HUGっと!プリキュア 第38話感想 昨日と今日を想い出に変えてくれる明日。

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――あ、閃いた! だったらみんなで楽しんじゃおうよ!

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(主観的)あらすじ

 ハッピーハロウィーン! 今日はハロウィーンイベントです。みんなで仮装ダンスパーティをしましょう。
 はぐたんはどんな衣装を着てみたいかな? 未来ではハロウィーンが廃れてしまっているみたいです。だったらなおさら、せっかくの今日を楽しんでほしいとはなは考えます。

 けれど今日もやっぱりオシマイダーの襲撃。新しい仕事がうまくいっていないダイガンが鬱憤晴らしに暴れはじめたようです。せっかくの楽しいハロウィーンがダイナシに。
 そこではなはひとつ思いつきます。今日の戦いはプリキュアのショーということにして、みんなの前で思いっきりカッコよく暴れちゃおう! それならみんなハロウィーンを楽しめる!

 名残惜しくもショーはあっという間。5分(注:ダイガンのバンクから数え)で終わりました。これから始まるダンスパーティも明日には想い出に変わります。
 ダイガンが今日してしまったことは許され、ウンザリしていた仕事も報われました。
 嬉しいことも、辛いことも、昨日も今日も、いつかは想い出として積み重ねられていきます。大丈夫、私たちにはみんながいるんですから。だから、明日を信じて、今日は思いっきり楽しく踊りましょう!

 今日のセリフ回し、いつもとどこか毛色が違うなと思っていたら横手美智子さんの脚本でしたか。プリキュアはたしか初めてですね。
 私が横手さんの脚本に初めて触れたのは『刻の大地』というマンガのドラマCDでした。マイナーもマイナー、なんとwikipediaにも載っていません。ドラマCDとしての出来映えも地味なもので、ほとんど原作そのままの流れで進行する作品でした。本来は脚本家の色なんて微塵も出ないようなタイプ。
 ですが、なんか好きだったんですよね。原作の大ファンだったというのもあるんですが、もう何十周もリピートして、最初のトラック2つとスタッフコールを暗唱できるほどに聞き込みましたね。原作のフキダシとドラマCDのセリフの突き合わせももちろんしました。
 そうやって聞き込んで気付いたんですが、あのドラマCDってセリフの流れがキレイだったんですよね。セリフの並びを入れ替えていたり、ややこしい表現を噛み砕いていたり、セリフの音数を調整してリズムを整えていたり、ところどころにあえて説明ゼリフを挿入していたりして、今どんな状況かスッと伝わるように再構成されていたんです。
 考えてみれば当然の配慮なんですけどね。マンガだとサッと流し読みしたり1コマをじっくり読み込んだり、フレキシブルに自分のペースで読めるんですが、ドラマCDだとキャストの演技に合わせて一定のペースで聞かなきゃいけないですからね。
 でもそこで初めて気付いて、感動したんですよ。マンガ家と脚本家の仕事って違うんだって。表現媒体ごとに求められる文章の書きかたって違うんだって。

 はい。プリキュアとは全然関係ないお話でしたね。単に私にとって大切な想い出だってだけです。

辛い今日も、悲しい昨日もあるけれど

 「チュロスはね、星形じゃないと爆発しちゃうんです。ボンって」(『キラキラプリキュアアラモード』第13話)
 いやまあ、そもそも揚げ菓子でこのチンアナゴみたいなキレイな発色なんてありえませんし、外側をアイシングか何かでコーティングしているんだと思いますけどね。そうでなくても生地の粘度を下げて低温で揚げれば丸形にすることも一応可能ですし。(そもそもヤボにもほどがある)

 「だーっ! やってられるか、こんな仕事!」
 クライアス社をリタイアしてまえむきあしたエージェンシーに再就職したダイガンでしたが、どうやら思ったほどうまくいっていないようです。
 こんなところで敵方に裏切られてしまうと追悼記事まで出した私の立場がなくなるというものですが(すこぶるどうでもいい)、まあどんなに美しい過去があろうと過去は過去。現在の様相次第で人はいかようにも変わってしまうものです。
 「ありがとう・・・。とても楽になった。私も、もう一度――」(第23話)
 「その節はありがとう。5分間、感謝したぞ」(第24話)
 孤独で無様な今際の際で、それなのにひとりの少女の優しさに触れることができて、ダイガンは希望を見出しました。
 こんな自分でも誰にも必要とされていないわけじゃなかった。
 こんな自分でも死ぬときは悲しんでくれる人がいた。
 美しい想い出。ですが、どんなに美しい過去もいつかは過ぎ去り、新しい現在がやって来ます。
 「こんなつまらないことにも明日を夢見て希望を抱く。愚かだと思いませんか、ダイガン」

