あの人は――、どうなんだろう?
無力を知る少年 ニコル
ストーリーイベント
お前達次第
メインキャラクター:ニコル
目標
命の火時計から解放された状況に適応する。
課題
命の火時計に縛られていたときはコロニーを守ることだけ考えていればよかった。しかしニコルにはもう帰る場所がなく、しかも火時計から解放したマシューたちが何かを要求してくることもなかった。
ニコルは自分の生きる目的を自分で見つけなければならなくなった。
解決
もともとニコルにはブレイドを出せないというハンディキャップがあり、戦争にも消極的だった。その意味でケヴェスで生きてきたことに未練はない。
ただし、それだけに無力感は募る。生きる目的を失い、さりとて新たな生きかたを見出せるような特別な力も持たないがゆえ、今はまだひとりで立つことができずにいた。
幸い、マシューたちはニコルを突き放すことも、何かを期待してくることもなかった。今しばらくは彼らのもとで悩みつづけていいらしい。
メモ
リベレイター
“Liberator”、解放する者。
メビウスがマシューも仲間であると誤解して「仲間を倒されたら話は別」と発言していたあたり、この組織は命の火時計から兵士たちを解放する活動をしているのだろう。それでどうしてゼットと不干渉協定を結ぶことができるのかはまだちょっとわからない。ウロボロスパワーをうまく引き出せば火時計を破壊しなくても解放できるという話だから、メビウスの活動を邪魔しない程度に少人数だけ引き抜いているのだろうか。
シュルクの抜刀
本編の兵士たちはみんな構えの姿勢からそのまま手のひらにブレイドを出現させていたが、シュルクはブレイドを出現させるときいちいち背中に手を伸ばす。おそらくは『ゼノブレイド』の時代からモナドを背負っていたクセが体に染みついているのだろう。
こういう細かいところから、この人がアイオニオンで新たに生まれたのではない、前作主人公その人なんだという実感が湧いてくる。
少し評論家じみたことを語ります。
「さて、と。いくつか質問に答えてほしい。いいかな?」
「・・・」
「まず君の名前、それと所属コロニーだ」
「ふん」
「――名前はカギロイ。コロニーガンマ、広域支援小隊所属、か」
「あっ・・・!」
「遠いね。ガンマの支配域はこのあたりじゃない。なんだってこんなところに独りで」
ここでカギロイがとっさに所属票を隠したのはシュルクがひととおり読み上げた後のこと。
このシーンにおける感情の流れを考えるとタイミング的にかなり不自然です。普通なら「名前はカギロイ」くらいのところか、そもそも発言される前に視線に気付いて隠そうとするはず。
一方で、↑に書き起こしたセリフを読んで流れに不自然さを感じる人はあまりいないことでしょう。逆にひとかたまりのセリフを言い終わる前に他の人物の発言や地の文を挟まれたほうが違和感を強く感じるくらいです。
「名前は――」
「あっ・・・!」
「カギロイ。コロニーガンマ、広域――」
少女は悔しそうに男を睨んだ。
「支援小隊所属、か」
・・・みたいなの、読みにくいだけでしょ? こういう小説もあるにはありますけど。
文字としてのセリフと映像化したセリフというのはこのくらい違います。
そして脚本というのは最初文字で書かれるわけです。なので、普通こういうセリフのリズムや間、被せ、あるいは順序の入れ替えなんかを駆使してリアリティを表現するのは、本来なら俳優と演出家の仕事です。
ただし、そういうのができるのはスタッフ出演者一同が同じ時間に集まって連携しながら芝居できる場合に限られます。
ゲームの収録は個録りが多いと聞きますので、後から編集するにしてもなかなか限度があるのでしょう。
結果、このシーンのように書き言葉をそのまま音読したような珍妙な映像が生まれてしまうわけです。
『ゼノブレイド3』のムービー演出が間延びしていると言われがちな原因のひとつがこういうところだと思います。
もちろんこれはこのゲームに限った問題じゃないというか、むしろ大半のゲームが同じことをやらかしてたりもするのですが、『ゼノブレイド3』の場合は勢いで押し通す熱情的なセリフが少なく、落ち着いたトーンのシーンが多いので細かい違和感が悪目立ちしちゃうんですよね。
余談になりますが、このブログでときどきセリフの前後を入れ替えて書き起こしているのも書き言葉と話し言葉の特性の違いを意識してのことだったりします。
戸惑い覚めて眼前に道無く
「なんか、悪かったな。火時計から解放しちまって。・・・でもな、納得できねえんだよ。お前たちが戦ってるの」
マシューが声をかけてきます。
