ちっちゃいいろはに優しくしてくれてありがとう、さくら!
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「動物園の推しアニマル」
大きな出来事
メインキャラクター:いろは
目標
みんなにさくらの優しさを知ってもらいたい。
課題
いろはが動物好きになったきっかけは、近所の動物園にいるお婆ちゃんゾウのさくらだった。さくらは巨体に怯える小さないろはの頬をそっと撫でてくれた。言葉を話せないゾウの優しそうな声が聞こえた気がした。
あのときの感動をこむぎたちとも共有したい。
解決
もともと好奇心旺盛なこむぎはもちろんのこと、恐がりなまゆやユキもさくらと直接会うとすぐに好きになってくれたようだ。
さくらがガオガオーンにされてしまうトラブルもあったが、どうやら動物園の動物たちもみんなさくらのことが好きらしく、またさくらの人となりを良く知ってくれていて、みんなで暴走する彼女のことを止めてくれた。
バトル
苦戦
ゾウのガオガオーン。巨体と怪力のせいで手がつけられない。
動物園の壁を壊してたくさんの動物たちを外に出そうとした。
勝利
素体であるさくら本来の人となりをよく知るいろはたちが根気よく説得した。
また、動物たちもさくらが自分の意に反して動物園を壊さないよう、みんなで彼女を止めてくれた。
ピックアップ
推し
なんか気がついたら一般化していたオタク概念。アイドル界隈の用語って伝播する範囲が広いよね。
古のアニメオタクなら“萌え”の精神がもう少し拡張したもの、と考えると理解がスムーズだと思われる。
それは恋愛感情ではない好意であり、それは応援せずにいられない熱情であり、それはアイドルとの間に壁を一枚挟んだままいつまでも見守っていたいという古式ゆかしいオタクスピリットでもある。
恋愛感情を抱いて一線を越えたいと望む場合は“ガチ恋”という別概念で区別される。
リスザル
サルの仲間のなかでは最も人懐こく、比較的ペットとして飼いやすい。一部の動物園ではふれあいコーナーにいて、気に入られると頭の上でお昼寝してもらえることもあるようだ。
ただし、それはあくまで気難しいサルのなかでの比較論なので要注意。犬や猫と比べたらはるかに飼いにくいし、まれに噛まれたり引っかかれたりもする。
とある帝国の首脳陣
この人はたぶんただのそっくりさん。
カンガルー
種によっては最大時速70kmで1日に100kmも走行することがあるとか。
樹上生活していた動物が先祖のため、元々枝と枝との間を跳び移るための強靱な腱を持っていたと考えられている。生活圏を地上に移してからも足の腱を強くするような進化を繰り返し、現在の姿となった。
ぽつん。。。
ユキはヘビが苦手。(復習)
ゾウ
寿命は60~70年ほど。体重4~7トンほどもある、いわずと知れた地上最大の動物。オスは成獣になるとひとり立ちするため、基本的にメスとその子どもたちで群れを形成する。
分厚い頭骨と大きな脳、よく締まった牙を持っているため頭部が重く、他の動物のようにいちいち首を下げて地面のエサを食べるのが難しい。鼻が長く進化したのはこのためだと考えられている。鼻というか、より正確には上唇と鼻がくっついたものらしい。たまに唇と鼻の間にペンを挟む人がいるが、つまりあんな感じだというわけだ。ゾウの鼻先はきわめて器用で、柔らかい豆腐ですら掴むことができるという。
大きく分けてアフリカゾウ、マルミミゾウ、アジアゾウの3種がいるが、さくらは耳が小さいことからアジアゾウだと考えられる。現実の日本の動物園で最高齢を記録したお婆ちゃんゾウもアジアゾウだった。
意外と直接の交流はなかったコラボ回。『ひろがるスカイ!プリキュア』だけでなくちゃっかり『魔法つかいプリキュア』もいました。あくまで映画を控えての顔見せって感じでしたね。
ストーリーの中心にいたのはあくまでいろはとさくら。
ザクロは動物たちが檻に閉じこめられていてかわいそうだと言いますが、それはあくまで人間嫌いである彼女が想像した動物たちの思い。さくらも他の動物たちも本当は動物園を出たいだなんて思っていませんでしたし、さくらと心を通じあわせたいろはもザクロよりずっと彼女の気持ちをよく理解していました。
なにかと自然状態とは異なる生活を送っている、人間と共存する動物たち。ニコ様はどうやら彼らの人間に対する思いに興味津々なようです。動物たちが人間と仲よく暮らしている姿を見るのがうれしくて仕方ない様子です。
いったい過去に何があったのか。少しずつ、察せられる情報が増えてきましたね。
理解と友情
「私も初めてさくらにあったときは恐かったよ。――あのときはまだ小さかったから」
懐かしい想い出。犬飼いろはの出発点。
それはただ動物園に行ったというだけ。ただちょっと、そこにいた動物に優しくしてもらえたというだけ。
