友達って“悲しい”や“苦しい”もあるけど、でも、“嬉しい”や“楽しい”はその何倍もあるから。
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「ずっとずっと友達」
大きな出来事
メインキャラクター:いろは
目標
友達ともいつかお別れのときは来る、という悲しい現実を自分なりに受け入れる。
課題
幼いころから仲よしだったフクちゃんが亡くなった。一般にペットとなる動物たちは総じて人間より寿命が短いのだから、今後もたくさん死別を経験することになるだろう。
どんなに仲よしな友達であってもいつかお別れのときは必ず来る。それを思うといろはは気が滅入ってしまう。
解決
今日やっと仲よくなれたトラメが、今日人間への憎しみを失ったために天へ還っていった。いろはにとっては立てつづけに友達を喪うかたちになってしまったが、一方のトラメは満足そうだった。フクちゃんもそうだったように。
プリキュアになったこむぎと同じ景色を見るためにプリキュアになって、追いかけて、追いかけて、追いかけつづける毎日だった。
そのがんばりのおかげでトラメとも仲よくなれたことが、今すごくうれしい。
けっして、お別れの悲しみを味わうために仲よくなったわけじゃない。友達をつくること、友達と一緒に遊べることはそれ自体とても幸せなことだ。
友達ができることにより不可避となってしまう悲しみや苦しみの、その何倍も。
バトル
楽しい
トラメとの追いかけっこ。
トラメはとてもすばしっこくて、プリキュアの力を使ってもなお追いつかれてしまう。キラリンアニマルたちの力も借りて、お互い全力で遊んだ。
楽しかった
ニホンオオカミの絶滅で一緒に遊ぶ仲間を失ってしまったトラメにとって、プリキュアは思いがけない遊び仲間となった。
まさか人間を“仲間”と思う日が来るなんて。人間への怒りを忘れたトラメはプリキュアにガオウのことを託し、暖かな気持ちを抱いて旅立っていった。
ピックアップ
はなむけの花
花言葉を扱うwebサイトの多くは西洋文化における花言葉から取って、白いキクの花言葉を「真実」と紹介するが、日本においてこの花は故人に捧げる花としてのイメージが非常に強い。(西洋風の結婚式を例外として)お祝いごとのプレゼントとしては忌避されるほどだ。
仏花の解説をするwebサイトでは「ご冥福をお祈りします」と、日本文化独特の花言葉を紹介している。
キクとは古代中国において不老長寿薬の材料が採れる霊験あらたかな花であり、そこから流入してきた日本においても邪を払う清浄な花として重宝されてきた。神道において最高神の末裔とされる天皇家の家紋もキクである。
また、キクはとても長持ちする花(切り花で2~3週間ほど)でもある。仏壇や墓前に供える花として扱いが楽だという現実的な理由も、この花が仏花として広く親しまれている理由のひとつ。お鶴さんがつぼみの花を混ぜて供えているのも、より長く日持ちさせるための工夫だ。
ラストシーンにおいて供えられている花が1輪増えている。
いろはも、ようやくフクちゃんの死を受け入れられたわけだ。
南風
今どき風見鶏を風向計として実用する人はあまりいないだろうが、風見鶏というものは風が吹いてくる方向を向くようにできている(矢印とは反対方向に風が吹く)。(※ ちなみに偉そうに語っている私は過去何回も間違えています)
つまりここで吹いている風は南風であり、海風だ。南から吹く風は一般的に暖かく、また、特に冬の場合は陸よりも海面のほうが温度が高くなりやすいことから、この時期の海風はなおさら暖かいものになる。
寒いと言っていたトラメの魂も少しは安らげるだろうか。
