わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! 感想 きっと会いたい人がいるんだ。プログラムの命令じゃなく、自分の意志で。

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私たちは――、私は、約束していたの ・・・。

このブログはあなたがこの作品を視聴済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

「ドキドキ ゲームの世界で大冒険!」

大きな出来事1

メインキャラクター:こむぎ

目標

 いろはと楽しい毎日を送る。

課題

 人気ゲーム『ドキドキ タヌキングダム』の世界にいろはとまゆが連れ去られてしまった。こむぎは慌てて追いかけるも、タヌキたちにゲームをクリアしないといろはたちには会わせないと言われてしまう。
 タヌキたちに負けず一生懸命ゲームをクリアすると、今度はこむぎたちも一緒にいていいから、いろはたちはゲームの世界に残してくれと頼まれる。

 ゲームの世界ではどちらかが死ぬこともなく永遠に一緒にいられるという。悪い話ではないはずだ。

解決

 こむぎはいろはと離れたくなかった。
 ゲームの世界でなら一緒にいてもいいと言われても、それも嫌だった。

 何故なら、いろはのことをもっともっと好きになりたいからだ。
 外の世界で、いろはといろんな体験をして、いろはと楽しい想い出をいっぱいつくりたいのだ。

大きな出来事2

メインキャラクター:こむぎ

目標

 タヌキたちとナツキを救う。

課題

 こむぎたちが外の世界に脱出すると、それを追ってタヌキたちの親玉・ムジナまで外に出てきてしまった。
 ムジナはこむぎたちに目もくれず、街を破壊してしまうのも厭わず、一心不乱にどこかへ走っていく。どうやらゲームの製作者であるナツキを探しているようだ。

 外の世界に出たムジナは興奮のせいか、人の言葉を話せなくなっていた。街を壊してナツキを悲しませ、恐ろしい姿でナツキを恐がらせてしまうのは、彼にとっても本意ではないだろう。

解決

 こむぎたちがプリキュアの力で浄化してやると、ムジナはナツキに最初につくってもらったグラフィックに戻って静かに消えていった。

 一見すると最初から最後まで独り相撲のようだった事件の顛末にナツキは傷つくが、こむぎからするとそれは違うように思えた。
 プリキュアになっていろはの言葉がわかるようになるずっと前から、こむぎはいろはのことが好きだったし、いろはの気持ちがちゃんとわかっていた。
 ナツキがムジナのモデルにしたタヌちゃんにナツキの友情は伝わっていただろうし、ムジナだって、プログラムとか関係なく自分の意志でナツキを慕っていたはずだ。
 ナツキの表情を見ればわかる。こんなにタヌキたちのことを心から思っている子の気持ちが、彼らに伝わっていないはずがない。

 基本的には、ルール無用なゲーム大会のあまりの無法っぷりにツッコミを入れつつ、それでもお構いなしに楽しんでいるこむぎたちの活躍を楽しむ映画です。
 ウチのブログで普段やっているような、ストーリーのテーマがどうのこうの、キャラクターの心情がどうのこうのという語り口で感想を書くには(たぶん)あまり向いていない作品だと思います。

 まあ、私は私の思うように好き勝手書くのですが。

“いろは”とは、どこからどこまでの範囲を指すのか

 いろはとまゆをさらったタヌキたちは、意外にも話のわかる子たちでした。

 たしかにズルいところはあります。こむぎひとりじゃ絶対にクリアできない難度でしたし、最初に言われたクリア条件を突破したのに平然と延長戦を仕掛けてくるし、あとはタヌキーで扉を開くだけって段になってもギリギリまで邪魔してくるし。だいたい、こむぎとユキをいろはとまゆから引き離すなんて、いったいどんな権利があってのこと?
 それでも、悪い子たちじゃないんだろうなってことは伝わってきました。ただ、どうしても自分たちの飼い主になってくれる人が欲しくて、必死だっただけで。

 こむぎがバグの世界に落ちてしまったときも、いろはたちと一緒になって応援してくれましたしね。

 いろはたちに会いたい一心で次々とゲームをクリアしていく姿を見て、タヌキたちにもこむぎとユキがどんなに飼い主と離れがたく、大切に思っているのか伝わったんでしょう。
 最初は明らかに再会させる気がなかったタヌキたちも、ゲームの世界に残ってくれるならみんな一緒にいていいと、妥協案を示してくれました。

