いろは。あなたもわかってるはずだよ。
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「たくさんの幸せ」
大きな出来事
メインキャラクター:いろは
目標
フクちゃんのお迎え18年目をお祝いする。
課題
フクちゃんはお鶴さんの愛犬だ。いろはにとっても子どものころからよく遊んでいた友達。そのフクちゃんがもうすぐお鶴さんの家に来て18年経つという。
お祝いしてあげたかったが、記念日当日に訪問すると、フクちゃんは自力で立ち上がれないほど老衰してしまっていた。
未解決
いろはのお母さんの診断では今日が最後の一日になるとのことだった。
フクちゃんは自宅に帰され、お鶴さんと最後の瞬間まで穏やかに過ごすことができた。
ただ、彼女たちの顛末とはまた別に、いろはの心にはざわざわとした思いが残った。
バトル
苦戦
ティラノサウルスのガオガオーンが相手。恐竜なのでとても強く、プリキュアの手に負えなかった。
バトルの余波で道路が寸断され、お鶴さんがフクちゃんを病院に連れて行けなくなってしまった。
勝利
トラメが困っているお鶴さんとフクちゃんに気付き、ガオガオーンを止めてくれた。
ピックアップ
犬の人間換算年齢
環境省が発行しているパンフレットによると、中型・小型犬の場合は生後1年で人間換算15歳。2年で24歳。以後、1年ごとに4歳相当ずつ歳を取るとされる。
ただし、パピヨンのような超小型犬は中型犬に比べて10%ほど寿命が長い(超小型犬15.30歳,中型犬13.52歳)ため、全体的にもう少しずつ若く見積もっていいかもしれない。また、近年は飼育環境やエサの品質が上がっており、犬種問わず長生きする傾向にある。
こむぎは公式ファンブックで「14歳くらい」と紹介されているが、実年齢だとしても上記人間換算年齢だとしても劇中描写との辻褄が合わない。あくまで人間の姿の外見年齢だと考えるべきだろう。実際のところはざっくり5~6歳くらいと見るべきか。
いろはもあと10年ちょっとでお別れを考えなければいけなくなる。そのときいろはは24歳~。人間の生は犬と暮らせる時間よりも、犬がいない時間のほうがはるかに長い。
「健康」の定義
生存のためとはいえ、極端な延命医療を必要とする状態を長期間継続させることは「正しい」ことだろうか?
WHO憲章において、「健康」の定義は“病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること”とされる。
伝統的な「健康(health)」とはそれこそ単純に病気ではない状態のことを意味していたわけで、このWHO憲章が定義する新たな「健康」はその意味を大きく拡張した。これを「well-being」と呼び表す。
アメリカの医学者ハルバート・ダンはここからさらに踏み込んだ「健康」の定義を提唱し、“伝統的な健康の定義を超えて広がる、身体的、精神的、そして社会的、相互に関連する、well-beingの多様な側面を意味する。またそれは、身体的活力、精神的な平穏、社会的満足、達成感、そして個人としての充足感、などを実現することを目的とした活動や選択を含む”とした。
well-beingに比べて、特に本人の健康であろうとする意志、健康でいられることの幸福感を重視しているといえるだろう。彼はこの新たな健康の定義を「Wellness」と呼んだ。
このあたりの議論が活発に交わされるようになったのはここ100年足らずの間のことだ。
どうして古くからある「健康」という言葉の定義が今さら揺らいでいるのかについては――、説明するまでもないだろう。これはQuality Of Life、私たちの人生の質に関わる問題だ。私たちは私たちを幸福にするために生きている。