(厳密には冒頭から南風が吹いていたところ、ラストシーンで少しだけ方位が変わって南南西からの風になっているんですが、ぶっちゃけ何か象徴的な意味があるのかどうか私にはわからなかったです)
こむぎに死のイメージは持たせない方針なんでしょうね。そのあたりの言及は徹底して避けたまま、それでもうまいこといろはに“フクちゃんの”死に留まらない、もっと広汎な死との向きあいかたについて考えさせていました。
直接的な言及を避けたぶんシングルイシューな語り口にはならず、ちょっと回りくどい論理展開になっていましたが、「お別れの悲しみより友達になれた喜びのほうがずっと多い」という一番大事な結論部分は、きっと小さな子どもたちにも伝わったんじゃないでしょうか。
悲しみを乗り越えられない人はいます。
もう二度と同じ悲しみを味わいたくないと、いわゆるペットロスになってしまう人も少なからずいます。
過去が幸せであった人であればあったほど、その喪失は筆舌に尽くしがたい苦しみとして襲い来るものでしょう。
ですが、この物語はプリキュアで、これから80年近い長い人生を生きていく子どもたちに向けたメッセージです。ただ一度の大きな喪失があったからといって、それから先の長い人生で幸せになれる可能性のひとつを永久に摘み去ってしまう行為は、大人から見てもあまりに心苦しい。
無痛を良しとする時代でもあります。
叶うかどうかもわからない夢のために苦しい努力なんてしたくない。いつか裏切られてしまうかもしれない辛い恋愛なんてしたくない。栄光も、勝利も、自己実現も、あるいは人並みの幸せですらも、その前提に悲しみや苦しみがあるのだとしたら諦めてしまったっていいじゃないか――。
それがひとつの選択であることは否定しません。なんなら私自身ずいぶんとヌルい人生ばかり選んで歩んできました。でも、だからこそ、一生懸命がんばって精一杯生きてきた勇気ある人たちのことを尊いとも思うのです。
痛みを怖れる前に、どうか今一度、その痛みの正体が本当は何であったのか自分なりに考えてみてほしいと願います。
心の傷
「いろはちゃんってウソつくのは苦手なのに、元気なふりするのは上手だ」
初手ポエム。
きっとこういう人は、ひとりで勝手に傷を膿ませて、ひとり苦しみに耐えながら、ひとりで静かに死んでいくのでしょう。(負けじとポエム)
そう思うからこそ、悟もまゆも、いろはのことを放っておきません。
一方、そのいろは。
「――お鶴さんが元気でよかったです」
「心配してくれてありがとう。よかったらいろはちゃんもお参りしてあげて。フクちゃん、喜ぶと思うわ」
案の定、全然塞がっていない傷口を他の人の手で撫でられてしまっていました。
お鶴さんはすでにフクちゃんの死を乗り越えています。
だからまさか、いつもどおり元気いっぱいな目の前のこの子が、未だフクちゃんの死を飲み下せずに苦しんでいるとは思いません。
お鶴さんが無遠慮なわけではないのです。心が健康な人ならこの程度のお願い、なんてことないはずでしょう。むしろ親しみを向けてもらえて名誉ですらあります。全部健康そうに装っているいろはが悪い。
「カレシとしてこういうときこそ力になりたい。そう思って色々調べたり計算したりしたけど、・・・どう言葉をかけたものか皆目わからない!」
「私も友達としてなんとか励ましたい。でもいくら考えても、検索しても、・・・いい方法が見つからない!」
だからといって、今のいろはに何をしてあげられるものでしょう?
うかつに抱きしめてやったところで傷口に手を触れてしまうだけ。だって、本人が傷口を隠しているんです。どこを触っちゃいけないのかなんてハタから見てもわかりません。
なら、そっとしておく?
