
デートだなんて、メロロンかわいい! プリルンに構ってほしくて一生懸命なところとかすっごくかわいい!

「ねえたまメロメロ大作戦メロ~!」
大きな出来事
メインキャラクター:メロロン
目標
自分の魅力でプリルンをメロメロにする。
課題
かつてメロロンは妖精の仲間たちと仲よくすることを諦め、いつも引きこもって静かに読書してばかりいた。引きこもっているから当然誰もメロロンのことを気に留めない。しかし、プリルンだけはいつもメロロンに声をかけてくれていた。
メロロンはプリルンの一番の仲よしになりたい。だが、最近のプリルンはアイドルプリキュアに夢中で、いつもうたと仲よくしてばかりいる。
ここはプリルンとふたりきりでデートして、誰にも負けない自分の魅力をアピールするべきだと思った。
解決
マイペースなプリルンはメロロンとのデートを楽しみつつも、アイドルプリキュア推しのスタンスを崩さなかった。
メロロンにとってはくやしい結末だったが、プリルンのことが好きだというメロロンの気持ちもまた変わらない。これからもプリルンにアタックしつづけようと心に誓った。
バトル
バカップルを素体としたハートキラリロック型クラヤミンダー。
苦戦
立場上おおっぴらにプリキュアを応援できないカッティーがやつあたり気味にプリルンとメロロンを鍵つきの箱に閉じこめてしまった。
勝利
箱は持っていたクラヤミンダーを殴って奪い取り、鍵はもはやファン感情を隠せなくなったカッティーにお願いして譲ってもらった。
うっかりやらかしてしまったカッティーはむしろ嬉しそうだった。
ピックアップ
「『絡まった』じゃないメロ。『絡めた』のメロ」

読みきりマンガ『タカヤ おとなりさんパニック!!』にあった「む・・・胸があたってるんですけど」「あててんのよ」というやりとりがTwitterを中心に大バズりし、なんかあっという間に定着した定型。
主にラブコメ作品で、なりふり構わない恋愛に積極的なヒロインを表す表現として用いられる。
デート

英語で書くと「date」。つまり本来はただの“日付”という言葉でしかない。やがて、交際中のカップルが日時を決めて待ち合わせし、ふたりでプライベートの時間を楽しむという行動様式のことをこの言葉で表すようになった。
これは19世紀後半のアメリカで生まれた特徴的な表現。それまでの価値観では結婚においてあくまで家同士のつながりが重要視されていたのに対し、このころから個人間の恋愛感情が尊重される新しい結婚観が広まるようになった。この社会的変化の象徴として、婚前からふたりきりの時間を楽しむという目新しい文化に特別な思い入れが込められるようになったわけだ。
近年ではよりカジュアルに、待ち合わせを伴わない突発的なふたりの時間や、恋愛感情のない友達同士の関係であってもデートと呼ぶようになった。
語源にある文化的背景を尊重するか、現代的な行動様式に歩調を合わせるかは、この言葉を使うあなた次第。
「光は光、闇は闇」

ピカリーネ様が「特別な子」とまで言うならもしかしたら何か設定があるのかもしれないが(ただしプリキュアシリーズではこの手の前フリに何の意味もない場合も多い)、今のところヒキコモリ特有の自分を卑下した言動にしか見えないやつ。
プリルンとメロロンの関係は光と闇というより、太陽と月のほうが近いと思う。
カッティーのほうは割と伝統的な闇属性オタクのイメージに近い。無意味に悪ぶってるところとか。
ヲタ芸

カッティーがやっているのは200種類以上あるらしいヲタ芸のなかでも最も基本的な技とされる「ロマンス」。
1989年リリースの渡辺美奈代『恋愛紅一点』がライブで歌われている最中、ファンたちが勝手に踊っていたダンスが元になっているというから意外と歴史は古い。
ヲタ芸といえば周りの観客を顧みない一種の迷惑行為と捉えられがちだが、最近は「サイリウムダンス」といって、ちゃんとしたパフォーミングアーツとしての認知度も上がってきている。
あくまでステージ上で観客に向けて踊るからこそ、だが。
つぼみ

バラならつぼみの状態だけの特別な花言葉もあるのだが、サクラのつぼみには少なくとも有名な花言葉は託されていなかったはず。
一応、花のつぼみ全般に持たれやすいイメージとして「恋の予感」「あどけなさ」「未来への期待」みたいなものはある。
どっちかというと前話にあった「ビッグキラキラリボンのキラキラを浴びたキラキラの木から新しい妖精が生まれてくる」という話がらみの伏線の可能性のほうが高いか。メロロンが自力でキラキラを出せないことを気にしているみたいだし。
まあ、キラキランドのキラキラの木は普通のサクラと同じ茶色い幹なんだけど。

