スタートゥインクルプリキュア 第13話感想 不思議だけど、楽しそうだと思ったから。

ひかる。ララじゃなくて、ルンちゃんになってるルン。

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→ TVerアーカイブ配信(放送後1週間限定)

(主観的)あらすじ

 ララが学校に通うようになりました。ひかるたちを見ていて楽しそうだと思っていたそうです。何でも教えてくれる便利なAI端末はロケットに置いて、ひかるたちと全く同じ条件でいざ学校のお勉強に挑戦です!

 ・・・と、意気込んだまではいいものの。
 地球の学校は想像していたより大変なところでした。地球人にとってララの口癖は気になるようでした。学校生活にはララの知らないルールがありました。初めて見る道具もたくさんありました。惑星サマーンでは必要なかったくらいの高度な知識まで授業で扱っていました。2桁の足し算とか。
 登校初日は大失敗。ララはクラスのみんなから変な目で見られてしまったのでした。

 2日目はしっかりと準備して登校しました。初日は置いていったAI端末を持ち込んで、言葉づかいや地球のルール、授業など、ララは全部完璧にこなしてみせました。
 ・・・けれど、そんな学校生活は想像していたような楽しいものではありませんでした。でもしかたありません。ララが変なことをしていたら、仲のいいひかるやえれな、まどかまで変な目で見られてしまうかもしれません。友達に迷惑をかけてしまうのはイヤでした。
 みんなといっしょに楽しく学校に行けたらいいなと思っていたのに、ララはこの日も当初の期待を叶えられないまま終えてしまいました。

 そんなララに、ひかるが言います。
 私たちもララと学校に行けることを楽しみにしている。えれなやまどかだけじゃない。クラスのみんなだってララが早くクラスに溶け込めるように色々考えてくれているんだ。
 改めて話してみると、クラスのみんなは気を使っているララより自然体のララの方が好きなようでした。ララの口癖を面白がって“ルンちゃん”というあだ名までつけてくれました。なんだか変な感じでしたが、とても嬉しいものでした。
 そうしてララはようやく学校でも笑えるようになったのでした。

 新しい年度がはじまり早1ヶ月。新1年生になった子どもたちはいったいどんな毎日を過ごしているんでしょうね。あるいは小学生に上がる年長さんを見送ったばかりの子どもたちは自分のこれからにどんなイメージをふくらませて過ごしているんでしょう。
 私はどうだったかな? 通学路がいつまでたっても覚えられなくて、集団登下校がない日は毎回壮絶に迷子を繰り返していたことを覚えています。学校や家にランドセルを忘れて歩いたこともしょっちゅう。恥の多い生涯を送ってきました。

 そんなわけで、今話はララが小学生みたいな失敗で苦悩するお話です。大人なのにね。
 わからないことがあったら周りに聞けよ。それで今話の大半の問題は解決できたじゃん。
 けれどきっと実際、大人の大半は大人になってからも彼女のような失敗を繰り返してきたことと思います。20歳超えて自分ではやっと大人になれたと思っていた新社会人デビュー。だというのに、それこそ小学生みたいな幼稚な考えで初歩的なミスを冒してしまった情けない経験、あなたにもあるのではないでしょうか。あのころはとっくに大人だったはずなのにね。

 「観星中の太陽と月両方とすでに知り合いの転校生」「侮れないわ」
 「私が変なことばかりしてたら、ひかるやえれなやまどかまで変な目で見られるルン。いえ、見られてしまう。・・・がんばるルン。いえ、がんばります」

 大人になって責任というなんだか恐ろしいものを押しつけられて、実感が湧かないままムリして責任とやらを果たそうとして、周りを頼るのはなんだか子どもっぽいことのような気がして、かといって失敗してしまうのももちろん子どものすることだと思って、けれどわからないものはわからなくて。どうしようもなくて。がんじがらめになって。がんばるしかない気がして。そのせいで。――あ。
 実際のところ、周りからしたら新社会人なんてまだまだ子どもに毛が生えたようなものなんですけどね。聞けよ。頼れよ。そういう態度じゃ失敗を繰り返してしまうって、子どものうちに何度も経験したでしょ?