 こむぎは、それでも彼らの提案に乗ることはありませんでした。

 こむぎにとって一番大切なのはいろはと一緒にいること。
 タヌキたちは少なくとも、いろはと会わせることに関しては約束を守ってくれました。
 それに、ここでなら寿命も気にせず永遠にいろはと一緒にいられるそうです。
 けっしてタヌキたちへの同情心だけでなく、こむぎ自身にとってもメリットのある提案のはず。

 それでも、でした。

 こむぎにとってのいろはは、ただ犬飼いろはという人がそこにいればいいというものではなく、いつもの場所、いつもの毎日、いつもの発見や驚き、温もりまで合わせた全部が、“いろは”なのでした。

 「こむぎはここで待ってて。絶対戻ってくるから。いいね。・・・あの子たちを放っておけないから!」(第1話)

 あの日。こむぎがプリキュアになったあの日。
 こむぎはものすごく怖い思いをしていました。

 いろはが遠くに行ってしまうかもしれない。

 いろはが学校にお出かけするたび日頃から感じていた、じわじわとした不安。
 いろはに自分よりも大切な誰かができてしまう不安。
 そして今目の前に差し迫る、いろはの命が失われてしまうかもしれないという不安。

 「いろは! これでいろはと一緒だよ!」(第1話)

 それらを一息に解決するためにこそ、最初、こむぎはプリキュアになったのです。

 目の前の危機を打ち払い、いろはの役に立てることを証明し、どこへでもいろはと一緒にお出かけできる、新しい自分。
 それがどうしても必要だったのでした。

 こむぎにとって“いろは”とはそれほどに大切な存在。

Go with me on difficult journeys. Never say, “I can’t bear to watch it .” or “Let it happen in my absence.” Everything is easier for me if you are there. Remember I love you.
 ずっと一緒にいようね。ヨボヨボになっても「もう見てられない!」とか言わないでね。ぼくね、君のいる暖かいところで眠れたらきっと幸せだと思うんだ。大好きだよ。ずっとずっと、いつまでもだよ。

犬の十戒(第7話感想文に全文を記載)

 毎日一緒にお散歩したい。毎日一緒に学校に行きたい。毎日一緒にごはんを食べたい。毎日一緒に笑いあいたい。そしていつかは、一緒にお婆ちゃんになりたい。

 そのためには、一緒にいられることの保証や、永遠に続く時間なんかよりも、いつもの日常こそがこむぎにとっては大切だったのでした。
 いつもの日常のなかにいてこそ、こむぎといろはの毎日は輝くのでした。

 いろはのこと、もっともっと、もっと大好きになりたい。一緒にいろんなことしようね!

独りよがりな“友情”を目の前に突きつけられて

 ムジナとはつまり、ナツキがつくった架空の存在でした。

 小さいころ公園で毎日一緒に遊んでいたタヌちゃん。
 公園の取り壊しが決まって会えなくなってしまい、その寂しさを紛らわすためにつくったゲームキャラクター。
 タヌちゃんへの想いをいっぱい詰めて、愛情をいっぱい注ぎ込んだ、想い出の墓標。

 それがまさか、ゲームの仕様に逆らってまで自分の意志で動きはじめるなんて。
 あげく、現実世界に仮初めの肉体をつくり、私に会いに来るなんて。

 うれしいかうれしくないかでいったら、もちろんうれしい。
 会いたいか会いたくないかでいったら、もちろん会いたい。

 だけどナツキは理解しています。

 彼はタヌちゃんそっくりで、だけどタヌちゃんじゃない。
 彼の人格を形成しているのは、タヌちゃんその人の思いではなくて、タヌちゃんと友達になりたかった自分自身の思い。
 タヌちゃんにも自分と同じ友情を感じてもらえていると信じたかった、私の独善的な気持ち。

 それが、街を壊しながら、多くの人を危険に巻き込みながら、一心不乱にこちらへ走ってきます。
 うれしくて、会いたくて、だけどダメなことだって、理解していました――。

 ムジナは最初、飼い主に愛情いっぱいに接してもらえるペットたちが羨ましくて、飼い主をゲーム世界に引きずり込もうとしました。
 ただ、自分も彼らのように愛されたかっただけでした。
 だから、飼い主であるいろはやまゆさえ自分の傍にいてさえくれるなら、ペットの側であるこむぎやユキがセットで付いてくることも甘んじて受け入れるつもりでした。

 ナツキが愛情いっぱいに生んでくれた存在だったはずなのに、どうして?

