとってヤーキターイの味は家族と一緒に食べた幸せな想い出とセットのもの。みんなであれこれと試行錯誤しながらつくって食べ比べる時間はとても楽しく、家族で食べた想い出に負けず劣らず幸せに感じられた。

バトル

苦戦

 強力な飛び道具を持つランボーグが相手。身軽なソラや飛べるツバサは問題なく躱せたが、正面から撃ちあうしかないましろは押され気味となった。

勝利

 ましろの強みとは優しさであり、そして強みになりうる優しさとはつまり、誰かのためなら絶対にへこたれない心の強さのことである。
 ましろは不利な状況を耐え忍び、相手の必殺の一撃を相殺することでソラとツバサの反撃のチャンスに繋いでみせた。

ピックアップ

ヤーキターイ

 第2話で焼鮭を食べたソラのリアクションを見るに、スカイランドでも魚は水のなかに生息するものらしい。ところがヤーキターイは羽が生えた魚の姿を模している。
 そういう魚もいる――可能性はあるが、本来空を飛ぶはずのない生きものが翼を得て大空を飛ぶ、このデザインはむしろ、空を飛べないプニバード族が飛ぶことに憧れて思い描いた空想動物と考えたほうが腑に落ちる。だから伝統料理として残ったのだろうと。
 ツバサの夢をバカにしていた同族の仲間たちも、本音では飛ぶことに憧れる気持ちを燻らせているのかもしれない。

 現状の3人のなかでましろは少し特殊な立ち位置のプリキュアです。
 ソラとツバサが憧れを叶えるために自分磨きしているのに対し、ましろは自分が憧れを感じるものから逆説的に自分の感性を見つめ直す試みをしています。
どう書けば伝わるでしょうか? 何かに憧れを抱くことの効能として、ソラとツバサにとっては今の自分を成長させようという向上心に繋がっているのに対し、ましろにとっては今の自分らしさを振りかえるための探究心になっているというか。

 『ひろがるスカイ!プリキュア』ってこういうところが面白くて、憧れ=努力するきっかけ、みたいな素直な結びつけかたをしていないんですよね。憧れが影響してくるのは未来の自分ではなく、今の自分のありかただというひとひねり入った考えかたでつくられています。

“挫けないヒーロー”に憧れた少女

 「ツバサくんはとってもがんばり屋さんで、毎日コツコツ自分の夢に向かって努力してるんだ。それはソラちゃんも一緒で。ツバサくんもソラちゃんもすごいなあ。でも、私は・・・」

 ソラにとって憧れの人は、幼いころ出会った凄腕の剣士。
 普通に暮らしていては到底身につかなそうな圧倒的な強さでした。
 だからその憧れに少しでも近づくため、ソラは毎日トレーニングをがんばっています。

 ツバサにとって憧れの人は、我が子を守るために空を飛んでみせたお父さん。
 本来プニバード族は飛べない鳥で、当のお父さんですらあのときのことは偶然の奇跡だと考えています。
 だからツバサはその思い込みと諦めをはねのけるため、日々の研究と試行を欠かしません。

 ましろにとって憧れの人は、ソラでした。
 ランボーグに全身傷つけられ、カバトンに口汚く罵倒されようとも、エルちゃんを守るために何度でも立ち上がってみせた不屈のヒーロー。

 けれど、そのヒーロー像はソラ当人の憧れのかたちとは異なります。
 あげはやソラが言うには、むしろその不屈さはましろ自身のありように近いようです。

 「あの日、私はましろんに教わったよ。優しいっていうのは強いってことなんだって。『私なんか』? そんなこと言うな! そんなこと誰にも言わせるな! ましろんには優しさっていう、誰にも負けない力があるんだよ!!」(第4話)

 泣きべそかいている年上のお姉ちゃんを励ますため、涙を隠して努めて笑顔をつくった気高い幼児。

 「ダメだ。『友達』以外の言いかた見つからないや。『パートナー』とか『相棒』とか、そうじゃなくて、あなたは私の『友達』。あなたが心配だよ。助けたいよ。気持ちは同じ。それって、一緒に戦う理由にならないかな」(第5話)

 友達を傷つけたくなくて突き放したのに、一緒に戦う意思を頑なに曲げてくれなかった頑固者。

 誰かのためならいくらでもがんばることができる、底抜けに優しい人。

 ソラやツバサと違い、ましろの憧れは努力の延長線上にありません。
 けっして今の自分に満足しているわけではありませんが、さりとて闇雲に自分を鍛えることにもそれほど意味を感じないのです。「ましろさんはそのままでいい」ってソラにも言われているわけで。