家族に大きな経済的負担をかけ、病院のベッドに拘束され、そのくせ完全に苦痛が取り除かれるわけでもない過度な延命医療を自ら望む者は、きっとそれほど多くないだろう。
ただしその一方で、大切な人にはとにかく1秒でも長く生きていてほしいと願う人がいることもまた事実。
自分が苦しく不自由で回復の見込みもないような状態に置かれたとしても、それで愛する誰かに心の安らぎを与えられるのならそれこそが幸せだ、と思う人の気持ちも、安易に否定されるべきではないはずだ。
なお、終末期の患者は必ずしも自分の意思を表明できる手段を持つ者ばかりではなく、また、その時点で確かな意志を持って自己決定できる能力を持っているとも限らない。間近に迫る死の恐怖に怯え、せっかく人生をかけて確立してきた己の尊厳をぶち壊してしまいたくなる者もいるだろう。
そのあたりの“本人の意志”をどう考えるべきかという問題もある。
これはどちらの立場が「正しい」という話ではない。
唯一確かに「正しい」と呼べることがあるとすれば、それはお互いに議論を続け、お互いの思いを理解しあおうとする営み、それ自体のことだろう。
フクちゃんの命の残り時間を考える、いろはのお母さんといろはの会話のように。
ティラノサウルス
白亜紀末期の北アメリカ大陸に生息していたといわれる、大型の肉食恐竜。最大前全長は約13m、最大体重は9tと推定される。骨格から推定するに顎の力はきわめて強靱で、5万Nほどあったのではないかと考えられている。獲物を骨ごと噛み砕くことができただろう。
一時期、フサフサした羽毛が生えていたのではないかという説が流行したことがあったが、これは近縁種であるユウティラヌスの化石から羽毛の痕跡が見つかったためだ。ただし、ユウティラヌスの生息域は中国北東部であり、ティラノサウルスの生息域より寒冷な地域。体格もひとまわり小柄だということもあって、保温の必要性という観点で見ればティラノサウルスとユウティラヌスでは条件がかなり異なる。現在は両種の特性を安易に混同するべきではないという意見が一般的。
フクちゃんとお鶴さんの花言葉
中央左側の黄色い花はキンセンカ。花言葉は「別れの悲しみ」。ギリシャ神話において、自分の行いのせいで愛する人の娘を死なせてしまった水の精が変化した姿だとされる。
右側のピンク色の花はカーネーション。花言葉は「あなたをけっして忘れません」。キリストの処刑を見た聖女マリアがこぼした涙のあとに生えたとされ、他にも愛の花言葉を数多く託されている。
外周の白い小さい花はカスミソウ。花言葉は「永遠の愛」。英名で「baby’s breath」と呼ばれるように、愛しい人の吐息になぞらえられる。
その門出は奇跡によって守られた
「おい。どうしたんだ、こいつ」
トラメはプリキュアとのバトルの最中、一組の人間と犬を見かけました。
いつもなら人間たちは危ない場所から速やかに避難しているはず。なのに、その人間はガオガオーンが大穴を開けた道路に後からやってきて、犬を手押し車に乗せたまま動こうとしませんでした。
疑問に思って話を聞いてみると、どうしてもこの道路の向こうに行かなければならない様子。
飼い犬の命はもう長くない。すぐに病院に連れていってあげたい。そう言って嘆く人間。今にも失われそうな儚い命。
今日のガオガオーンは自信作でした。
普通にしていたら絶対に見つからなさそうな岩肌から掘り当てた巨大な卵。なんと6600万年前に絶滅したとされる陸の覇者、ティラノサウルスのガオガオーンです。
強い! 最強! 今回ばかりはあのプリキュアたちも手も足も出ない様子。こんな圧倒的なバトルはいつ以来でしょうか。すっごい楽しい!
