そんなことない! プリキュアはまだいる、絶対に!
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(主観的)あらすじ
トラウムが時間を操る機械を完成させて、はなたちの住むはぐくみ市だけじゃなくいろんな街の時間が止められようとしています。キラキラプリキュアアラモードや魔法つかいプリキュア!のプリキュアたちがはなたちと合流して戦うことになりました。
一度はトラウムを撃退できたものの、事件自体はまだ終わっていません。はなたちは今のうちにもっとたくさんのプリキュアを集めることにしました。
今回見つけたプリキュアはキュアピーチとキュアドリーム。
キュアピーチである桃園ラブは、この状況下でもダンスの練習をしていました。明日大会があるそうです。時間は止めさせないんだから練習も続けなきゃいけない。彼女はそう言います。
キュアドリームである夢原のぞみは、女優兼歌手になる夢を叶えた友達のことを我が事のように喜んでいました。応援してよかった。彼女はそう言って笑顔を見せます。
再びトラウムが現れて世界中の時間を止めます。これで残りのプリキュアたちの時間も止まったと彼は言います。けれどはなたちは信じています。まだ戦おうとしているプリキュアは他にもいるはず。
事実、遠くの街ではふたりはプリキュア Max Heartの3人が立ち上がっていました。
オールスターズシリーズ地上波上陸。中心となって活躍するキャラクターをかなり絞っているとはいえ、次話では全プリキュア(53人かな?)が勢揃いするようで、うむ、なかなかのムチャをしよる。2話使っても尺としては映画の2/3くらいにしかならないんですよね。
次話ではどんなプリキュアたちが活躍してくれるんでしょうか。楽しみです。
桃園ラブ
「ダンスの大会、明日だから練習しなくちゃ」
「時間が止まるかもしれないこの一大事に!?」
桃園ラブが初めて変身したきっかけは、大好きなダンサーが怪物に襲われているのを助けるためでした。
「あなたファンの子? どうしてこんなに必死になって私を助けてくれるの?」
「だって、ミユキさんのダンスがもう一度見たいからです!」(『フレッシュプリキュア!』第1話)
当時のプリキュアは今よりもずっと“自分のため”より“みんなのため”の意識が強い傾向にありました。ラブもその例外ではありません。
ただ、それを踏襲したうえで彼女は言うのです。助けたのは「ダンスがもう一度見たいから」なのだと。
『フレッシュプリキュア!』は、プリキュアとしての大きな使命を抱えながら、それでも自分にとっての小さな幸せを見つけていく物語でした。
実はこの作品において、プリキュアの活動はラブたちが幸せに生きることと直接は結びついていません。むしろプリキュアであることが彼女たちを悩ませることもしばしばでした。あるときは自分の夢を叶えることと仲間を守ることを天秤にかけられたり、あるときは大好きなダンスとプリキュアのどちらか片方を選ぶよう迫られたり・・・。いっそプリキュアにならない方が幸せになれたんじゃないかと思えるシーンが何度も出てきました。
それでも、誰かがプリキュアをやらなければならないことには変わりないんですけどね。ラブたちの幸せは日常のなかにあるので、誰かがその日常を守らなければ彼女たちは幸せになれないんです。
だからといってその役目をどうして子どもであるラブたちが受け持たなければならないのか、というとそこにはちょっとした理不尽さがあるんですけれど。彼女たちの両親や街の大人たちもそのことについてはずいぶん悩んでいましたっけ。
ラブは大好きなダンサーを守るためにプリキュアになりました。
それはダンサーをはじめとしたみんなを守るためでしたが、みんなを守るのはあくまで自分が幸せを掴むためでした。
「止まらないよ。そんなこと、私たちが絶対に許さないから。だから練習するんだ」
だから、ラブはプリキュアの使命と大好きなダンスを両立させなければなりません。
自分を幸せにしてくれる日常を守るために戦うんです。自分の幸せをないがしろにしてプリキュアをやっても本末転倒です。
少し、えみるとルールーに似ていますね。
彼女たちがプリキュアに変身できたのは、お互いを愛し愛され、それからふたりの外側にいる人たちにも愛され、自分からも愛したいと強く願ったからでした。
「私はルールーが優しく笑う顔が好きなのです。ルールーと友達になって、私はちょっとだけ自分を好きになりました」
「私もです。私もえみるといると制御不能。でも、それが暖かい」(第21話)
だれかのためでありながら、その思いの根底にあるものはあくまで自分を好きになりたいという思い。
自分を大好きにさせてくれるみんなの優しい愛を守るため、えみるとルールーは愛のプリキュアとして戦っています。
現在、彼女たちは大切な思索に取り組んでいます。
「もぐもぐの恋は叶うのでしょうか? 私のデータによると、犬と猫の恋が叶うというケースはありえません。なぜなら種族が違うからです」(第28話)
「私はえみるのように曲をつくれない。才能あるえみるに寄り添うにはどうすれば・・・」(第33話)
「よくわかりません。赤ちゃんを愛しいと思う気持ちはわかります。でも、まだ見えない赤ちゃんを愛しく思えるのが――」(第35話)
引用したセリフを見ての通り、どちらかというとルールーがメインで取り組んでいることですね。
どうして自分は愛してもらえているのか。種族や貢献の違い、あるいはこれから生まれてくるというゼロスタートまでもをたやすく乗り越えて、愛という感情はいったいどこからやって来るのか。
お互いや周りの人たちにたくさん愛されたからこそ、えみるとルールーは自分を好きになることができました。自分もみんなを愛したいと思えるようになりました。愛は循環し、絆をつなぎ、周りの愛を励起しながらどんどん広がっていきます。
だけど、そもそもどうして私は愛してもらえているんだろう?