 こんなはずじゃなかった。
 こんな未来を夢見ていたわけじゃなかった。
 そう思う人たちがいたからクライアス社があるのです。
 「新たな苦しみがなければ皆笑顔でいられるだろう? だから、時間を止めよう。皆が笑顔のまま暮らせるように、ともに終わらぬ永遠を」(第23話)
 未来は無限大。なんでもできる、なんでもなれる。
 だから、うまくいかない可能性だって無限大。

 「おおー! なんやみんな楽しそうやな、はぐたん」
 「チャラリートも来るんだって? 前に生で見たのって夏? また会えるー! 未来を信じてよかった!」

 みんな楽しそうです。不安なんて何もないって感じで、明日への希望に満ちています。少し前までクライアス社にいたチャラリートたちすら、もう何の違和感もなくみんなの輪に交じっています。
 「けど、ミライクリスタルが8個集まったのに、元の姿に――」(第21話)
 「ミライクリスタルホワイト・・・。なんで力が戻らんのや。未来ちゅうもんは思うとおりにならんもんやな」(第23話)
 ハリーはどうでしょうか。
 はなたちと出会ったばかりのころに期待していた未来はまだ訪れていません。ミライクリスタルは8個どころかすでに11個(ホワイトを含めると12個)も集まっているというのに、はぐたんは一向に元の姿に戻りません。

 未来は無限大。うまくいかない可能性だって無限大。
 なんだかはぐたんとふたり、みんなから取りこぼされている心地がします。
 「クライアス社は時を止めて未来を奪う。そしたら夢とか希望を抱いてもムダになる」
 「それにな、明日が来えへんかったら想い出がいつまでたっても想い出にならへん。昨日はいつまでたっても昨日のままや。なくしたもんはなくしたまま取り戻すこともできへん」

 ひょっとしてこの身の時間は未だ止まったままなんでしょうか。クライアス社の手から逃れてこの時代に逃げてきたのに、まだ、この身の時間は止まった未来に置いてけぼりのままなんでしょうか。
 「忘れようにも諦めようにも、時間が動けへんかったらどうしようもないなあって」
 こんなはずじゃなかった。
 未来はいつか必ず訪れてくれると信じていたのに。

それでも明日は必ず来る

 「明日も一緒だよ。リコも、はーちゃんも、モフルンもみんな。明日はみんなで学校だよ」(『魔法つかいプリキュア!』第47話)
 学校を卒業したらどうなるんだろう。想像もつかないずっと未来の先で、そのときも今みたいに大好きな友達と一緒にいられるんだろうか。
 『魔法つかいプリキュア!』の3人はあるときふと不安に思いました。
 これまで何度も悲しいお別れの危機に襲われて、それでも今まではなんとか乗り越えてこられたけれど、この先もずっとこのままでいられるんだろうか。
 考えて、それで気付いた答えが「明日も一緒」。少なくとも直近すぐ目の前に訪れつつある未来では一緒にいられると信じられました。明日は一緒にいられる。だったら、きっと明日の明日も一緒にいられる。明日の明日の明日の明日のずうっと明日も、だから、きっと。
 「夕日が沈んだらみんなおうちに帰る時間。でも新しい朝が、明日が来れば」「“また会える”。夕日がキレイなのは、そう信じているから」(『魔法つかいプリキュア!』第48話)
 お別れの予感をひしひしと感じながら、それでも太陽魔法の使い手たちはずっと一緒にいられる未来を信じて戦いました。
 「取り戻さなくっちゃ。みんなの夕日」(『魔法つかいプリキュア!』第48話)