トラメにとってバトルは遊びでした。プリキュアは構ってくれる遊び相手でした。
弱っちいくせに全然諦めなくて、どんなガオガオーンを出しても知恵と勇気とチームワークでいつのまにか攻略されてしまう、手強いライバル。小手先の工夫程度じゃ丸ごと噛み砕いてしまうティラノサウルスにどう立ち向かうつもりなのか、それともどうにもならず蹂躙されてしまうのか、今日はすっごく楽しみにしていました。
バトルはまだ途中です。というか、あちらは諦めることを知らない連中なので、トラメが自信作を連れてきた今回のバトルは長期戦必至。
今、命が失われようとしています。トラメが遊んでいる隣で。
今、命が失われようとしています。トラメが遊んでいるせいで。
「・・・止まれ!!」
これは遊びです。遊びなんです。
やっていいことと悪いことの分別くらい、トラメにだってついています。
大切な誰かの命が失われる悲しみ。まだ生きなければならない者に残される絶大な悲しみと悔恨。知らないわけじゃありません。
だって、トラメの大好きなガオウも、そのために人間どもと戦っているんですから。
「ちっ。つまんねえの・・・」
今日の遊びは、もう終わりにするしかありませんでした。
「それが、あなたの最後の願いなのね?」
全ての動物たちの幸福を祈るダイヤモンドユニコーン。
ニコ様のもとに、またひとつ小さな願いごとが届けられました。
今一度。どうか、この最後の一瞬だけ。なけなしの力全部を、ただひとつの思いを届けるために使い果たしたい。
穏やかに死ぬことはできました。
雨上がりに降りそそぐ光の下、長年寄り添った想い出深い座布団と、たくさんの人の思いが一針一針縫い込められた最後のプレゼントの温もりに包まれて、1分1秒でも長く大好きな人との時間を味わうこともできました。
もしかしたら、病院のベッドの上でもう少しだけ長く、お別れを惜しむ選択だってあったでしょう。
ただ、フクちゃんにとっての一番の幸せは別のところにありました。
「『お鶴ちゃんだーいすき!』だって」
「私もよ、フクちゃん。大好きよ。これからもずっと、ずっと!」
大好きなお鶴さんの体温を感じていたい。
最後の最後まで「大好きだよ」って思いを伝えて、大好きな人に喜んでほしい。
大好きな人から、最後にもう一度だけ「大好きだよ」って言葉を聞かせてほしい。
もう立たなくなってしまったこの4本足。
最後に願う小さな奇跡は、ただこいつを動かす力だけでいい。
今日の夜を越えられなくていい。もっと短く命を使い果たしたって後悔はない。
幸い、カミサマは理解のある人でした。
かつてアニマルタウンに人知を越える力をもたらした結果、争乱を引き起こし、オオカミを絶滅させてしまったちっぽけなカミサマ。奇跡の力の使いみちに後悔を刻んでいるカミサマ。
人や動物たちと変わらない柔らかな心を持っているカミサマは、寿命を延ばす、みたいな本人の意にそぐわないことを考えたりせず、ただフクちゃんの願いだけを自然に叶えてくれました。
Go with me on difficult journeys. Never say, “I can’t bear to watch it .” or “Let it happen in my absence.” Everything is easier for me if you are there. Remember I love you.
犬の十戒
ずっと一緒にいようね。ヨボヨボになっても「もう見てられない!」とか言わないでね。ぼくね、君のいる暖かいところで眠れたらきっと幸せだと思うんだ。大好きだよ。ずっとずっと、いつまでもだよ。
カミサマもオオカミも思いやり深いひとばかりで、フクちゃんが幸せのなかで眠る時間を、それぞれにできることで守ってくれました。
お医者さんもフクちゃんにとっての幸福をよく考えてくれましたし、人間の友達はみんなでお祝いの準備をしてくれました。人の言葉を話せる仔犬がこの場に居合わせてくれた幸運も、そのお祝いの予定があってこそでした。
なにより、お鶴さんが誰よりも深く深く、フクちゃんの幸せのためにできること全部をやってくれました。
空には虹のきざはし。
フクちゃんはいくつもの小さな奇跡に見守られて旅立つことができました。
“奇跡”だなんて大仰な名前で呼べない、ほんの小さな小さな奇跡たちのことを、人は“優しさ”と呼びます。
幸せはどこからやって来るのだろう
「あの写真、誰?」
「若いころのお鶴ちゃんとスズちゃんよ。ふたりは小さいころから一緒に育ってね、本当の姉妹みたいに仲がよかったのよ」
「でも高校生のころスズちゃんは亡くなってね。お鶴ちゃん言ってたわ。『こんなに悲しい思いをするなら、もう犬は飼わない』って」
そりゃあ飼っているときは幸せです。
だけどいつか、犬は死にます。人間の1/5もない寿命であっけなく死んでいきます。
死に別れたときは身を引き裂かれるような悲しみが襲うでしょう。それが辛くて、二度とペットを飼えなくなる人たちはたくさんいます。
それなのに、ペットを飼う意味って?
