魔法つかいプリキュア!第22話感想 ふたりではできないこれからのこと。

繋いだ手は夢の翼、虹の彼方目指すの。

魔法つかいプリキュア! フラワーエコーワンドDX

(主観的)あらすじ

 ドクロクシーとの決戦から少し後のこと。みらいとリコはずっとはーちゃんを探していましたが、ついに見つかりませんでした。それでもみらいはまた探そうと言います。リコは魔法界に戻ってはーちゃんを見つける魔法を学びたいと言います。ふたりともはーちゃんに会いたいのは同じ。じっとしていられないのも同じです。
 一方その頃、ナシマホウ界の砂漠に謎のジン、ラブーが現れました。古い知識と強大な力を持っている様子の彼がヤモーを再生させると、ヤモーはドクロクシーの残した骨を携えプリキュアに復讐しに行きます。
 ヤモーがドクロクシーの骨を使って生み出すヨクバールは強力で、はーちゃんやお互いとの別れを悲しんで力を出せずにいるプリキュアでは歯が立ちません。けれどそこにリンクルストーン・エメラルドを携えた少女が現れ、瞬く間にヨクバールを浄化してしまいます。少女の名はキュアフェリーチェ。ずっと探していた、はーちゃんです。

 リブート回、あるいはふたりの限界を描く物語。キュアフェリーチェ初変身、新たなる敵ラブーと新展開らしい要素は顔見せしたものの、まだそれぞれの思想的な部分には触れられていません。彼女たちは今回の物語の主役ではありません。どちらかというと前回の反省会がメインとなります。
 はーちゃんといっしょに帰ってこれなかったみらいたち、浄化しきらなかった闇の魔法つかいたちの残党ヤモー。ふたりで手を繋ぐ物語がみんなで手を繋ぐ物語へと生まれ変わるため、物語はふたりでは解決できなかった課題を容赦なく突きつけます。
 それにしてもあのランプのジンの名前がラブーだとは。ちょうど今週のドキドキ!プリキュア再放送が「ラブー、ラブー、ラブー」の豚型ジコチューでしたが、なんという珍妙な符合。

 それはそれとしてOP/EDともに一新。OPは前期以上にニコニコ笑っているような歌い方が魅力。新規に書き起こした絵の方はかつてないほど追加戦士・花海ことはが既存のふたりと調和していて、前期のみらいとリコふたりでべったりだった印象をガラリと変えています。どちらかというと3人で手を繋ぐさらにその両脇に他の誰かが寄り添えるような、開放感のある構図が中心ですね。ラストの「魔法の言葉で」の場面でシャボン玉に一瞬映るはーちゃんがトコトコ期からキラキラ期に差し替えられているとか、プリキュアスタッフはつくづく妙なところで細かい仕事しますね。しれっと今までアニメでは影も形も見せなかったリンクルストーンの精霊が登場していますが、今後は彼らを収集していくのでしょうか。
 EDはいかにも子どもを踊らせたいという気概が伝わってくる、アップテンポでかわいい曲&モチーフのわかりやすい振り付け。テキトーに身体を動かすだけでも様になるようによく考えられていますね。ほうきはマイクパフォーマンス&バトントワリングで前期よりもアクティブに振り回しますので、親御さんはくれぐれも目を離さないようにしましょう。

限界

 これまでの物語でみらいとリコは大きく成長しました。特に大きくスポットを当てられていたリコはテストで学年1位、魔法も使いこなせるようになった、などわかりやすい実績付き。「手を繋ぐ」出会いはふたりにかけがえのない力を与えてくれました。
 けれどそれはあくまで自分自身に働きかける内向きの力。外側には向きません。外敵であるドクロクシーの力を跳ね返して彼女たちの日常を守ることはできても、すでに奪われてしまったはーちゃんを取り戻すには至りませんでした。
 これはひとつの限界です。ふたりで手を繋ぐ物語自体の敗北です。手の届かない相手に、人と人とを繋ぐ奇跡の魔法は届きません。

 一応これまでもみらいたちはふたり以外の人とも絆を育んできました。人魚やペガサス、魔法学校の補習メイト、津成木第一中学校のクラスメイト、魔法商店街の人々、みらいの家族、街で出会った様々な人。それは間違いなく彼女たちの奇跡の魔法です。けれどそのきっかけは無自覚の善性であったり、一方的な憧れであったり、あるいは相手からの無条件の愛情でした。みらいたちが主体的に手を繋ごうとしたわけではありません。
 みらいたちは自分たちの中に眠る奇跡の魔法に気付いていません。手を繋ぐことで生まれる力は自分たちふたりだけで完結すると思い込んでいます。
 ふたりで手を繋ぐ力。ドクロクシーの闇の魔法すら退けるプリキュアの力。ドクロクシーをやっつけた今になって、それは思いのほか有限で窮屈なものなんだと、みらいたちは気付きはじめます。

