
ちょっとそのペン預かっておいて。
(主観的)あらすじ
ひかるたちはブルーキャットを追いかけます。ブルーキャットにしては迂闊なことに、スターカラーペンダントがそのままだったのですぐに後を追うことができました。プリンセススターカラーペンを、そしてなによりフワを、守らなければいけません。
そしてひかるたちとブルーキャットは激突します。ひかるたちはブルーキャットにもうやめるよう懇願しますが、彼女は聞く耳を持ちません。生身でありながらプリキュアに抵抗しつづけます。
ひかるたちと同じように、ブルーキャットにも守りたいものがありました。惑星レインボーの人々。アイワーンに滅ぼされたこの星は彼女の故郷だったのでした。
そのためなら何だってする。宇宙アイドル・マオとして宇宙中の情報をかき集めたり、宇宙怪盗・ブルーキャットとして散逸した宝物を取り戻したり、バケニャーンとしてノットレイダーに潜伏したり。騙すことも、裏切ることも、何でも。
「ウソだ!」
けれど、ひかるは彼女の言うことがウソだと思いました。だって、彼女はスターカラーペンダントを盗んでいかなかったんです。きっとそれは、今いるこの星にまだノットレイダーがいて危険だと思ったから。ブルーキャット本人は否定しますが、ひかるはそう信じます。
「何も知らない他人でしょ!」
やがてノットレイダーの追撃が来ると、ひかるたちはブルーキャットを守って戦いはじめます。ブルーキャットにはその気持ちが理解できません。他人のくせに。本人が認めたわけじゃない勝手な想像で、ブルーキャットはいい人だって思い込んでいるだけのくせに。
けれど、ひかるはそれも違うんだと言います。他人だから。本当はブルーキャットや惑星レインボーの人たちのことを何も知らないから。もっと知りたいと思ったから。だから、守りたいんだというのです。
ブルーキャットの思いもひかるたちと同じだと、フワが言います。誰かを守りたい。救いたい。そう思っているのはブルーキャットもひかるたちも同じなんだと、他人どうしの共通点を見つけます。
ブルーキャットはひかるたちを守りたくて胸を締めつけられている自分に気がつきました。故郷の人たちにそう思っていたのと同じように。
虹色のプリキュア・キュアコスモはこうして生まれました。
「どんな理由があっても、大好きな宇宙を、星座を、星を、地球を奪うなんて、私、イヤだ!」(第11話)
ひかるはある意味で傲慢な女の子です。
第10話と第11話、ノットレイダーたちが自分たちなりの正当性を主張したのに対し、彼女は「私、イヤだ!」という自己中心的な理屈でもって対抗しました。もちろんこのセリフの印象ほど独善的な考えかたってわけでもなかったのですが、少なくともこの時点で彼女がノットレイダーたちの主張に耳を貸すことはありませんでした。
その傲慢さはブルーキャットとよく似ています。誰の意見にも影響されず、誰に対しても自分の論理で接し、自分と他人とは違うんだとはじめから区別する考えかた。
けれど、ひかるとブルーキャットの考えかたは、ただ1点において明確に異なっていました。
ブルーキャットは自分と他人とがお互いを理解しきれないことを前提に、他人を信じすぎないよう、常に自分の力だけで目的を達成できる用意をしていました。
対して、ひかるは自分と他人との間にまだ理解しきれていない部分があることに気付いて、ただ純粋に「キラやばー!」とワクワクしていました。
バカみたいな話ですが、このひかるの子どもっぽさが今回ブルーキャットの心を動かしました。
次回あたり、ノットレイダーたちをも救いうる優しい論理を完成させるかもしれません。
永遠のオフィーリア
「あたいもアンタの話は聞いてるっつーの。歳を取らず何百年も生きつづけてる“永遠のオリーフィオ”。ほんと気味悪いっつーの」
オリーフィオという名は、おそらくシェイクスピア3大悲劇の1つ、『ハムレット』のヒロイン・オフィーリアをもじったものと思われます。オフィーリアという人物は名作戯曲の登場人物としてだけではなく、美しい少女画の題材としても長らく人気があり、その世代を超えた人気からいつしか“永遠の”と冠されるようになりました。
