HUGっと!プリキュア 総括感想 何も持たない少女がヒーローになるに至った物語。

フレフレみんな。未来は輝いてるよ。またね!

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 ヒーローってカッコいい。
 だって、どんなときでも強いから。
 たとえ強敵に追い詰められたって、たとえ甘い誘惑を持ちかけられたって、絶対に正義を曲げない。
 どんなに苦しくても、どんなに悲しいことがあっても、諦めない。最後には必ず勝つ!

 そしてそんなカッコいいヒーローが言うんです。
 「君もヒーローになれるよ」って。
 それはもう、力強く。

 だから、早く大きくなりたいなあって、楽しみになります。
 早く憧れのヒーローみたいになりたいなあって、がんばろうと思います。

 なんでもできる、なんでもなれる。

 「やめて! みんなカッコ悪いよ!」(第31話)
 野乃はなの物語は挫折からはじまりました。

 「なんでもできる」なんて嘘っぱち。
 なんでもできるのはヒーローみたいに力ある人だけ。
 「なんでもなれる」なんて嘘っぱち。
 なんにでもなれるのはヒーローみたいに特別な人だけ。

 「はぐたん。私ね、大きくなったらなんでもできる、なんにでもなれるって思ってたの。なのに何も、なにもできないよ・・・」(第10話)
 ヒーローに憧れる子どもたちは、実際にはヒーローのような無敵の強さを持ちません。
 いくら大きくなったってできないことはたくさんあります。
 だからヒーローみたいな信念を貫こうとしたって、結局何も変えられず、現実との摩擦でただただ自分が傷ついていくばかり。

 「夢を見るのはけっこう。だが、叶わぬ夢はキレイゴトだ」(第48話)

 ヒーローを夢見たって、ヒーローを目指してがんばったって、どうせ人はヒーローになれません。
 本当はヒーローになれないのなら、どうして「君もヒーローになれるよ」なんて言うんだろう。

 「大丈夫、はなは間違ってない。もう我慢しなくていい。はなの未来は無限大!」(第23話)
 どうして――、あんな陳腐な言葉で私の心は救われたんだろう。

 「なんでもできる」なんて嘘っぱち。
 「なんでもなれる」なんて嘘っぱち。
 ヒーローになんかなれっこない。無力な子どもじゃ正しいことをしようとしても負けてしまう。
 ・・・そんな挫折を味わったばかりだったのに。

 そのはずなのに。

 「ここで逃げたらカッコ悪い。そんなの、私のなりたい“野乃はな”じゃない!」(第1話)
 挫折して、もう一度立ち上がるところから、野乃はなの物語ははじまりました。

応援

 はなにとって、さあやとほまれは自分とはちょっと違う子たちでした。2人とも大人っぽくて、優しかったりカッコよかったり、はなにはできないことができて、そしてそれぞれ特別な才能を持っていました。

 「色々考えすぎちゃうのかな。この人は私に何を求めているんだろう。何が正解なんだろうって」
 「私は母のようになりたいのか、それとも・・・。だんだんいろんなことがわからなくなっていって、女優になりたいかどうか、自分の気持ちもわからなくなっちゃった」
(第7話)

 「やめて! ・・・ごめん。今の私には――」(第4話)
 「ごめんね。応援してくれたのにキツいこと言っちゃった」(第5話)

 2人の苦悩をはなは理解することができませんでした。
 さあやの悩みは、まわりの人からの期待に疑問を抱いてしまう漠然とした不安。
 ほまれの苦しみは、まわりの人からの期待に応えられなかった自分への失望。
 どちらも才能があって、まわりから大きな期待を向けられている、特別な人間だからこその苦悩です。これといった才能のない、彼女たちほど大きな期待を向けられたこともないはなが理解してあげることは不可能でした。

 少し前までのプリキュアならそれぞれの苦悩に主人公が深く介入して、協力しながら解決の道を探っていったものなんですけどね。はなとさあや、ほまれの関係では残念ながらそういった手段を取ることができません。
 本作『HUGっと!プリキュア』は、そういう理解しえない“他人”を救済するための物語でした。

