わんだふるぷりきゅあ! 第19話感想 なりたい自分になる方法。

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私にできるの? ユキや、いろはちゃんたちみたいなことが。ユキを守りたい。――そしてもしも、それが私にできるなら・・・!

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「キュアリリアン、誕生!」

大きな出来事

メインキャラクター:まゆ

目標

 ユキと仲直りする。

課題

 まゆは昔から極端に怖がりで、そのせいで友達の輪にうまく混じれずにいた。ひとりさびしく身を震わせているとき、いつも彼女の心の支えになっていたのがユキだった。
 今、ユキはたとえまゆに嫌われることになったとしても、まゆの身の安全だけは守ろうと覚悟を決めている。しかし、そのやりかたではまゆの心は守られない。

解決

 まゆは昔から他人のために尽くすのが好きな子だった。怖がりのせいでうまく輪に馴染めずにいたとしても、まゆ自身に周りと関わろうとする強い思いがあることは変わらない。その思いを受け取ることができた人はみんな、まゆのことを好きになるだろう。
 ユキだってもちろんまゆのことが大好きだ。ずっと一緒にいたいと思っている。

 だから、ユキが自分の“好き”を諦めてでもまゆを守ろうとするのなら、その必要がなくなるくらいまゆが強さを示せばいい。
 まゆは、自分の臆病な性分を突き破ってでも、関わりたいと思う相手のことを思いやれる子だ。

バトル

苦戦

 前話で戦ったハムスターのガルガルが、さらに身体を小さくするビームを放てるようになった。ビームを受けたキュアワンダフル、キュアフレンディ、キュアニャミーでは体格差がつきすぎてまともに戦えない。
 しかもこのガルガル、前話でユキに痛い思いをさせられたことを根に持っているようで、彼女を執拗につけ狙っている。

勝利

 ユキのことを守りたいと願うまゆの思いに鏡石が応え、キュアリリアンへと変身させてくれた。ユキは難しい表情をしているが、これこそが本来まゆのやりたいことだった。
 臆病なまゆだからこそ、怖い思いをしてパニックを起こしているガルガルの気持ちがよくわかる。

ピックアップ

再入荷

 12個×4段×5箱=240個・・・!? 大ヒット商品じゃん!
 しかも実際焼きたてパンみたいな気軽さでごりごりハケてくじゃん! まゆのお母さん、この行列ワンオペで捌いてるの!?

 ところで今作のPretty Holicってお母さんの言いかたからして個人店だと思っていたけど、Pretty Holicのロゴが入った段ボールで入荷してくるってことはもしかしてフランチャイズだった? メーカーに製造委託してたら普通はメーカーの段ボールで入ってくるよね。
 ・・・でも自社工場だったら一度に240個も発注しないよね。これが個人店としてメーカーに発注していたなら、単価を下げるためにまとめて作ってもらうのもわかるんだけど。

リリアン編み

 レーヨンを編み込んでつくった、細めの毛糸くらいの紐のことをリリアンという。レーヨン素材らしい肌触りのよさと、中空になっていることによる軽い風合いや伸び縮みのよさが特徴。
 子どもの手でも扱いやすいため、昔から手芸遊びのおもちゃとしてよく使われている。筒状に編んでブレスレットにしたり、ちょっと手間をかけて編みぐるみにしてみたり。

ハムスター

 ハムスターってとりあえず登るよね。そしてボトッと背中から落ちるよね。
 猫と違ってマジで受け身を取れずに落下するし、大した意味もなく高いところに登ろうとするため、ケージから出して遊ばせてあげるときは目が離せない。

 ここ1ヶ月ほど自分の本来の業務と全然違う仕事を臨時でやらされてまして、残業時間とストレスと私生活の破綻っぷりがやべーことになってまして・・・。そろそろ週末だけでも睡眠時間を確保しないと体力が追いつきません。
 お返事できていないコメントが大量に溜まっていて申し訳ないのですが、あと1~2週間ほどこんな感じが続くと思います。・・・2週間でなんとかなればいいなあ。

Let’s drop the curtain!

