メルクストーリア 第8話感想 美しさ。美しさ。・・・愛おしさ。

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Ah, 夢みたい! 憧れのパルティシオに私は来たなよ!

(主観的)あらすじ

 今回ユウたちが訪れたのは鳥族の都・パルティシオ。鳥族は美と歌を好む種族で、特に愛を告白する際には“愛のさえずり”と呼ばれる歌を贈る習わしがあるそうです。そんな鳥族の都ですから、ここではディーヴァたちが常に流行の最先端となっていました。

 ユウたちが出会った少女・フォルナもそんなディーヴァに憧れているひとり。田舎から上京してきたばかりの彼女は歌唱力も容姿も平凡でしたが、生まれ持った声にだけは天性の魅力がありました。
 また、偶然にもその声質はディーヴァのひとり・セレナにとてもよく似ていました。フォルナはその声を買われてセレナにスカウトされ、歌声にとある事情を抱えている彼女の代役を務めるため、レッスンをはじめることになるのでした。

 一方ユウたちは色々あって街の地下水路をさまようはめになり、そこで野暮ったい外見の青年・アンテルと、宝石で全身を覆ったモンスター・ヴォイシアに出会いました。ふたりはとある約束をしているそうです。
 ちなみにアンテルは過去にセレナに対して愛の告白をし、こっぴどく袖にされたことがありました。野暮ったい服装のうえ愛のさえずりすら贈ろうとしない彼は、ディーヴァであるセレナとはとても釣りあいが取れなかったのです。そのくせセレナは愛のさえずりの代わりに贈られた指輪を今も大切に持っているようですが――。

 新しいディーヴァのデビューリサイタル。
 ユウたちとフォルナがそれを観覧しに行くと、突如舞台上に謎めいた歌声が響きわたりました。実はその声は地下で出会ったヴォイシアのものであり、そして何故かディーヴァ・セレナの歌声に酷似していました。
 やがて歌声をかき消すように、美しい青年が歌いながら舞台に上ります。アンテルでした。彼は暴力的なまでに美しい歌声でもって醜さを呪う歌を歌いあげ、パルティシオの新しいディーヴァとして鮮烈なデビューを飾るのでした。

 これまでになく謎に満ちた物語展開。妖精の国や死者の国のときは早い段階で大まかな目的が明示されていたのですが、今回それすらありません。これからどういう結末に落着しようとしているのかさっぱり見えてきません。こういうの、なんだか考察アニメめいていてワクワクしますね。
 ちなみに私は考察アニメの展開予想を未だかつて正確に当てたことがありません。今回はそういうのも含めて好き勝手に色々書いていきますが、くれぐれもあんまり信用しないように。

 ちなみに“ディーヴァ”といえば女性のオペラ歌手という先入観があったので、リサイタルの舞台でアンテルが歌いはじめてもしばらく「で、ディーヴァはいつ登場するの?」と思っていたのはここだけの話。
 実際イタリアでは男性形の“ディーヴォ”という表現を使うらしいですけどね!(負け惜しみ)

Fantasma Diva

 いかにも今回のヒロイン的な立ち位置にいるはずなのに、まだイマイチ物語上の存在意義が見えてこないフォルナさん。
 いえ、脚本が不出来だと言っているのではなく、彼女のような人物が登場しなければならない必然性を考えたら今回の謎めいた物語の輪郭が見えてきそうだな、と。

 Ah, 夢みたい! 憧れのパルティシオに私は来たなよ!
 声だけは褒められるけど、歌もダンスも人並み程度。
 見た目だってソバカス顔。服だってお下がりなよ。
 けど、そんな私だってステキになれるかも!