それもイヤ。だっていろはは友達です。痛そうにしているのを見ていたら、こっちまで悲しくなっちゃう。それに、こちらの悲しくなっちゃう気持ちをぐっとこらえて、あえてひとりにさせてあげるというのも、何か違う。
実際、悟たちのいないところでうっかりお鶴さんに会っちゃって、勝手にもらい事故やらかしてますしね。
「そっとしといたれや。充分がんばっとるヤツに『がんばれ』言うのは酷やで」(『HUGっと!プリキュア』第5話)
かつてそんな安っぽい一般論に正面から反発したプリキュアがいました。
下手に干渉したところで自分も相手も傷つくだけかもしれない。でも、今まさに苦しんでいる人を放っておいたところで自然治癒するとも限らない。
「なんて言葉をかけたらいいか正直わかんなかった。もっとイケてる言葉言いたかったけど、心がウーってなって、フレフレしかできなかったの。私、ほまれちゃんみたいになりたい。美人で、カッコよくて、大人で。なのに、・・・おこちゃまだよねー」 「変なの。私はあんたみたいになりたいのに。明るくて素直で。みんなあんたみたいな子、好きでしょ」(『HUGっと!プリキュア』第5話)
体の傷が癒えるには栄養が必要です。たくさん食べさせなきゃいけません。
心の傷も同じこと。傷を癒やすには、うまくいくとは限らないけど、それでもやっぱり栄養を与えてあげることは必要でした。
「いろはは大丈夫だと思うよ。あなたたちがついてるから」
自分のことじゃないのに悩んで苦しんで、答えなんか全然出なくても、それでも放っておく選択肢だけはありえない。
下手したら鬱陶しがられるかもしれないくらいのお節介さん。
だけど、そんな人たちが傍にいてくれるなら大丈夫。心の栄養はここにある。ニコニコだ。
そもそもお鶴さんが元気になったのだって、お亀さんやお鹿さん、友達が支えてくれたからですしね。
「心配なのは・・・」
まあそんなわけで、何気にニコ様がオオカミたちのことを気にかけている真意もここで明らかになりました。
彼らは孤独だから。
誰も彼もを遠ざけて、心の傷を開きっぱなしにしたまま、ちっとも癒やそうとしないから。
だけど、もしも、いつか。彼らが絶滅した同胞以外の誰かを仲間と認められる、そんな日が来たとしたら、そのときは――。
放っておけない
「・・・友達って楽しいばっかりじゃないなあ」
いろはが夕暮れの雲の形をこむぎに似ていると思っているのかフクちゃんに似ていると思っているのか少し迷うところですが、ここは直前に挟まれた回想カットと、こむぎと死を結びつけたくなさそうな脚本方針から察して、フクちゃんが走っている姿と解釈するべきでしょう。
ただし、直後にこむぎのアクションに移ることから、これはけっしてこむぎにも無関係な話ではありません。
「私、2年前にこむぎを保護したとき、お母さんと約束したんです。もしもこむぎの家族が見つかったら、ちゃんとこむぎとお別れして、前の家族に返してあげるって。だけど、毎日こむぎと過ごして、どんどん仲よくなって、いっぱいケンカして。私、こむぎのことが大好きになって。こむぎと離れるなんて絶対にイヤ! ――ワガママ言ってごめんなさい。でも、私ずっとずっとこむぎと一緒にいたいんです。・・・だから、お願いします!」(第38話)
以前、いろは涙が出るほど苦しい決断をしました。
かつてお母さんと交わした約束を違えること。自分に対して不誠実でしかない、ワガママを言ってしまうこと。
あれはこむぎとお別れしたくなくて、そのために必要でやったことでしたから、寿命という不可避のお別れだった今回のフクちゃんの件とは少し性質が異なります。
でも根っこの部分は同じ話。「友達って楽しいばっかりじゃない」んです。
最初は全然なついてくれませんでした。むしろ警戒してうなり声まで聞かされました。
ケンカもたくさんしました。フレンドリータクトになってしまったリードを巡って、どうにもならないワガママで困らされたこともありました。
勝手に危ないことをされて、肝を冷やすことだって何度もありました。そもそもこむぎが最初にプリキュアになった日からして、安全なところで待つよう言いつけていたはずでした。
友達ってままならないものです。
一緒にいてすっごく楽しいけれど、でも、楽しいばっかりじゃない。
いつかはお別れすることにもなります。毎日毎日楽しくて、すっごく楽しくて、でも、一番最後の日は絶対に悲しいお別れで終わってしまうんです。
「正直、悲しい気持ちはなくならないわ。家にいても、お散歩してても、フクちゃんのことを思いだして泣いちゃいそうになることもある」
最後は必ず悲しみで終わってしまうのなら、それでもわざわざ友達をつくる理由って?