お婆ちゃんゾウのさくらは気性が穏やかで、いつもみんなに優しい。動物園に遊びに来た人間たちにも、もちろん、一緒に暮らしている他の動物たちにも。その体験はけっして、いろはだけの特別なものなんかではありませんでした。
それでも、幼いいろはにとっては、目の前の世界が一気に拓けていくような特別な感動があったのでした。
「ウサギが怖いの?」
「うん・・・」
「ウサギもね、僕たちのことが怖いんだよ」
「え。そうなの?」
「僕たちのほうが大きいからね。怖がらせないように、手は下のほうからそうっと。ウサギって抱っこは苦手だけど撫でられるのは好きなんだ。耳には触らないように頭を撫でてみて」
誰だって初めて見る存在には警戒するし、どうすればいいかわからない状況には身がすくみます。
体の大きさに違いがあればなおのこと。でも、たとえ自分のほうが大きかったとしても、怖いものはどうしたって怖いのです。
きっと、それはどうしても克服しなければいけない類いの恐怖ではありません。
怖いものは怖いのだと、最初から線引きして自分から無闇に近づかないようにすれば、大抵のものごとは生涯やり過ごすこともできるのでしょう。
だけど、いざ最初の一歩を踏みだしてみれば。
そこには驚くべき発見があるかもしれない。
心通わせられる友達が待っていてくれるかもしれない。
「まゆちゃん。ふれあいパークどう? 楽しい?」
「もうすっごく!」
「やっぱり、自分の目で見て、触ることができるのっていいよね。図鑑だけじゃわからないことを動物園は教えてくれる」
「うん! だから私、ふれあいパークが大好き!」
もっとも。
その最初の一歩を踏みだす勇気は、別に幼いころのいろは自身が持っていたわけではありませんでした。
ウサギに怯える男の子に悟が声をかけてくれたように、いろはにはさくらのほうからふれあいに来てくれました。「いろはちゃん」――優しげな声まで聞こえた気がしました。
それはあくまで、最初の一歩を踏みだした人にしかわからない感動。
だけどそれはけっして、いろはが特別に勇気のある子だから体験できたことではありませんでした。
「ちっちゃいいろはに優しくしてくれてありがとう、さくら!」
あの日、たまたまそこにさくらがいてくれたから、今のいろはがあります。
根っからの動物好きになった彼女は、やがて周りのもの全てに怯えていた子犬を拾い、理不尽な苦労を負いながらも挫けることなく、何事にも物怖じしない元気な子に育つまでたくさんの愛情を注いでみせるようになります。
「動物園は好きじゃないの? まゆには興味あるのに? どうして人間と仲よくするの?」
最初の一歩のその先に、その人がいてくれました。
そして、その最初の一歩すら、その人が勇気をくれたから踏みだせたものでした。
きっと、人間と動物が仲よくなれる理由は、ただそれだけのこと。
「さくらに頬を触られたときにね、心が通じあえた気がしたの。動物とも友達になれるんだって。うれしかった!」
人間と動物にはたくさんの違いがあって、お互いわからないことだらけで、お互い怖く感じることもたくさんあって。
だけど、優しさがあればどんな違いも関係なかった。
本当は誰とでも仲よくなれた。
これはただそれだけのお話。
「気に入らないねえ、人間が動物を閉じこめるなんて。私が全部、壊してやる」
「そんなんじゃガオガオーンは止められないよ。『全部ぶっ壊したい』、それがこのガオガオーンの望みだからねえ」
「さくらは・・・、みんなが傷つくこなんて望んでない!」
ザクロの認知は明らかに歪んでいます。
よく「自分が相手の立場だったらどう思うか考えてみましょう」といいます。けれど、彼女の場合は「人間は憎むべき存在である」という前提に凝り固まっているため、彼女が動物園の動物たちの気持ちを想像してみても、悪いように、悪いようにしか思考が回らないのです。
正しく相手の気持ちを想像するには、まず前提条件から相手の立場に寄り添って考えてみる必要があるわけですが、彼女の思考はまだ自分の感性から遠く離れたところにまで届かないのです。
そのうえで、彼女たちは人間の話をまともに聞く気がありません。人間と共存する動物たちのことも哀れみの視線でしか見ていません。
こむぎたちがどんなに言葉を尽くしたとしても、けっして彼女たちの心に響くことはないでしょう。考えかたを変えさせることなんて不可能でしょう。
人間と彼女たちの間には決定的な断絶があります。なにせ、わけもわからないままひとつの種族を根絶やしにされたわけですから。
自分にとって異質な相手に対する恐怖。
怖いものは怖いのだと、最初から線引きして自分から無闇に近づかないようにすれば、大抵のものごとは生涯やり過ごすこともできるのでしょう。
しかるべき暴力を振るえるなら、恐るべき相手のことをろくに理解しないまま根絶させることだって可能でしょう。