 「母親だから相談できないこともあるよね。リコちゃんにはできてもさ」 例えばひとり、寂しそうにしている人がいます。母親であるなら、それこそ無条件に子どもの力になりたいと願うものでしょう。けれどそれは叶いません。みらいの両手はリコ(とモフルン)の手で塞がれてしまっているからです。母親がいくら手を伸ばしたって、みらいと手を繋ぐことは叶いません。
 「みらいといっしょにいてくれてありがとう」 そんなことを言われたってリコには嬉しくもなんともありません。だってこれは重荷です。みらいの母親がやりたくてもできないことを肩代わりしてほしいというお願いです。ようやく自分らしく生きられるようになったばかりのリコでは手に余ります。
 「私でも相談に乗れることがあったらいつでも乗るからね」 目の前にそれができる人がいるというのに、どうして自分がそれを背負わなければならないのか。答えはわかっていますね。あなたたちが手を伸ばしていないからです。あなたたちが苦しんでいるのも、この人が寂しそうにしているのも、全てはあなたたちのせいです。

 はーちゃんは見つかりません。「全部」というのがどのくらいのことなのかはわかりませんが、みらいたちは自分たちにできること全部を尽くしてはーちゃんを探しました。それでも見つかりません。ドクロクシーをやっつけた力だろうと、限界があるならば叶わない願いもあります。
 みらいは「またはーちゃんを探さない?」 と提案します。不毛な考え方です。将来の夢がないということは、現在の問題を打開するための指針を持っていないということです。「こういうことができるようになりたい」という願いが「だからこういう人になりたい」という夢をつくるのですから、裏を返せば「こういう人になりたい」という夢がない人はそもそも「できるようになりたい」何かがないのです。何をできるようになったら幸せになれるのかわからないのです。だから目の前にある手段をやり尽くしたら、それでもそれ以外の手段に思い当たらない。
 リコはみらいより建設的です。「魔法学校で勉強して、もっともっと魔法を使えるようになれば、エメラルドだってはーちゃんだって見つかるかもしれない」 彼女の夢は「立派な魔法つかいになること」です。立派な魔法つかいになれば自分は幸せになれるという指針を持っています。もし目の前にある手段全部を当たって、それでもダメだったら。リコにならまだできることがあります。夢を持つというのはそういうことです。
 GO!プリンセスプリキュアは夢を持つことであらゆる絶望を乗り越える力を得る物語でした。夢があるから絶望もなくならない、とも語られましたが、それに対して主人公春野はるかが導き出した答えは「夢だって消せないよ」 でした。どんな絶望だって、夢を信じていれば人は負けません。絶望に飲まれるのは夢を失った人だけです。みらいとリコの違いは、前作の文脈からいうとこういうことです。

 ・・・少々脱線しました。これは前作の文脈上での考え方。魔法つかいプリキュア!の物語は前作までの流れを汲んだ上で、さらに別のテーマを扱います。
 言わずと知れた「手を繋ぐ」ことです。
 その意味でいうとみらいとリコ、ふたりの考え方は両方ともダメダメです。じっとしていられないからって、本当に探して見つかると思いますか? 再開するのが数年先になったとして、それであなたは満足ですか?みらいたちが今自覚している力には限界があります。望む願いをありのまま形にすることができません。
 一般的な道徳心からすると、特に建設的な視点を持ったリコの考え方はとても立派です。けれどこの物語はそれに甘んじる物語ではありません。子ども向け番組はたいがい欲張りです。

 ふたりがやろうとしていることはクシィと同じです。求める大きな願いのためだからと、今の自分を不幸にしてどうするのですか。その大きな願いだって元を辿れば自分の幸せのためでしょうに。不健全です。幸せになりたいと願いつつ、わざわざ自分を不幸にするなんて。
 今やふたりで手を繋ぐ力はふたりに不幸ばかりをもたらします。ハピネスチャージプリキュアで主人公愛野めぐみが「愛」のせいで不幸になったのと同じことです。

 そろそろ根本的に見方を変えなければいけません。「手を繋ぐ」力にはもっと別の奇跡や魔法が隠されているのではないか、と。・・・みらいたちがそれを見つけるまでにはあと4話くらいかかりそうな雰囲気ですけれど。

負債

 そんなわけでカウントダウン5、今回を除けば残り4カウントを担うのがヤモーです。
 彼ら闇の魔法つかいたちはみらいとリコの手が届かなかった(手を伸ばさなかった)人々です。完全な外敵としてみらいたちの日常を侵そうとしたので、近年のプリキュアの敵組織としては珍しく、思想戦に持ち込む機会すらほとんど与えられずに滅ぼされました。
 だから今さら再生したところで闇の魔法つかいたちの残党ヤモーには語るべき思想がありません。あるのはみらいたちと手を繋ぎあえなかった過去だけです。