 「プリキュア! マイ・エボリューション!」

 これから挑みにいくのは分厚い緞帳の向こう側。
 客入りはいかほどでしょうか。席数は200? 400? それほど1000?
 いずれにせよ、間もなくあなたは学校のクラスメイト全員を集めたよりもはるかに多い大人数相手に、自分の本当の姿をさらけ出すことになります。

 練習は充分でしょうか?
 心構えは完璧でしょうか?

 登校初日の自己紹介がそうだったみたいに、舞台上では何が起こるかわかりません。
 事前の練習どおりにことが進むほうが稀なくらいです。
 だって、舞台上には人、人、人。
 舞台の外にも人、人、人。
 自分ひとりじゃない、たくさんの人たちで織りなす物語が、ここに始まるんですから。

 不安でしょうか? 緊張するでしょうか?
 それとも――、ああいや、“そうだからこそ”、昂揚するでしょうか?

 大丈夫。あなたはひとりじゃない。
 あの子はいつだって一緒にいてくれます。離れていても、離れはしない。
 三千世界の宇宙の果て、今のあなたには想像もつかない遠い舞台に立ったとて、あの子はいつだってあなたの傍にいてくれるはずです。

 さあ、おめかししましょう。今からあなたは一歩先へと進みます。
 目元にきらめきを。リップにキュートさを。
 お化粧はホンモノのあなたを覆い隠す仮面ではありません。
 あなたがみんなに見せたいと願う、あなたの心のなかにある真実の輝きを、自らの手で、今こそ表現するのです。

 じりじりと熱い、合計数千ワットに及ぶシーリングライトとサスペンションライトの白い光の渦に目をくらくらさせながら、開演した舞台に立つあなたは自然にほほ笑むでしょう。

 「結んで紡いでつながる世界! キュアリリアン! こわくない、こわくない」

 今始まったのはあなたの物語。
 数百、数千、数万人とつながり彩ってきた、輝くあなたの物語。
 ライトの向こうで目を輝かせている観客たちは、あなたを見たくて、あなたを知りたくて、ここに集まってくれました。
 だから大丈夫。こわくない、こわくない。ここにあるのは絶対に楽しいことばかり。

Embraced in the cocoon.

 「プリキュア! マイ・エボリューション!」

 あなたが何者にも脅かされず自由に跳びまわっているのは七色の繭のなか。
 すぐ外には冷厳たる冬の夜空が広がっています。

 彼女と出会うまで、あなたはこの冬空が骨をも貫く寒さだと気付いていませんでした。はらはらと舞う雪の結晶が美しいものだと気付いていませんでした。
 月光に冴えるあなたの瞳が、雪粒よりも白いあなたの毛並みが特別に美しいものだと、あなたは知らずに生きてきました。
 かつて、身のまわりにあるものは全てが当たり前にあるもので、ひとりでいるときはそんなものにいちいち感動なんてしていませんでした。

 あなたを今のあなたたらしめたのはきっと、彼女があなたの美しさ見つけてくれたからこそです。

 大丈夫。あなたはひとりじゃない。
 ここには彼女の見つけてくれた“あなた”がいる。
 あなたがいる。あなたがあなたらしくいられている。それはつまり、彼女が今日もあなたを見守ってくれているということです。

 さあ、着飾りましょう。今こそあなたは一歩先へと進みます。
 ほっぺにきらめきを。リップにキュートさを。
 お化粧はホンモノのあなたをごまかす虚飾ではありません。
 あなたがみんなに見せつけてやりたいと願う、あのとき彼女の瞳に映ったあなたの真実のきらめきを、自らの手で、今こそ現出させるのです。