きっと人は、幸せになるために生まれてきます。
幸せでありたくて生きつづけます。
幸せのなかで死ねたらどんなに幸せだろう、そう誰もが夢に見ます。
だったら、いつか必ず不幸がこの身に訪れることをわかったうえで、ペットを飼う意味って?
My life is likely to last ten to fifteen years. Any separation from you will be painful for me. Remember that before you get along with me.
犬の十戒
ぼくの寿命はだいたい10~15年。いつか君とさよならすることを思うと今から辛いよ。一緒に暮らす前に、君もそれはわかっていてほしいな。
かつてフクちゃんは難しい仔犬でした。
譲渡会、つまり保健所などに引き取られたワケアリの子たちなんですから、人間を怖がってしまう子がいるのは当然のことです。
そんなフクちゃんが、お鶴さんにだけは興味を持ってくれたのでした。
でもそれって、お鶴さんの幸せには直接関係ないことです。
ただかわいいペットを飼いたいってだけなら、人間への恐怖心がない、真っ当に育てられた子をどこかで買ってきたほうがいい。
フクちゃんにはお鶴さんしかいなかったとしても、お鶴さんのほうには無限の選択肢があったはずです。もとよりもう二度と犬は飼わないと誓っていたわけですから、むしろ飼わないことこそが一番の幸せだった可能性だってあります。
それでもお鶴さんはフクちゃんを受け入れました。
フクちゃんの幸せのために自分の幸せを犠牲にしようと思ったわけではありません。
どういうわけか、フクちゃんと一緒に暮らすことこそが、自分にとっても一番幸せなことだって直感したんです。
以来18年。
案の定、フクちゃんはオムツが手放せなくなりました。ことあるごとに自分を呼ぶようになりました。目を離すことができません。ここ数日で、ついに立ち上がることすらできなくなりました。
だけど――、こうなることがわかりきっていたフクちゃんとの出会いは、果たしてお鶴さんにとって不幸なことだったでしょうか?
「お母さん! なんとかできないの!? ――本当に、本当にフクちゃんには何もできないの?」
「今ならまだフクちゃんは家に帰れる。お鶴さんと一緒に暮らした場所で、お鶴さんと過ごすことが、フクちゃんにとって一番いいと思うの」
お鶴さんと同じく、フクちゃんと長く同じ時間を過ごしてきたいろはが嘆きます。
お母さんが言っていることを逆説的に言い換えるなら、延命するだけでよければまだ手の施しようがあるという意味です。だけどそれは、きっとフクちゃんを幸せにしない。お鶴さんも幸せにしない。
悲しみはいずれ訪れます。何もしなければまさに今日訪れます。
だけど先送りしたところで、来るべき日はまもなく訪れます。
いろはだってそれはわかるからこの場では口をつぐむしかありませんでした。
「ニコ様――。ニコ様ならフクちゃんを助けられるんじゃ・・・!」
「いろは。あなたもわかってるはずだよ」
でも。だったら奇跡を! お医者さんの力では伸ばせる時間とその代償に限界があるというなら、神様ならば!
わかっているはずです。
たとえ時間を延ばせたとして、それでも、お別れの悲しみは確実に訪れるんです。
あと何日、何年、フクちゃんを生き長らえさせれば満足でしょうか? 10年? 100年? 不老不死?
その場合、今度はお鶴さんが先に死ぬでしょう。いっそお鶴さんまで不老不死にしたならば――? 今度はお亀さんやお鹿さん、いろはのお母さんお父さん、あるいはいろは自身。別の人たちが先に死んでいくだけです。
お別れは不可避です。
出会ったからには、身を引き裂かれんばかりの悲しみから逃れることは絶対にできません。
いろはと、こむぎも。
「ありがとう、いろはちゃん。フクちゃんのために」
全てが終わったあと、お鶴さんはどこか満足そうにしていました。
フクちゃんはもういません。
今までずっと幸せだったフクちゃんとの日々は、もう二度と続くことがありません。
そうだというのに、彼女は言うのです。
「フクちゃんの“フク”は、幸福の“福”なの。名前のとおりあの子は私にたくさんの福をくれたわ。一緒に過ごした幸せはこれからもずっとここにあるのよ」
大切なペットを失う悲しみを知っていたはずの彼女は、それでもフクちゃんと出会ったとき、「幸福でありますように」と願いを込めて名を与えました。
フクちゃんは初めから、絶対に逃れられない不幸の担い手などではありませんでした。
幸せとは何者で、
不幸とは何者でしょうか?
