魔法つかいプリキュア!第23話感想 言葉の魔法。無力な子どもの願いを叶えてくれる魔法。

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みんなの言葉が私のここにいっぱい詰まってるの。

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(主観的)あらすじ

 再開したことを喜びあうみらいたちとはーちゃん。家に帰る道すがら、はーちゃんは高くなった目線や使えるようになった魔法にはしゃぎ回ります。「キュアップラパパ! 大好きなみらいとリコとモフルンと、ずーっと一緒にいられますように」
 途中でヤモーのヨクバールに襲われましたが、「私を大切にしてくれた、守ってくれたみんなの力になりたい」 というはーちゃんの思いの力によって撃退します。
 家に帰ったみらいたちは校長先生にお願いします。エメラルドは見つかったけれど、これからも3人で暮らしたいと。それから同じことをみらいのお母さんにも。3人の素直な言葉は大人たちの心に届き、みんな一緒に暮らせるようになりました。

 まさか「花海」の由来が第18話とは別に用意されているとは。はーちゃん・・・キュアフェリーチェ/花海ことはの立ち位置を確認する物語。追加戦士とはいえ、さすがにいきなり名乗り口上ほど立派な信念は持ち合わせていません。それでも彼女がみらいやリコと決定的に異なるのは、自分を守ってくれた人たちの存在を強く認識していること。今はまだその視点をみらいとリコまでしか向けていませんが、閉じたふたりの輪からは手の届かなかった外側へ、言葉の魔法はいともたやすく届いてしまいます。
 新しいプリキュアが加わったからといって一方が導くのではなく、導かれるのではなく。「みんなで前進、安心。足りないものは誰かが持ってる」 新しい出会いが新しいものの見方に気付かせてくれ、彼女たちは3人で成長していきます。

あなたにはできないなにもかも

 「ちょっと待って。そういうことは私たちだけでは決められないわ」 無邪気にワクワクものの日々を思い描くはーちゃんに、リコが待ったをかけます。この子は現実を見ています。同時に無茶無謀も目につくのですが、それは必要に駆られてのこと。最初にナシマホウ界でリンクルストーン・エメラルドを探したのだって、今の自分の能力では補習を乗り越えられないと判断したから別の道を探ったまででした。このあたり、その場その場の判断で爆発的な行動力を発揮するみらいとは少し違う部分です。
 人間ひとりを養うのが相当大変なことだなんて子どもだってなんとなく理解しています。みらいとリコにははーちゃんの住むところを用意してやる能力なんてありません。一緒に学校に行くだなんてもっての外。よくよく考えてみれば、そもそもナシマホウ界に留学するための大義名分すら今は失われてしまっています。

 ふたりが出会って、プリキュアになって、お互いに影響を受けあって、初めに比べたらみらいとリコはずいぶんできることが多くなりました。
 けれど、それでも彼女たちはまだ子どもです。子どもには自分の力でできることなんてほんの少ししかありません。大人だって本当は大したことができないのですがそれは別のお話。ただ友達(家族)と一緒にいたいというだけの素朴な願いすら、彼女たちには叶えられないのです。

 魔法が使えたってそれは変わりません。リコの知らない特別な魔法を当たり前のように使いこなすはーちゃんですら、本当に叶えたい願い事は魔法では叶えられません。
 「キュアップラパパ! 大好きなみらいとリコとモフルンと、ずーっと一緒にいられますように」 たったそれだけ。子どもの素朴な願いごとですら、魔法は叶えてくれません。空を飛んだりものを動かしたりはできるのに。
 現実を、自分たちの無力さを一番よく理解しているリコは、だから意味のない願い事のために杖を振る気力すら湧きません。

 マリーゴールドの花言葉は「絶望」「悲しみ」、特に「別れの悲しみ」。昔のヨーロッパ人はどういうわけか(一説には宗教的観点ともいわれます)黄色い花にネガティブな言葉を託しがちでした。
 大好きで、たくさん探して、ようやくはーちゃんと再会できましたが、そこにみらいたちの求める幸せはありませんでした。間もなく訪れる悲しいお別れを逃れる術が彼女たちにはありません。友情も魔法もプリキュアの力も、子どもの無力さを覆すことはできません。
 みらいたちにできるのはつかの間の幸福を味わうことだけ。ただ再会しただけでは、結局前話でショッピングセンターに遊びに行ったときと何も変わりません。

