どうかしら。あなたにとってルイーダの酒場は役に立っている? もし役に立っているなら嬉しいわ。この酒場には大魔王くらいで尻込みするヤワな冒険者はいない。それは私が保証する。
ルイーダ
冒険の書18
魔法使いソーリョク記す。
非常に戦いやすい。
マソホは僧侶が学ぶような癒やしの呪文目当てで悟りの書を使ったそうだが、むしろ魔法使いの呪文で助けられているように感じる。
伝説の賢者の再現とはいえいきなり全ての呪文を使いこなせるわけではないらしく、マソホが今使っている呪文は中位の魔法使いでも唱えられる程度のものだ。ただ、使い手が彼女であるということが強い。
スクルトにボミオス、マホカンタ。私が使おうとするとどうしても判断が遅れがちないくつかの呪文を巧みに使いこなし、戦場をコントロールしてくれる。おかげで私は攻撃呪文の威力を研ぎ澄ますことにだけ集中できる。
なるほど。宮廷内での私の評価が低かったわけだ。一歩下がったところで全体を俯瞰できる魔法使いの存在がこれほどに頼もしいものだったとは。
一応エリートのはしくれである宮廷魔術師として、また一回りも年上な人生の先達としてこれでいいのかと思わないでもない。だが、実際に状況判断で私が彼女に勝てるところなど無いのだから、ひとまず今はこれでいい。私自身の課題にはいずれもっと余裕があるとき自分で向きあうべきだろう。
なにしろ今私たちがいるのは魔王城なのだから。
一応、これが最後の戦いのはずだ。
だがかつてないほど危なげない戦いができている。仲間同士の連携が目に見えてよくなっている。
・・・前言撤回だ。アリアハンに帰ったらマソホに教えを乞おう。呆れられても構わない。
そうだ。もはや私は当たり前にアリアハンに帰還できるものと思っている。
見上げるように巨大な石の巨人にも、横列を組んで絶え間なく呪文を重ねてくる魔導師たちにも、もはや脅威を感じることはない。
魔王バラモスですらそうだった。
あっけないものだ。強い者が勝ち、弱い者が負ける。おおよそ最終決戦という言葉に似つかわしくない、当たり前の条理を当たり前になぞるだけの戦いとなった。
私たちの力はとっくに魔物の王を上回っていたのだ。
「帰ろう。母さんに伝えなきゃ」
ついに宿願を果たしたというのにヒイロも淡々としたものだ。
・・・いや、そうではないのか。
勇者オルテガの妻は彼の訃報に際し、一時ひどく身を持ち崩したと聞く。
毎日昼のうちから酒場に通い、国から支払われた寡婦年金のほとんどを空の酒瓶に変えて、娘が剣術道場から帰ってくる夕刻にふらふらと戻っていくのだと。
ヒイロにとって父親が果たしそびれた勇者の使命とは、無事にアリアハンへ帰還してはじめて達成されるものだったわけだ。
ただ待つことしかできない者に与えられるものは絶望だけとは限らない。自ら剣を持てる者でなくとも、誰もが希望に満ちた明日を信じていいのだと。
そういうわけじゃないよ、と私の顔を見て察したらしいヒイロが苦笑する。
彼女はこういうところで謙遜する人物ではない。
だが、彼女が思いのほか自分のことをよくわかっていないこともまた、私はこの旅を通して理解しているつもりだ。
この子を五体無事にアリアハンへ送り届けられたことを、私は生涯誇りに思うだろう。
冒険の書19
勇者ヒイロ記す。
闇の世界の支配者を名乗る存在から宣戦布告があった。
魔王討伐が成ったことの祝賀会がアリアハン王宮で開かれる、まさにその瞬間の出来事だった。
曰わく、この世界はやがて闇に閉ざされる。
曰わく、かの存在にとっての喜びは私たちの苦しむ様を見ること。
曰わく、全ての生命を生け贄とし、絶望で世界を覆い尽くさん。
曰わく、かの存在の名は大魔王ゾーマ。
非道と形容するほかない声明だった。
なにせ、争うことの大義も、私たちへの要求も、何も示してこないのだ。あえて宣戦布告する意味がない。
ただただ、そこにあるのは私たちの希望をへし折り絶望へ変えようという、嗜虐的な悪意だけだった。
アリアハン国王はすっかり意気消沈してしまった。
もはや私に再び旅立てと命じることすらない。
申し訳なさそうな瞳で力なく私たちの顔を眺めるばかりだ。
ああ、いや。
そもそも私が勇者の称号を受け継いだこと自体、王命ではなく私のワガママだったか。
魂が抜けたようになってしまった母をおぶり、私はひとまず家に帰った。
「本当はあの人に旅立ってほしくなかった」「もう大切な家族を失うのはイヤだ」――。
母はぶつぶつとうわごとのように呟いている。父が死んで以来、初めて聞く母の弱音だった。
父の訃報が届いて以来、母は毎日のようにルイーダさんの酒場に通っていた。
けれど私が道場から帰ってくる夕方には毎日欠かさず温かい食事をつくって待っていてくれた。アルコールの匂いを漂わせていて、手元も危なっかしかったけれど、いつも穏やかに笑っていた。
ルイーダさんに聞くと、母が酒場に来るのは昼の間だけだったらしい。他の客がほとんど来ない時間を選んで店の隅の席に座り、ひとり黙々と飲んではすすり泣きながら眠る毎日だったという。見かねたルイーダさんがときどきお酒に付きあっても、ただの一言も愚痴を漏らすことはなかったと。
母は魔物に襲われたところを父に助けられた身の上だ。勇者オルテガの妻になった以上、その使命の障りになってはいけないと、常に自分を律していたのだろう。
私が勇者に名乗りを上げたときも、何も言わず喜んでみせてくれていた。私自身、そのときには母が本当に喜ぶわけないとわかっていたのだけれど。
朝。
私は旅支度を調えてから、母を起こしに行った。
私の旅装束を見た母は「もうお寝坊さんじゃないのね」と薄くほほえんだ。昨日は一口も飲んでいなかったはずなのに、懐かしいアルコールの匂いがした気がした。
「前より少し大人になったから」少しでも頼もしく聞こえるようわざと声を張って、それから、以前見たシュアンさんの笑顔をまねてニカッと笑ってみせた。たぶん、父もあんなふうに笑う人だったと思うから。
行ってきます。絶対帰ってくるから、楽しみに待っていて。
約束して、私はみんなと待ち合わせているルイーダさんの酒場へ向かった。
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