「いろはちゃんがお祝いしてくれて、フクちゃんもきっと幸せだったわ」
ほとんど不発みたいなものだった18周年の記念日は、それでもお鶴さんに言わせれば“幸せ”に属するものだったといいます。
いろは自身はこんなにも悲しみに暮れているのに、それでも、祝ってくれて嬉しかったと。
思うに、幸せは“ここ”で生まれたのでしょう。
お鶴さんとフクちゃんの間に。フクちゃんといろはの間に。
お鶴さんとスズちゃんの間に。
こむぎといろはの間に。
全ての人と動物と、全ての人と動物の間に。
幸せはここで生まれました。
確かに生まれました。
だったら、たとえこれから先新しい幸せが生まれなくなったとしても、それでもここに残るのはやはり、幸せです。
フクちゃんが残したのはけっして、不幸なんかではありません。
これまで当たり前にあった幸せがこれ以上生まれなくなったことを指して、相対的に「不幸だ」「悲しいんだ」と残された者が感じているに過ぎません。
優しいフクちゃんはたくさんの優しさに守られて、そしてお鶴さんの膝の上にたくさんの幸せを残して、旅立っていきました。
お鶴さんは幸せになるためにフクちゃんを飼うことを決めました。
人間を怖れるフクちゃんにたくさん優しくしてあげて、たくさん幸せにしてあげて、それと同時に、自分自身もたくさん幸せにしてもらったのです。
「いろは。この子はね、体もだけど心が傷ついてる。急にひとりぼっちになって、ケガをするような怖い目にも遭って、辛かったと思うわ。仲よくなるには時間がかかるかもしれない。仲よくなっても、元の家族が見つかったらお別れすることになるのよ。――それでもこの子と一緒に暮らしたい?」(第5話)
「私、2年前にこむぎを保護したとき、お母さんと約束したんです。もしもこむぎの家族が見つかったら、ちゃんとこむぎとお別れして、前の家族に返してあげるって。だけど、毎日こむぎと過ごして、どんどん仲よくなって、いっぱいケンカして。私、こむぎのことが大好きになって。こむぎと離れるなんて絶対にイヤ! ――ワガママ言ってごめんなさい。でも、私ずっとずっとこむぎと一緒にいたいんです。・・・だから、お願いします!」(第38話)
かつて大変な覚悟のもとでこむぎを引き取ったはずのいろは。
だけど結局別れ難くなって、ワガママを言ってしまったいろは。
突きつけられてしまいました。
どんなに足掻こうと、お別れはあくまで不可避であること。
そして認めなければなりません。
こむぎと一緒にいられる今の自分が、どれほど特別で幸せな時間を過ごしているのかを。
この先に待っているのは決して不幸なんかじゃありません。
ただの、たくさんの幸せの終わりです。
コメント
今日はお鶴さんに引き取られた飼い犬のフクちゃんが引き取られてから18年を迎える話でした
悟が今回のガオガオーンのことになると「(前略)街に行ったりしたら」とこぼし、遊戯王でも「(前略)たりしたら」を語末にするセリフもあって、土日に放映歴があるアニメ的に聴き応えがあるセリフでしたね!!☆☆♬
それとお鶴さんが「私もだよ。フクちゃん」と相槌を打って、キュアベースボールギャンブラーと女子寮の寮長(プリキュア=キュアバドミントンギャンブラー)が二人三脚で次々とやられ役を浄化して行くプリキュア小説では、魔女の効力で女子寮の寮長の小学校の時限定の男子の同級生が復活し、その同級生は「オレもだよ。女子寮の寮長の名字」と相槌を打つので、プリキュア的に10割聴き応えがあるセリフですし、このサイトでチェックしている時にあったことを思い出しました!!☆☆♬
でも魔法つかいプリキュアの最終回ではリコが「私もよ」で終わらせてしまうので、こっちは物足りなかったですね!!(汗)
で、今回はこのままいけばガオガオーンの勝利になるところトラメが制止の声を発し、ふたりはプリキュアSplash Starのドロドロンがブルーム&イーグレットを糸に絡めつけ、薫と満のアシストで勝てた話もあり、この時以来18年ぶりとなるプリキュアの戦闘における勝利パターンといっても良いです
で、次回はトラメの最終決戦の模様ですね
今日は中学校まで通い詰めた学校も市役所の住所登録も私の現職の会社に直結する職業訓練センターも広島県だけど、卒業した高校や受けた私学高校に現職の会社も岡山という後輩とソイツの妹の姪っ子が保育園児でプリキュアにハマっているため、ソイツのお姉様のスマホに送ってもらうようソイツのスマホに今日のプリキュアの感想をメールしました
★イガイガさん