 ふり返れば小学生になったばかりのころ、私はちょっと大人になった気分で「しっかりしなきゃ!」と気を引き締めたものです。実際は幼稚園児みたいな迷子を繰り返すことになったわけですが。
 小学生に上がってからもいっぱいいろんな人に迷惑をかけて、そうしてゆっくり成長していきました。
 新1年生が廊下でキャッキャはしゃいでいるのを見て、「あいつら幼稚園児と変わらねーな」と呆れるようになるくらいにまで。

学校に通う意味

 「学校って不思議ルン。私の星ではわからないことは全部AIが教えてくれるルン。だから2桁の計算もわからないルン。わざわざ同じ場所に来てみんなが揃って勉強するというのが不思議ルン」
 学校という集団教育を行う機関が存在するのは、社会の成員として一律に求められる最低限の知識を全員に共有させる必要があるからです。ぶっちゃけ社会体制を維持する側の都合ですね。
 とはいえ二次関数だの元素記号だの歴史年号だのが本当に社会で役に立つのか、誰しも疑問に思うことはあるでしょう。まあ、少なくとも私の場合は何気ないところで意外と役に立っている気がします。社会全体で見たら私が自覚するケースよりもさらに多くずっと多く、たくさんの人が学んだ知識を生かしているんでしょうね。インターネットのように自分の知らない情報をその場で参照できるシステムが普及しても一向に学校制度不要論が多数派にならないということは、つまりそういうことでしょう。

 「オヨ・・・。私、ちゃんとできてないルン。学校のこと何も知らないルン」
 社会がそれを必要としないのなら、別に2桁の足し算ができなくたっていいじゃん、と私は思います。洗濯機があれば手もみ洗いのノウハウを知らなくたって困らないのと同じこと。計算を任せられるAIがあるならAIに任せちゃえばいい。(インターフェイスにいちいち音声認識を要するならさすがに暗算くらい習得しておいた方が効率的では? というヤボなツッコミは御法度です)
 惑星サマーンの人々はAIの利用を前提とするからこそ、一人前の大人として活動できる年齢を大幅に引き下げることに成功できています。上の話と相反するようですが、学校という機関の存在意義を考えればこそ、学ぶ知識が少なくて済むことは必ずしも悪いことではありません。

 「AIのおかげで失敗しなくてほっとしてる」
 ララはAIを利用することができます。だったらわからないことがたくさんあったって、AIに頼って解決していけばいいじゃないですか。それで何も問題はないはずです。誰も困らないはずです。わざわざ私たち地球人と同じ苦労を味わう必要なんてないはずです。なにせAIを使える彼女は私たちと同じ知識を学ぶ必要がないわけですから。・・・本来なら。
 「つけていかないのですか?」
 「ルン。学校は勉強しに行くところルン」

 ララはAIを利用することもできるはずでしたが、彼女はそれじゃダメだと考えていました。

 どうしてでしょうね?

同じ体験

 学校に通うにあたって、ララはAIを利用すべきではないと自分で判断しました。
 「楽しそうだったルン」
 わからないことがあったからです。
 AIに聞けばあっという間にわかるようなことをわざわざ学校に勉強しに行く。それは惑星サマーンではとっくに廃れたプリミティブな営為でした。なのに、学校に行くひかるたちはなんだか妙に楽しそうに見えたんです。
 「私もみんなと楽しくなりたかったルン」
 それを体験してみたいと思いました。

 けれど、ララがひかるたちと同じ体験をするためにはAIがどうしても邪魔でした。
 「本当の私はサマーン星の異星人ルン。地球人じゃないルン。だから地球の学校ではちゃんとしないと」
 地球人が学校に通わなければならないのは高度なAIを持たないためです。AIに頼れない分、地球では個々の人たちがある程度高度な知識を習得している必要があります。AIを獲得したおかげで学校に通う必要がなくなった惑星サマーンの人たちとはこの点でちょうど正反対。
 地球人が学校に通うのにはちゃんと必然性があります。だからララが地球人と同じに学校に通う楽しみを味わうには、サマーン星と地球との決定的な違い、AIを一旦手放さなければなりませんでした。
 当初、ララはそんな感じのことを考えていました。

 そこまでならまあいいでしょう。
 しかし――。
 「本当の私はサマーン星の異星人ルン。地球人じゃないルン。だから地球の学校ではちゃんとしないと」
 今引用したこのセリフは、サマーン星人と地球人との違いがAIの有無だという意味合いで発されたものではありません。
 当初、ララはAIさえ手放せばひかるたち地球人と同じ体験ができると考えていました。けれど実際には地球独特のルールや知識など、それ以外にもサマーン星人と地球人との違いがたくさん見つかりました。
 「ララルンってマジ変わってんなあ」
 そして掃除の時間にカルノリくんがぼやいていたように、地球人にとってはこちらの違いこそが自分たちとララとを隔てる大きな違いだと感じられる様子。だったらララが地球人と同質の学校体験をするには、こちらの違いも地球人と同じに合わせなければなりません。