 あなたの相貌が美しいのは、彼女が見出してくれたから。
 あなたの心が暖かなのは、彼女が温もりをくれたから。

 なのに、困ったことにあの子はいつも自信なさげにしているのです。

 「気高くかわいくきらめく世界! キュアニャミー! 仕方ない、構ってあげる」

 仕方ないから見せつけてあげましょう。彼女のくれた奇跡がどれほどステキなものだったのかを。
 あなたは自分が誰よりもキレイだと思っています。
 なぜなら、誰よりもキレイな感性を持つ彼女に褒めてもらえたからです。
 彼女の尊厳を守るためにこそ、あなたはいつだって誇り高くあらねばなりません。

そんな、my evolution

 「これ、ユキをモチーフにしたんでしょう。かわいいだけじゃない、『大好き!』って気持ちが伝わってくるもの」

 「このコンパクトを持った人はみんな笑顔になるの。うれしくて、誰かに見せたくなって、見せられた人も笑顔になって、幸せがつながっていくの」

 「まゆはすごいわ。大勢の人たちを笑顔にする力があるんだから」

 それはお母さんがまゆを喜ばせるために大げさに言っただけのようで、実のところ、お母さんから見た嘘偽りないひとつの真実でした。

 「そんなことない。猫のデザインはもともと人気あるし、私にそんな力は・・・」

 まゆは思います。まゆには見えます。
 自分なんてそう大した人間じゃないってこと。

 もし自分が本当にそんなすごい人だったとしたら、ユキとケンカなんてしなかった。ユキに守らなきゃと使命感を抱かせることもなかった。
 ユキの飼い主は自分。本来なら自分こそがユキのことを守らなきゃいけない立場。それなのに自分が不甲斐ないから、ユキに余計な気苦労をかけて、そして余計なケンカまでしてしまった。

 小さなころからずっと怖がりで、周りのみんなに迷惑ばかりかけてきました。
 当たり前に楽しんでいるみんなが自分のせいでつまらなそうな顔をするのを見たくなくて、だんだんひとりでいることが多くなっていきました。
 そのくせ、ひとりぼっちでいるのもそれはそれで心細くて。

 そういうとき、いつもユキに助けてもらってばかりでした。

 ユキが傍にいて守ってくれなかったら、自分なんか普通の人よりずっと劣っている、ただの役立たずで。
 こんな自分の考えるデザインなんか絶対に優れているわけなくて――。

 「これ、覚えてる? まゆが小さいころにつくってくれたリリアンのブレスレット。――まゆは昔からものづくりが大好きだけど、つくったものはほとんど人にあげてしまったでしょう。時間をかけて一生懸命つくったものを全部あげちゃう。喜んでもらえるのが嬉しいからって。そういうまゆの優しい気持ちが、みんなの幸せを紡いで、つなげているのよ」

 お母さんはなおもピントのズレた励ましを言ってきます。

 気持ちが優しいからいったい何だというのでしょう。
 優しかったらみんなを困らせても許されるって? 優しかったらユキにかわいそうな決意なんかさせなかったって?
 そんなわけない。だって、まゆは友達がいない子です。まゆが一緒にいるだけでみんなは幸せそうじゃなくなってしまいます。ユキも、まゆのせいで全然幸せそうじゃない、むしろ悲しそうな表情を浮かべて「まゆを守る」って言っています。

 たとえ自分が優しかったとして、何かを変える力のない自分が誰かを幸せにできるはずがありません。
 そういうのはきっと、こむぎとか、いろはとか、それからユキとか、そういう特別な力と優しい心を兼ね備えた子たちだけが成せるものでしょう。

 そう、思うのです。
 お母さんと違ってまゆはまだ14年くらいしか生きていませんが、その14年の人生全部を踏まえた経験則として、まゆなりにそう理解しているのです。

 「ユキだってそう。まゆがつくった首輪のチャーム、すごく気に入ってた。まゆの気持ちがうれしかったのよ」

 一方でお母さんはあくまで主張します。
 優しい気持ちは人を幸せにするんだって、不思議なくらいに確信した口調で語りかけてきます。

 それは・・・、たしかにユキは喜んだかもしれない。
 だけどそれはユキが自分のことを好きでいてくれたから。

 まゆだってユキに優しくしてもらうとうれしいって感じます。
 ユキのことが好きだから。

 「でも、私、ユキに嫌われちゃったかも・・・!」

 それはつまり、ケンカしてしまった今となってはユキはちっとも喜んでいないだろうってことでもあって。

 やっぱり、自分は大したことない人間なんだって思います。
 たまたまユキみたいなステキな子に好きになってもらえていただけであって。

 「でも――、一緒にいたいんでしょう?」

 お母さん、どうしてそこまで気持ちなんかにこだわるんだろう?