 芸歴の長い声優さんって劇中歌の歌いかたひとつ取ってもきっちり演じ分けしてきますよね。
 フォルナは典型的な田舎娘です。瞠目に値する才能を秘めてはいますが、たとえ美しいエメラルドだって原石のまま磨かれることがなければただの石くれ、今はまだどこにでもいる女の子です。
 その歌声は伸びやかで、はっと目が覚めるほどにパワフルではありますが、技巧的ではありません。聞いていて「あともうちょっと、もうちょっとどうにか!」てな感じで、もどかしさを感じさせる歌いかたをします。一本調子なんですよね。なまじ歌声に感情がこもっている分、あからさまに抑揚が足りていないのがすっごいムズムズします。そりゃあルピエさんのレッスンにも力が入るってものですわ。

 フォルナには憧れがありました。都会の人。洗練された歌やダンスに触れ、洒落た服飾に身を包む。これまでの自分とは全然違う、ステキな人になることを夢見ていました。
 「ああ、もちろん代役としてという意味だけどね。ステージに立つのはセレナ。そして君は」
 「・・・横で吹き替えをする、なよ?」

 今回のセレナたちからのオファーは素人相手だというのを差し引いてもなかなかに無礼千万な話でしたが、当のフォルナは意外とすんなり受諾します。どうやら押しの強さに負けたとかそういうわけではないようで、少なくとも今のところはレッスンにも意欲的に取り組んでいます。
 「大丈夫! 僕にすべてを任せてくれれば、パルティシオじゅうが憧れる歌い手になれるはずだよ!」
 「パ、パルティシオじゅうが!?」

 彼女は自分を高めたいという意欲が人一倍強いんですね。自分が舞台に立ちたいとかそういう名誉欲よりもまず先に、自分を鍛えたいという素朴な欲求が彼女を突き動かします。

 十中八九製作スタッフが意図的に用意したものではないと思いますが、この子にぴったりだと思ったので紹介します。
 今回フォルナが淹れてもらったお茶はカモミールティー。気分を落ち着け、喉の炎症を和らげる作用があるため、歌や芝居を生業とする人たちによく愛されている飲み物です。このシーンで登場した理由はたぶんこれが理由のはず。
 ですがその一方で、カモミールの花言葉にはひとつ面白いものがあります。「逆境で生まれる力」。
 カモミールは生命力がとても強い植物でして、荒れた土壌でも立派に花を咲かせることができます。そのうえ除虫作用があるため周囲の植物まで元気にしてくれますし、薬草としても非常に有用です。こういう性質を評しての花言葉が「逆境で生まれる力」。なんとなくフォルナに似合っていると思いませんか。

 フォルナにとって美しさとは純粋に憧れの対象。今はまだ手が届かず、しかしいつかは手を届かせられるようになりたいと願って追いかける、輝かしい理想です。

Imitare Diva

 「モ、モンスターなのか・・・?」
 「大きな宝石のようにも見えるのです」

 怪しい輝きを放つ石英質のモンスター。けれど喉元には有機的な羽毛が露出していて、ひび割れたような目元からしても、宝石の外殻のなかに本体が潜んでいるのでは、という印象を与えます。
 ヴォイシアという名前らしいこのモンスターはディーヴァ・セレナと同じ声で話します。アンテルの口ぶりからすると、どうやら実際にこの声は彼女から奪ったものである様子。

 「――だが、もうこれ以上は待てぬ。私は衰えはじめている」
 このモンスターがアンテルとどういう約束を結んだのか、そもそも彼女が今どういう状態にあるのかははっきりしませんが、どうやら彼女は自分が衰えることを恐れているようです。
 実際、今話のラストでは尻尾の方から次第に宝石から輝きが失われつつある様子が描写されていましたね。
 「お前はもうすぐ自由の身だ。けどそのときは必ず、僕との誓いを、彼女にその声を――」
 じゃあ“衰え”というのはこの見た目に明らかな宝石の美しさのことなのかと思いきや、どうもこの宝石によって拘束されているっぽい様子もあって。そういえばほとんど身じろぎしませんもんね、このひと。
 どうなんでしょう、わかりません。ヴォイシアにとってこの宝石は自分を飾りたてる美しさなのか、それとも自由を奪う枷なのか。彼女がこのあたりをどう考えているかによって物語全体の意味が大きく変わりそうです。