 ヤモーはドクロクシー戦において、モフルンと校長先生の手を振りきって、ドクロクシーに吸収されることを望みました。ええ、一度モフルンたち(プリキュア側)は彼に手を差しのべています。「秘技・尻尾切り」 で届かなくなってしまっただけで。
 このあたりのテーマ上の処理は今後のヤモーの顛末で語られるでしょうが、とりあえず現状で私はこの原因を「ただの善性でしかなかったから」と解釈しています。先に述べたとおり、みらいとリコ、プリキュアには、ふたり以外とも手を繋ぐことのできる力が眠っています。ですが今のプリキュアはそれを自覚できておらず、はーちゃんと生き別れた問題に対してこの力を行使することができません。手が届いていません。

 人魚やペガサスと手を繋ぎあえたように、ただの善意だって誰かと手を繋ぐことはできます。相手も手を伸ばしてくれるなら。
 ですが闇の魔法つかいたちは違います。彼らは手を伸ばしてはくれません。むしろ「秘技・尻尾切り」 とか言ってわざわざ手を引っ込めたがる人たちです。もしプリキュアが彼らとすら手を繋ぎたいと願うなら、彼女たちは自覚してせいいっぱいに手を伸ばしてやらなければいけないでしょう。
 これまでのプリキュアはそれをしてきました。わかり合うためにイースと死闘を繰り広げたキュアピーチ。ただノイズの手を握るためだけに彼の攻撃をかいくぐったキュアメロディ。敵同士だからと苦しむレジーナを救うため説得を繰り返したキュアハート。

 今のところ魔法つかいプリキュア!に彼と手を繋ぐ理由はありません。けれど今ヤモーは復讐心というとびきり不健全な気持ちに心を苛まれています。
 彼は不幸です。孤立しています。そうであるだけでプリキュアには彼を救ってやれる可能性が与えられています。全てのプリキュアがそうであったように、みらいとリコもまた底抜けのお人好しですからね。そもそもキュアフェリーチェもドクロクシーを救っていますし。
 「大切なみんなとお別れなんてイヤなの」 例えばその気持ちはヤモーだって同じだということ、気付いてあげられたらいいのですが。

どこか遠いところにいる人のために

 「はーちゃんはあなたたちを止めるためにいなくなったのよ」「私は絶対にはーちゃんを見つけてみせるって決めたのに、今度はそれを邪魔するの?」 はーちゃんもキュアマジカルもみんなクシィ化しつつあるふたりぼっちたちの不健全思考はさておき、真っ先にふたりで手を繋ぐ限界から這い上がったのはモフルンでした。はーちゃんといいモフルンといい、今年の妖精は心が強いですね。

 「ふたりが笑ってるから、はーちゃんも笑ってるモフ」「笑ってないと、はーちゃんもニコニコで帰ってこられないモフ」 見方が反転しています。ヒャッコイ島でみらいたちが笑ったのははーちゃんが喜んだからです。別にはーちゃんを笑わせるために笑ったわけではありません。それでもはーちゃんが喜んだからみらいたちが笑って、みらいたちが笑ったからはーちゃんもまた笑ったのは本当です。
 これまで意識してこなかったとしても、みらいたちは自分たちじゃない誰かのために、これまでたくさんのことをしてきました。それが例えば、はーちゃんの前で笑顔でいること。
 モフルンが「ふたりが笑ってるから、はーちゃんも笑ってるモフ」 と言ったとき、それを受けてリコも言っていました。「ずっと笑顔でいてもらわないとね」 彼女たちには誰かのために何かをしようという善性があります。ふたりがお互いを思いやる気持ちと同じくらいに、本当はお互い以外の誰かをも思いやろうとする気持ちが、実は最初からあったのです。無自覚なだけで。
 モフルンはそれをひとつ自覚しました。そして反転させました。これまで自分たちが無自覚にやってきたことがはーちゃんのためになるというなら、積極的にそれをやろう。はーちゃんを見つける手段には思い当たらないけど、せめてはーちゃんに笑っていてもらうために、自分たちは笑っていよう。
 お互いに手と手を繋ぎ会う小さな輪から、外側へ、どこか遠くにいるはーちゃんのために手が差しのべられました。

 だからはーちゃんはその手を握りかえします。これまでどこか遠くにいたけれど、ずっと懸命に伸ばしていた自分の手が届く位置に、プリキュアたちの手がようやく伸びてきたから。
 ダイヤモンドは増幅する石です。願えば願うだけ、その意志は力に変わります。エメラルドは愛の石です。誰かを愛する気持ちが強いほど、お互いを固くつなぎ止めます。
 ようやくプリキュアたちの元に帰ってきたはーちゃんは「プリキュアをいじめるなにか」に立ち向かいます。いつもどおりに。闇を払い、プリキュアたちの前に立ってふたりを庇うように。違うのは身体が少し大きくなって、それから本当にふたりを守れるようになったことくらい。
 ドクロクシーを浄化してクシィを救ったような「あまねく生命に祝福を」 与える物語は次回以降、みらいとリコの「見方を変える」物語に寄りそって、歩むような速さでゆっくりと紡がれていくでしょう。

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