 「そっとしといたれや。充分がんばっとるヤツに『がんばれ』言うのは酷やで」(第5話)
 「君って無責任だね。『がんばれ』って言われなくてもほまれはがんばるよ。応援なんて誰にでもできる。その無責任な『がんばれ』が彼女の重荷になっているんだよ」(第8話)
 こういう考えかたがあります。
 相手の事情をよく知りもしないのに、安易に「がんばれ」と言って追い詰めてはいけない、と。
 正論だと思います。この残酷な善意のせいで辛い思いをしてきた人なんて、きっとそこらじゅうにいるでしょう。もう何年、何十年と様々な場所で悲痛な声があげられてきた話題です。

 ですが、その一方でこういう考えかたもあります。
 「人を応援するってすごく難しいことだと思う。でも、このままじゃ・・・」(第5話)
 傷つけてしまうことを恐れて誰も「がんばれ」を言ってくれない、誰も傍にいてあげないのって、それはそれでいつまでも救われない、立ち直りようのないことだ。孤独な人はいったい何に頼って心を癒やせばいいのだろう。

 はなはさあやとほまれの苦悩を理解してあげることができません。
 ですが、はなにとって2人は友達でした。
 できれば笑っていてほしいと思う子たちでした。
 「てぇーい! ・・・さあやがこーんな顔してたからさ」(第7話)
 だから、悩みをわかってあげる代わりに、とりあえず水遊びに誘うことにしました。
 「あんなほまれちゃん、やっぱり放っとけない!」(第5話)
 だから、苦しみをわかってあげられないなりに、それでもひとりにさせてしまうのは良くないと考えました。

 さあやとほまれの個人の物語においてはなが大きく活躍していたのって、実は序盤だけなんですよね。
 さあやが医者を志すことになる過程で彼女に大きな影響を与えたのは彼女のお母さんや産科医の先生。ほまれが大きな大会で優勝するまでの過程で彼女に大きな影響を与えたのはハリーとアンリでした。
 はなはほとんど関わっていません。要所要所でフレフレしていたくらい。

 ですが、それでいいんです。
 「もうすっごくがんばってる人。その人にどんな応援ができるのかなって」
 「何でもいいんじゃない? ファンレターも嬉しいし、プレゼントもそりゃ嬉しいし、けどちっちゃいコメントでも『がんばれ』って言われると俺ちゃんは嬉しいの。どんなにがんばってる人も、がんばれないときはあるからさ。そんなときに今までもらった『がんばれ』が効くのよ」
(第42話)
 はながさあやとほまれのためにしてあげたことって、直接彼女たちの問題を解決するためのものではないので。

 はなの「がんばれ」は、当時挫折していたさあややほまれの心に元気を吹き込みました。
 たったそれだけのことですが、それだけのことがどうしても足りなくて膝をついたままの人のなんと多いことか。
 けれど元気を取り戻してもう一度立ち上がったなら、あとは2人が自力で解決のための努力をはじめる番。もともと自分の問題なんです。そこから先は誰も手助けしてあげられませんが、世界で唯一自分だけはなんとかすることもできるでしょう。
 応援は、それぞれの問題解決のために唯一立ち向かえる人(本人)を奮い立たせることができる――。

 だからこそ、理解しえない“他人”を救済する物語に意味があるんです。

 えみるとルールーの物語は、はなの応援の意義を別の視点から捉え直すものとなりました。
 「カッコいいね。えみるは隠れてみんなを守る、ヒーローなんだね」(第9話)
 「ルールーのことが好きだもん。今さら嫌いになんてなれない」(第17話)
 立ち上がることができたのははなの応援のおかげ。それからの2人の行動指針もはなの影響を受けてのもの。
 けれど、彼女たちははながまだ気付いていなかった大切なことに、はなよりも先に気付くことができました。はなにそれを教えてあげることができるようになりました。