あなたにしかできないなにもかも

 その、彼女たちにはどうすることもできない問題をどうにかする方法を知っている子が、実はひとりいます。みらいです。
 第2話でリコへの処罰を免れるため、みらいがしたことはなんだったでしょう。校長先生にお願いすることでした。
 「校長先生にお願いしよう」 たったそれだけのこと。本当に簡単なことです。子どもは確かに無力ですが、しかしそれで本当に願い事を全く叶えられずにいる子どもがどれだけいるでしょうか。自分の力でどうにもならないなら誰かの力を借りればよろしい。当たり前のことですね。

 早々にそこに思い至ってなお暗い影をにじませるみらいたちは「ふたりの奇跡」「ふたりの魔法」 に慣れすぎです。これまでぶつかってきたたくさんの困難を乗り越えてきた力ですから、それを絶対視してしまうのは仕方のないことなのですが。
 本当はみらいたちだってたくさんの人に支えられてこれまで生きてきたんです。ふたりの家族、学校の先生、友達、魔法商店街の人々、人魚、ペガサス・・・。この世界そのものですら、彼女たちを祝福して魔法の杖を授けてくれました。それを忘れてはいけません。頼っちゃえばいいんですよ。お願いすれば、きっとあなたを好きでいてくれる誰かが助けてくれます。今まで当たり前にやってきたように。

 けれど、それでいて「お願いすること」自体はあなたにしかできません。周りの人はあなたが何に困っているのかを知りません。どれだけ困っているかを知りません。何を大切にしたがっているかを知りません。あなたがお願いして初めて、周りの人はあなたの願いを叶えてあげられるのです。
 ハートキャッチプリキュア!の来海えりかがこれを大切にする子でした。口に出さないことを察するのが不得手という意味でもありましたが、それでも彼女の「ちゃんと言ってくれないとわかんないよ?」 は花咲つぼみを救いました。両親がそばにいる日々を奪おうとする大人に、自分のわがままを伝えるきっかけをくれました。

 前話でみらいの母親が辛そうな表情を浮かべていたのを覚えているでしょうか。「母親だから相談できないこともあるよね。リコちゃんにはできてもさ」 大人が子どもであるリコに弱音を吐いていたことを覚えているでしょうか。
 助けを求めることは悪いことではありません。特に子どもの場合は。みんな案外あなたの力になりたがっているものです。むしろそれを果たせないことこそが不幸です。それでいて過剰な厄介ごとを押しつけられるのはイヤだったりして面倒ですが、それはそれ。ひとりで苦しんでいる姿を見せられるよりはなんぼかマシです。
 「お願いすること」はあなたにしかできません。周りの人はあなたが何に困っているのかを知りません。どれだけ困っているかを知りません。何を大切にしたがっているかを知りません。お願いされるまで手助けしたくてもできないことはたくさんあります。だから苦しんでいるあなたを見て心を痛めている誰かを救ってあげられるのは、他でもないあなただけです。
 「あのねお母さん。実はしばらくこの子をウチに泊めてあげたいんだけど」 その真剣な思い。願いを叶えてあげたときの嬉しそうな顔。それこそがみらいの母親を苛んでいた不幸を氷解させる、ただひとつの手段でした。
 「お願いすること」はあなたにしかできません。けれどそれはあなただけを幸せにするものでもありません。手をつなぎあえばお互いにお互いの体温が伝わるように、お願いをすること/叶えることは両方にとって幸せたりえることなのです。

 だから、言葉を紡ぎましょう。素直に、まっすぐ。手の届かない人であっても。手と手をつなぎあうように。
 ふたりの閉じた関係を育む時間は終わりました。みらいたちはもう充分に成長しました。これからはふたりきりだった輪の外へ、その手を伸ばすときです。その先にきっと、3人の新たな成長が待っているでしょう。