「では儀式始めちゃいまーす! イェーイ! ロックのもと、それぞれの1番大切なものを教えあいます」
「僕の一番大切なもの。それは君に決まってる」
「わあ! 私も嬉しい! これでずっと一緒です!」
「ああ。永遠(とわ)に」
これ、やっぱり錠前が古くなったら定期的にまとめて捨ててるんでしょうか?
それとも神社に持って行ってお焚き上げとかするとか?
・・・あ! さてはこっそりキラキランドに輸出して子づくりの足しに使ってるな!?(ゲスの発想)
ストルゲー、フィリア、エロース、あるいはアガペーについて
“愛”の本場(?)、新約聖書では4種類の愛が語られています。
ひとつはストルゲー(στοργή)。家族愛です。子孫繁栄を望む動物としてごく自然な、本能的な愛と考えられています。
ひとつはフィリア(φιλία)。友愛です。血のつながりがなくとも家族同然に親密であろうとする、暖かい思いのことです。
ひとつはエロース(έρως)。だいぶ語弊はありますが、愛されたい欲求と読み換えてみてもいいかもしれません。
自分より優れている人に愛されたい。自分に無いものを持っている人に愛されたい。悪い言いかたをするなら、相手から何かを与えてもらえることを期待した愛のことです。
最後のひとつはアガペー(άγάπη)。「神の愛」と解釈する人もいます。実際、新約聖書が編纂される前はあまり一般的ではなかった概念なんだそうです。
一言でいうなら見返りを求めない純粋な愛のこと。キリスト教の神様は人間に何ももたらさず、何も求めず、ただひたすら愛してくれるだけの存在なので、その意味では「神の愛」という理解でも間違いではありません。
ただし、アガペーを持ちうる存在は必ずしも神様だけとは限りません。わかりやすいところだとボランティア精神がアガペーの一形態です。利益を求めず、なんだったら感謝すら求めず、ただ見ず知らずの他人のために尽くすだけ。
神様への信仰心もそうです。神様は人間に愛以外の何ももたらしません。それをわかっていながら神様を愛することができるなら、それは人による神様へのアガペーです。
恋愛においてもアガペーを抱く人はいるでしょう。見返りを求めない、つまり誰かを愛すること自体に何らかの価値を感じている、そんな愛のありかたをアガペーといいます。新約聖書ではこれこそが究極の愛のかたちであるとされています。

「『絡まった』じゃないメロ。『絡めた』のメロ。ねえたまが寝ぼけてそっちのベッドに行ったらダメなのメロ。ねーたまはメロロンと一緒に寝るのメロ。メロロンはねえたまとふたりきりがいいのメロ」
これに当てはめるなら、メロロンみたいな独占欲は典型的なエロースの発露ですね。
とにかくこの人に愛されたい。愛を自分だけのものにしたいと思うのは、それだけこの人の愛に特別な価値があると思っているから。独り占めすることで(物質的もしくは精神的に)何らかの利益を享受できると信じているから。
別にプリルンの愛がうたに向くこと自体がイヤなわけではありません。
メロロンは別にうたのことが嫌いなわけではありません。
うたにプリルンの愛が与えられることで、自分のぶんが減ってしまうことが許せないだけです。
だからこそ、メロロンはときおりうたに好意らしきものを示すことがあるわけです。
プリルン争奪戦と関係ない場面に限り、ですが。
メロロンにとってプリルンの愛は特別でした。
「メロロン! 新しいお友達が生まれたプリ。一緒にお祝いするプリ」
「・・・光は光。闇は闇。光と闇は溶けあわない」
「無事じゃないメロ! すぐにメロロンもみんなみたいに――。プリルン?」
「大丈夫プリ。ふたりでいれば怖くないプリ。どんなことがあってもメロロンはプリルンが守るプリ。プリルンはメロロンのお姉さんになるプリ!」