 「みんなに笑顔が。アスパワワが。――笑顔は、守るだけじゃない。笑顔が、みんなのアスパワワが、力をくれる!」(第24話)

 彼女たちはふたりでプリキュアになろうと決めました。
 「ルールーはきれいでカッコよくて、強い“心”を持っているのです」
 「私は、一生懸命なかわいらしい“心”を持っているあなたが、とてもうらやましい」
(第18話)
 お互いがそれぞれ自分に欠けているものを持っているような気がしたからです。

 もともと2人は自分に自信がない子たちでした。
 えみるはやることなすことことごとくうまくいかない劣等感から、ルールーは生まれてこのかた愛されることを知らずに生きてきた己の空虚さから、それぞれカッコ悪い自分の現況にコンプレックスを抱いていました。
 はながそれぞれにかけてくれた言葉は、彼女たちの自信をほんの少しだけ充足させてくれるものでした。
 2人の出会いも、お互いに尊敬しあうことでそれぞれの自信をいっそう充足させてくれました。
 けれど彼女たちがプリキュアになれるほどの心の輝きを得るに至った背景には、もうひとつ忘れてはならない大切なきっかけがありました。

 「ケガはない、ルールー。・・・そう。よかった。じゃあ帰りましょう」(第18話)
 「ルールー! 見てください、ルールー! これ、ライブのチケットなのです! お兄様がくれたのです! これからは、おうちでギターを弾いてもいいって、お兄様が」(第20話)
 思いもよらない奇跡。
 絶対に自分を愛してくれないと思っていた人が、意外にも自分を愛してくれていたという奇跡のような出来事、実感。

 はなが応援してくれて、お互いが好きになってくれて、そして意外な人たちまで愛してくれて。
 そんな奇跡のような幸せのなかに身を置いて、彼女たちはひとつだけワガママを言ってみます。
 「プリキュアは諦めない。・・・どれだけ計算しても答えが出ない。分析不能。でも、信じる。奇跡を! 私はえみるといっしょにプリキュアになりたい!」
 「私も、私もルールーといっしょにプリキュアになりたい!」
 「お願い!!」
(第20話)
 はたしてそのワガママは叶えられました。彼女たちの生きる世界は思いのほか、そして常々実感していたとおり、本当は優しいものだったのでした。

 彼女たちの発見したこの奇跡が、はなの応援の意義を拡張することになりました。
 「みんなに笑顔が。アスパワワが。――笑顔は、守るだけじゃない。笑顔が、みんなのアスパワワが、力をくれる!」(第24話)
 はなの応援の特筆すべきところは、理解しえない“他人”をも救済できることにあります。
 たとえその人の苦悩を理解してあげられないとしても、その人のためにしてあげられることはちゃんとあるんだと。孤独な人に手を差しのべて、もう一度立ち上がれるよう元気づけてあげることくらいはできるんだと。
 いいえ。
 そうじゃないんです。
 「大好きがあふれる未来を描こう、大切な夢と一緒に。愛おしい思いを音に乗せ刻む。かき鳴らせ、いつだって singing together!」(挿入歌『LOVE & LOVE』)
 えみるとルールーは発見しました。そもそも私たちは最初からみんなに愛されていたんだと。みんな本当は悲しんでいる誰かのため何かしてあげたいと思っているんだと。
 ただ、その気持ちが普段はなかなか表に出なかったり、すれ違ったりしていただけで。“他人”だとか理解できないとか、全然関係なしに。

 はなのしてきた応援は、ただ、その普段はなかなか表に出ない気持ちを率先して表明することで、挫折してひとりで立ち上がれずにいる人の心に愛されている実感を呼び起こしているにすぎません。
 もちろんそれはそれで誰にでもできることではありませんが、はなも自覚していたとおり、こんなの特別な才能でも何でもありません。一度気付いてしまえば誰にでもできることです。