きっと、それはどうしても克服しなければいけない類いの恐怖ではないのです。
・・・だけど、さくらの優しさは、種族の違いも、未知なる恐怖すらも越えることができた。
相手の心に勇気を宿し、自分と仲よくなってもらうための最初の一歩を歩ませることができた。
だからこれは、本当にただそれだけのお話なのです。
コメント
今日はみんなでふれあいパークに遊びに行く話でした
ひろがるスカイのプリキュアはむろん、魔法つかいのプリキュアも登場した話でもありました
ザクロが「気に入らないねぇ。アタシが全部壊してやる」というセリフは後半は私が好きな二次元作品的に聞き応えがあるセリフでした!!☆☆♬
それと気に入らないねぇは、のどか(キュアグレース)がお母さんのお姉ちゃんと呼称する(下の)お母様のお姉様はのどかのお母様と沢泉(ちゆの実家でもある温泉旅館)に姉妹ぐるみで仲良く話し合いもしながら楽しんでいると、それを見たキュアベースボールギャンブラーや女子寮の寮長(プリキュア=キュアバドミントンギャンブラー)らが主役のギャンブラーズプリキュアのレギーネに激似しているブサイクな乙女の敵幹部が
「気に入らないわねぇ。キュアグレースのお母さんとキュアグレースの(親戚の)伯母ちゃんが仲良く姉妹ぐるみで話し合っているのが」と口にしては、そのギャンブラーズプリキュア特有のやられ役であるアクマークを召喚しようとします
だから前半はプリキュア的に聞き応えがあるセリフですね!!☆☆♬
さらにユキも「別に。まゆが来たいというから来ただけ」というセリフも再びあって、Go!プリンセスプリキュアから始まったと思えるモジったセリフがギャンブラーズプリキュアの第5話でも女子寮の寮長が
「私はタダ、同い年の従姉妹を救いたくてプリキュアになっただけ」
というので、総合プリキュア的に聞き応えがありますね!!☆☆♬
そしてキュアフレンディ・いろはが「これからもずーっと大好きだよ」と言い放ち切ったことで、私がチェックしたことがある国語表現的に聞き応えがありますね!!☆☆♬
★与方さん
昨日はコロナ前の分まで、マツダスタジアムへドラゴンズ戦を見に行くことが出来ました!!☆☆♬
しかし2009年の春休みに開催された甲子園の時以来に不覚にも自宅にてケータイ(今現在はスマホ)を忘れてしまいましたが、プロ野球を広島の本拠地で現地観戦していて、当然広島のバッターのしつこさは今でも根強く感じられましたが、今では観られて充実感があります!!☆☆♬
ドラゴンズのラッキーセブンの攻撃では広島の先発ピッチャーである久里 亜蓮や2番手のハーン投手から4安打の集中打を浴びせても、1点を返すのが精一杯だったことが最大のジャンクションでしたね!!(汗)
もしラッキーセブンの攻撃では一二塁間の内野ライナー併殺打の後、結果的に3人で攻撃が終わるなど点数を取り上げることが出来なかった場合、4回の表のドラゴンズの攻撃でツーアウト三塁から4番の細川選手が空振り三振になぎ倒されたことが最大のジャンクションとなる試合でもありました!!(汗)
去年は2008年の4月の終わり頃から私がケータイを持ち始めて今でもソフトバンク一筋なので、ソフトバンクホークスに拍手を送っても、私がマツダスタジアムへ現地観戦しに行くと、2年連続2回目で通算18回を戦い抜いて本拠地の広島が2戦2勝ですね!!(笑)
今週の金曜は着任当初はマネージャーでレディースチーフに降格になっている眼鏡をかけている私の現職の会社の広島ファンがマツダスタジアムまで観に行きましたが…(苦笑)
★イガイガさん
今日もアイプリを視ました
するとアイカツスターズの初代エンディングテーマ=episode soloの3番の歌い出しではリボンをほどいて 自分を解き放つのよ
というフレーズがあって、「(前略)のよ」と言い放ったあたり、これは女児向けプリキュアにも交えられて欲しいモジったセリフですね!!(厳→咲)
キュアホワイトソックスがたった1人でウザイナーを次々と浄化するSplash Star風の私の自作小説の第3話ではキュアバドミントンギャンブラーに変身することは出来ない女子寮の寮長がバドミントンの勝負でピンクのブレザーや赤のスカート姿に着替えさせているキュアホワイトソックスに対して
「リボンを解いてその直後に(中略)のよ」
と言い放ち切ることがあり、こうなると女児向けプリキュアにて「(前略)のよ」と言い放つことで、小学生までの女の子に人気があるアニメ的にも総合プリキュア的にも聞き応えがあると言えるセリフですね!!☆☆♬
>で、今度はすべての閲覧者を対象に言いたい独り言のような雑談で、今回は広島市内のご当地グルメ系スイーツのことで
広島駅間近にあるおめで鯛焼きは広島駅間近の店舗限定であるお好み焼風のたい焼き(正規名称は鯉焼き)があります!!