今年の高校野球は私がメインで観て勝ったチームは広島県立因島高校ぐらいなものですね
お父様の親友にも今朝そのように言いました
あとは岡山の1年生大会も含めて全戦全敗で間違いないと思いますし、広島県の1年生大会もメインで観ようとしたチームは準決勝・決勝で敗戦決定試合でした(苦笑)
それでも広島県府中市出口町250の首無地蔵では、これからも野球の必勝祈願はしたいし、高校野球を1年間で公式戦を3回は観に行くと、その内の2回は勝利を遂げて欲しいですね
>で、今度プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は、コンビニグルメのことで
ファミリーマートのファミから(揚げ)はやっぱり皮の部分がいくらでも食べたくなる食感なのが素直にうれしいですね!!☆☆♬
但し、メインとなるもも当たりの部分は、やっぱりドロッとしていてこれは修正を願いたいです
商品製造部の担当者にはご理解ご協力ご了承を願いたいですね
お久しぶりです。今日も見ました。まさかプリキュアで動物の死に直接触れるとは…。私も泣きました。ペットの死は私も何度も経験しているので。私も以前、犬がいました。2003年に迎え、2017年に犬が14歳になると立てなくなり、後に心不全になって母と一緒に病院に連れて行って入院させるも手遅れの為に息を引き取りました。あれからもう7年も経ちますがやはり今回の話を見ると泣けますね。愛犬を失ったのは私も同じですから。お鶴さんちのフクちゃん、ご冥福お祈りします。こむぎは他の動物の言葉が通訳できるからフクちゃんの遺言の翻訳で大活躍でしたね。まゆの手作りのタオルケットも本当に上手でした。ユキと悟も必死に涙をこらえている所も印象に残りました。いろはは獣医の子でありながらフクちゃんの余命を聞いて「嘘でしょう⁉フクちゃんを助けて!」と言って動揺していましたね。獣医の娘とは言え、やはり彼女もまだ年相応に心は普通の等身大の子供だからでしょうか?トラメもやはり動物思いだからお鶴さんに早く病院に行けるようにしてくれて本当な良い人な所が伝わりました。そしてニコ様、フクちゃんの最期の願いを叶えてくれました。フクちゃんは最期に飼い主のお鶴さんの膝の上で安らかな眠りにつきました。背景に咲き誇る花に囲まれるイメージで…。そして虹の橋を渡ったと。残念ながらメエメエは登場しませんでしたが彼もきっとその頃、本編の裏側ではニコガーデンで現世から旅立って新たなニコアニマルに生まれ変わったフクちゃんをお出迎えしている頃でしょうね。そしてアニマルタウンでは亡くなった動物は確か『遠吠え神社』で供養されるんですよね?(23話より)私が想像した44話後の続きは、遠吠え神社でフクちゃんのお葬式が行われている光景が目に浮かびます
トラメと最後に向きあうのはいろはで、ザクロのほうはまゆになりそうな感じでしょうか。なんのかのでストンと腑に落ちる組み合わせになりましたね。
こうなると気になるのがユキの立ち位置です。間もなく始まる最終決戦でガオウに対峙するのは当然こむぎになるとして、今のところひとりだけ空いているユキにどういう役割が与えられるのか、今からとても楽しみです。
とかなんとか(実は先週から)下書きしていたんですが、なんか次回予告を見た感じザクロの相手をするのユキっぽいですね。これは意外。
ああ、マジか…。
数日間体調を崩し、気づいたら「わんぷり」を3話連続で見逃していた。そして次の「プリキュア」シリーズの名前とテーマが決まった。
気づけば、人生はあっという間だ。
で、今回。 神回。
「わんぷり」を見始めて、そのテーマとストーリーにすっかり魅了されたときから、このアニメは「死」というテーマを扱うのだろうかと思っていた。
何しろ、ペットを亡くすという、アニメでは「古典的」なストーリーなのだから。
そして、ペットを失うことから、死を免れない生き物であることの意味を考える。
私はこの話にとても驚いた。
このような辛く恐ろしいテーマを、非常に潔く扱っている。
結局のところ…
“My friend, whom I loved so much, […] / The fate of humankind caught up with him. […] / My friend, whom I loved, has turned to clay. […] / Am I not like him? I too will lie down / and never get up, for all of eternity.”