 はなが誰かを応援するたび、これからはなと同じことをしはじめる誰かが増えていくということです。
 みんな本当は悲しんでいる誰かのため何かしてあげたいと思っていて、そして実際にそういうことをしてまわっている人に出会うわけですから。
 えみるは大スターとなって活躍の舞台を拡げ、ルールーも未来に帰って歌を広め、はなのはじめた応援(愛)の輪はそれ以外にもたくさんの人を巻き込んで、どんどん広がっていくことになりました。

 理解しえない“他人”を救済する物語は、誰もが同じ思いを胸に抱く“同志”の物語へと変わっていきます。

未来

 「なんでもできる」なんて嘘っぱち。
 「なんでもなれる」なんて嘘っぱち。
 ヒーローになんかなれっこない。無力な子どもじゃ正しいことをしようとしても負けてしまう。

 そういうどうしようもない現実を知ったうえで、はなは再び立ち上がりました。
 「ここで逃げたらカッコ悪い。そんなの、私のなりたい“野乃はな”じゃない!」(第1話)

 ・・・自分の問題は結局のところ自分で乗り越えるしかないからです。そして、自分の問題であるかぎり世界で唯一自分だけは絶対に解決できる力を持っているからです。
 諦めないかぎり。たとえ何度膝を屈しても、そのたびにもう一度立ち上がることができるかぎり。

 「やめて! みんなカッコ悪いよ!」(第31話)
 はなは自分以外の他人を助けようとして一度失敗を経験しました。
 はなにできることは自分のことだけ。無力なはなに他人をどうこうできる力なんて無かったからです。
 だから、次は応援することにしました。自分がしゃしゃり出るのではなく、みんなに自分の力で解決してもらうことにしました。

 これはうまくいきました。
 それぞれの事情から苦悩している人たちを助けることができて、友達もたくさん増えました。
 けれど、無力なはずのはなにどうしてこんなことができたのでしょう?
 というか、そもそもはなはどうして“他人”を助けたいと思ったのでしょう?

 「大丈夫、はなは間違ってない。もう我慢しなくていい。はなの未来は無限大!」(第23話)
 簡単なこと。
 はな自身もお母さんから応援を受けた経験があるからです。応援されると挫折から立ち直れるくらいの勇気が湧きあがることをはなは知っていたからです。
 “他人”を応援したいと考えることにも不思議はありませんでした。だってかつてお母さんもはなを応援したいと思ってくれたわけですから。誰だってみんなの笑顔を見たいと考えることはとても自然なことでした。

 お母さんから受け継ぎ、はなが広めはじめた応援のパワーは次第にたくさんの人のところへ広がっていきました。
 はなは自分のことしかできない無力な女の子のはずでしたが・・・、どういうことでしょう。はなのはじめたことで、みんなが変わっていきました。みんながはなと同じく輝く未来を信じるようになりました。

 「なんでもできる」は本当でした。
 「なんでもなれる」は本当でした。
 みんなといっしょにがんばるのなら。
 「たとえバカにされたって、そんなの夢だって笑われたって、傷ついたって、私は何度でも立ち上がる。なんでもできる、なんでもなれる。フレフレみんな、フレフレ私。これが、――これが私のなりたい“野乃はな”だ!!」(第48話)

 今やはなは誰もが憧れるヒーローになっていました。
 もちろん他のみんなもいっしょに。

 「みんなの心にプリキュアがいる。みんなみんな、プリキュアなんだ!」(第48話)

 はなはどこにでもいるただの女の子です。誰にでもできることしかできません。
 だからこそ、みんなでいっしょにできることをして、みんなでいっしょに誰にもできないことを成し遂げることができました。
 未来にはどんなに苦しいこと、悲しいことが待っているのか、想像もつきません。
 けれど大丈夫。誰かが挫けそうになったときはまたはなが応援するでしょう。はなが挫けそうになったら他の誰かが応援してくれることでしょう。お互いを応援しあう愛の輪がつづくかぎり、何があったって未来は輝きつづけます。
 だって、もう誰も諦めないで済むんですから。

 なんでもできる、なんでもなれる。
 輝く未来を抱きしめて。
 「フレフレみんな、フレフレ私! いっくよー!」(第49話)

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