見えかた

 「ユキ。いつも傍にいてくれたよね。私が怖がってるときも、心細いときも。いつも一緒にいて、『大丈夫だよ』って励ましてくれてたでしょ。言葉が通じなくても伝わってたよ。ありがとう。いつも助けてくれて」
 「・・・それは私のほう。まゆがいてくれたから。まゆがいなかったら、私は――」

 ユキがまゆを守ろうとするのは、きっと自分が頼りない飼い主だから。そしてユキが特別に優しい子だから。
 まゆはそういうふうに考えます。

 ですが、私たちはすでに知っています。
 ユキがまゆを守ろうとする理由。それはただユキが優しいからというだけじゃなくて、まゆのことが好きだからというだけでもなくて、――それは一種の恩返しでもありました。
 冬の山村から連れ出してくれたこと、誰かと一緒にいる温もりを教えてくれたこと。ユキはまゆが思っているよりずっと深く感謝しています。返しても返しても返しきれないくらい、大きな恩を感じています。

 まゆのほうはそういうふうに思っていないでしょう。
 あのときまゆの家の飼い猫になるのを選んでくれたのはユキのほうでした。まゆはただ、好奇心に引かれてユキと毎日お喋りしてただけで、キレイな仔猫だなあって思っていただけで。うちに来ないかと誘うことすらありませんでした。
 ユキが自分の飼い猫になってくれて、感謝しているのはむしろまゆのほうでした。

 人にはそれぞれ主観というものがあります。
 そして、人は自分の身に起きたことを主観でしか認識できません。だって私たちの目は顔の正面についた2つきりしかなくて、私たちの脳はその目に直結した1つきりしかないわけですから。
 それ以外の視点から我が身を省みるためには、別の誰かの視点が必要になります。

 「まゆはすごいわ。大勢の人たちを笑顔にする力があるんだから」

 お母さんは言っていました。まゆはすごいって。
 まゆ自身は全然そういうふうに思えなかったとしても、お母さんからすればまゆはすごい子でした。誰にもできないことができてしまう特別な子でした。

 まゆが自分はすごくないと思うこと。お母さんがまゆはすごいって思うこと。その2つは同時に成立しえます。
 なにせどっちも主観なんですから。別におかしな話じゃありません。

 それを踏まえたうえで、さてもう一段階。

 「でも――、一緒にいたいんでしょう?」

 お母さんはまゆの気持ちをものすごく大切に考えてくれていました。
 具体的な実績よりも、むしろまゆがどういうことを考えているか、まゆが何をやりたい子なのかを第一に考え、それを本人に認めさせようとしていました。

 私たちは主観の世界を生きているからです。

 私たちの視点に客観というものはありません。仮に客観だと感じているものがあるとすれば、それはあなたが勝手に第三者視点だと思い込んでいるにすぎません。その客観モドキにおける評価は全て、あなたが自分の価値基準で評価したものです。
 本当の意味での第三者視点は、それこそ第三者から意見を求める以外に得ることができません。

 だからお母さんはまゆに、何よりもまず自分の気持ちを大切にさせようとするんです。
 結局のところ、自分にできないと思い込んでいることは絶対にできないものだから。
 自分にならできると信じていることなら、うまくいく可能性も増すから。
 「絶対にできるようになる」とは断言しきれないのが残念な話ですけどね。