ワォーン――。
不意に、遠吠えが聞こえてきました。
「・・・絶滅? ・・・いない? 誰もいなくなっちゃったの? 一緒に遊ぶ子も? ――でも、こむぎ聞いたよ。山のほうからワォーンって」(第23話)
以前、こむぎも遠吠えを聞いたそうです。
なんだかさびしそうで、放っておけなくて。だから仲よしになりたいんだってこむぎは言っていました。
今でもずっと言っています。ガオウと友達になりたいって。
トラメの遠吠え。
トラメのさびしそうな表情。
なるほど。これは放っておけなくなる。
「トラメ」
「ワフっ!? なんだよ。何しに来たんだよ」
「あなたの声が聞こえたから」
で、何故だか一緒に遊ぶことになってしまいました。
前々からトラメは遊びたがっているだけじゃないかと薄々わかってはいたけれど、まさか本当に遊べる日が来るなんて。こむぎはすごい。
「私たちはニコガーデンの子たちを助けたいだけ! あなたたちとも争う気はないの! 友達になろうよ!」
「人間はオイラたちオオカミを危険な獣だと決めつけて攻撃してきた。――なれるわけねえ! なりたくもねえ!」(第29話)
夢のような、そして目が覚めるような出来事でした。
「私、こむぎと一緒に走りたくてプリキュアになったんだ」
「困ってる動物たちを助けてあげるためじゃなかったの?」
「もちろんそれもあったけど。こむぎが心配で、だけどいくらがんばっても全然追いつけなかったから。だからプリキュアになって、同じ速さで、同じ景色を見ながら走れて嬉しかったんだ」
今ならそういうふうに思います。
世界中の動物と友達になりたい。それがいろはの、昔からの夢。
だけどプリキュアになってそれをやり始めたのはこむぎでした。
それも、こむぎ自身がみんなと友達になりたいからじゃなくて。こむぎは、あくまでいろはが喜ぶからそうするんだって言っていて。
「こむぎはね、いろはがいるから毎日ワンダフルなの。ガルガル放っといたらいろはワンダフルじゃなくなっちゃうよね? だから、こむぎ行くよ!」(第2話)
こむぎが、いろはにとって全然嬉しくないことを言って怪物のところに飛び出していったとき、いろははなんとしてでも彼女を守りたいと願いました。
だけど全然追いつけませんでした。走っても、走っても、プリキュアになったこむぎには絶対に追いつけなくて。
ずっと遠くの、いろはの手が絶対届かないような場所で、こむぎがまた危ない目にあっていて。
・・・そんなの、全然嬉しくなんかありませんでした。
自分のせいでこむぎが痛い思いをするだなんて、そんなの絶対に許せないことでした。
「こむぎ! こむぎが痛いと、私も痛い。“私も”だよ! こむぎとお散歩したり、ごはんを食べたり、眠ったり。そんな毎日が、こむぎと一緒の毎日がワンダフルなの!!」(第2話)
今になって思えば、それこそがいろはにとってのプリキュアの始まり。
たくさんの子たちと友達になりたかったのももちろんだけど、まずは目の前にいる友達のことを放っておけなかった。
今だってそう。トラメがひとりでさびしそうにしていたから、一緒に遊ぶ流れになった。そうなれて私も嬉しかった。放っておけなかったから。
新しい友達ができて嬉しい。
だけどそれは、なにもただ遊べて楽しいからってだけじゃなくて。そう。友達になることで相手も喜んでくれるから、私は嬉しいんだ。
「もう友達になってるでしょ。一緒に遊んで、楽しかったら、もう友達だよ!」
幸せが生まれるところ
「一緒に遊ぶと楽しいよ! ね、いろは! お天気悪くても、ケンカしても、悲しいことあっても、一緒に遊べばワンダフル! だよね!」
今日はいつにも増してこむぎがくっついてきていたっけ。
――ふと、そんなことを思いだしました。
こむぎがそんなことをしていた理由に今すとんと思い当たりました。
放っておけなかったんだ。
「いろはは優しいから困ってる子たちを放っておけない。それがどんな相手でも助けようとする。助けられた子たちはみんな嬉しそうで。いろはも嬉しそうで――」(第7話)
こむぎはただ遊ぶことが大好きな子なんだと思っていました。
だけどその割には、何度怖い思いをしてもガルガルに立ち向かうことをやめなかったし、夢を叶えることを手伝おうとしてくれたし、そういえば、ガオウと友達になりたいって言っていること自体、ガオウの遠吠えがさびしそうに聞こえたからで。
「あ。そっか――。こむぎもそうだった――」(第7話)
本当は、もうずっと前から、こむぎはそういう子だったのでした。