買い食いしてみて高いだけあって良い素材を使っている感じがして、また食べたいですね!!☆☆♬
だから2回目に食べた時は旨味が初めて感じられたり、不思議なスパイスも効くようになって欲しいところです!!(厳→咲→輝)
言葉が話せない動物たちの気持ちを想像力で汲み取ろうという意味では、ザクロがやっていることもこむぎたちがやっていることも同じことなのかもしれません。
いったいどこに違いがあるのか、を説明できるようになるのが今後の課題でしょうね。「プリキュアだから正しい」で納得する相手じゃありませんから。
「ひろがるスカイ!プリキュア」や「魔法つかいプリキュア」の皆さんに「非番」とか「管轄外」という概念があったとは意外でした(たぶん違う……けどそういうことにしておいた方がよさそう)。
ところで、もっと意外だったのが「ニコ様は人間の作った動物園というものに結構好意的」だったことなんですが……考えてみるとニコガーデンなるもの自体「ニコ様が作った私設動物園(略してニコ動)」のようなものなのかもしれません。ま、「動物園」という呼び方が不穏当というなら「保護区」とでも呼ぶべきでしょうか。あるいは「サファリパーク」とか(なんかもっと不穏)。
そうだとすると、オオカミ軍団が人間のみならずニコ様やニコガーデンにも害をなす暴挙に出てくるのは「確かに我々オオカミを滅ぼしたのは人間だが、ニコだって所詮は人間と同じ穴のムジナ」という認識が下地にあるからなのかもしれない。
さて、気になることはもう一つ。
未だにニコ様ともオオカミ軍団とも接触が無い(故に出番も乏しい)兎山大福さんなんですが、この方どうも本作の主軸を担う犬飼組にとって、もっとも厄介なアンチテーゼっぽいんですよね。
犬飼組は言語によるコミュニケーションを非常に重視するスタンスなんですが、大福さんは「足ドン」のような非言語コミュニケーションを重視する態度を通している。ウサギには発声器官が無いわけですが、こむぎとは(テレパシーか何かで?)言語コミュニケーションをとったことがあるわけで、その気になればこむぎを通訳に立てて兎山悟達と言語コミュニケーションをとることも出来るわけですよ。
…..ところがそのようなことを一切やらない。どころか、あの後こむぎとも言語コミュニケーションをとろうとしないんですよね。「あの犬よけいなことベラベラ喋りやがって。もうアイツとは口聞かんとこ」とでも言いたいかの様に。
ここら辺、人間にやたら敵意をぶつけてくる割には、人間の言葉をベラベラ喋るは人間の様な姿に変身までするはのオオカミ軍団より、表立って犬飼組に敵対・攻撃はせず、むしろ多少の協力はするものの「あなたの声を聞かせて」は絶対にくれない大福さんの方が遥かに反抗的と言えなくもない。
この、大福さんが言語コミュニケーションを異様に忌避する理由が何なのか?が、本作の根幹に関わる謎を解く鍵―――のようにも思われるんですが、果たして……。
ランチを挟んで午後の話でしたから、ソラたちはもう帰っちゃってたんでしょうね。みらいたちはまあ、あの子たち機動力高いし・・・? 気がついたらいなくなってそうだし・・・?