どこまで深い事情があったのかまではわかりませんが、「“本当に”ひとりぼっちになっちゃったのメロ・・・」という発言があるとおり、メロロンが普段引きこもって本ばかり読んでいたのは、彼女にとって不本意なことだったようです。
本当はみんなと一緒に遊びたかった。だけど、誰も部屋から連れ出してくれなかった。自分から出ていくのも気が引けた。声をかけてくれるのはいつもプリルンだけ。
メロロンを外に連れて行ってくれる人がいるとしたら、それは唯一プリルンだけ!
だからプリルンの愛を独占したい。
他の人にとってプリルンがどんなに大切な存在なのかは知らない。でも、少なくとも自分にとってプリルンはどうしてもいなくなってほしくない人。プリルンがいなかったらメロロンは部屋から出ることすらできません。
だからいつもいてほしい。だから傍から離れないでほしい。
自分にとって絶対に必要な人。自分に欠けたものを与えてくれる人。
比翼の鳥、とまではいいません。こちらの翼は足りないかもしれないけど、あちらは普通に一揃い持っていて、ひとりでも飛び立てるから。
だけど、メロロンが羽ばたくにはどうしてもプリルンの翼が必要だったのでした。
「ということは、ポエムの『暗い暗い氷』ってメロロンのこと?」
「『それを溶かした暖かなあなた』がひとりだったメロロンの心を温めてくれたのかも」
「それってプリルンなんじゃ」
「え。そういうこと?」
「プリ?」
「本人に全然伝わってない・・・」
一方、つまりはプリルンにとってメロロンへ向けた愛は何の特別な意味もない、普段から友達みんなに向けているのと同じフィリアでした。
ただの友愛に独占も何もありません。愛に伴う利益ありきのエロースと違い、フィリアは減るものじゃありません。それはあくまで自然に湧きあがる感情。お父さんが死んだからってお母さんへの愛が2倍に増えるわけじゃないのと同じように、うたと引き離されたところでプリルンのメロロンへの愛が強まるわけではないのです。
プリルンにメロロンの気持ちはわかりません。
愛を独占することに何か意味を感じる気持ちなんて――。

「プリキュア! がんばれプリー!」
ところで、そのプリルンはアイドルプリキュアの大ファンでもあります。
うたたちとの友情とはまた別の側面から、純粋なアイドルファンとして彼女たちの活躍を応援しています。
この愛のかたちは何と呼べばいいでしょうか?
血のつながりはないのでまずストルゲーではありませんね。友愛と別口なのでフィリアでもありません。
残るはエロースか、アガペーか。
アイドルファンのアイドルへの愛って、いったいどちらでしょうか?
カッティーの愛
「カッティー! お前! まさか――! プリキュアを応援・・・? ざっくり言って、好きになっちゃったんじゃ?」
「好き? 違いますぞ。そういう好きじゃ――。プリキュアは自分にとって・・・、そう、推し、なんですぞ」
「推し!?」
「ステージを初めて見たときから心の奥底がドキドキワクワクして、どうしてこんなに惹かれるのか自分でもわからん。でも、あのキラキラをまた見たいのですぞ!」

プリルンと同じく、ついにアイドルプリキュアファンであることを自覚してしまったカッティー。
「お前! 推しだか寿司だか知らねえが、俺たちチョッキリ団は――」
「わ、わかってますぞ! 自分が何をすべきかということは!」
カッティーはチョッキリ団。敵であるアイドルプリキュアを愛することが何らかの利益につながることはありえません。
うまいことキュアアイドルをスケこまして、なんか都合いい感じに闇堕ちさせられる、とかそういうNTR系の薄い本展開を期待しているわけでもあるまいし。
ということは、この感情はエロースではありません。
もちろんストルゲーでもありませんし、行動パターンがほぼほぼプリルンそっくりなのでフィリアである可能性も薄め。
じゃあアガペーかっていうと、これさすがに神の愛と呼べるほど高尚なものじゃない気がするっていうか、この人そこまで善人風味なキャラじゃないっていうか・・・。
とりあえず見ていきましょう。

「プリキュア! がんばれプリー! メロロンも応援するプリ。アイドルプリキュアー!」
「ムムムムム・・・! 自分だって『プリキュア! がんばれッティー!』 ――こんなふうに全力で応援してみたいものですぞ!! クラヤミンダー! そこのうらやましい妖精どもを捕まえるのですぞ!」
これはどうでしょう? 今話のメロロンみたいにちょっとハタ迷惑な愛の暴走を感じますが。
いや。でもこれ嫉妬心は共通していても、独占欲ではないんですよね。
プリルンに愛されたいメロロンと違って、カッティーは別にアイドルプリキュアに愛されたくてこんなことをしたわけではありません。2人を人質にしてプリキュアたちに何かを要求しようというつもりですらありません。
ただただ、その場の勢いだけでやっちゃった、意味のないやつあたりでした。