『ハムレット』におけるオフィーリアは、非業の死を遂げた少女として知られます。
オフィーリアは貴族の娘で、デンマーク国の王子・ハムレットに思いを寄せていました。けれどそのハムレット王子はさる事情から復讐心に身を焦がしており、あるときから悲願を遂げるため狂人のふりをしはじめます。
オフィーリアは突然自分を冷たく扱いはじめたハムレット王子の態度に深く傷つきます。そのうえ不幸な勘違いを冒した彼の手によって、父親まで誤って殺害されてしまいます。
愛するハムレット王子が招いた2つの悲劇によって心を潰され、本物の狂人となってしまうオフィーリア。彼女は気が触れたまま、入水して短い生涯を終えます。
すてきな花輪を垂れた枝にかけようと柳によじ登ったとたん、意地の悪い枝が折れて、花輪もろとも真っ逆さまに涙の川へと落ちました。裾が大きく広がって、人魚のようにしばらく体を浮かせ・・・その間あの子は古びた小歌を口ずさみ、自分の不幸が分からない様子。まるで水に暮らす妖精のように。けれどそれも長くは続かず、服が水を吸って重くなり、かわいそうに、あの子を美しい歌から泥まみれの死の底へと引きずり下ろしたのです。
彼女の死は戯曲のなかで直接的には描かれず、彼女の母親の口を通して美しく語られます。
彼女の悲劇性と、悲劇だからこその美しさは、ミレーをはじめとしたたくさんの画家によって描かれ、幾多の美術作品として今も私たちに愛されています。(たとえばミレーの名画はアニメ『フリップフラッパーズ』でも印象的に引用されました)
――悲劇として。どこまでもどこまでも悲劇の美として。
悲劇に翻弄された少女の死は、その悲劇の記憶とともに永遠のものとして語り継がれるようになりました。
「雨のあとには美しい虹が輝く。きっと私たちにも輝くさ。美しい虹が」
惑星レインボーの指導者・オリーフィオは“永遠の”オフィーリアと異なり、自らの身に降りかかった悲劇を永遠のものにすることを良しとしなかったようです。
雨はいつか上がるもの。悲劇はいつか乗り越えられるもの。同胞の不名誉と大地の不毛を長い時間をかけて塗りかえ、彼女はいつか同胞たちが幸せに暮らせる日が訪れることをずっと夢見ていました。
その新しい物語は、アイワーンの暴虐によって儚く塗り戻されてしまうのだけれど。
「ノットレイダーを敵に回したらどうなるか教えてやるっつーの!」
種族の不名誉はついぞ雪がれないまま。花咲く土壌は不毛の赤枯土へ。
雨のあとに輝いた美しい虹は再び曇天に覆い隠され、美しかった光景を今も記憶に留めている者はブルーキャットただひとり。
惑星レインボーの物語は恐ろしいニュースとして宇宙全体に伝えられ、悲劇は再び永遠のものとして人々の記憶に固着してしまいました。
だからでしょうか。ブルーキャットがはじめから他人をアテにしないのは。
「サザンクロスショット――。あれでも、戻せなかった」(第19話)
人が変わりうることを信じず、人を変えられることを信じず、だから、今の時点で実力が足りていない人のことは信頼するに値しない。
信じられるものは目の前に見える確実な事実だけ。たとえば自分の力だけで勝ち取れる成功。たとえばダークネストすらも欲しがる絶大な力。
塗りかえようと夢見た悲劇が、結局悲劇のまま固着されてしまった現実を知っているからこそ。
「私たちも協力する! この星を元に戻すためにがんばる!」
「ありがとう。――でも、気持ちだけで充分ニャン」(第19話)
気持ちだけで実現可能性を提示できないひかるたちは、ブルーキャットにとって信じるに値しません。
なぜなら、夢で現実は変えられないことを、彼女は痛いほどよく知っているからです。
私は知っている。人の力には限界があるって知っている。
あなたを知らない私の見たもの
「ウソだ!」