みんなの喜びを分かちあえる子。
みんなと一緒なら嬉しさが何倍にも大きくなる子。
悲しんでいる誰かのことを放っておけない子。
だから、一緒に遊ぼう。
どうすれば悲しみを消せるのか、それはよくわからない。
どうすれば怒りや憎しみを消してあげられるのか、そういう難しいのはもっとわからない。
だけど喜びを増やす方法なら知っている。
嬉しいとか、良かったとか、幸せだとか、みんなをそういう気持ちにしてあげる方法なら知っている。
たとえばいろはが悲しんでいるのなら。
たとえばトラメがさびしそうにしているのなら。
「こうするとね、苦しいのがなくなるんだよ。ガルガルしないで一緒に遊ぼ! 楽しいこと、嬉しいことがいっぱい! 『世界はステキにワンダフルー!』なんだから!」(第1話)
友達って、幸せな気持ちをたくさん、たくさんつくることができるんだ。
他の気持ち全部どこかに吹き飛んでいってしまうくらい、たくさん、たくさん。
元をたどれば、これはそもそもいろはがこむぎに教えてあげたことです。
迷子だったこむぎにたくさん親切にして、怯えたこむぎがどんなに恩を仇で返すような態度を取ってもへこたれないでがんばって。そしてひとたびこむぎが心を開いてくれたなら、自分もこむぎと一緒になって喜んで。
嫌な気持ち全部を受け止めてくれて、代わりに幸せな気持ちをたくさんくれたから、今のこむぎができました。
こむぎがいてくれて、みんながいてくれて、よかった――。
「あったかい・・・。これ、ガオウやザクロともしたいな。友達って“悲しい”や“苦しい”もあるけど、でも、“嬉しい”や“楽しい”はその何倍もあるから。オオカミたちとも友達になって、いっぱい楽しいことして、友達の輪をつくりたい。力いっぱい、ぎゅーってしたい!」
誰かと友達になった以上、どういうかたちであれ最後に待っているのは悲しいお別れです。
お別れはどうしたって不可避です。
だけどそれはけっして不幸なことなんかじゃありません。
ただの、たくさんの幸せの終わりでしかないんです。
コメント
『最終回でこむぎたちと仲良く遊ぶガオウ一派全員』という絵面を見たかった気持ちはありますが、なるほど彼らは一度死んだ身でした……。
となれば、ここはやはり在るべき姿に戻ってもらうのが筋ってもんですかね。
お祭りの会場とかではなく供養の場という形で神社を出した以上は、(神道に基づく施設と仮定して)転生させる方向にも進まないと判断します。
改めて、可愛い顔してシビアなアニメですこと!
ガオウに至ってはそもそも本人なのか?って疑問点も残ってますしね。
もしそっちだった場合はどうしても“死別”というセンシティブな話題に切り込まなきゃいけなくなるわけで、おそらくまだまだシビアな展開が続くと思われます。
たしか神道の死生観だと魂が新たな生命として生まれ変わることがない代わりに、祖霊として永遠に生きつづけるんですよね。ここは、いつかオオカミたちが憎悪から解放されたとき、また仲間と一緒に野山を駆けまわれるものと祈るべきでしょうか。
今日はトラメとの最終決戦は遊びつくして狛狼の姿に戻る話でした
こむぎが「ねっ。いろは」と口にしたのはプリキュア的に聴き応えがある話ですね
2021年の7月のキュアベースボールギャンブラーや女子寮の寮長(プリキュア=キュアバドミントンギャンブラー)らが登場する愛媛大会の高校野球観戦記の中で、私は愛媛県立今治東高校をメインで観てよく拍手を送りました
で、初回の表の今治東の守備では初回の3失点だけで完投することになる今治東の先発ピッチャーは初回は松山東のバッターにビビっていて、松山東のベンチは
「(相手の先発)ピッチャー。ビビってるッ!」
と声を出し、キュアアイドルギャンブラーが女子寮の寮長に向けて言い放つと、女子寮の寮長は
「(松山東は)好いチームね。ねっ、キュアベースボールギャンブラーの下の名前」
と言うことからプリキュア的に聴き応えがあります
この高校野球観戦記はいずれプリキュアちゃんねるにアップする予定です
で、こむぎがいろはのどっちかが「何々」と2回口にして、こっちもプリキュア的に聴き応えがあります
キュアアイドルギャンブラーもキュアベースボールギャンブラーと女子寮の寮長が二人三脚で次々とやられ役を浄化していくプリキュア小説では、「何々。教えて☆☆(=女子寮の)寮長」と聞き求めるので、プリキュア的に聴き応えがあります
で、次回はクリスマスですね
2年連続でメリークリスマスになると約束して良いんでしょうかね?
