シン・ゴジラ感想 民主主義はみんなで力を合わせるための理想。

これを書く前にあっちこっちの感想文を読み漁りましたが、どこも着目点や解釈が違っていて面白いですね。
ちなみにこの感想はネタバレには一切配慮していませんし、たぶん映画を観ていないと何のこっちゃか伝わらないと思います。

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

 ジャスコのファーストデイを利用して観てきました。安いからって調子に乗って仕事帰りに『シン・ゴジラ』と『君の名は。』の2本連続観劇。翌日も仕事あるのにね。ちなみにプリキュア以外を映画館で観るのは10年ちょっとぶり。ミーハー根性丸出しで評判の2本を選んだわけですが、いやあ、映画ってこんなに面白いものだったんですね。

理不尽

 怪獣映画はこれまでほとんど観たことがなかったのですが、ゴジラがとにかく恐ろしかったです。特に第二形態がお気に入り。あの何考えているんだかわからない目と後ろ足だけで這いずりまわることへの生理的嫌悪感ときたら。
 昨今は都市が高層化してしまった影響で怪獣が見栄えしなくなったと聞いていましたが、そこのところこの映画は工夫を凝らしていましたね。尻尾しか見えない第一形態で沿岸を荒らしまわり、背の低い第二形態で下町を踏みならし、そうかと思えば圧倒的パワーで高層マンションを押し倒す。全高で勝っていても高層建築なんて何の守りにもならないことを知らしめたところで、第三形態、すっくと立ち上がりその巨体を知らしめる。周囲にはまだまだゴジラ以上の高層ビルが建ち並んでいますが、こうも圧倒的な理不尽を示されてはもはやそれらもマッチ箱程度にしか見えません。
 そして本番、第四形態。さらに巨大化してなお都心のビル群よりは背が低いものの、昭和の頃の姿を取り戻したゴジラには恐るべき武器があることを私たちは知っています。(そのくらいはさすがに知ってる) 放射熱線一閃。自衛隊と米軍の持てる限りの鉄量をものともせずに、ゴジラを追い越したはずの我らが文明の威容は豆腐のようにたやすく切り払われていくわけです。
 あえて段階を踏むことによって、ゴジラのビジュアル的な貧弱さを逆に圧倒的理不尽へとひっくり返す演出のステキ。

 人間が何をした、どうしてこれほどの理不尽を被らなければならないんだ、と(八つ当たり気味に)疑問が沸きあがったところで思い起こされるこの映画のタイトル、『シン・ゴジラ』。なるほど、人間のシン(sin=原初の罪)を裁くためにやってきた荒神でしたか。・・・身に覚えのない原罪で裁かれるなんてなおさら理不尽だわ!
 正直なところ怪獣映画の楽しみ方がよくわかっていなかったのですが(どうして人類を滅ぼす外敵なんかをカッコイイと思わなきゃならんのか)、この理不尽っぷりは一周回って逆に爽快ですらありますね。ちょっとだけコンクリート・レボルティオ『日本「怪獣」史』でメガゴンに熱狂していた人々の気持ちがわかった気がします。

民主主義

 そんな圧倒的理不尽の化身ゴジラに対抗するのは、私たちのよく知る日常、民主主義の力です。
 ゴジラへの初の攻撃命令が逃げ遅れた民間人のせいで撤回されるシーン、私はあのシーンがこの映画で一番好きです。鉛玉の一発すら吐き出せずに敗北を喫した日本政府の無様、情けなさを、しかし映画の登場人物たちは誰も責めません。だってあれこそが民主主義の精神に最も合致する、公務員の果たすべき根源的な使命なのですから。
 民主主義において主権者は国民です。国家としてのあらゆる意志決定は選挙によって信任された代議士を通して国民全体の意思の下に選択されます。あらゆる軍事行動はシビリアンコントロールの下で国民全体の意思によってのみ行使されます。投票率の低下が叫ばれる昨今ですが、国家におけるすべての権利と義務はあくまで国民のものなのです。
 従って自衛隊は自国民に銃を向けてはいけません。政府はそのような命令をしてはいけません。(現実はそのような理想を必ずしも叶えられないことも多々あるでしょうけれど) だって国民は自殺するために銃を揃えたわけではないのですから。主権者に保持されるべき当たり前の権利を守るため、総理大臣以下代議士及び役人たちはゴジラ駆除最大の機会を棒に振ります。無様ではありますが、彼らの己が職分への強い信念を感じさせるこのシーンは彼らの優秀さをこれ以上なく私たちに証明してくれます。