 少なくともディーヴァであるセレナの声を奪っている以上、ヴォイシアが美しいものに執着しているのは確かだと思います。とするとアンテルとの間に交わした約束は、セレナの声と引き換えにもっと美しいものを差し出す、とかそういった感じになるんでしょうか。
 「お前が望むものを手に入れるまで時間がかかってしまった」
 アンテルさん、ちょうど今話がディーヴァとしての初舞台でしたね。

 そういえば、声を奪うというならセレナも似たようなものです。フォルナから美しい声だけを買いあげて自分のものにしようとしています。
 彼女にとってディーヴァとしての名声はそんなにも重要なのでしょうか。他人の声を借りて自分を着飾ってまで、その地位にしがみつかなければならないほどのものなのでしょうか。
 実はまんざらでもなかったらしいかつてのアンテルからの求婚、いっそディーヴァとしてのしがらみを捨ててしまえば受けることもできたでしょうに。
 彼女にとって、――彼女たちにとって、美しさとはいったい何なんでしょうか。

Bellissima! Bellissima! Bellissima!

 返してくれると信じ、愛を求めた。
 ともに生まれ育ったあの月日。
 けれどそこには何もなく、遠巻きに眺める冷たい視線だけ。
 美しさ。美しさ。美しさ。
 愛されぬは醜さへの罰なのか。
 ああ、妬ましく憎らしい。

 答えてくれると信じ、愛を求めた。
 ともに過ごし笑ったその月日。
 けれどそれは幻なのか。夢だけしか見なかった愚か者。
 美しさ。美しさ。愛おしさ。
 返されぬは無知への罰なのか。
 ああ、悲しくもわかりたい。

 だが孤独はもう終わりだ。
 今この舞台に立つとき。
 歌おう、誓いのままに。

 鬼気迫るアンテルの歌声に打ちのめされてか、セレナはいつの間にか劇場から出ていました。
 「アンテル・・・どうして・・・」
 劇場の外で彼女が手に取るのは、かつてアンテルから贈られ、彼女自身の手で振り払ったはずの指輪。どうやら紐を通して普段から首に下げていたようです。ちなみにアンテルの歌った詞を信じるならふたりは幼馴染みだったようですね。

 アンテルの歌の1番だけを聞くならセレナが傷ついてしまうのも無理はありません。どう考えてもかつて美しさをカサにプロポーズを断ったことへの恨み節にしか聞こえませんもんね。
 「愛されぬは醜さへの罰なのか。ああ、妬ましく憎らしい」
 たぶんセレナはそのあたりまで聞いて劇場を出てしまったんでしょう。

 けれど、最後まで聞くとアンテルの歌に込めた思いが本当は別のところにあったことがわかります。
 「けれどそれは幻なのか。夢だけしか見なかった愚か者」
 「返されぬは無知への罰なのか。ああ、悲しくもわかりたい」

 彼が呪っていたのは自分自身。美しさでいうならまるで釣りあっていなかったくせに、無邪気にプロポーズを受けてもらえるものと信じきっていた、かつての自分の愚かさでした。
 妬ましい。憎らしい。そう、自分の不出来を棚に上げて美しい者たちを恨もうとしていた愚かしさ。

 「ねえ、どういう状況?」
 「あの人がセレナ様に告白したんですって。しかも歌の代わりに指輪を渡して」
 「え、愛のさえずりも無しに!? ディーヴァ相手になんて無謀な」
 「ええ。セレナ様は美貌と美声を兼ね備えた鳥族の誇り。かわいそうだけど、あれじゃ釣りあうわけないわ」

 このときアンテルが歌わなかった理由はまだ明らかになっていません。でもまあ、今話の流れからすると(そしてアニメ版メルクストーリア全体の流れからしても)、おそらくは自信がなかったんでしょうね。自分の歌声でセレナの心を射止められるとはとても思えなくて、だから代わりに別の美しいもの、指輪でごまかそうとした。今のところはそう見えます。