 ・・・だって、それは。

 ゲーム世界にはナツキのニオイがしなかったからです。
 バグの世界に落ちたこむぎの鼻がいろはのニオイを見つけられなかったのと同じように、ゲーム世界と現実世界にはどうしようもなく明確な断絶があったのです。
 ムジナは愛に飢えていました。
 だから、ゲーム世界から出ていこうとするいろはたちを追いかけて偶然出ることができた現実世界で、偶然ナツキのニオイを嗅ぎとることができたとき、ムジナは狂喜しました。

 彼女こそが。我が造物主こそが。タヌちゃんの友達だったあなた(私)こそが。
 ――私(私)を愛してくれるのだ、と。

 だから、ナツキは嘆きます。

 ムジナがこれほどに切実に自分の愛を望んでくれたことを。
 私の愛は結局、私以外の誰のもとにも届いていなかったのだと。

 タヌちゃんのことが好きでした。大好きでした。だけどしょせんは人間と動物。タヌちゃんにはナツキの言葉なんてわからなかったはずです。ナツキが何度「友達だ」って伝えたところで、タヌちゃんにその思いは一切届いていなかったことでしょう。

 それが寂しくて。
 会えなくなった瞬間に友達だという確信まで失われて。
 その思いをゲームプログラムにぶつけて。
 そうしたら、鏡写しみたいな独りよがりの愛情が、いろんな人に迷惑をかけてしまって。

 手のひらの上でタヌちゃんの似姿が儚くなっていくのを見つめながら、ナツキは自分が昔も今もひとりぼっちだったことを、改めて痛感するのです。

 「違うよ!」

 だけど、そんなナツキの嘆きを、今日初めて会ったばかりのプリキュアが確信を持って否定します。

 キュアワンダフル。
 犬飼こむぎ。
 人間の姿をしている一匹の仔犬。

 彼女が今、この姿をしているのは、ただ、飼い主と離れたくなかったからでした。

Talk to me. Even if I don’t understand your words, I understand your voice when it’s speaking to me.
 いっぱいお喋りしよ。ぼく、君の言ってる言葉はわからないけど、君が伝えようとしてくれてる思いはわかるから。

犬の十戒(第7話感想文に全文を記載)

 こむぎは知っています。いろはが自分をどんなに大切に思っていてくれているかを。
 こむぎは知っています。いろはが自分のためにどれほど多くの苦労を負ってくれたのかを。
 こむぎは知っています。いろはが毎日自分とどんなにたくさんのうれしさや楽しさを共有してきたのかを。

 プリキュアになるまで、いろはが話しかけてくれる言葉の意味がわかりませんでした。だけど気持ちは伝わっていました。
 だからこそ、離れたくありませんでした。今後もう二度と気持ちを伝えてもらえなくなるのが怖いと感じていました。

 ナツキの“友情”は独りよがりだったでしょうか?

 いいえ。

 それはそもそもの話、ありえないことです。
 たとえ言葉は通じなくとも気持ちで通じあえます。
 ナツキがタヌちゃんのことを大好きだというなら、その気持ちは絶対にタヌちゃんもわかってくれていたはずです。
 ナツキがムジナをつくるとき愛情を注いだというなら、その愛情は絶対にムジナに届いていたはずです。

 こむぎは知っています。
 こむぎも、大好きな人からたくさんの愛を受け取った動物のひとりだから、確かに知っています。

 ムジナがプログラムの呪縛を越え、世界の壁を越え、ナツキだったら遠慮するであろう周りへの迷惑も顧みずに、ただただ大好きな人のところへ駆けていった一目散の愛。
 あれは、ナツキの愛を受け取った者の気持ちです。

 プログラムにトレースされ反射されたナツキ自身の愛情じゃない。
 あれは確かに、ムジナという一匹の動物が自分の意志でナツキへ向けた、愛でした。

 事件のあと、こむぎやいろは、ユキ、まゆ、悟、大福、メエメエ、それから『ひろがるスカイ!プリキュア』の5人と『魔法つかいプリキュア』の4人。プリキュアのみんなはナツキと友達になりました。
 ナツキがかわいそうだったからではありません。同情なんかじゃ友達にはなれません。

