魔法つかいプリキュア!! MIRAI DAYS 第12話感想 空へ七色アーチを描いて、広げて。

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また会えたらワクワクもんだね。

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「進むべき未来」

大きな出来事

メインキャラクター:みらい

目標

 再び出会う。

課題

 クロノウストによって世界の時間の流れが止められ、全ての人間が過去の想い出のなかに閉じこめられてしまった。みらいたちはこの過去の呪縛から抜け出すため、一度記憶を全部忘れることにした。

 記憶を取り戻すアテはない。だが、みらいたちはお互いに出会えたことの奇跡を信じ、再びその奇跡が起こるだろうことに自らの命運を託した。

解決

 静止した時間のなかで、みらいとリコはそれぞれとある女の子たちの想い出を見た。
 ふたりの女の子たちが出会った日の想い出だった。片方の子が落としたぬいぐるみを、もう片方の女の子が拾ってあげて、お礼に買ったばかりのいちごメロンパンを分けあって食べたのだ。
 まるでみらいとリコが出会った奇跡の再演。そしてその奇跡が起きた場に、大人になったみらいたちも立ち会っていた。

 世界に祝福されているとしか思えない魔法のような巡りあわせを辿り、みらいとリコは再び記憶を取り戻す。はーちゃんもまた、ひーちゃんの想い出を辿って自分の記憶を取り戻したようだ。
 蘇ったプリキュアは再びクロノウストに戦いを挑み、今度こそかの魔獣を討ち滅ぼした。

 分断された時間も、記憶を失う危機すらも乗り越えて、みらいたちはまた出会うことができた。
 それを思えば、もうどんなお別れだって怖くない。未来に何が起きたとしても絶対また会える。

魔法文字

リコが持って来た本

「FLOWERS AND WEEDS」
「THE BERUTIFUL WORLD OF PLANTS」

 草と花 -美しき植物の世界-

 オープニングでリコが読んでいる本と同じタイトル。こっちはサブタイトルまで読める。
 表紙のデザインが違うということは出版社違い? 出版年違い? おいおいビブリオマニアか?

 「BERUTIFUL」だとどう考えても綴りがおかしいが、この「R」がどうしても「A」には読めなかったため、ただのスペルミスと判断した。前作でもよくあったこと。

ピックアップ

ダンパちゃん

 第4話にも迷い猫として登場した。情報提供を求めるwebサイトをつくったのは10歳の子ということだったから、みらいが過去視した女の子のお姉さんだったようだ。
 なお、ダンパちゃんは第4話時点で4歳。今話はそれよりも数ヶ月~1,2年ほど前の時期だから、おおむね女の子が生まれたときからずっと一緒だったと考えていいだろう。

月夜のふたり乗り

 『ドラマ&キャラクターソングアルバム ドリームアーチ』に収録されていた会話。
 リコのほうきの調子が悪かったためふたり乗りして帰った。直前まで初めて出会った日のことを懐かしんでいたから話題がしっとりしている。

「つないだ手が広がってったんだね」

 前作『魔法つかいプリキュア!』自体、数シリーズぶりに手と手をつなぎあうことにフォーカスを当てた物語だった。
 みらいはまだ目も開いていない生まれたばかりのころ、お婆ちゃんから贈られたモフルンとも手をつないでいる。

ひーちゃん

 はーちゃんと比べて強気そうな目をしている。
 はーちゃんが記憶を失っても、彼女のなかにいたひーちゃんはひーちゃんのままだったのだろう。

「あなたの過去を見せる力が」「私たちの記憶を」「呼び戻した」

 クロノウストはみらいたちがアイルなどの過去を見たことにも困惑していたあたり、そもそも自分の力に本人以外の過去を見せる作用が起こりうること自体、想定外だったのだろう。ひとりぼっちの刻の魔獣の限界といえる。

キュアモフルン

 秋映画『奇跡の変身!キュアモフルン!』に登場した、モフルンの変身した姿。
 ギミック大好きタナカリオン監督の作品だけに、魔法のほうきをバカスカ召喚する技ひとつでありとあらゆる状況に対応してみせた。

お婆ちゃんの石像

 前話で1人だけ何の石像に変わったのか見えていなかったが、お婆ちゃんにとってもみらいにモフルンをプレゼントしたことは大切な想い出だったらしい。
 というか、家族3人ともみらい絡みの想い出なんだな!