 けれどララが地球の常識に合わせるにはAIを利用せねばならず、しかしそもそも地球人はAIなんて使っていないので、AIに頼った時点でララは地球人と同じ学校体験ができているといいがたく・・・。二律背反。
 本当の私はサマーン星の異星人。自分とひかるたちとの違いが、相手を知ろうとすればするほど胸を深く切り裂いていきます。

 今話の根底にある問題は他者理解の不可能性。
 「考えたこともなかろう。宇宙の最果て、暗く凍える場所に追いやられ、闇に潜んで生きてきた我々を!」
 「あんたは宇宙のこと、何にもわかってない!」
 「ホント勢いだけだっつーの! 実は想像力ないっつーの!」
(第11話)
 結局のところ、私とあなたはどこまで突き詰めていっても別の人間です。相手を理解したくて深く知ろうとすればするほど、自他の違いばかりがどんどん深掘りされていく。理解からむしろ遠ざかってしまう。
 第11話のひかるはノットレイダーたちの主張を理解することを一旦保留し、自分の主観からの意見をぶつけて対抗しました。けれどそのやりかただけではいずれ不足になります。ひかるのやりかたでは宇宙の姿に想像を巡らすことまではできても、自分と異なる他人であるノットレイダーたちの心にまで想像力を及ばすことができません。
 今回ララがひかるたちの体験している学校の楽しさを知ろうとして、挫折しかけたように。

 「夜空の宇宙を覗いてみよう。心の宇宙を覗いてみよう」(EDテーマ『パペピプロマンチック』)
 物質世界の外的宇宙と同じように、本当はひとりひとりの心のなかにだって無限の宇宙が広がっています。
 『スタートゥインクルプリキュア』が宇宙をモチーフとして、イマジネーションをテーマに掲げるならば、いずれ他人の内的宇宙にだってイマジネーションの力を届かせる必要が生じてくるはずです。
 そもそもひかるやララたちからして、そうやってお互い仲を深めあってきたんですから。

歪んだイマジネーション

 カルノリくんは困り果てていました。
 軽さとノリのよさをモットーとするちゃらんぽらんにも悩むことくらいありました。
 「羽衣さん、大丈夫かな」
 「うん。なんか無理してて」
 「カルノリが『変わってる』とか言うからじゃないの?」

 軽くてノリのいい彼は、軽くなくてノリも悪いララをどう扱えばいいのか決めあぐねていました。

 「ララルンってマジ変わってんなあ。――あ、いや、面白いノリってこと」
 正直、間違ったことを言ったつもりではありませんでした。彼のモットーからするとララのおかしな言動はむしろ魅力的に映りました。「変わってる」って、むしろ褒め言葉のつもりでした。
 けれどララはカルノリくんの言葉をその意図のとおりに受け取ってはくれませんでした。彼もそのくらいはわかります。ララはカルノリくんとはノリが違う子でした。・・・失言でした。
 「悪いと思ってるっての。そりゃ俺だってノリで言っちゃったけどさ、ノリだっつーの・・・」
 ですが、カルノリくんは自分らしいノリを大切にしています。今回はこの軽いノリのせいでララを傷つけてしまい、そのことについては反省しているわけですが、さりとて自分のこのノリを変えたくもありません。
 自分を変えたくないけど、変えないとララと仲直りできません。

 じゃあ、どうすればいいのか?

 わかりません。
 カルノリくんはカルノリくんで、ララと同じように二律背反に陥っていました。

 カッパードが「歪んだイマジネーション」と呼んだのはおそらくそういう気持ちのことなんでしょうね。
 何かを変えたいと思いながらも、気持ちが複雑に拗くれてしまって、結果身動きが取れなくなってしまった状態。
 イマジネーションが“進む力”であるならば、歪んだイマジネーションは留まる力。非生産的な思考活動。デッドロック。実質的な思考停止。

 こんなときどうすればいいのでしょうか。
 ――その答えを私たちはすでに知っています。
 ひかるがすでに示しています。どうにもできない八方塞がりな問題に対峙して、それでも敢然と前へ進む方法。
 「どんな理由があっても、大好きな宇宙を、星座を、星を、地球を奪うなんて、私、イヤだ!」(第11話)
 私は、私のイマジネーションをかたちにしたいと望む。

 「ララ。どうして学校に行きたいって思ったの?」
 「それは、地球の文明を知るために――」
 「ホントに?」
 「・・・楽しそうだったルン。私もみんなと楽しくなりたかったルン」