 ただ、ナツキがいい子だと思ったからです。
 あんなにもタヌちゃんのことを愛して、あんなにもムジナに愛される。友情をとっても大切にしてくれる、ステキな子なんだって、知ることができたからです。

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    コメント

    1. Overseas Reader より:

      素晴らしいサプライズだ。”WONDERFUL”とさえ言える。

      この映画の「ビデオゲームの世界」というモチーフとクロスオーバー要素が発表されて以来、私はそれがどのようにまとまるのかずっと気になっていた。

      一見、奇妙で雑多なアイデアの束に見えるものを理解する映画スタッフの才能を疑うべきでなかったのかもしれない。

      (もちろん、私はまだ映画を見ていない。)

      私はむしろ、彼らが死というテーマに触れたことに驚いている。

      「ゲームの世界では永遠に生きることができる。決して離ればなれにはならない。」– 私の理解では、こんな感じだ。

      大した人生じゃないでしょう?

      おそらく、何カ月か後に、またこの映画の感想を述べに来るだろう。
      (もしよろしければ。)

      しかし、大きな問題は、楽しかったかどうかです。

      • 疲ぃ より:

         私は『魔法つかいプリキュア!』チームと『ひろがるスカイ!プリキュア』チームがタヌキをぶん殴っても問題にならないようにするためのゲーム世界設定だと予想していました。ハズレました。

         死をテーマとして取り上げたというと少々語弊があるでしょうが・・・、惰性のような永遠と、驚きに富んだ有限のどちらかを選べと言われたら、まあ、大したことの“ある”人生を私も求めるでしょうね。

         配信された暁にはぜひ楽しんでください。

    2. 与方藤士朗 より:

      早速、金曜の朝一番に映画館に亡命してまいりました。

      たぬきとむじな

      大審院大正14年の判例で、その前年である1924年2月末のうるう日から数日にわたって起きた「たぬき・むじな事件」を思い出してしまいました。
      今年は、ちょうどその事件から100年です。
      あの事件は、当時の狩猟法違反が問題となった事件で、被告人は狸ではなくむじなを狩ったのだと主張し、なおかつ、禁猟機関となる3月1日以降に捕獲したのか、それとも実質的に穴に閉じ込めた2月29日(禁猟期間から外れる)が捕獲日となるのか、などが問われ、大審院(現最高裁判所)は被告人を無罪とした案件でした。
      狩られた側からすれば、たぬきとしてであれむじなとしてであれ、かなわん話ではありますがね。

      今回のたぬちゃんは、それでも、少女なつきと根性の良き思い出が得られたという点においては、100年前にかられたむじな(?)よりは幸せだったと言えましょう。
      しかも、彼女によってゲームの世界とはいえ,新たな形での「生」を受けられたこともありましょう。
      ひょっと、アニマルタウンにいるたぬきさんも、思うところあってあの工事現場から「亡命」してきたのかもしれません(わたくしが何とかモーニングから亡命したみたいに?~苦笑)。

                     わんだふるぷりきゅあ限定・藤本定義名代
                     プリキュア御意見番・二代目喝御大

      • 疲ぃ より:

         私の1回目は金曜日の最終上映でした。・・・映画は疲れた頭で観るものじゃないですね!

         「たぬき・むじな事件」は初めて聞いた判例ですが、Wikipediaを読んだ感じ、被告が自分のしたことを法律違反と認識していたかどうかが争点になった裁判のようですね。被告は禁猟期間外かつ狩猟許可動物(ムジナ)だと認識していたけれど、見方によっては禁猟期間内かつ禁猟動物(タヌキ)という捉えかたもできると。
         
         今回の映画でもナツキの主観による認識が問題になりました。タヌちゃんが自分に友情を感じてくれていたのか、それとも自分の独りよがりだったのか。人間以外の動物は言葉を話せないので、客観的な事実については確認しようがないわけで。
         私だったら「ひとりで勝手に不幸ぶってても誰も得しねーよ」と身も蓋もない言いかたをしていたところでしょうね。あそこで友達というテーマに結びつけたこむぎはさすがです。