「カッティー! 鍵を渡して!」
「え。これ。あ、いや。あ、うわああああ・・・。――はい、ですぞ!」
「え、あれ? ・・・ありがとう!」
だからアイドルプリキュアたちに詰められて、カッティーはいとも簡単に鍵を譲ってしまいます。
アイドルファンなんてものは、まあ、こんなもの。チョロい。
推しのためなら大抵のことはできちゃう。
アイドルを応援するのって、別に何か見返りを求めてのことじゃないんですよね。
スパチャとかメンシとか、あのへんの露骨な資金援助だけは私も未だに受け入れられないんですが、そんな私でも推しのライブとあらば迷わずチケットを買いますし、応援するための記事もこのブログで何本か書いています。労力だってタダじゃありません。1記事あたりヘタしたら10時間以上。その時間、もし何かテキトーな副業でも始めていたら今ごろ(やる気ゼロだけども)。
認めましょう。“たかが”オタクども。
私たちは無私の思いで推しています。
推すことに見返りなんてありません。最初からそんなの求めていません。
なんなら推しがいる空間の壁でありたい。
床になるのはちょっとエロティックすぎだから、壁くらいがちょうどいい。
認知なんてされたくない。ひっそり推していたい。
推しの笑顔ただ見ていたい。
推すこと自体が楽しくて推してる。それが私たちの現実です。

それは――、アガペーと呼んで差し支えない感情でしょう。
メロロンの愛
少なくとも『キミとアイドルプリキュア』の場合は最初からそういう作風です。
うたたちは別にお金が欲しくてアイドルをやっているわけではありません。チヤホヤされたいとか、名誉が欲しいとか、まあそういうの一切無いとまでは言いませんが、基本的にはアイドル活動自体を楽しみたくてアイドルをやっています。
そして、彼女たちが笑顔を贈る先にいるファンたち。こちらにも下心らしきものは表れません。たまに自分に微笑みかけてほしいとか、会ってみたいとか、そういう希望があるファンはいますが、プリルンやカッティーのように、みんな自分が応援したいから応援しているだけです。清らかなものですね。
アイドルプリキュアと、そのファンたち。
両者はお互いにアガペーを送りあっている関係性だといえます。
だからこそ『キミと』が大切な意味を帯びるんですね。
たぶんその手の小難しい話が本格的に始まるのは秋以降になるんでしょうけど。
「あのとき初めてメロロンはひとりじゃないって思えたメロ。ねえたまにハートをズキューンと撃ち抜かれたのメロ。・・・ねえたまの一番大切なものって何メロ? メロロンはねえたまメロ」
プリルンはメロロンの気持ちがアガペーというよりエロース、純粋な愛だけから来ているわけではないことを理解していません。
だからこういうふうに返します。
「プリルンもメロロンと一緒プリ。プリルンはアイドルプリキュアにハートをズキューンと撃ち抜かれたプリ!」
その気持ちはきっと、私のアガペーと同じかたちをしている、と。

では。
改めて考えてみましょう。メロロンのその愛は本当にエロースだけなのか。プリルンに愛されなければ意味をなさない愛なのか。
「よかった。メロロンと合流できたのですね」
「メロロンはキラキランドでお留守番だと思ってたプリ。いきなり来てびっくりプリ」
「あの子はひとりで行ってしまったのです。プリルンに会いたい一心で」
「女王様のお力ではなかったのですのね」
メロロンは本来不可能だと思われていた理をねじ曲げて、あふれんばかりのプリルンへの思いの力だけでこちらの世界にやってきました。
それだけ強い思いでこちらに来たにもかかわらず、プリルンがうたと仲よくしているのを見て嫉妬こそすれ、絶望することはありませんでした。プリルンを振り向かせるべくもうひとがんばりすることを厭いませんでした。
今日、改めてプリルンの思いを確かめました。プリルンの自分への思いはおそらく特別なものではなく、うたたちに対するものと同じただの友愛。しかも、それらよりさらに強い気持ちでアイドルプリキュアへの推し活も熱心に行っていました。

「ねえたまの一番大切なものって・・・」
この状況からプリルンを自分だけのものにするのは相当に困難なことでしょう。とっくの昔に手遅れになっていたのかもしれません。
壊れるたび思い知る。近くにいてもハートは遠く。
暗い暗い氷を溶かしたあなたは、だけど私が甘くほどけてあげられることにそもそも興味を持ってくれないかもしれない。
それでも。

メロロンはくじけませんでした。
たとえプリルンを自分だけのものにできないかもしれなくても、プリルンを好きでいつづけることを辞めようとは思いませんでした。
それは・・・、はたして本当に見返りを求める愛でしょうか?
相手からの愛を与えられることありきの愛でしょうか?
少なくとも、横から見ているぶんには、その愛は純粋なもののように見えたのでした。