愛が生まれた一番最初って、どこだろう?
その答えはおそらく彼女たち自身のなかに。
そして彼女たちとどこか似ている桃園ラブにも、きっと鏡映しに。
ラブは自分を幸せにしてくれる日常というものを守るためにプリキュアになりました。
「幸せゲットだよ!」(『フレッシュプリキュア!』第1話)
夢原のぞみ
「あの子の歌、いいよね。大好き」
「私も! 憧れの女優さんです。うららさんの演技で何度感動したことか!」
「嬉しいな。うららをずっと応援してきてよかった!」
夢原のぞみが初めて変身したきっかけは、大きな夢を掲げる王子様を助けるためでした。
「夢はとっても大事なものなんだよ。自分がボロボロになっても叶えたい大切なものなんだよ。それをバカにするなんて最低! だから絶対渡さない!」(『Yes!プリキュア5』第1話)
会社の歯車となって夢見ることをやめた悪者たちが他人の夢をバカにします。けれど、同じく夢を持てずにいるのぞみがそいつらに立ち向かうんです。「夢はとっても大事なものなんだよ」と。
のぞみは自分自身の夢を持てずにいた子でした。そのうえドジでうっかりしていて学校の成績もあまりよくなくて。だからこそ、夢を追いかけて努力できている人たちの背中に強い憧れを抱いていました。夢見る人たちはみんな自分よりもステキに見えたから。
『Yes!プリキュア5』はそれぞれに夢を抱く少女たちの物語でした。
そしてその中心となったのが、夢を持たない夢原のぞみ。物語上少々特別な立ち位置にいた彼女ですが、この少女はプリキュア史上でも特に強力なリーダーシップを発揮してチームをまとめていくことになります。
のぞみ以外の4人の少女たちは当初プリキュアとしての活動に興味を持っていませんでした。当然ですね。このころのプリキュアには活動に“自分のため”となる利益が薄く、自分の夢に全力を傾けたい人にとってはあまり嬉しくない使命でしたから。
のぞみはそんな彼女たちを口説き落としました。というか、のぞみ自身が彼女たちに憧れられる存在となってみんなを引っぱっていきました。変な話ですけどね。立派な夢を持つ子たちが夢を持たない子に憧れるだなんて。
たとえば春日野うららは幼いころから女優になる夢のため一途に努力していて、そのせいで学校に友達をつくる機会がありませんでした。その生きかたに後悔はありませんでしたが、次第に息苦しさと行き詰まりを感じるようにもなっていました。
そこにのぞみが現れました。のぞみの方からうららと友達になりたいと言ってきました。のぞみにとってはうららのような子は本当にステキに見えたからです。
たったそれだけの理由で、たったそれだけの出来事でしたが、うららにとっては目が覚めるような鮮烈な出会いでした。一途な努力だけが夢に近づく手段ではなくて、友達といっしょに善く生きることも夢を叶えるためには大切なんだと気付かされました。
のぞみが友達になってくれたことはうららの目の前にあった問題を全部解決してくれて、だから、うららの方からものぞみに対して強い憧れの気持ちを抱くようになりました。
のぞみは自分の夢を持っていませんでしたが、代わりに夢見ることのステキさを誰よりもよくわかっていて、そういうところがカッコいい女の子でした。
「『夢を応援』かあ。なんだかはなと似てるな」
なるほど、似ています。
ほまれと友達になったときのことに絡めて私もちょくちょく語っていますが、はなは自分では理解してあげられない他人の事情があることを知っています。けれど、それでも応援をやめません。相手が何に落ち込んでいるのかわからないくせに、それでもがんばれと応援します。
そして、実際にその応援は役に立ちます。彼女の応援はひとりで落ち込んでいる人たちを孤独から解放し、同時に新しい視点をも提供するからです。
落ち込んでいる人は往々にして自分を弱く情けない人間だと思い込みがちですが、はなからすればそこまで真剣に思い悩んでいる人は絶対に努力家で、彼らの描くステキな未来をいっしょに見たくなるんです。
「よーし! まだまだがんばるぞ! 重くても、辛くても、お婆ちゃんは毎日がんばってたんだよ。だから私も、がんばる!」(第29話)
「私、謝ってほしいなんて思ってないよ。許すとか許さないとかそういうのじゃない。ただ、私エリちゃんのことやっぱ好きだからさ、また友達になりに来たんだ」(第31話)
「クライアス社なんかにやられている場合じゃないよ! 世界、目指すんでしょ!? こんな壁なんて跳び越えていくんでしょ!?」(第32話)
自分がいかにすごいことをしているのか、はなはまだ正しく理解していません。ことあるごとに自分が何も持たないことを情けなく思い、応援しかできない自分の力をまだどこか疑ってしまいます。