 「廃れた風習?」
 「ルールーたちの時代には存在しないの?」

 余談ですがプリキュアシリーズで初めてハロウィーンが取り上げられたのは(たしか)『スイートプリキュア』第37話。7年前ですね。その次は少々間が空いて『ハピネスチャージプリキュア!』第37話。プリキュアファンの子どもたち世代にはそろそろ馴染み深い行事になっていそうですが、オッサンオバサンにとってはまだまだ歴史の浅いイベントといった印象です。
 「ハロウィーンっていうのは仮装もそうだけど、カボチャとか、コウモリとか、オバケとか、ガイコツとか、あと、あと――お菓子!」
 トリックオアトリート!(とりあえず言っとけ) ハロウィーンってこんなに楽しいものなのに、未来の世界ではこの行事がなくなってしまうそうです。

 でも、だとしたら今ハロウィーンを楽しむことって無意味なんでしょうか?
 だってハロウィーンという行事はどうせ未来につながらないんでしょう?
 過去と現在と未来は連続していて、輝く未来は現在を一生懸命がんばった積み重ねの先にあるものです。そう信じているからこそ、はなはみんなをフレフレ応援してきたわけですし、さあややほまれたちもそれぞれ自分の目指す目標に向かって結果を積み重ねてきました。
 積み重ねた先に未来が無いってわかっているんだったら、じゃあ、今楽しむことって意味がない?

 まさか。
 はなたちは当然のように笑います。
 「だったらよけい楽しんでもらわなきゃだよ!」

 刹那的な発想だと思うでしょうか。
 今を楽しむために、未来には影響しないことに打ち込むだなんて。
 けれど輝く未来とは現在を一生懸命がんばった積み重ねの先にあるものです。過去と現在と未来は連続しています。
 だったら、楽しい現在を経た未来は、きっと楽しいに決まっているじゃないですか。
 楽しい未来をつくるためには楽しい現在をつくらなければなりません。
 輝く未来をつくるためにはまず現在を輝かさなければなりません。

 『魔法つかいプリキュア!』の3人は自分たちの未来について、「明日も一緒」という答えを見つけました。
 明日も会える。だって今日も会えたんだから。だから遠い未来でだって、きっとまた会える。
 輝かしい今日の続く先に、未来も絶対に輝いている。

 「こんなに人の多いところで」
 「楽しいはずのイベントなのに」
 「――あ、閃いた! だったらみんなで楽しんじゃおうよ!」

 今日を一生懸命楽しむからこそ、明るい未来に手が届くんです。

だからどうか、あなたに幸せな想い出を

 チンアナゴにお花を載せるだけのお仕事。こんなしょうもない、そのくせうまくいかないお仕事に、いったい何の意味があるというのでしょうか。
 その答えは以前はなのお父さんが言っていました。
 「パパのお仕事って大変だね」
 「まあね。けど毎日毎日ひとつひとつの仕事を一生懸命やることが、お客様みんな、家族の未来の幸せをつくる。パパそう思ってるんだ。それってパパの幸せでもあるからね。つまりサイコーってこと!」
(第6話)
 それはみんなの幸せをつくるためにある。そしてひいては自分の幸せのためでもある。

 だから、そのお仕事にはちゃんと意味がありました。
 「なーにやってんのよ。――あんたがつくったお菓子、子どもに大人気よ。あんたがチマチマ載せてたお花がかわいいんだって」
 焦れながら、自分の情けなさを突きつけられる思いでがんばったお仕事は、ちゃんと誰かを幸せにしていました。
 それを知れただけで、あんなに辛かったお仕事がそう悪いものでもなかった気がしてきました。
 あのとき優しい少女に手を差しのべてもらえたように、自分が思いのほか幸せ者のような気がしてきました。
 明日への希望が再び湧きあがります。
 「つ、次は5分で載せてみせる・・・!」
 それでもその目標設定は低すぎだと思うなあ。(無慈悲)

 「ねえ、ハリー。――大丈夫だよ。ハリーには私たちがいるよ。絶対に未来を奪わせたりしない。新しい明日をみんなで迎えよう」
 相変わらずはなは他人の悩みの核心を理解してやれません。ハリーはこれから未来を奪われることを恐れているのではなく、今まさに時が止まっているような心地のする自分を嘆いているんです。
 それでも、相変わらずそのフレフレ応援はちゃんとハリーの心に届きました。
 自分の未来を信じられないときは誰かに信じてもらえばいい。
 まずはみんなに手伝ってもらって笑顔になって、みんなと今日を楽しんで、そうしたらいつかきっと、あなたも自分で自分の未来を信じられるようになるはずだから。