 だけど、じゃあ、どうしましょう?
 努力しているふたりを尻目に自分だけただ漫然と暮らしているのも、何か違うように感じるのです。

笑顔の想い出

 「私が初めて料理をしたのはね、お仕事で疲れているパパとママにおにぎりをつくってあげようと思ったからなんだ。でも、そんな私にパパとママが気付いて、一緒につくってくれて。あのとき食べたおにぎりはとってもおいしくて、みんな笑顔で、ずっと忘れられない味。もしかしたら私にとってのヤーキターイみたいなものかも」

 ましろの努力はソラやツバサのように自分を磨く方向には向かいません。

 振りかえってみれば、昔からいつも誰かのためにがんばる子でした。ましろががんばるのはいつもそういうときでした。みんなが「優しい」と言ってくれるのは、そういうところなのかもしれません。

 その優しさは必ずしも一定の成果を生むわけではありません。
 初めておにぎりをつくろうとしたときも結局はお父さんお母さんの手助けを必要としました。ふたりとも疲れているから家事を代わってあげたいと思ったはずなのに、これでは片手落ちどころか両手落ち、ただ余計な迷惑をかけてしまっただけです。
 優しさは、ただ優しいだけでは何の役にも立たないのかもしれません。

 これが、たとえばソラやツバサの身に起きた出来事なら、彼女たちにとってはただ悔しいだけの出来事にしかならなかったでしょう。
 ふたりは憧れの誰かみたいになりたくて、そして今の自分にはそれだけの実力が身についていないことを自覚しているから、毎日自分を磨くための努力をしています。
 彼女たちは“できない”ことに満足することができません。だって、“できる”ようになるために努力しているんですから。

 けれどましろにとってはそうじゃありません。お父さんとお母さんに手伝ってもらわなければ完成しなかったお父さんお母さんのためのおにぎりは、むしろ、だからこそ最高においしく感じられました。家族3人でがんばって、3人笑いあって食べたことは今でも大切な想い出です。

 「お前は何もわかっていない! プリズムには誰にも負けない優しさがあるんだ」
 「そうです! プリズムはその優しさでいつも私を照らしてくれます。それがどんなに心強いことか!」
 「ボクのためにヤーキターイをつくろうとしてくれた。おかげでボクは大切なことに気付くことができた! プリズムは、ましろさんは――」
 「周りの人を照らしてくれる輝きを持っているんです!」

 ヤーキターイの再現は結局叶いませんでした。その意味では今回もましろのがんばりは無駄に終わっています。
 けれどそれが本当に無駄だったかといえば、彼女の努力を傍で見ていた人たちにとって、少しもそうは思えません。彼女の努力は、もっと他の、かけがえない成果を上げているように感じられるのです。

 「ボク、気付いたんです。本当はただヤーキターイを食べたかったんじゃなくて、父さんや母さんと一緒に食べたあの楽しい時間を過ごしたかったんだって。そのことに気付けたのはましろさんのおかげです。だって、今日ましろさんやソラさんとつくろうとして、それがすごく楽しくて、できあがったものを食べてみたらあのときと同じくらいおいしかったから!」

 いったいどうしてこうなるのでしょうか。
 こういう着地点があることををツバサは全く想定していませんでしたし、ましろだって最初からこうなることを目指してがんばったわけじゃありません。結果的にこうなりました。
 けれど、これが偶然か、ただましろの運がいいだけかといえば・・・、おそらくそう思う人もほとんどいないことでしょう。ましろの、必ずしも当初の目標を達成できない努力には、そういうなんとも不思議な必然があるわけです。

優しさという努力のかたち

 「ツバサくんもソラちゃんもすごいなあ。でも、私は・・・」

 ひとまず冒頭に出てきたこのセリフは簡単に否定することができるでしょう。

 ましろは普段努力していないわけじゃありません。ソラやツバサとは努力のかたちが異なるだけです。
 自分を高めるためではなく、周りの誰かのため。
 必ずしも自分に得るものが残るとは限らないから自分では努力していることを実感しにくくて、反対に確実に何かを得ることになる周りの人たちになら努力してくれていることがよく伝わってくる。