 この風采の上がらなかった青年が、今ではパルティシオじゅうの羨望を一身に受けるディーヴァにまで成り上がりました。
 いったいどれほどの努力を重ねてきたんでしょうね。彼にここまでさせたのは、セレナと釣りあうようになるためか、それともヴォイシアからセレナの声を取り戻すためか、あるいはかつて自分を袖にしたセレナの心情を理解するためか。彼の歌った詞にはいくつもの強い感情が渦巻いていて、いずれかひとつだけの理由ではないように思えます。

 アンテルにとって美しさとは絶対条件。愛しい思いひとつ伝えるにも相手と対等のステージに立つことを求められてしまったため、彼はなんとしてでも美しくならなければなりませんでした。

 そう。本当にただの条件でしかなかったはずなんですよね。
 アンテルの思いは密かにセレナへ伝わっていました。彼女は贈られた指輪に込められた熱情を確かに受け取っていました。
 それでも彼の求婚を断らなければならなかったんです。彼が美しくなかったという一点を理由に挙げて。
 「そのような身なりで、歌うこともできない男の手を、私が取るなんてありえませんわ」
 どうして“美しさ”にこだわらなければならなかったんでしょうか?

 そのあたりの価値観は次話で明らかになるんでしょうけれど。
 ただ、今わかる範囲において、私はアンテルが不誠実であったように思います。

 当時セレナはすでにディーヴァでした。
 彼女は美しくあることを周囲から期待されていて、彼女自身それに応えられるだけの気品を湛えていました。彼女が自分の美しさを大切にしていることくらい、誰が見ても一目でわかります。初見でも今話のアニメがはじまって15秒もすればわかることです。
 立ち居ふるまいに気品があり、歌も巧みであるということは、彼女はけっして生まれつきの美しさだけでディーヴァになったわけではありません。彼女は美しくあろうと努力する人でした。

 なのに、どうしてアンテルは彼女のその努力を貶めるようなことをしたんでしょうか?
 アンテルは野暮ったい服装のまま彼女に思いを伝えました。
 アンテルは自分の歌声を磨くのではなく、指輪という代替品に頼ることを選びました。
 美しくあろうと努力している人に対して、美しくなる努力を放棄しながら愛を語りました。
 それは・・・傷つきますよ、セレナからしたら。
 自分が大切にしているものに理解を示してもらえなかったわけですから。

 アンテルにとって美しさとは条件でした。
 セレナにとって美しさとは執着するものでした。
 その一方でフォルナにとって美しさとは、そういうメンドクサイものではなく、純粋な憧れでした。

 憧れ。
 元を正せばアンテルやセレナにも憧れていたものが何かしらあったはずです。
 だって、ふたりともそれぞれフォルナに負けず劣らずの努力を重ねてきたはずですから。今のふたりの美しさを見ればそんなの明らかです。ふたりが美しさに付随する何かのために途方もない努力をしてきたことくらい。

 フォルナはふたりの過去を映す鏡です。
 彼女の紡ぐ瑞々しい物語がアンテルやセレナ(、あるいはヴォイシア)の物語と重なったとき、彼らを苦しめている“美しさ”の本来の姿が明らかになることでしょう。

 ・・・たぶん?(ヒヨる)

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    コメント

    1. 匿名 より:

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      ディーヴァとディーヴォの違いも気になりましたが
      女性にブラヴァではなくブラヴォと言っていたのにはびっくりしました

    2. 疲ぃ より:

      SECRET: 0
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       日本国内のコンサートだと女性演者にもブラヴォを使う人いっぱいいますしね。外来語としてある程度市民権を得ているのなら、それに倣うのも間違いではないんですよね。知っていると違和感がありますが。
       “テンション”とか“コンセント”とかが原語と違う意味になっているみたいな感じ? (ちょっと違う?)

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