コメント
鍵のおまじない、私も「物理的限界を迎えたらどうするんだろう」とはちょっと思いましたw
カッティーのように社会的制約やら何やらで大っぴらにできない事情は数あれど、好きになること自体は止めようがないですからねえ。
たとえ敵だろうが、本作において『アイドルを応援することが罪』だなんて嫌すぎますし、彼も何かしら落とし所が見つかればいいんですけど。
おみくじはどうしてるのかな・・・?と思って軽くググったんですが、イマイチ情報が出てこないんですよね。さすがにオフシーズンにでもお焚き上げしているとは思うんですが。
最近はオンラインライブもあるのでだいぶ気楽に推し活できるようになりましたが、たとえばリアルライブに行ってみたいってなったとき、カッティーみたいな事情が無くても大抵しんどい思いをするんですよね。周りのファンの性別とか、年齢とか・・・。
というか、プリキュアファンだとあれが一番わかりやすいか。映画館。
今日はメロロンがプリルンと同姓同士の妖精としてデートする話でした
カッティが「クラヤミンダー。そこのうらやましい妖精どもを捕まえるのですぞ」と言い放ったのは敵幹部が口にするプリキュア的に聴き応えあるセリフでした!!☆☆♬
キュアアイドルギャンブラーがキュアベースボールギャンブラーらと基本的には三位一体となって次々とやられ役を浄化していく私のプリキュア小説では、キュアアイドルギャンブラーの妹が変身前のキュアベースボールギャンブラーの近くにいて、敵幹部が人間を失意のドン底に突き落とすのが目的で
「やられ役の名前。そこのガキを失意のドン底に突き落としてやれ」
と命令することで、プリキュア的に聴き応えありと言えるセリフでした
で、プリルンはやっぱり咲良 うたと添い寝したいということで、結局は最後の最後のメロロンのセイで咲良 うたにはバッドエンドというパターンで終わりました
だからこれはある意味私の現職の会社の後輩とソイツの妹の姪っ子も含めて
さいごまでみてよかった
と女の子には言えない話でした
で、そろそろこのキミとアイドルプリキュア♪に4人目が登場するかどうかの境界線ですよね
果たしてスマイルプリキュアを代表例に最後の最後まで3人でなんとかするのか?にも私は当然注目度を向けます
★与方さん
昨日は甲子園の広島戦で阪神が先行逃げ切りに成功し、首位を奪い返した日でした!!☆☆♬
さらに今日は逆転で広島に連勝し、明日が出勤のままだと阪神ファンである私の現職の会社の社歴では先輩である後輩上司に好い報告が出来る日でもありました!!☆☆♫
で、今日も8回の裏の阪神の攻撃でワンアウト一塁からライトゴロで一塁ランナーがギリギリアウトも、広島県福山市西部のエディオンで売られているテレビでも放映されましたが、アッパレ阪神なのです!!☆☆♬
さらに今日はドラゴンズも勝った日です
★イガイガさん
今年の春こそは中国地区大会が岡山開催で倉敷市内の野球場が使われるので、観に行く気マンマンで張り切っていましたが、(2つの)病院に行く時の治療で5000円はかかってしまって(大汗)
だから春の中国地区大会が岡山開催で倉敷市内の野球場を使われるタイミングが相当長く感じます
プリルンとメロロンを捕まえるだけ捕まえておいて、その後別に何もしようとしなかったカッティーにほっこりしました。マジで勢いだけでやっちゃったんだなあって。
追加戦士の登場時期は最近また早まっているので、たぶん再来週かその次くらいのスケジュール感ですね。
メロロン、詩人への道はまだまだ遠いようですな。
しかし、この1年で少しでも、体験によって言葉に深みが出て来るか。
トマス・マンとヘルマン・ヘッセの言葉の違いで、このようなことを書いている方がいました。
マンは即効性があってみんなを驚かすけれど、永続性が少ない。
ヘッセは最初よくわからんけど、後でスルメみたいにジワジワ来る。
メロロンがしっかり鍛えるなら、どちらかというとトマス・マン(ロマン・ロランもこちらに近い)よりもヘルマン・ヘッセの方向性を持った妖精詩人になるのではないか。
そんな期待を、勝手ながらしております。
亀ちゃん様
あっぱれ、ありがとうございます!
まあ子ども向け番組で皮肉を効かせてもしゃーないところはありますし。
メロロンのポエムは今のところかなり表層的な思いを語っている(だからこそわかりやすくもある)わけですが、これが内向性を極めて行ってしまったら・・・、ななですら理解できなくなっちゃいません?