 「優しいっていうのは強いってこと」。ましろをよく知るあげはは彼女のありようをこういうふうに表現しました。
 彼女の努力は常に優しさに基づいていて、常に自分以外の誰かのためにあって、そして常に、諦めることを知らないのです。
 だから必ずしも当初の目標を達成するに至らなくても、誰かの何か、ときに思いもよらなかったかけがえのない価値にたどり着くことができるわけです。

 言うなれば努力の“結果”ではなく努力の“過程”、あるいは“努力しようとする思い”そのものを評価されているというか。
 ましろ自身、ソラのソラ自身のヒーロー観とはちょっとズレたところにヒーローらしさを見出していたりしますしね。ソラにとってヒーローはあくまで弱者を守るために敵を倒す強い存在であって、不屈であることはその手段でしかないわけで。

 「ましろさん。――ありがとうございます。ボクのためにソラさんとこんなにがんばってくれて」
 「お礼なんていいよ。私はただ、ツバサくんにヤーキターイを食べて喜んでもらいたいだけで」
 「思いだします。私もここに来たてのころ、ましろさんにスカイランドをイメージしたくもパンをつくってもらいました。それがすごく嬉しくて。ましろさんの料理は食べた人を笑顔にする、不思議な力があるんです」
 「え? そんなことないよ。でも、もしそうだったら嬉しいな」

 誰かのためならいくらでもがんばれる。それがましろという子の人間性の中核であり、それでいて彼女にとっての憧れのかたちです。
 なんか変な感じ。自分自身ですでに体現できていることに対して憧れるだなんて。これが両立してしまっているのは、ましろがまだまだ自分のありのままの姿を正しく認識できていないからでしょう。

 「パパ。ママ。今日は私のなかの輝きをひとつ信じられる日になりました」

 ましろの物語はまだ始まったばかり。
 “憧れ”をサーチライト代わりにして、ひとつひとつ自分という存在を知っていきましょう。

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    コメント

    1. 亀ちゃん より:

      今日はひろがるスカイプリキュアが大台に乗る第10話でした!!☆☆♬
      ましろが日になりましたと両親に手紙を書く際、私は自分の現職の会社のプロ野球ファンに
      「ファンであるドラゴンズの他球団が(場合によっては第3者の他球団に)勝った日でした!!☆☆♬」
      と告白しますね!!☆☆♬
      だから私の経験談的に相似点はあるものの感慨深い言葉でした!!☆☆♬
      他にもシックリ着たセリフはメッチャあったワケですが、実はあまりにもあり過ぎて完全に忘れ去っていますね!!(笑)
      それにお母様もひろがるスカイプリキュアの本編は初めて視て、久しぶりにプリキュアを視たワケですが、何回も面白いと言っては、笑うことも大有りでした!!☆☆♬
      だからいとこのお姉さんの次女には私のお母様が面白い・笑ったというのがセットでいとこのお姉さんのスマホにLINE出来た内容ですね!!☆☆♬
      ちなみにオープニングは何かが始まる予感というのは、六畳半のすごし方に書き込ませてもらっていた頃シックリ着て感慨深さもあるセリフのことは、何かを感じるセリフという風に書き込んでいたものです
      そっから1番最近のプリキュアのオープニングに初めて組み込まれた可能性がありますね!!☆☆♬
      で、2番から3番にかけては見捨てないという歌詞もあり、私がいとこのお姉さんの次女にいくらプリキュアファンを卒業しても、プリキュア自身はいとこのお姉さんの次女を見捨てないといとこのお姉さんのスマホにLINEしたことで、これもプリキュアのオープニングには初めて導入されたとも見て取れますね
      いとこのお姉さんの息子にも今現在は小学生ですが、幼い頃に好きだったレンジャー系も見捨てることはないと、昨年のゴールデンウィークにいとこのお姉さんのスマホにLINEしたのも懐かしいです!!☆☆♬

      >で、プリキュアの店では
      コロナ前では大阪市阿倍野区の大阪市天王寺区境直近にもあるプリキュアの店にティッシュもプリキュアウォッチもあったものです!!☆☆♬
      いずれも私がノドから出が出るとも言えるほど今でも欲しい商品ですね!!☆☆♬
      ちなみにプリキュアのティッシュがプリキュアの店にも売られていると、1番最終的な値段の微調整にピッタリなのです!!☆☆♬
      だから大阪市内のプリキュアの店ではプリキュアウォッチもプリキュアのティッシュも発売再開をすごく強く願いたいです!!☆☆♬