それでは言の葉になにを載せましょう

 「私、みんなの言葉がすごく嬉しかったんだ」「今日だけじゃない。私が小さいときから、みんなはいつも暖かい言葉をかけてくれたよね」「『言葉は魔法』 みんなの言葉が私のここにいっぱい詰まってるの」 はーちゃん改め花海ことはは感謝の思いを言の葉に載せます。あるいは尊敬、憧れかもしれません。
 「魔法をかけたの。みんなとずっと一緒にいられますようにって。みらいとリコとモフルンは私の家族だから」 一見意味のない願い事に見えて、実はことはにとってあの魔法には大切な意味がありました。祝福です。みらいとリコ、モフルンに言われて嬉しかったことをとにかく喜びたいという気持ち。自分の生への祝福です。

 私は今が幸せなんだ。これ以上に強烈なお願い事の理由づけはそうそうありません。そんなことを言われたらこっちだって相手の祝福に自分の祝福も載せたくなってしまいます。だって幸せそうな人を見ているとこちらまで幸せな気分になりますし。自分の手で幸せを壊してしまったらものすごい悪いことをした気分になりますし。

 そんなことはの自分の生への祝福はリンクルストーン・エメラルドすらも動かします。「私は力になりたい。みらい、リコ、モフルン。私を大切にしてくれた、守ってくれたみんなの力になりたい。だから!」 幸せな自分の生を守りたい。言ってしまえばことはの戦う動機はそういうちっぽけなものです。ただ、それを守るにはそれを大切にしてくれた近しい人をも守る必要があるだけで。
 「はーちゃんを返して!」 の一念だけでドクロクシーに戦いを挑んだキュアミラクルたちとそれほど違いません。違うのは自分の生が誰によって祝福されていたのかを自覚していることくらい。けれどこの違いは大きいですよ。彼女の生が誰から祝福されているか、彼女がそれに気付けば気付くほどに守るべき人の数が増えていくのですから。
 ことはの生はみらいとリコ、モフルンによってのみ祝福されているわけではありません。今回で校長先生やみらいの母親の手を借りることになりました。さらに視点を広げれば、ことはを祝福してきたみらいやリコにも、同様に彼女たちを祝福してきた誰かがたくさんいます。その全てを守らなければことはの生の幸福は保証されないでしょう。
 ことはがリンクルストーン・エメラルドに伝えた言の葉は、それほどに広く拡張しうる意味を持っています。それこそ「あまねく生命に祝福を」 注がなければ成立しないほどに。今はまだ彼女自身、そこまでの見方を持っていないのでしょうが。

 マリーゴールドの花言葉は「信頼」「生きる」「生命の輝き」。花言葉というのはひとつの花に本当にたくさんの言葉を託してあるものです。人気のある花ならなおのこと。黄色いからってネガティブな言葉だけとは限りません。
 見方を変えることです。子どもに願い事は叶えられません。けれど誰かの助けを借りれば叶えることができます。言葉には何の力もありません。けれど誰かにそれを伝えたなら人の心を動かす力へと変わります。

 ふたりの力には限界があります。それが3人に増えたところで同じこと。けれど3人に増えたなら、きっとまた新しいものの見方を見つけることができるでしょう。「みんなで前進、安心。足りないものは誰かが持ってる」
 ふたりで手が塞がっているなら一度外へ伸ばせばいい。手が届かないなら言葉を紡げばいい。魔法つかいプリキュア!の物語にまだまだ限界は訪れません。

今週の魔法文字

リアンが校長先生に報告しているシーン
左:「POTATO C-」「CURRY BU-」「MARSHMAL-」
中央:「RAISIN BREAD」「VEGETABLE SOUP」「OMELETTE」「-EAT TE-」
右:「PEPERONCI-」「FIELDPE-」「SANUKIUDO-」
みらいたちが校長先生を説得するシーン:「-RUITTA-」

「ジャガイモ」「カレーパン」「マシュマロ」「レーズンパン」「野菜スープ」「オムレツ」「?」「唐辛子」「エンドウ豆」「讃岐うどん」「?」
 何? 校長先生おなか空いてるの? 今まで読んでも全く意味がなかった魔法文字ですが、誰にも読まれないことをいいことにずいぶんはっちゃけてきました。
 「CURRY BU-」は少し悩みましたが、「CURRY BUN」と表記することがあるらしいのでカレーパンで。BUNは丸パン、ハンバーガーのバンズのことですね。左下と最後のはお手上げ。

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