 ララの二律背反は、ララ自身の前へ進もうとする思い――イマジネーションの力によって打破されました。
 そもそも自分はみんなと楽しく過ごしたいと思って学校に来たんだから、自分とみんなが楽しめるように変わっていかなければならない。・・・そのために何から考えたらいいのか、さあ、想像してみましょう。

 「学校を傷つけるのは許さないルン! ここには私の知らない世界がたくさんあるルン。とても面白いルン。もっと知りたいルン。私はまだ日直をやってないルン!」
 ララの前には自分と地球人との絶対的な違いが立ち塞がっていて、それをどうしても解消できないからコンフリクトしていました。
 けれど彼女が悩むべきは本来そこではありませんでした。ララは楽しむために学校に来たのでした。ララはお互いの違いに思い悩むのではなく、まずは自分とみんなが楽しめることを考えるために想像力を使うべきでした。
 学校って楽しそう。いろいろ不思議なことだらけだけど、それが面白い。もっと知りたい。楽しそうだから、たくさん知りたい。

 「『ルン』? ――あはははは! いやいや、『ルン』って言ってくれよ。俺さ、そっちのノリの方が断然好きなんだよな!」
 同様に、カルノリくんは自分とララのノリの違いを感じてコンフリクトしていました。
 けれどカルノリくんはそもそも自分の軽いノリが好きで、ララのちょっと変わったノリも好きでした。どちらも好きで、どちらも変わってほしくないからこそ悩んでいたのでした。
 だったら話は簡単。好きなものを好きだと言えばいい。どっちも好きなだけなんだから、少なくとも自分のなかでは2つを並べても矛盾しない。

 ララは想像します。カルノリくんは想像します。
 閉塞してしまった目の前の現実がどう変われば自分は嬉しく思うのか。
 まずは自分を中心に考えます。
 そうすれば案外、難しそうに見えていた問題も本当はそんな難しいことじゃないんだって気付けるから。
 だってイマジネーションは進む力。
 思いが動きつづけているかぎり、少なくとも私たちが前へ進みたがっていることだけは、いつだって確かなんですから。

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『スタートゥインクルプリキュア 第13話感想 不思議だけど、楽しそうだと思ったから。』へのコメント

  1. 名前:東堂伊豆守 投稿日:2019/04/30(火) 02:34:52 ID:589fc6ab0 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    魯迅の短編小説「故郷」の登場人物ルントウ。彼の少年時代の姿は「イマジネーションを武器に友を導いていく星奈ひかる」と重なり、そしてーーーーーー生活苦の中でイマジネーションをすり減らした大人となった姿は「AIに頼り続け敬語を使い続けていたらこうなっていたかもしれない羽衣ララ」と重なるんですよね(カッパードとテンジョウはさしずめヤンおばさんか)。
    さすがに、東堂いづみ先生が魯迅の小説を意識して「語尾にルン」「ついたアダ名がルンちゃん」設定を考案した……訳では無い、と思うんですが、小説の主人公「私(おそらく魯迅本人)」が、自分達のなし得なかった社会の変革の可能性を若い世代の中に見出だ(そうと)していく姿は、東堂いづみの「プリキュア」メイン視聴者への思いと重なる部分がある、ようには思えました、ええ。
    ところで、「姫ノ城家第21代当主(自称)」姫ノ城桜子さんなんですけど……この人もしかして庶民の子なんじゃ?観星中の月が「香久矢教授の総回診」ばりに子分・取り巻き引き連れて校内を巡回しているのとは対照的にフリーダムな単独行動が目立つし、クラスメイト達も「あーハイハイ当主当主(苦笑)」という感じで受け流しているみたいな雰囲気だし。
    まさか自らイタイタしい設定をぶち上げる中二病……は、さすがにツラすぎるので「没落貴族の末裔で暮らしぶりは庶民そのものなんだけど"名門のプライド"と"御家再興の夢"は親子代々受け継がれてきた」といったところか(やっぱりイタイタしいぞ)。
    今後、桜子さんの"本物セレブ"描写が為されることを願いつつーーーーーーいや桜子さんこそ"無限大イマジネーションの体現者"として堂々と中二病の道を歩んで頂いても良いのかもなぁ……とかなんとか。

  2. 名前:疲ぃ 投稿日:2019/05/01(水) 23:46:25 ID:589fc6ab0 返信

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     「希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る」(魯迅『故郷』)
     このあたりの思想、最近のプリキュアに割と似ていますもんね。プリキュアの場合はもっと理想主義寄りですしそもそも主人公が若いので、子の代に期待するんじゃなくまず自分がやれよって話になるんですが。