魔法つかいプリキュア!第21話感想 ふたりが手をつなぐ物語。そしてこれからの第一歩。

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そんなことよりはーちゃんを・・・、はーちゃんを返して!

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(主観的)あらすじ

 闇の魔法とエメラルドの輝き、ふたつの力を得たドクロクシーは世界中からさらなる力を奪っていきます。それはクシィが当初求めていた「災いに対抗する力」とはほど遠く、むしろ世界を困らせる「災い」そのものとなっていました。
 けれどそんなもの、みらいたちには関係ありません。彼女たちははーちゃんを取り戻して日常へ帰るため、ふたりの絆を力に戦います。はーちゃんを助けようとするプリキュアの奮闘と、その思いに応えるはーちゃんの力によって、ドクロクシーはついに浄化されます。
 戦いのあと、成長したはーちゃんはドクロクシーの怨念を晴らし、クシィを天に連れて行きます。はーちゃんを日常へ連れて帰ることは叶いませんでしたが、どうやら彼女はちゃんと世界のどこかで生きているようです。

 待望の河野戦闘回。ええ、私は河野作画監督のファンなのです。ダイナミックなギミックがテンポ良くちりばめられる河野戦闘回は見ていて小気味良いですね。描ける描写の自由が利くのか、いつもより無理なく物語テーマを戦闘に反映してくれますし。それにしてもまさかドクロクシーがロケットパンチで戦うとは。そういえば前話でも似たような魔法を使っていましたっけ。というかまさか1話できれいに決着がつくとは。
 「相異なる力ひとつになりしとき、それは全てを超越し究極へと至る」「輝き目覚め、闇うごめき、かつてなき変動を迎える世界。そしてその中心に降り立つふたりの魔法つかい。運命をも覆しうる奇跡の魔法」 どうせこのあたり後でテストに出るでしょうから覚えておきましょう。
 「ゴメンね、今かけたの魔法じゃない。ご迷惑かも? でもメゲずにポーズ決めて、魔法つかいプリキュア!」 CMで流れた新しい歌詞もステキですね。相変わらずほのぼのしらばっくれていらっしゃる。さあ、来週から新展開です。

日常の守り手

 前話に引き続き「闇が世界を飲み込み、ドクロクシー様の中でひとつとなる」「我々の目的は、来たるべき日に備え、災いに対抗する力を得ることだったはず」「自ら災いとなり、世界を困らせてどうする」「生徒を守るのが校長の務め」 と、大人たちは相変わらずややこしいことに振り回されて大仰な熱弁を振るっていますが、そんなものプリキュアにはどうでもいいことです。
 プリキュアは日常の守り手です。「闇」だの「災い」だの「務め」だの、そんな非日常の都合はどうだってよろしい。・・・いえまあ過去のプリキュアたちは日常を守るためにやむを得ず非日常の中へ飛び込んでいったものですが、このあたり魔法つかいプリキュア! は極まっていますね。
 「目立つの、それが嫌なの。空飛ぶとかマジ危ないし」 みらいたちはどんなときでもブレません。いつだって一番大切なものを見つけます。闇の魔法がどうとかいう一連の騒動の発端は、元を辿れば日常を守るためのものだったではありませんか。それを忘れて大人たちは何をうだうだ言っているのでしょう。

 「この状況で笑っている・・・?」 日常の権化たる魔法つかいプリキュア! は戦います。単なる外敵である非日常と。
 「抗えるものなどありはしないのです」 そんな向こうの都合なんて知ったこっちゃありません。「私たちはただ返してほしいだけ。はーちゃんを返して!」 純然たるこちらの都合のためだけに、日常は非日常と戦います。向こうが非日常だからって、わざわざこちらまで非日常に付き合ってやる義理はありません。

手をつなぐ

 と、ここまではプリキュアシリーズとしての物語。魔法つかいプリキュア! にはシリーズを一貫するテーマの他にもうひとつのテーマがあります。「手をつなぐ」こと。これまで散々やってきたように、今回もまたその素晴らしさを証明しなければいけません。