(「ギルガメシュ叙事詩」ソフュス・ヘル(Sophus Helle)著2021年英訳)
ニコ様がフクちゃんの最後の願いを叶えるシーンは、全話で一番好きかもしれない。
ニコ様の神性が見事に発揮されている。編集の何か。
フクちゃんの懇願のまなざし。ニコ、巨大なパワーを持つ小さな存在。
フクちゃんの懇願のまなざし。ニコ、巨大なパワーを持つ小さな存在。
フクちゃんの懇願のまなざし。ニコ、女神。
とてもシンプルで、とてもとても効果的だ。
次回は面白そうだ。こむぎの心境も描かれるのかな。
(彼女もまた、避けられない運命によっていろはと引き離されるのだと。)
(ニコが奇跡を起こして、コムギとユウキに人間の寿命が与えられたとしても……)
(それは終わる。)
プリキュアシリーズはもともと登場人物の“死”を描くことが少ない(初期作以外は敵幹部の退場すらなかなかやらない)シリーズなだけに、ともすると主人公にまで死のイメージが付きまといかねない今作でペットの死を描ききったことにとても驚きました。
フクちゃんとニコのシーン、私も好きです。
起こした奇跡がほんのささやかなものであるところがまたいい。亡くなる間際の子が最後に力をふりしぼる、現実にも存在するあの現象。他の国だと何と呼ばれているのかわからないんですが、日本ではエンジェルタイムというそうです。
私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、神様が現世に積極的に介入してこないからこそ、人も利益やら対価やら余計なことを考えず純粋な愛だけを捧げられる、という神様と人との関係性が好きなんですよね。
当時は思いつかなかった(あるいは言葉が見つからなかった)のだが、ニコがフクの願いを叶えるという一面がとても気に入った。
世界保健機関(WHO)の健康の定義の進化や、ホスピスケア、緩和ケア、尊厳死などのトピックに注目しよう。
フクの自然死を防ぎたいといういろはの願いを、ニコは叶えない。
ニコはこの件に関して、他の誰かの願いを叶えることはなかっただろう(フクの痛みを軽減するためは別かもしれないが)。
しかし、ニコは死にゆくフクの最後の願いを叶える。
もちろん、フクの願いがそれ以外のものであったなら、ニコがどのように仲裁に入ったかは議論の余地がある。
しかしこの場合、ニコはフクの言うことを聞き、小さな奇跡を起こす。
動物が愛する人間と一緒にいるために愛情を強めたり、最後の力を振り絞ったりする現象はよく知られているが、他の言語では具体的な名前はないようだ。
「エンジェル・タイム」、素敵な言葉だ。
この回は、プリキュア御意見番と名乗ったこと御深く公開させられるほどの衝撃を与えられました。ノーベル平和賞に広島の被団協が選ばれたのと同じ時期であったことも後押しされました。
先代の張本勲御大が裏番組の司会の女性にインタビューされている一部始終を見れば、そりゃ確かに、下手なことは言えません。
銀河鉄道999の星野哲郎の最後に得た悟り
「限りある命の尊さ」
キカイノカラダを得ようとした末に得た悟り
これを思わずにはいられませんでした。
せっかくの日曜朝、こんな重いことをやれるとは、喝よりむしろ、あっぱれです。
ついでに申すと、正直どこかで三ババトリオなどと面白おかしく言っておりましたが、それも撤回です。