 以後はさすがに総理大臣に権限を集中させる非常態勢を整えますが、それでもなお彼らは愚直に議会による手続きを踏んでいきます。民主主義というすっかり日常に馴染みきった思想への強い信頼がそこにはあります。緒戦ではあまりにも情けない結果を晒し、その後も遅々として進まない足の鈍さを露呈した民主主義ですが、しかし、それでも民主主義は強いのです。ダテに何百年と人間社会に君臨しつづけてはいません。
 ゴジラ第四形態、放射熱線が夜空に舞う未曾有の大災害に、即席の独裁者・総理大臣は志半ばで命を落とします。後任は見るからに頼りない農水相。もしこれが本物の独裁国家であればこの時点で詰みでした。独裁制は国家機能を指導者の資質に大きく依存します。
 しかし幸いなことにここは日本国。民主主義の国です。主権者は国民、指導者はただの代議士です。たったひとりの資質にばかり依存しません。民主主義の信奉者らしくもともと広く情報を共有していた登場人物たちは、辛くも体勢を立て直すことに成功します。これこそが民主主義の強さです。

 それでもあまりにも苛烈なゴジラという理不尽は、海外からさらなる理不尽を呼び寄せます。東京への核攻撃。主権者たる国民の生命と財産のことごとくを根こそぎ奪い去る、日本国にとっては絶望と同義の作戦です。もちろん許容することなんかできません。けれどそれを拒絶できるほどの対案も持ち合わせていません。
 ここに至って、我らが民主主義はさらなる力を発揮します。「私は好きにした。君らも好きにしろ」 おそらくはこの災禍の原因をつくったのであろう憎むべき男の言葉が、民主主義の信奉者たちを奮い立たせてくれました。
 彼らは民主主義の象徴たる議会を捨てて、それぞれが独断行動を始めます。彼らは民主主義の弱さを見限ったのでしょうか? いいえ、そうではありません。彼らは主権者の代理人でしかない代議士や役人の立場を捨てて、ひとりの主権者として己の権利と義務を最大限に行使することにしたのです。
 民主主義とはすべての国民の意思をとりまとめてひとつの力を形成する思想。代議士や役人はそのための手続きを(比較的)円滑に進めるために存在します。けれど、もしすべての国民が手続きを経るまでもなくひとつの目的のためにまとまることができたとしたら。そのときはすべての国民が余計な手続きにリソースを振らず、それぞれ自分にできる最善を尽くすことこそが全体の力を最大に高める手段となります。
 諸外国も舌を巻く火事場のクソ力によって、日本国は不可能だったヤシオリ作戦を完成させ、ゴジラという理不尽と核攻撃という理不尽、両方に打ち勝ちます。たったひとりの独裁者が英雄の力を振るうより、一億二千万の主権者がみんなまとめて英雄になってしまう方が、そりゃあもちろん強力ですね。

 民主主義は国民全員に国家運営の権利と義務を負わせる思想です。一億二千万人分の義務はあまりに鈍重ですが、それを補って余るほどに一億二千万人分の権利行使は強力です。
 民主主義なんてワードを散りばめて散々政治臭のする感想文を広げてきましたが、実のところこの物語はそういう政治的なものではありません。これは誰しもが思い描く素朴な理想を綴った寓話。
 みんなで頑張ろう。そうすればきっとうまくいく。たったそれだけの力強い願いが込められた優しい物語です。少なくとも私にとってはそういう物語です。

優しいものついでに

 それにしてもこれだけ強烈な作家性のある作品をよくもこれだけ大規模につくることができたものですね。大作映画らしくたくさんの人の意図・意志の片鱗が散りばめられていながら、そのくせ中心にあるのがブレたり曲がったりしていないたったひとつの思想だけというのはとんでもなく困難なことだと思います。
 庵野総監督はエヴァンゲリオンの方でしたっけ。私はエヴァンゲリオンをあんまりよく知らず、この方の人となりにも詳しくないのですが、少なくともひとつだけわかること。この方はずいぶんたくさんの人に愛されているのですね。この方の思想を愛し、信頼した、たくさんの作り手の息吹が色濃く感じられる作品でした。

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