アナザースタイル

 ダイヤモンドスタイルに翼が生えた感じの姿は春映画『みんなで歌う奇跡の魔法!』の限定フォーム。
 アレキサンドライトスタイルに翼が生えると『奇跡の変身!キュアモフルン!』に登場したハートフルスタイルになる。

「キュアップ・ラパパ! 怪物よ、あっちに行きなさい!」

 前作第1話でみらいとリコが初変身したきっかけの魔法。同第49話でも「キュアップ・ラパパ! 星々の果てまで! 混沌よ、あっちへ行きなさい!」でデウスマストを撃退している。

 「もし世界が初めからひとつのものだったら~」(『魔法つかいプリキュア!』第49話 / 今作第11話)なんて言いだすからてっきり転生でもするのかと思っていましたが、よくよく考えてみると世界そのものの時間が止まっているのでそんなこと不可能でしたね。
 そこに気づいたうえで「あなたの過去を見せる力が私たちの記憶を呼び戻した」ってセリフを聞いて、それでようやく今話何が起きていたのか把握することができました。

 『魔法つかいプリキュア!』って、表面上ゆるく見えても背景設定はガチガチに組まれている作品なので、たまにSF小説か何かを読んでいるみたいな論理的思考が要求されるんですよね。(SFではないので科学的思考にこだわりすぎると見えなくなるものもあるのがまた難しい) 他のプリキュアシリーズには無い独特の味わいがあります。
 私、自分のブログを構えて本格的にアニメ考察をするようになって、最初にリアルタイムで取り扱ったのがこの『魔法つかいプリキュア!』だったんですよ。次が『コンクリート・レボルティオ』2期。秋からは『フリップフラッパーズ』。・・・間違いなくこのあたりの作品群で視聴姿勢を矯正(侵略)されました。
 そういうメチャクチャ個人的な事情もあって、この作品本っ当に大好きなんですよね。
 ああ、久しぶりにまほプリを観たな!!って気持ちでいっぱいです。そうそう。これよこれ。この、いろいろ考えながら観ているとどんどん深みに引きずりこまれていくこの感覚。これよ。

 それにしても、今回結局最後まで太陽魔法は出てきませんでしたね。
 あれ、みらいたちが祝福を享受する側から祝福する側(みんなを照らす太陽)にまわったことを表す、割と深い意味の込もったやつだと思っていたのでちょっと意外。
 とはいえストーリー的にそこらへんまでは踏み込まず、“悲しいお別れ”の完全克服で一区切りつけたかたちでしたからね。人と人とをつなぐ絆の話に絞ってストーリー展開するなら、たしかに決め技は虹魔法(虹の架け橋)のほうがふさわしいかー。
 もし3期があるならそのときに期待ですね。

あまねく生命への祝福

 「いいとこだね」

 「ステキな桜並木ね」

 かつて、みらいとリコは世界に祝福されていました。
 ひとつがいのリンクルストーン・ダイヤモンドを与えられ、数百年ぶりに実った杖、あるいは星の祝福を受けた杖を授かり、運命の出会いを果たし――。

 でも、それらはけっしてみらいとリコだけに許された“特別”なんかではありませんでした。

 世界は優しさであふれていました。
 世界は美しさで満ちていました。

 みんな当たり前のように笑っていて、みんな気持ちよさそうに春の日差しを浴びていました。

 「私――?」

 「私なの・・・?」

 みらいとリコが見つめている世界のなかで、ひとりの女の子とひとりの女の子が笑いあっていました。
 いつかどこかで見た光景。大切なぬいぐるみを落としてしまって、それに気づいて教えてくれて、そのことがきっかけで仲よくなれたふたり。

 でも、この女の子はみらいではありませんでした。
 でも、この女の子はリコではありませんでした。

 みらいとリコが出会ったのは中学1年生の春休みで、みらいが落としたぬいぐるみはモフルンで、リコはほうきに乗って空を飛んでいました。
 似ているようで、異なる出会い。似ているようで、違う子たちの想い出。

 巡り会う奇跡。つながる魔法。そこに育まれし幸せ。

 そんなものは、本当は、誰のところにもありふれているものなのでした。

 そう。今みらいたちが見ているのは、名前も知らない女の子たちの、過去一番に幸せを感じた日の想い出。
 みらいたちではない、別の誰かの想い出。

 たとえばそれがお母さんの場合なら、我が子に初めてミルクを与えた日が、きっと一番の想い出。
 たとえばそれがお父さんの場合なら、我が子の一挙手一投足を逃すまいとシャッターを切った日が、きっと一番の想い出。
 たとえばそれがお婆ちゃんの場合なら、初孫に大きなぬいぐるみを贈ってあげた日が、きっと一番の想い出。