 「明日が来えへんかったら想い出がいつまでたっても想い出にならへん。昨日はいつまでたっても昨日のままや。なくしたもんはなくしたまま取り戻すこともできへん」
 そのとおり。過去に起きたことは変えられません。変えられませんが、見かたを変えることならできます。
 ひとりぼっちだったはなの過去。自分を見失っていたさあやの過去。失敗してしまったほまれの過去。無力だったえみるの過去。心がないと思い込んでいたルールーの過去。けれど、彼女たちはそんな自分を好きになって、今幸せにがんばっています。
 楽しいことも、悲しいことも、全部いつかは未来に手を伸ばすため積み重ねていく想い出に変えていけます。
 「クライアス社は時を止めて未来を奪う。そしたら夢とか希望を抱いてもムダになる」
 「忘れようにも諦めようにも、時間が動けへんかったらどうしようもないなあって」

 ですがこちらは、いいえ。
 ムダなことなんて絶対にありません。幸せな現在の向こうには絶対に幸せな未来がありますし、現在の自分を好きになれたあなたなら過去の自分だって絶対に好きになることができるはずです。

 「はぐたんは何になりたい? 着たいドレスや、なりたい恰好。何でもやっていいんだよ」
 だからどうか、今日もあなたが幸せでありますように。
 「んーと・・・。ぷぃきゅあ。ぷぃきゅあ!」
 この現在は過去と未来と連続しています。

 ・・・といったお話を、ちょうど(最高に出来のいい)映画でもやっているところなので、ぜひ観に行きましょう。

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    コメント

    1. 東堂伊豆守 より:

      SECRET: 0
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      第二話のハリーの台詞によれば、誕生日とクリスマスとお正月は未来世界にも存在するらしい。では何故ハロウィンは消滅してしまったのか?
      ……まあ「脚本家間の連係ミス」「チーム東堂いづみ全体で初期設定を失念」あるいは「ストーリー作りに詰まって設定無視を決め込んだ」とかいうのが真相なんでしょうなあ。だいたい今日日のアニメオタクって設定の整合性だの裏設定だのに拘り過ぎて却って不健康な鑑賞法をしているのかもしれません。昔の「ルパン三世」なんてエピソード脚本家がその場の勢いで「斬鉄剣はコンニャクが切れない」だの「次元は帽子を被ってないとマグナムの命中精度が落ちる」だのといった一回限りの設定をホイホイぶちかましていましたし。
      そんなことはさておいて、ハリーって「止められた時を再び動かして未来を取り戻したい」と言っている割に、過去への執着が滅茶苦茶強い印象があるんですよね。「仲間達と過ごした貧しくとも楽しかった日々」とか「かの姫君と(おそらく)将来を誓いあった日」とかいった"過去の幸せ"に執着している。未来を取り戻すこともあくまで「過去に期待していた通りの幸せを取り戻す為の手段」と捉えている節があって、ハリーが望む未来とは「過去の幸せの延長線上にあるもの」で「過去に想定した未来予想図がその通りに具現化したもの」のように見えます。
      もしそうなんだとすると、ハリーにとって、はなやほまれ達と共に笑い、共に泣き、共に戦う"現在"の日々は「過去から引き継いだ幸せ」を取り戻す為の"かりそめの時間"に過ぎない、のかもしれません。……それって随分ひどい話なんじゃないですかねぇ?現在の世界でハリーと共に命懸けで戦ってくれているはな達に対してあまりに無礼だと思いますし、ハリー自身にとっても決して良い生き方だとは思えないんですよね。「今"現在"を生きること」をないがしろにしているように感じられてならない。
      こうなってくると、ハリーにとって真にあるべき未来とは「はぐたん(姫君)がクライアス社と刺し違えて共に消滅。再び時が進み始めるもののハリーは未来へ帰る手段も恋人も失ってしまう」形ではないのか?とさえ思えてきます。未来世界(すなわち"過去")とのしがらみを全て断ち切られ、2019年の世界で一から人生を仕切り直すことこそハリーが本当の意味で「未来を取り戻す」ことになるんじゃないのか、と。
      ともあれ、次回はハリーが"因縁の宿敵"リストルと直接対峙することになるようなので、二人の対話を通じてハリーの"過去""未来"そして"現在"に対するスタンスが更に明らかになることを期待したいですね。