      >で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は
      大阪府のMOVIX八尾にレンジャー系の時以来2回目はらくだい魔女を観ました!!☆☆♬
      プリキュアの他にアンパンマンの予告宣伝CMまであったほど幼い子にも注目度があるのが女子小学生が主人公のらくだい魔女でしたね!!☆☆♬
      このらくだい魔女もアイカツの時と同じように、泣きそうで泣けず青春が半減で、映画館では二度と最初っからは観たくないという後味にもなりましたが、シックリ着たセリフはいくつかあったものなのです!!☆☆♬
      というワケで、MOVIXや松竹映画のアンケートではありそうでなかったという項目も即刻追加して欲しいですね!!(厳→咲→輝)
      それでも後味に関しては充実感も味わうことが出来ました!!☆☆♬
      それに次から次へと一難去ってまた一難そのまた一難ってな感じで越えるべき試練が与えられ続けるので、一部始終をキッチリ観ると成長も出来る映画だと今なら言えるものなのですね!!☆☆♬
      これで当面の間、見たい映画あって岡山から1番近くのMOVIXが大阪府の八尾や東兵庫で大阪府と隣り合わせな尼崎ということで関西になるパターンもない気がしますね!!
      というのも今のところ見たい映画は今年のプリキュア・オールスターズもこれまで通りMOVIX倉敷で観ることが出来るので、MOVIXへの交通費が1番コンパクトになるものなのです!!☆☆♬

      • 疲ぃ より:

         このあいだ子どものころ以来久しぶりにアンパンマンの映画を見る機会があったんですが、・・・アンパンマンの映画ってメチャクチャテンポよく進行するんですね! プリキュアも相当だと思っていましたが輪をかけてすごい! そりゃそうだ! 未就学児の集中力なんて50分も保てば上々ですもんね! そして作画よ! すっっっごい!

    2. ピンク より:

      スカイランドの伝説の戦士になる条件、絵心なのでは(絶対違う)

      ましろんにしてみりゃ、誰かのために頑張ることは割と『当たり前』として処理されてるであろうことがまた難しいです。
      もうちょっと大人になったら、その価値の大きさに嫌でも気付くんでしょうけど。

      ツバサは手伝いを申し出た時点で、無意識に答えを出してましたかね。
      じっと見られながら1人でちびちびつまむという試食の仕方が、答えを自覚することから遠ざかる要因だったのかなーとも。
      とりあえず、楽しい1日になったなら何よりです。

      で、次回はあげはがツバサと交流するターンですか。
      主題歌映像や今回からの提供絵を見る分には仲良さそうな感じでしたけど、なんか予告では距離遠いような……ツバサの方は甘えてるっぽいニュアンスも感じますけどね。

      • 疲ぃ より:

         ツバサはお父さんの絵を見て覚えたんでしょうが(それにしたってデッサン力よ)、ソラはどこで覚えたんでしょうね。やっぱりマンガを写し書きでもして練習したんでしょうか。誰にも見せたことのない二次創作ノートとか持ってたりするんでしょうか。

         今作“他人の目を通して自分を見つめなおす”ってことをかなり意識して描いているように見えるので、ましろの無自覚な部分はこれからも掘り下げられていくんでしょうね。ツバサも、もちろんソラやあげはも。
         諦めないことを指して「優しさ」と呼ぶってこと自体、ものすごく面白いことが起きてると思うんですよね。

    3. ハリース・みぃ より:

      ヤーキターイがプニバード族の憧れの形という発想はなかったので唸りました。

      でも、憧れを大事にするこの作品においては種族全体の憧れがあってもおかしくないですね。

      • 疲ぃ より:

         たい焼きも材料や調理法自体は今川焼きと変わらないのに、庶民には高嶺の花の鯛を模したことで大人気になった食べものですからね。形って大事。そして形が大事だということは形にも大切な意味があるということで。

         ということは、有名なスターゲイジーパイのあのすさまじいビジュアルにもさぞ切実な思いが・・・、と思いきや「近海で獲れる魚7種類を全部使ったことを証明するためにパイの縁に頭を突き出させた」のがルーツなんだとか。ちょっと想像と違ってました。(あわよくば料理の形に憧れが現れる例として使えそうだと思って調べたやつ)

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