現実の動物愛護団体が動物園を批判するのは、彼らが動物と言葉を交わせないからって部分も大きいでしょうから。それで「自分(人間)がこの動物たちの立場だったら?」ってトンチンカンな想像をするから過剰におぞましく感じるんです。
その点、ニコ様は直接彼らの意思確認ができますからね。(現実の動物たちがどう思っているかはさておき)劇中のさくらたちはあそこで暮らすことに納得しているので、ニコ様からすれば問題視するようなことではないのでしょう。
とても良いエピソードだ(私はいつも優しい巨大生物の話が好きだが)。
映像的な繊細さには欠けることが多いけれど、こういうときこそわんぷりが一番輝く気がする。
さくらの優しさが、いろは自身の優しさの種になった…。
ユキはニコのことをかなり疑っているようだ(それには理由がある。ニコは最終的には誠実だと感じるが、どこか二枚舌というか、裏表があるように見える)。
動物園に対するザクロの意見と、動物園の動物たちが考えていることの衝突が面白かった。彼女にとっては、心の底から悔しいことだろうと想像できる。
「どうして私と同じように人間を見てくれないの?」
「彼らは私たちニホンオオカミを絶滅させた。なぜ、彼らの正体を見抜けないの?」
ザクロの男に対する発言や、(少なくともガオウに対する)「恋する乙女」気質を見ていると、悟といろはの友情(と悟のいろはへの恋心)に関して、葛藤があるのではないかと思ってしまう。
二人の関係に対するザクロの意見は、かなり残酷なものになるのではないだろうか。
ところで、ウォルト・ホイットマンの「あなたへ」のこむぎ&いろはバージョンが気に入りました。
ファイルとして保存したほどだ。
ニコ様は単純に、人間と動物たちを観察したいんだろうなって印象ですね。野生動物の生態を研究するときは可能な限り人間の介入を避けるのと同じ感じ。
アニマルタウンの人間と動物たちがどういう関係を築いているのか、いつもの自然な営みを見たいんじゃないでしょうか。
ザクロは目の前の相手の気持ちを想像するにあたって感情移入しすぎですね。相手の立場になって気持ちを想像してみるのは大事なことですが、それをやるなら「自分と相手は生まれも育ちも考えかたも違う」っていう当たり前の前提条件を理解しておかなければいけません。
私は、ニコが介入することなく観察したいと望んでいることを理解している。また、ニコが人間や動物、そしておそらくすべての生き物を心から大切に思っていることも理解している。
しかし、ユキが彼女をどこか疑っているように見えるのも理解できる。対照的な性格に加え、ニコは妙に秘密主義な印象を受ける。ユキもひねくれすぎかもしれない(笑)
これらの懸念が解消されることを願っている。
そして、ザクロとトラメが人間と動物の関係に対する偏った見方を克服できるかどうか。
やや軽快なトーンとは裏腹に、私はオオカミとプリキュアとの「重要で、大きな賭けとなる戦い」が悲劇的な結末を迎えることを恐れている。
(彼らは学ばず、救われることを受け入れず、そして…)
しかし、このフランチャイズを知っているだけに、その可能性は低いのではないだろうか?
今回はなんと…『ひろがるスカイプリキュア』『魔法つかいプリキュア』、そしてアンダーグ帝国の国民達がサプライズで再登場しましたね。とても嬉しかったです。特に1番印象的だったのは、まずは蛇の博物館にスキアヘッドによく似た飼育員がいた所です。そこは『yes!プリキュア5』のカワリーノと同じパターン。また、カイゼリンが鶏小屋の前にいた所を見て「カイゼリンにも動物のモチーフがあったんだ?鶏だったの?」と思いました。そして、バッタモンダー。彼は再び人間に化けてキッチンカーで販売していましたね。紋田さんの姿がまた見れて良かったです。『魔法つかいプリキュア』勢が店の前で座っていた所です。あとカバトンは豚小屋の前に、ミノトンは牛小屋の前にいましたね。『ひろがるスカイプリキュア』勢が前半で動物園を楽しみ、後半でエルちゃんがいつの間にか再び大人になっていたシーンも印象に残りました。以上で前作の主人公達も元敵も来ていたという事は、アニマルタウンとソラシド市は隣町同士で近いからなのかなと思いました。あと他にメタ的に言って劇中BGMも去年と同じものが多く使い回されていますし(笑)
マジレスするならオールスターズ映画と同様、パラレルワールドなんでしょうけどね。それぞれの街に事業者が異なるPrettyHolicがありますし。最終話直後の時点でカイゼリンに遊びに出かける余裕なんて無いでしょうし。
まあ、細けえこたぁいいんだよ!ってやつです。