    3. 亀ちゃん より:

      今日は中1の時から覚えている旧年中の今日でも、昨年はやっといい思い出作りの日に出来たので、その記念日でもあるようにMOVIX倉敷までわんだふるぷりきゅあの映画を観に行きました
      私が知っているようなモジったセリフもいつくかあったような感じですね!!
      今回の映画のラスボスは今まで私が映画館で観て来たラスボスとは全然違う感じもしました
      1番近しさがあるラスボスではキラキラプリキュアアラモードの秋の時のクックに1番似通っている感じですね
      二度と私1人では映画館では最初っからは観たくないのに、最年少のいとこの姪っ子とだと付き合ってあげても良いほど後味は本当に好かったです!!☆☆♬
      しかも今回はそのキラキラプリキュアアラモードの秋の映画とちょっと前から始まった大きく以前の先輩プリキュアとの共演系の映画にもなりました
      で、キュアベースボールギャンブラーがオールスターズ以外では楽しみにしているふたりはプリキュアSplash Starと直前の先輩プリキュアとの共演のプリキュアの映画は実現するか否かに私も期待値を寄せるところですね
      もし来年か2年後2027年(の2月)になってもプリキュアの続投に延長コードを使う場合は、ふたりはプリキュアSplash Starと直前の先輩プリキュアの共演映画には、キュアヴァリアス(キュアブルームと母方の同い年の従姉妹プリキュア)も喉から手が出るほど楽しみですよ
      それとキュアオータムギャンブラーは自他共に求めるプリキュアのお姉ちゃんで今でもプリキュアはいつまでも続いて欲しいと願い続ける平成8年の秋に生まれた大分の女神プリキュアです
      いとこのお姉さんが結婚してからの私自身のプリキュア人生との関連性はいとこのお姉さんの長女が1歳になって保育園に行き始めると当時の女の子の先輩の影響でプリキュアを視始めてから、当時は実写系のレディの芸能人がテレビに映ると全員がプリキュアに見えてしまう娘だったものです
      その後いとこのお姉さんの息子の下にはいとこのお姉さんの次女も生誕して、1歳前後の頃からいとこのお姉さんの娘達ぐるみで、私が春の広島大会の決勝を福山市民球場へ観に行った時も視ることもあったほどでした
      それが今ではいとこのお姉さんの娘は2人共(女児向け)プリキュアは卒業した年頃にまで成長したものですね(半苦笑)
      しかし私個人としては今度はプリキュアに準じた女児向け変身ヒロインアニメを東映アニメーションが作り上げることで、女子寮の寮長と同中の同級生になる女子のバドミントン部の副主将もキュアベースボールギャンブラーとは同中の同級生で女子寮の寮長を岡山市内のバドミントン大会の中国地区大会で小1の時に見つけては、バドミントンを始めた彼女もプリキュアに準じた変身ヒロインになって基本的には最低限5人になったところから本格的にスタートして次から次へとやられ役を浄化して行くような小説もインターネット上に書き込みたい気持ちもあります
      もちろんプリキュアでは変身ヒロインに変身出来ない彼女達がプリキュアに準じた変身ヒロインになった時の名前も既に決めています
      正直言って、最年少のいとこの甥っ子も来年の春になると誕生日を迎えてから先は全然読めませんが、プリキュア本編が終わってから何十何年たっても私はやっぱりフェアな意味で大人のプリキュアファンはフェアな意味で続けたいものですね

      >で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は
      その最年少のいとこの甥っ子が来年は誕生日を迎えるワケですし、いとこのお姉さんの息子が毎週毎週当時は幼くて楽しみに視ていたといえるキラメイジャーの時以来にレンジャー系の一部始終も本格的に来年の3月から視続けることを再開したいものですね
      もう今現在は放映中のレンジャー系・ブンブンジャーの直後に岡山などテレビ東京系が地上波で映る都道府県では10時から放映中のひみつのアイ(ドル)プリ(ンセス)が続投するかどうかも関係なしにです!!
      私は最年少のいとこの甥っ子に関しては、最年少のいとこのお姉様の第一子の性別が判明する前から生きている子として正規に生誕してくれることは喉から手が出るほど楽しみだったワケですし、来年は絶対に誕生日を迎えるのでなおさらですね!!

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