友達に夢を叶えさせた夢原のぞみの存在は、はなにとっての瑞祥です。
のぞみはまるで自分のことのように嬉しそうに笑って友達の成功を祝福します。
自分のものではない他人の夢を応援することは、きっとその人の助けになるし、自分にとってもステキな未来をもたらすことでしょう。
よく似た道を歩んだ先駆者・のぞみの見せる笑顔がそれを保障します。
「ココの夢を叶えてあげるぞー! けってーい!」(『Yes!プリキュア5』第1話)
未来へ届いた少女たち
『魔法つかいプリキュア!』や『キラキラプリキュアアラモード』に関してはいまさら細かく語ることでもないのでざっくり。
プリキュアの物語はいつだってハッピーエンドで終わりました。
「キュアップ・ラパパ! 大好きなみらいとリコとモフルンと、ずーっと一緒にいられますように!」(『魔法つかいプリキュア!』第28話)
「キュアップ・ラパパ! 私たちは、必ず、絶対、また会える!」
「キュアップ・ラパパ! リコに、みんなに、・・・会いたい」(『魔法つかいプリキュア!』第49話)
時々刻々と忍び寄る悲しいお別れと戦いつづけたみらいたちは、ついに訪れてしまったお別れをも笑顔で乗り越えて、いつか必ず訪れる再会の日を信じつづけることができました。
「ふり返るとあのときの時間はあっという間で」「長い人生のなかでは一瞬の出来事なのかもしれない」「でも、大好きでつながっているあの時間があったから」「私たちは今こうしてる」「私たちは歩きつづける」「いつかまた混じりあう未来に胸をときめかせて」
「キラキラキラルン・キラキラル。さ、食べてみて。――ほら。ふたりともいい笑顔!」(『キラキラプリキュアアラモード』第49話)
バラバラの個性が寄り集まって自分たちの弱さと向かい合ったいちかたちは、やがてそれぞれの道へひとりで歩み出すことになっても、心はいつもどこにいてもつながっていました。
輝く未来を抱きしめて。
訪れてみるまでどんな姿をしているか知りようがないのが未来というものですが、しかし子どもたちの未来は祝福されています。そこは信じてくれても大丈夫です。
だってあなたたちはひとりひとりみんなステキな子なんですから。
良い子には幸せな未来が約束されている。そういう世界でありつづけたいものですね。
なあおい、大人ども。
コメント
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「なあおい、大人ども」ですか。
珍しいですね。こういう現実世界に物申すような発言をなさるのは。
こちらのブログは「現実世界とフィクション世界を峻別して、あくまでも"フィクション世界の住人がその世界を論評する"ようなスタンスで記事を書く。現実世界に向けてアピールするような発言はしない」方針で通しておられる印象があったので、少々意外な感じがしました(私の思い違いだったらごめんなさい)。
たまには良いと思いますけどね。現実世界に向けてメッセージを発信するのも。フィクションにだって現実を変える力がある、と期待するのも。
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あ、プリキュア以外も含めると年に何回かは書いてます。まさしくその意図で。
一番最初はたぶん『魔法つかいプリキュア!』だったかな・・・?
なるべく現実の自分と切り離したキャラクターを演じようとしているのもそのとおりです。
やっぱり「自分はどうなんだ?」って視点が入っちゃうとなかなかキレイゴト書けなくなるじゃないですか。でもキレイゴトにすら抵抗ある人がキレイな希望を語るのも不誠実ですし、説得力に欠けるじゃないですか。かといって読んでくださった方に「世の中どうせそんなもんだ」みたいな諦めの気持ちだけは抱いてほしくなくて。
私はウン十年後の世界に今よりもっと良くなってもらいたいんですよ。私もたぶんそれなりに幸せ者ですが、次の世代の子どもたちにはもっと幸せになってほしいと思っていまして。
そのためにはひとりでも多くの人たちにキレイな希望を抱いてもらえたら、少しは理想とする未来に近づけるかなと。
夢を抱いた程度で現実は変わりませんが、それでも現実を変えることができるのは夢だけだろうと考えています。
たかが私ごとき、そもそもたかがアニメ感想ブログごときが何クサいこと言ってんだって感じですが、そういうわけで全部の“たかが”を棚上げして、努めてキレイゴトを並べ立てることにしています。
まああんまり強い言葉を使いすぎてヒかれちゃったら元も子もないので、今回のコレみたいなワードは本当にたまーにだけに抑えた方がいいよねとも思っているわけですが。(といいつつネタとしても使う)