言葉どおり、彼が火時計を破壊したのはニコルとカギロイのためと言うよりは、どちらかというと自分の信念のため。自己満足のため。
火時計を破壊したのはこれが初めてのことではありませんし、火時計を失ったケヴェス・アグヌスの兵士が最初に何を思うのかも知らないわけではありません。それでもやりました。
現状を受け止めきれずにいるカギロイと異なり、ニコルは聡い少年でした。
おそらくは前作主人公・シュルクの血縁。彼の人物の面影を強く残す顔立ちのこの少年は、シュルク同様に頭脳明晰で、そして内向的な性格のようでした。
これまで経験したことのない未曾有の事態に直面し、ニコルの心は自分自身のことに思いを傾けます。
今起きていることの責任を他の誰かには求めません。そんなことをしたところでムダだからです。ニコルがいくら望んだところでブレイドは現れませんでした。いくら恐れたところで戦争はなくなりませんでした。ニコルが直面する問題は、いつもニコル自身が解決しなければなりませんでした。機械の武器で身を守り、新兵器で戦争を生き抜いて。
他人に頼ることはできません。だから、理不尽だろうとなんだろうと、自分の身に降りかかった出来事はまず自分自身の力で解決できないか検討します。
「ウロ、ボロス? ・・・すごいなって」
「お前らだってブレイドのアーツがあるだろ。同じようなもんさ」
「ぼくには無いから・・・」
「ブレイドを出せないんだろう。これまでの彼の戦いかたを見ていればわかる。そういう兵士もたまにいると聞く」
「――ま、まああれだ。それも個性のうちのひとつ。いいんじゃねえか、それで」
そして、寄る辺ない身となった今、改めて現実を突きつけられるのです。
「ぼくのこれじゃ倒せない。あんなふうにできない・・・」
ああ、自分はなんて無力なんだろう。
そして他人に頼ることができず、自分自身にも頼れないということは――。いったいこれからどうすればいいんだろう?
何を頼りに生きて――、いいえ、何にも頼れないのはすでに明らかなんだから、それなら、じゃあ、いったいどうすれば生きていくことができるんだろう?
「ニコルって呼んでいいか? ――自分を足手まといだなんて思うなよ。お互い得意なもん持ち寄ってやってこうぜ」
マシューから見ればニコルは優れた機械技術者です。立派な一芸持ちで、頼れる仲間。この道中にもエレベーターを1台修理してくれました。
けれどニコルは自分のことをそういうふうに思っていません。生きるために必要だったから機械いじりを覚えました。エンジニアリングはハンディキャップの埋め合わせ。生来他の者たちに劣る自分はこれがあってようやく人並みなのであって、別に誇れるような特技じゃない。
マシューのウロボロスアーツはすさまじいものでした。ニコルとカギロイの戦いを赤子の手をひねるようにたやすく鎮圧してみせ、あげく撃破されたという話を聞いたことのない執政官すらあと一歩のところまで追い詰めました。
すごいなって思いました。
もし、自分にもそういう卓越した特技があったなら、今みたいな状況になっても――。
「ああ――、なるほどね。本当にそう思うか? あるんだよ、お前たちにも。この力。昨日俺が放ったろ、光の一発。あの光を受けた人間にはな、ウロボロスパワーが宿るんだ。俺たちもそうやって得た」
一見救いのようで、残酷な言葉。
どうやら自分はいつの間にかマシューと同じスタートラインに立てていたんだそうです。なのに、今の自分は自分を誇れていない。マシューと同じ条件のくせ、マシューのように卓越していない。
結局、何も、できない。
「コロニーには戻りたくねえのか?」
「・・・戻ったら、また戦う――。ぼくも同じだから」
「そうか。なら、俺たちもう仲間だな」
ただ、ニコルにとってひとつだけ救いがありました。
マシューはニコルと同じ気持ちを持っているんだそうです。戦争なんて本当はやりたくないし、殺しあうために生きるのも嫌だ。
卓越した技術を持ち、それを寄辺に己が道を切り拓いている彼がそう言うなら、きっとこの生きかたは間違っていないはず。
他人に頼ることができず、自分自身も頼りない。ひたすらに無力で、無力だからこれからどうやって生きるべきかも見えてこない。五里霧中。暗中模索。そんなニコルですが、今しばらくはマシューたちを信じて、自分の生きかたを考える猶予時間を持つことができるようです。
今はまだ悩みつづけてもいい。その暫定解がニコルにひとときの安心を与えてくれます。
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