私たちはこの星で生きていきます。これから先もいろいろな困難があるだろうけれど、それでも諦めずに。
リンリー・クー

もし仮にコールドスリープで2000万人を運ぶと考えた場合。
ものすごく雑に、とりあえずコールドカプセルの大きさを2立方メートルと仮定すると、その収容スペースだけで最低4000万立方メートルは必要だということになります。
ChatGPT曰わく、東京ドームの容積が約124万立方メートルらしいです。その32個分。湖に喩えるなら青森県の十和田湖(面積国内12位)くらい。セントラルライフだけでそのサイズ感。
打ち上げ以前に建造できないよそんなもん! 直立させた瞬間地盤が沈むわ!
うん。コールドスリープで地球を脱出するのは無理ってことだけはわかった。(文系脳の限界)
第12章 魂の在所

「地球種汎移民計画で地球を脱出した2千万の地球人の意識――、つまり記憶のデータと、個々の肉体を構成していた遺伝子情報は全て電子化され、クラウドデータとして保存されているの」
「じゃあ、俺たちの身体は・・・?」
「意識と遺伝子をサンプリングしたあとのオリジナルは、・・・地球とともに消滅したわ」
ラオさんが譲ってくれた道を往って、私たちはついにセントラルライフに辿りつきました。
そこは遺伝子の揺り籠。私たちが前々から教えられていたのとはずいぶん趣が異なる、肉のないコンピュータの固まりでした。
あまりのことにダグさんが激昂します。
この人は地球に置いてきた債権者のために借金を返しつづけているくらい、感傷的な人。ラオさんが共感を求めていたわけです。ラオさんが知ってしまったこと、もしダグさんにも同じタイミングで知る機会があったら、この人も今ごろラオさんと同じことをしていたかもしれません。
ラオさんが「幽霊として徘徊しているようなもの」「偽りの生だ」って言っていたの、このことだったんですね・・・。
生まれながらの肉体に宿った私たちは、あの日全員等しく死にました。ここにいるのはそのコピー。ただのコピー。コンピュータが演算して再現しているから存在できている仮想の存在。
ただし、今とこれからの時間で私が「私」と呼ぶことができる存在は、ここにいる私だけ。その意味では私こそが「私」だといえます。
「今日の自分と明日の自分は厳密には異なる。細胞レベルの話で言えば別人であるともいえる。意識の連続性があるから個として認識できているにすぎない。全ては儚い幻想。――魂の存在が立証できないかぎり、それは永遠に哲学的問答の域を出ない」
テセウスの船だ。
古代ギリシャの英雄王テセウス。彼が所有していた木造船はギリシャの人々に100年以上大切に使いつづけられて、船体の木材が朽ちるたび随時修理され、どんどん各時代の木材に置き換えられていきました。
100年後、テセウスの船には英雄王が存命の時代に使われていた木材がもはや一片も残っておらず、「果たしてこれは本当にテセウスの船だといえるのか」という議論を呼びました。
人間の身体を構成する細胞も日々新陳代謝で入れ替わっていて、(諸説あるけれど)だいたい7年で全て入れ替わってしまうといわれています。
生身の肉体ですらそうなんです。だったら、肉体からB.B.へと容れ物を移した私たちだって、私は「私」なんだって言っていいんじゃないか――。エルマさんはそういうことを言っているわけですね。

私だったら――。うん。私は気にしないかな。いいじゃん、変わったって。ダグさんには申し訳ないけれど。
私ね、記憶喪失なんです。
自分の名前すら覚えていません。地球で得たはずの知識、いろいろ断片的には記憶に残っているんですが、肝心の“自分は何者なのか”、どこでどういう暮らしをしていて、どういうことを考えながら生きていたのかは、いつまで経っても思いだせません。
たぶん、昔の私、私のことがあんまり好きじゃなかったんじゃないかな。だから思いだせない。そもそも興味を持たない。本気で思いだしたいと思わない。
でね、私ってNLAに来てから結構変わったと思うんです。
NLAに来たばかりのころの私ってすっごい怠惰な人間で、できれば何もしたくなくて、当然何にも責任を持ちたくなくて、本当は自分のこと、全部周りに決めてほしいと思ってました。
でも、エルマさんはそれを許してくれなくて、リンさんは隣で猛烈に仕事をしていて、私、ブレイドホームに一緒にいてすっごい気まずくて。それで仕方なく毎日外に出てパトロールしてたら――、いろんな人の人生に関わることになって。びっくりするくらいあっさり死なれてしまったり、反対に私がいたことで命を繋ぎ止めてくれたり、いろんな出来事があって。
私ね、できればみんなに死んでほしくないなって。いろんな人に「ありがとう」って言ってもらいたいなって。そういうふうに思うようになったんです。そうしたら、私たぶん今でも面倒くさがりなのは変わらないんですけど、だけど、がんばらなきゃなあって。
がんばらなきゃ、自分のやりたいことが実現できなくなっちゃったんです。
私、今の自分、割と嫌いじゃないです。
だって。叶えたい思い、そこそこ叶えられているから。
NLAに昔からいるみんな、私を見て「変わったね」って言うことはあっても、「あんた誰」って言うことはないんですよ。
私自身もそう。今も昔も、私は私だって思っています。
そのうえで、私は少し、私のことを好きになることができました。

「ダグ。私は地球種汎移民計画を成功させたい。たとえ偽りの命と考える人がいようと、関係ない。私は私のなすべきことをする。――それが私の選択よ」
ラオさんがエルマさんに地球人類の存亡をかけた2択の選択を迫ったとき、私、イヤだなって思いました。
だってそれ、私の問題ですもん。エルマさんはどうやら地球の人じゃないみたいで、だけど私はたぶんちゃんと地球人で。だったら、あそこで選択しなきゃいけないのって、本当は私たちなんじゃないかって――! そう、思ったんです。
自発的意志。
本人の意志。
自分のための選択。
エルマさんがずっと私に強制してきたこと、私、いつの間にか自分でもそうしたいと思うようになっていました。
エルマさんにはエルマさんの選択があって、私には私の選択があります。
そうである以上、もしかしたらいつか道を違える日が来るかもしれません。でも、少なくとも今は、エルマさんとリンさんとタツと、ダグさんとイリーナさんとグインさんとルーさんと、ノポン族とマ・ノン人とオルフェ人とザルボッガ人とクリュー星系人とガウルと大樹の一族と岩窟の一族とラースの民と、NLAのみんなと――。今は、みんなと一緒に歩んでいきたい。
私はコンパニオンです。みんなが仲よく暮らせるNLAにするのが、私の役目。
私の選択。
「き、貴様・・・。滅ぼしたかったのではないのか? 地球人類を、この宇宙から――」
「悪いな。地球人ってのは変わっていくものなのさ。身体も、――心も!」

グロウス総帥のルクザールって人がせっかくの私たちの選択に横槍を入れてきて、だけどそこにラオさんが駆けつけてくれました。
ラオさんも選択したみたいです。
もとより私たちが今ここにいられるのは、“パスファインダー”である彼が私たちのために道を示してくれたから。
ここにこの人が来てくれたのは、ある意味では当たり前のことで、だけどやっぱり、すごい嬉しいことで。頼もしいことで。私たち、この人ともちゃんと一緒に歩めていたんだなあって実感して。

私たちはいつも変わっていく存在で、いつか道を違えなきゃいけない日もどうしても来てしまうものなんだろうけれど。
それでも、一緒にいられた日が確かにあったんだということを、私は嬉しく思います。
私が、そう思うんです。

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