★イガイガさん
お久しぶりです。
貴方様にはよく話題を振った亀ちゃんです
私が高校野球など話題を振った内容の答えを一つ一つ書き込む便に返してくれるのは望ましいことです
★与方さん
ドラゴンズのマルティネスは巨人に移籍が完全決定したようですね
日本シリーズはおろか、クライマックスにも出られなかった借りは巨人で日本一にもなることで返し切ることが出来るか否かですね
それから駒大苫小牧高卒OBの田中投手はまだ新天地が決まっていないようですが、決まらないまま現役引退も否めないでしょう
>で、来年。プリキュアの店に行く予定は
3月は22日に岡山の4年制である市立高校軟式野球部OBと一緒に年が明けて初めて行くかもしれません
これが来年の3月も夏春連続で甲子園に一緒に行くための絶対条件ですから!!♪
私は千数十円で収まるチョコだけを買う予定です
キミとアイドルプリキュアのバスタオルは11月1日に買い込む予定ですね!!☆☆♫
>さらにプリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は
今日はおかやま山陽高校がある地域の中学校から1番近くのローソンでロシアとウクライナの戦争が始まったセイで値上げしてから初めてからあげくんを買い食いしました
しかし味噌カツ味が1個だけ売れ残っていて、先行でレジの会計をしたお客様も買わなかったので、迷わず買いましたが味噌カツの味が全然した感じがせず、これは本当に残念ですね!!(冷や汗)
だからいくら時間が経っても味噌カツ味のからあげくんは今後に向けて、キッチリ味噌カツの味わいがするようにして欲しいものです!!(厳⇔咲)
それと税込173円のボーナスポイントが付くコーヒーゼリーもセットで買って、税込みが432円となりこれは超超超絶妙な値段でPontaポイントを貯めるために買い込むことが出来て、これは正直メチャクチャ素直にうれしいことでした!!☆☆♬
だからこれからも173円のコーヒーゼリーにボーナスポイントが付くと、からあげくんも税込みが253円であるうちに迷わずセットで買いたくなりますね!!☆☆♬
遠吠神社の狛犬って第23話で初めて描写されたときはちゃんと存在していたのに、第29話でトラメザクロが召喚されたときは何故か台座の上から消えていたんですよね・・・。2人は何もない台座のうえで顕界したという。
いやまあ、こんなの十中八九深読みするべきところじゃないんですが。
いずれにしろトラメが残した狛犬は第23話にあったものともまた違っていて、オオカミたちの怨嗟が薄らいだことを感じさせますね。
全ての生き物が背負う生・老・病・死のルールは、ダイヤモンドユニコーンにもねじ曲げられるものではないそうな。
そしてダイヤモンドユニコーンは死した者の魂を取り扱う資格も持ち合わせず、彼女が設営したニコガーデンは“天国”“黄泉の国”などではなく、「絶滅の危機に瀕した生物の生き残りを収容して保護するシェルター」であって、ただ「シェルターの内部デザインを“天国”モチーフにした」だけ(言い換えるなら「天国モチーフのテーマパーク」)……であるらしい。
何というか、この妙に俗っぽいデザインセンスといい、人間のテクノロジーに毛の生えたレベルのテクノロジーしか持ち合わせていない点といい、そしてその程度のテクノロジーさえ使いこなせているとは言い難い(裏目に出る・逆効果になる事態を回避しきれていない)様子といい―――どうにもダイヤモンドユニコーン様って良くも悪くも“人間臭い”んですよね。
そういや、ニコ様の使用するテクノロジー「ニコダイヤ」。ニコ様のあずかり知らんところで勝手に再起動してみたり、ニコ様が把握していない機能が備わってたりするところを見ると―――これニコ様の所有物ではなく、ニコ様の上位存在(創造主とか?)の所有物で、ニコ様はこの上位存在からニコダイヤを奪って(あるいは借りパク?)、自分個人の目的「絶滅の危機に瀕した生物の保護」「そもそも生物が互いに滅ぼし合うことなく仲良く暮らす世界の樹立」の為に使っている―――とかなのでは?