鶴さんの女学生時代、私が生まれる前(1969年以前)でしょう。遅くとも、野村克也が三冠王をとった年。まさに監督があの鶴さんこと鶴岡親分の頃。
いずれにせよ、藤本定義御大が阪神監督時代は間違いない。
ただし、江夏豊入団前。
あのおばば、もといお姉さんたちは、戦争を知らない子どもたち。私はその息子世代の、戦争を知らない子どもたちの子どもの一番手世代です。
しかし、今から18年前のおねえさんら、私の今と同じくらいの年齢ってことになるとすると、エライお若いわぁ。
ふくちゃんは身を持って、私に、藤村冨美男という野球人を思い出させてくれました。
あのおじさんがなぜ、ドラマを晩年見なかったか。涙もろくなった実質初代ミスタータイガース。酒は飲めず、糖尿病を患って視力もなくなっていたという、長嶋茂雄もあこがれたというあのおじさんのことを思うと、感無量でした。
それもそのはず、鶴さんの女学生時代まさに、あのスズちゃんというワンちゃん(無論草魂の鈴木啓二さんではない~念のため)と過ごした時期はまさに赤バット、青バット、それに物干しざおの藤村さんの時代と重なっていたことを思うと、ね。
閑話休題。
こむぎ君、今回は昨2023年日本シリーズの近本級のMVPでした。
いやいや、1985年のバース級に訂正します。
あれだけさりげなく、しかししっかりと、犬のふくちゃんの言葉を人間のおばあさま、とはいえ私から見たら親と同じくらいか少し若いかもな女性(逆言うと起こられるのでそうします~汗汗)をはじめ、皆に伝えられるのは、あの少女しかいない。
その役をきちんと果たした健気さというか、彼女しかできない役目をしっかり果たせたことに、あっぱれです。
まとまりなくて申し訳ありませんが、かのワンちゃん、プリキュアを日曜朝に観ているだけのおっさんに、この1年間で藤本定義さんに加えて藤村冨美男さんまで思い起こさせてくれるとは、夢にも思っていませんでした。
~ 正直、オープニングで悟少年といろは君の間に出てくる彼女を見ると、反射的に藤本定義という名が縦書の漢字(感じ!)で目に浮かぶわけです。もうこれは半年以上続いております。
プリキュア御意見番・名代藤本定義 二代目喝御大
あの3人、実際何歳なんでしょうね。18年前があれだけ若々しいってことは60そこそこ? お鶴さん結婚指輪をつけてましたけど、旦那さんも案外まだ健在だったりするんでしょうか。
こむぎがフクちゃんの通訳をしていたシーン、まったく感情を込めないセリフまわしに神々しさがありましたね。
これまで使えたはずのシーンでも使わずにいた“禁じ手”を今話に限って惜しみなく行使したわけですが、その意義はありました。あれだけ幸せな命の終わりに立ち会い、共感できたなら、きっとこむぎも小さな視聴者たちも“死”という鮮烈なイメージを短絡的に特定の感情と結びつけず一度自分なりに考えてみることができるでしょう。
>>お問いあわせフォームのかた
私個人としての本音を言うなら、このコメント欄では私の感想文に対する感想か、せめてここで扱った作品についてだけ語ってほしい気持ちはあります。
私が興味を持てない話をされてもお返事に困りますし。
ただ、このくらいの規模感の個人ブログだとコメント欄を読みたくて来るかたはそう多くないでしょうから、そこまでガチガチに統制せず好きに使ってもらっていいかな、とも考えているんです。
とりあえず今はウチのブログから発信してしまうと問題がありそうな誤情報や攻撃的な言論にだけ対応する方針です。