 人の数だけ幸せのかたちがあって、人の数だけかけがえのない想い出があって――。それはつまり、あまねく生命みんながそれぞれにこの世界に祝福されているということ。

 この世界には奇跡なんてありふれていて、魔法なんてありふれていて、だから幸せもまたありふれています。

 「このとき思ったんだ。誰にも奇跡は起こるって――。このとき決めたんだ。みんなをつなげようって――!」

 かつて、ふとそんな当たり前のことを実感したとき、なんだか急に嬉しくなって、胸に湧き上がった思いがあったはずでした。

 「私、みんながもっと仲よくできるようにしたい!」
 「じゃあ私は、魔法界とナシマホウ界が前みたいに近くなるようにがんばる!」
 「じゃあ私は、魔法界のみんなをもっとまとめるために校長先生になるわ!」(『魔法つかいプリキュア!』第50話)

 思いださなければなりません。私が一番幸せだった日々を。
 思いださなければなりません。私を一番幸せにしてくれた人たちを。
 思いださなければなりません。一緒にいると幸せだってみんなに思ってもらえた、私のことを。

 「つないだ手が・・・、広がっていったんだね・・・」

 この世界にあまねく祝福の正体は、みんなの優しさ。出会えたことを喜びあい、お互いのことを愛しく思い、受け取った幸せをみんなと分かちあいたいと望む、願いの力。
 みらいたちは祝福されて育った愛し子であり、また、祝福の担い手になっていくひとりでもありました。

 私のために。みんなのために。早く帰らなければなりません。
 ワクワクの未来へ。

Our wish is one

 「閉じこもるものじゃない! 過去って、私たちに力をくれるんだ!」
 「想い出は私たちに進む力をくれるの!」
 「私たちは未来に進みます!」

 サッカー部のエースだったころの想い出に閉じこもっていた壮太は、それでも未来に向かって歩みはじめました。
 恋人との甘くてくすぐったい想い出に閉じこもっていたさらは、それでも未来に向かって歩みはじめました。

 過去の想い出のなかには、応援してくれるはーちゃんの姿がありました。夢中になってボールを追いかけ、同じワクワクを分かちあえた日々。それがあったから、今までずっとがんばってこられました。
 過去の想い出のなかには、すでに処分してしまった腕時計がありました。涙が出るほど一生懸命だった恋。それがいつまでも色褪せないから、失われたあともずっとがんばってこられました。

 「つながった真実は残る! 想い出はステキだけど――」
 「想い出には、何が起こるかわからないワクワクと奇跡がない!」

 夢に挫けかけた未来には、今も変わらず応援してくれるはーちゃんの姿がありました。
 恋に破れた未来には、心配し、一生懸命励まそうとしてくれる友達の姿がありました。

 「茨の影に迷っても、つなぐこの手が道しるべ」
 「闇の獣に追われても、怖がらないで。傍にいる」(春映画『みんなで歌う奇跡の魔法!』 挿入歌『魔女の子守唄』)

 みんな誰しも生まれたときから祝福されていて、実は今もまだ祝福は続いていて、きっとこれからもお互い祝福しあって生きていく。

 過去と現在と未来はつながっていて、私とあなたとみんなもつながっています。

 それこそは、いつかリコが評した朝日奈みらいの在りかた。
 朝日。みんなを照らす太陽。

 夕日が沈んだらみんなおうちに帰る時間。
 それでも夕日がキレイだって思うのは、また新しい朝が来れば、みんなにまた会えるって信じているから――。

 「私たちの未来を邪魔しないで!!」

 ワクワクもんの未来を、みんなと一緒に叶えにいきます。

 いつか、もしかしたら、アイルとも。

“悲しいお別れ”にさよなら

 「私、決めたんです。ずっとずっとみんなと一緒にいるって。悲しいお別れはもうしたくないんです」(『魔法つかいプリキュア!』第27話)

 かつて子どものみらいが誓ったこと。

 現実には、別れの日の訪れは不可避でした。
 たとえみらいがどんなに抵抗しても。
 リコや、はーちゃんや、モフルンの手を、どんなに固く握りしめていても。
 優しい大人たちがどんなに助けてくれたとしても。

 ふたつの世界が空間的に分断されてしまったり、時間や記憶の連続性が分断されてしまっては、どう足掻いたって別れを受け入れるしかありませんでした。

 「永劫の生命のラパーパよ。太陽が涸れ、月の輝きが失せ、馴染みの銀河が役目を終えても独り残り、数多を見守りつづける寂しき定め」(第11話)

 刻の魔獣は嘲りました。
 この世界で最も強い力を持ち、悠久の時を生きるはーちゃんですら、別れの日の到来だけは逃れることができないのだと。
 だったら、ただの人間であるみらいなんてなおさらです。