 「そういうまゆの優しい気持ちが、みんなの幸せを紡いで、つなげているのよ」

 お母さんはまゆが本当はそういう子なんだって知っています。
 いくらまゆが否定しようと、お母さんから見たまゆはみんなを幸せにできる子です。
 そしてお母さんはそんなまゆのことが大好きだから、まゆ自身にとってもそういう子であってほしいなと、祈るのです。

 「私にできるの? ユキや、いろはちゃんたちみたいなことが。ユキを守りたい。――そしてもしも、それが私にできるなら・・・!」

 まゆにとって最も望ましいまゆとはいったいどんな子でしょうか。

 臆病じゃなくて。みんなと同じ、当たり前のことができて。やりたいことを貫く勇気があって。できれば、自分のやりたいことができる、ほんの少しだけ特別な力があって――。

 「ユキがいなくなるなんて考えられない! これからもずっと一緒にいたいから! だから、あなたは私が守る!!」

 My evolution. プリキュアの奇跡はそんな、ささやかな少女の願いを叶えます。
 プリキュアとは夢の前借り。いつか叶うだろう夢をほんの少しの間だけ体験できる、奇跡の時間。
 プリキュアになれたからには、まゆにはいつかその夢を叶えられるだけの力があるということです。

 思いが、これからのまゆのことを強く育ててくれます。

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    コメント

    1. 東堂伊豆守 より:

      プリキュア・my・Evolution
      猫屋敷ユキって“現状維持”への執着が強くて、変化―――それが進化Evolutionであっても―――を極度に嫌がるタイプなんですね。山奥で野良猫暮らしをしていた頃に人間を避けていたのも「慣れ親しんだ(というかそれしか知らなかった)孤独な野良暮らし」に執着していたからで。
      で、猫屋敷家にお招きされて“文明”暮らしに慣れ親しむと、今度はその「猫屋敷邸ぬくぬく(ときどき猫吸い)暮らし」に執着し、なにがなんでも守り通そうとする。
      してみると、ユキがまゆに人間化の事をあくまで秘密にしようとこだわったのも、人間化の事をまゆに知られることで二人の関係性が(どのような形であれ)変化してしまうことを恐れたから、という可能性が見えてくるわけで。(実際もう猫吸いしてくれなくなりそうだし)
      一方、
      猫屋敷まゆは変化への渇望が強すぎて、Evolutionでは納得出来ず―――革命Revolutionを求めてしまうタイプなんだと思います。漸進的な一進一退の進歩では納得出来なくて、急進的な一気呵成の進歩を求めてしまうタイプ。
      で、そんなドラスティックな変化はそうそう上手く実現出来るものではなく、何度も失敗―――100の成功を狙って50か30の成功しかつかめなかった―――を重ねた結果……「自分は“何も”出来ないダメな人間」というネガティブなセルフイメージに取り憑かれてしまうことになった、のかと。
      ただ、そんな猫屋敷まゆがこれまで唯一成功させられた革命が「父親の言いつけに逆らって、人間を避ける野良猫―――後の猫屋敷ユキ―――を猫屋敷家にお招きした」ことで……以後まゆは「成功した革命という“過去の栄光”にすがりつく(猫吸いはその象徴的行為)」ことで自分を慰めるようになっていく。
      そんな形でいささか生ぬるいもたれ合いの関係になっていた猫屋敷姉妹の前に、ガルガルとプリキュアという「ぬくぬく猫吸い暮らし」を終了させ得る存在が現れたとき―――ユキは変化=ぬくぬく猫吸い暮らし終了を阻止すべくガルガルとプリキュアの存在をまゆの前から消去せんともくろみ、一方まゆはガルガルとプリキュアの中に変化=2度目の革命の可能性を見いだしていった―――ということなんだと思うんですよ。
      かくして、「EvolutionもRevolution2.0も断固阻止する守旧派」ユキvs「Revolutionに命を燃やす闘士」まゆが激突。そして生まれたのが―――プリキュア・our・Evolution(猫屋敷姉妹の漸進的進化)という折衷案、だったのかと思うんですが、さて。