 「もっと、力を!」 闇の魔法とエメラルドの輝きだけでは飽き足らず、ドクロクシーは世界中あまねく力や校長先生、プリキュアの力までもを欲します。理由などなく、ただ「全ての力をひとつに」 するためだけに。欲張りですね。
 「みんなの力を無理矢理飲み込むなんて」「そんなの『力をひとつにする』なんていわない」 当然プリキュアは怒ります。誰かが全部ひとり占めしてしまうなんて、それは平和な日常を壊してしまう考え方ですから。その代わりとして示すのが「手をつなぐ」力。
 ふたりのプリキュアは手と手をつなぎあい、チームワークによって強大なドクロクシーと互角に戦います。残念ながらまだ「互角」です。彼女たちの「手をつなぐ」相手は主にお互いであって、それ以外に目を向けるようになったのは比較的最近のことです。彼女たちにはまだ成長の余地があるので、今はまだ互角です。
 ですが、日常を守るために戦っているのはプリキュアだけではありません。校長先生やクシィだってそうでした。彼らは残念ながら「手をつなぐ」ことの素晴らしさに気付いていなかったのでこの場でプリキュアに力を貸すことはできませんが。しかし、もし「日常を守りたい」と願い、そして「手をつなぐ」ことの強さを理解している者がいるとしたら。その人はきっとプリキュアに力を貸すでしょう。プリキュアが求めなくとも、自ら。
 この場にはもうひとり「手をつなぐ」ことの価値を知る少女がいます。プリキュアの強さを信じるはーちゃんが。だから彼女はプリキュアに手を貸します。ドクロクシーの体内から力を奪うことによって。これこそが「手をつなぐ」ことの力。未だ不完全ではありますが、みらいとリコが日常の中に振りまいてきた奇跡の魔法、そのひとつが今ここに開花しました。

 ダイヤモンドは天と地のエネルギーを統合するパワーストーンとされます。天にあるもの、地にあるもの、あるいは善いもの、悪いもの、おおよその物事が宿している二面的な性質を、二面性を保ったままに増幅します。みらいとリコがそれぞれはじめから持っていた良いところ、互いに持っていなかった良いところの両方を成長させてきたように。そしてそれらを統合します。ふたりがひとりでいるよりもずっと強いプリキュアに変身するように。
 その統合する強さに惹かれて、今、第3のプリキュアがふたりと巡り会おうとしています。ダイヤモンドは統合する石であると同時に、人と人との絆を強固に結びつける石でもあるのです。

あまねく生命に祝福を

 プリキュアのふたりが打ち払った欲張りな怨念を、最後に浄化させるのははーちゃんにしかできない役目です。なぜって、ミラクルとマジカルはあくまで日常の外敵としてドクロクシーと戦っただけですから。彼女たちは非日常の存在であるドクロクシーの怨念に理解を示しません。日常に極まるのも善し悪しですね。全てに完璧に対応できる答えなんてないのかもしれません。
 だからここからははーちゃんの出番。彼女は「あまねく生命に祝福を」 与えるプリキュアになる少女です。あまねく生命。それはすなわち、ドクロクシーと化したクシィすら例外ではありません。
 はーちゃんはプリキュアがドクロクシーを理解しない代わりに、あまねく生命のひとつとして彼の魂を祝福します。いかな悪者であろうとも、その理念が語られずとも、彼とて誰かに愛されるべき世界の一部に違いありません。凝り固まった欲望を解きほぐし、校長先生とともに理想を模索していたころのクシィとして、はーちゃんは彼を天に送り届けます。
 いつの日か世界中の人々が手と手をつなぎあうとき、高潔なクシィもまたその輪に加わることができますように。

 こうして闇の魔法とドクロクシーを巡る物語はひとつの終わりを迎えました。あまねく生命と向き合う、新たなプリキュアの物語の第一歩目として。
 死んでしまったソルシエールの先生ですら、究極の魔法を通じて再びソルシエールとつながることができたくらいです。彼女たちをつなぎ合わせた魔法つかいプリキュア! の奇跡の魔法なら、きっとクシィと「手をつなぐ」ことくらいできるんじゃないかな。

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