    2. 疲ぃ より:

      SECRET: 0
      PASS: bbf32a5f228a60af2858cccc42639fc4
       まあハロウィーンは結局(少なくとも日本の文化圏では)定着しないまま飽きられた、とかでもいいんじゃないですかね。(本文で書いたことガン無視)
       なにせ私の住んでいるところだと未だにスーパーとジャスコくらいでしかそれっぽいイベントやってないですし。地方にイベントの楽しさが広まらないまま渋谷のゴミとかマナーとかの問題だけ聞こえてきているので、正直なところ良いイメージが定着する未来は・・・(ゲホンゲホン

       ハリーは過去に思い描いていたものに妄執しているどころか、いっそ諦められるものなら諦めてしまいたいとまで思っているのが困ったところですね。
       自分の過去をネガティブに捉えている→現在の自分も好きになれない→明るい未来を思い描けない、って話になるので。

       ぶっちゃけ二度と会えないくらいじゃ未練は断ち切れないですよ。未練を断ち切る機会がなくなって、どんどん記憶のなかで美化されてしまうものです。
       忘れることでしがらみを断つって難しいです。だからお葬式をしたり、傷心旅行なんてものをしたりして、儀式的に自分の心に区切りをつけようとするんです。実際はそこまでしてもまだ難しいんですが。
       「忘れようにも諦めようにも、時間が動けへんかったらどうしようもないなあって」
       会えない人って、忘れられないんです。

    3. 東堂伊豆守 より:

      SECRET: 0
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      いささか脈絡のない話になってしまって申し訳ないんですが……。
      おそらく次回明かされることになるであろう「何故ハリーの愛しの姫君は赤ん坊・はぐたんになってしまったのか?」という問題。もしクライアス社の攻撃によるものだとすると、ハリーとはぐたんは最初から「奪われた"想い出"を取り返す」為に戦っていたことになるんですよね。劇場版でのプリキュア達の戦いに先行する形で。
      一方で、もし赤ん坊化の理由が「2018年世界へタイムリープする上での副作用」なのだとすると、ハリーとはぐたんは「皆の未来を取り返す為に自分達自身の"想い出"を自ら投げ捨てた」ことになる。いくら「ミライクリスタルを8個集めれば元に戻れる」としても、えらく過酷な自己犠牲ではありますよね(しかもクリスタルを12個集めたのに未だ元に戻れていない)。
      どうにもプリキュア陣営内におけるハリーと野乃はな達の同床異夢振りが激しくて、ハリーが今なお秘密主義を貫きはな達に心を開かないのも両者の立場や利害、価値観の違いを慮ってのことなんでしょうが……ハリーと"友達"になりたがっているはな達(ほまれに至っては"恋人"になりたがった)との関係性がこのままで推移していいとは思えないんですよね。本作が(そしておそらくプリキュアシリーズが)ここまで積み重ねてきた価値観から考えると。
      そうなると、「HUGっと!プリキュア」が立ち向かうべき真のラスボスは他ならぬハリハム・ハリー君その人なのかもしれません。彼の頑なな価値観を変えさせることがキュアエール達のラストミッションになる……みたいな。
      うん……なんかこのところクライアス社の存在感が妙に小さく成り始めた理由が見えてきたような気がする……。

    4. 疲ぃ より:

      SECRET: 0
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       なにせ何度か元ネタとみなして取り上げている『Rossum’s Universal Robots』的にはハリーは社長ポジションですからね。(何の根拠にもなってない)
       第5話の「がんばっている人に応援は酷~」以来、基本的に彼の発言ははなたちの考えかたの逆を行くものだとハナから疑ってかかっています。

       最初期にはなたちがはぐたんの泣き声とともに時間停止を体験していた伏線も、この流れだともしかしたら回収するかもしれませんね。プリキュアってああいうの割と投げっぱなしにしがちなんですけど。
       同じく最初の方でジョージさんがポエムってた“何も持たない少女”って今思うとはぐたんのことだと思うので、その、まあ、なんというか・・・似たもの同士っぽいなあ、とか。

       ・・・そういえば未来には他にもまだ3人ほどプリキュアがいましたっけね。なんとなくこっちの伏線は回収されなさそう。(無根拠)

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