 悲しいお別れなんてもう二度としたくない。
 だけど、お別れは不可避。
 だったら。それでもあの日の誓いを守るためには――。

 「モフ・・・。さびしいモフ」
 「また会いに行くから」
 「うんうん」
 「そうだよ」

 簡単なこと。
 お別れが、悲しいものじゃなくなってしまえばいい。

 「また会える」
 ただそれさえ信じていられれば、どんなに大好きな友達とのお別れも、どんなに離れがたい運命の人とのお別れも、ただひとときお互いのするべきことをする時間になるだけ。
 会いたければ会えばいい。会うのがすごく難しかったとしても、会えばいい。たとえいつか、一生のお別れの日が来たとしても、・・・また会えばいい。
 過去と現在と未来はいつでもつながっています。これからみらいたちは未来へ進んで行きますが、そうすることで過去の想い出が消えるわけではないのです。

 「私も私らしく、で。みらいたちと一緒にいるって決めたんだ!」

 刻の魔獣の呪詛をはねのけ、はーちゃんは結局これからもみらいたちと一緒にいることに決めたようです。
 永劫の生命。たとえ、いつかお別れの日は必ず訪れるとしても、それはみんなと一緒の未来を諦める理由にはなりません。お別れ自体は不可避だったとしても、それが必ずしも“悲しいお別れ”であると決まったわけではないのですから。

 この世界は祝福で満ちています。

 たとえ私にとってはただひとつのかけがえのない奇跡の出会いだったとしても、この世界にはそんなの案外ありふれていて、みんなそれぞれに奇跡の出会いがあって――。それでいて、私にとってはやっぱり、ただひとつの大きな奇跡であったりもして。
 だから、奇跡をもう一度起こすのはそれなりに大変な場合もあるかもしれないけど、それでも、けっして不可能なんかじゃない。

 あのときは、奇跡を起こそうとしたんだ。

 「いつでも会えるんだもんね」

 私たちには奇跡を起こせる力があるんだから、お別れひとつひとつのために、そう悲しまなくてもいい。

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    コメント

    1. 亀ちゃん より:

      今日は日付変更線到達まで2時間足らずだったけど、TVerで配信当日に視たはずの亀ちゃんですし、魔法つかいプリキュアMIRAI DAYSの最終回でもありました
      出出しから実はこのサイトを観てから分かった通り、みらいとリコからすれば赤の他人同士がお互いに幼かった頃、偶然出会ったりしては…という感じで、それがみらいとリコが初めて出会った時といくつか同じような部分もあるものだとアニメ映像で示しているような感じとも、このサイトを観てやっぱりわかったものでした
      で、結局は魔法つかいプリキュアのMIRAI DAYSのラスボスは、どこまでも考え方的に順当に浄化され、その後最後の最後でもまた今先の続きも少しは気になるような結末でしたね
      みらいの名前の付け方・由来も魔法つかいプリキュアの方は良くも悪くもお母様と(お母様の方の)おばあ様の対話通りという感じです
      とまぁ、今回もプリキュアの最終回は全般的に熱く語るような感じで、プリキュアのアニメでミて最終回だけはこんな感じというのも、私も長いことプリキュアをチェックし続けていますが、女児向けを通じてもここまでこんな風にインターネット上に感想を書きたくなったプリキュアはこのMIRAI DAYSが当然初めてです
      セリフに関しては、シいは…というと印象的も加えると校長先生の
      突飛な発想
      ということですね
      突飛な発想は私の場合、中学生の時に日曜の9時30分から始まって10時までに終わるテレビ東京系の宇宙の軍人美少女アニメの3期の時で背格好からしてもとても近年の生まれながらの日本人では16歳とは見えないほどかわいい顔のお嬢様が、頭の良さをフル発揮して口にしては、その時そのまま出て来たセリフという感じです
      そういう彼女も
      能天気で天然ボケでもある私(わたくし)よりは年上でもある後輩同僚の突飛な発想は今に始まったことではありませんから
      という感じで、話をさらに続けるとも言ったところですね
      ワクワクもんだというセリフもMIRAI DAYSでは第11話と最終回の1個前まで完全に封印し切っていたのでしょう
      それでもやっぱり女子に観てもらいという意識もあるのか、ハッピーエンドで終わり、私もお腹いっぱいになった魔法つかいプリキュアのMIRAI DAYSでした

      • 疲ぃ より:

         朝日奈家って、お婆ちゃんがかの子(過去)、お母さんが今日子(現在)、そして娘がみらい(未来)という名前なんですよね。今作で描かれたような時間に対する考えかた、実は前作から一貫してきたものだったりします。

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