なんならオオカミたちの現状を見るかぎり、愛別離苦(好きな人とお別れする苦しみ)、怨憎会苦(憎まずにいられない人と出会ってしまう苦しみ)、求不得苦(欲しいものが手に入らない苦しみ)、五蘊盛苦(生きることそのものの苦しみ)すらも曲げられないみたいですしね。合わせて四苦八苦。
神様なんて現世利益とは無縁であってなんぼみたいなところがありますから、私はニコ様の神様っぷり好きですよ。あれだけ自分の無力さに苦しんでいるのに、それでも人間とオオカミ含め、生きとし生けるもの全てを愛することを諦めない健気さとか。
四苦八苦などと仏教用語を持ち出したついで、その点仏教ってすごいですよね。神様が解脱に関与しないんですもん(習合で生えてきた神様だから仕方ないんですが)。大乗仏教ですら人間を救ってくれるのは仏様。つまり元人間!
「わんぷり」には、「こむぎが死んで、いろはが悲しむ」という巨大なネオンサインが点滅しているわけではないかもしれないが、観客の小さな子供たちでさえ、大鶴&フクといろは&こむぎの非常に明確な類似点に気づくことは間違いない。
可能性のある動物の中で、フクが小型の玩具種であることは偶然ではない。パピヨンではないが、犬型の雲の曖昧さに気づくほど似ている。
よりによってそれがお鶴だったのは偶然ではない。お鶴自身の配色は、大人びたいろはに似ている。
そんな辛い時期を支えてくれるお鶴の仲間、お亀さんとお鹿さんも、いろはの人間の仲間たちの色の服をよく着ているのは偶然ではない。緑とオレンジ。
自然の摂理を覆すような出来事がなければ…。
いろはは、こむぎとお別れしなければならない。
ペットを飼う者は皆そうする。
(死すべきものは皆そうする。別れは終わらない。)
今は…
『きっとこういう人は、ひとりで勝手に傷を膿ませて、ひとり苦しみに耐えながら、ひとりで静かに死んでいくのでしょう。』
こんな風に陰で僕のことを言わなくてもいいじゃないか(笑)。
わんぷりのプリキュア(と悟)を見ていると、自分のいろいろな面を思い出す。特に若い頃を。
それにしても、私といろはが「私は大丈夫(大丈夫じゃない)」みたいな態度を共有することになるとは思わなかった。
ちなみに、『HAG』ではなく『HUGっと!プリキュア』ですw
本当に意味が違う!
英語の音って厄介ですよね。
そして最後に、トラメとの別れ。
その前に、彼の現在に関する考えや、失った友人についてもっと掘り下げることができればもっと良かった。
しかし、私はこのエピソードに満足している。特に、彼の魂が解放されるところで終わったことに。
彼の魂は解放され、安らかな眠りについた。
> ひとりで勝手に傷を膿ませて~
私が自分のことをつくづく冷たい人間だと思うのはこういうところですねえ。
私自身は独りでいるのが全然平気なタイプなので、「お前らはこういうのキツく感じるんだろうけど、やってみれば案外平気だって。大丈夫大丈夫。一度経験してみなよ」くらいの感覚で気軽に皮肉と価値観の押しつけをぶつけちゃう。
まあ、そちらが「私は大丈夫じゃない」と思っていたとしても大丈夫ですよ。孤独死するときは私も一緒なので。安心してください。(?)
翻訳文で「フクが小型の玩具種(Fuku is type of toy)」という表現が出てきて、一瞬何だこりゃ?と思いましたが、なるほど。そちらの言語圏では「Toy dog」という犬種分類があるのですね。
日本語でいうところの「超小型犬(Ultra small dog)」相当の言葉ってことになるでしょうか。またひとつ学びを得ました。
> 『HAG』
単に私が疲れてただけじゃねーかな!