      • 疲ぃ より:

         猫吸いはどうかな・・・?(虚無顔を眺めつつ)

         ユキが現状維持を好んでいるのは明らかですが、その割に自分がプリキュア化した奇跡はすんなり受け入れているんですよね、あの子。
         安定志向をはねのけるくらいまゆとお喋りできるようになったのが嬉しかったということでしょうが、つまりそのくらい、本当はユキにもevolutionを受け入れられる余地があるってことなんですよね。
         だいたいユキ自身、まゆの前のめりっぷりに救われた身だというのに。・・・ここまで過保護になるとは、いったい何があったというんだ・・・。

    2. 亀ちゃん より:

      前週の日曜は4人目のプリキュアであるキュアリリアンがデビューした話でした
      ユキが猫の姿の時に「例えまゆに嫌われても」というセリフはプリキュア的にも土日に放映歴があるアニメ的にも感慨深さがありますね
      これからもというセリフもやっぱり私の経験談的に感慨深いです
      キュアリリアンが「私は敵じゃない」とガルガルに言い放ったことで、それいけアンパンマンにて案の定自身が洗脳されそうなロールパンナに対して「ぼくは敵じゃない!!」と言い放ったことが印象的な台詞なので、これは女の子に大人気のアニメ的に感慨深いですね

      >で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は岡山県内の個人経営のパン屋のことで
      9年以上前から今でもある岡山県総社市内のエビスパンは水曜が定休日でしかも夜の7時まで営業しているゆえにリーズナブルで、抹茶のクリームパンは出出しちょっぴり幸せな気分になれました!!☆☆♫
      だから今後も総社のコンビニに行く用事を促進させるために、2回目に買い食いした時はもっと幸せな気分になれる度合いが上がって、なおかつ旨味なども感じられるようになっていて欲しいところです

      • 疲ぃ より:

         守るためにまゆの敵に回る覚悟を持つユキと、守るためにガルガルの味方であろうとするまゆで、良い対比ですね。
         子ども向けアニメは基本的に「(視聴者たる)子どもの未来には無限の可能性がある」という前提でストーリー展開するので、こういうとき安易な自己犠牲にはしらず貪欲に幸せを追い求める姿勢が肯定されるところがすごい好きです。

    3. イガイガ より:

      猫組の変身アイテムが対象年齢が従来よりも上の世代を狙った本物の化粧品として発売されたのを見て『美少女戦士セーラームーン』の初期の玩具もそうですが、90年代にプリキュアと同じ枠で放送されていた『夢のクレヨン王国』のアイテム、『おまじない香水びん』をモチーフとした玩具の『ジュエリーコンパクト』(対象年齢15歳以上)も思い出しました。『セーラームーン』のネイルグロスなども当時は「子供に化粧品を使わせるなんて」などと言う声が殺到したと聞いて私はこう思いました。「同じ一昔前の少女向けの漫画でもコスメ系の玩具を対象年齢を上げた本物の化粧品として商品化したならそれは『ママレード・ボーイ』や『ご近所物語』の様な現実的な日常恋愛ドラマで統一するべきだった」と思っています。それらの作品と同じく少女漫画原作もそうですがそれよりも上の世代向けのレディコミで連載されている漫画も子供向けの内容に映像化して。あと以前返信した通りジャンルが同じ「戦闘魔女っ子もの」でもコスメ系の変身アイテムを本物の化粧品として商品化するなら高い年齢層を狙ったオタク向けの魔法少女シリーズでやった方が相性良かったと思ってます。例:『プリティサミー』『リリカルなのは』『まどかマギカ』…など。ただ、それらはあくまでもどちらかと言うと男性をメインターゲットとしているのですが、もし作風が少年漫画原作の作品で言うと『うる星やつら』『Drスランプアラレちゃん』『ストップ!ひばりくん』『キャッツ・アイ』の様な感じの作風だったら違和感ないと言う事で実現したでしょうね(この場合内容的にも忠実よりも万人受けになっていた)

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