ブルーキャットは確かなものだけを信じました。
たとえば自分の実力。たとえばプリンセススターカラーペンとフワの力。
他人の善意や好意、うまくいくかどうかわからない可能性なんかは、不確かなものとして極力遠ざけました。
「それから私は旅に出た。みんなを戻す方法を見つけるために。マオになって宇宙を巡り、情報を集め、ブルーキャットとしてアイワーンに売り払われたレインボーの宝を取り戻し、バケニャーンとしてノットレイダーにも潜入した」
「みんなを戻すためならなんだってする。宇宙怪盗でもなんでも!」
だから、他人を騙すことも、裏切ることも、躊躇しない。
不確かな人の夢なんて信じられないから。
確かな現実だけを信じればいいから。
ブルーキャットにしてみれば、彼女の行ってきたあらゆることは全て必然性がある、現実に沿った行動でした。
「ウソだ!」
けれど、それは彼女以外の誰かの目から見たとき、必ずしも現実だけを見た行動として見えるとは限りません。
あらゆるものごとは本当は多面的で、なのに私たちの目は私たちの顔の正面にしかついていないから、私たちは多面的なものごとのほんの一面しか見ることができません。
人は常に主観でものを見て判断しています。本当の意味で客観的な情報なんてこの世に存在しません。あったとしても、それを私たちが客観のまま観測することはできません。
だから、ブルーキャットの思う自分の現実の姿が、他の誰かから見てもそのまま同じに見えているとは限りません。
「キラリンにはいちかみたいな力はないキラ。気持ちを受け止めてキラキラにして返す力・・・」(『キラキラプリキュアアラモード』第22話)
プリキュアになることを夢見ていたキラ星シエル(キラリン)は、かつて自分の才能のなさに絶望しました。現実にプリキュアになれている女の子が、明らかに自分が持ちあわせていないものを持っていたからです。だから、自分はどんなにがんばってもプリキュアになれないと確信して、絶望に沈みました。
けれど、その絶望はやがて晴らされました。
彼女と同じく才能のなさに絶望していたはずの弟が、不思議なことに希望を取り戻してみせたからです。彼自身絶対に不可能だと確信していたことを、彼が自分自身の力で覆してみせたからです。
だから、彼女は自分にとっての現実の自分の姿を、疑えるようになりました。
「騙されてなんか、ない! 私がそう思ってないから、そうなの!」(『HUGっと!プリキュア』第17話)
ルールー・アムールはシエルよりももっと直接的に自分の現実を否定されました。プリキュアの力の秘密を調べるために潜入したスパイ。そんなどうしようもない現実を、ただの個人的な主観だけで覆そうとしてくれる善意と出会いました。
「あなたは先ほど言いました。ギターは自由だと。カッコいいのだと。最も愛するものだと。それをあのように否定するなんて!」(『HUGっと!プリキュア』第15話)
同じく愛崎えみるも。自分よりも年長で、正しいことを言っているように見えるお兄さんに対して、もしかしたら間違っているかもしれない自分の主張を、それでも自分の代わりに「正しい」と言ってくれる好意と出会いました。
おかげで、彼女たちは自分が夢見ていたい自分の姿を、それぞれ信じられるようになりました。
「私は私を否定しない。夢と希望を捨てないし、自分の可能性を諦めない!」(『キラキラプリキュアアラモード』第23話)
「あなたを愛し、私を愛する」(『HUGっと!プリキュア』第20話)
自分の置かれたありのままの現実が、すなわちそのまま事実だと、いったい誰が決めた。
不確かなものは信じるに値しないと誰が決めた。
自分の目で見たものだけが確かだと誰が決めた。
夢は現実を変えられます。
かつて現実を変えてきたものは、いつだって、夢だけでした。
「ウソだ! 『なんでも』って言うけど、ペンダント取らなかったじゃん。私たちがプリキュアになれるようにって、取らなかったんでしょ。私たちのこと思ってでしょ!」
「違う! ――違う! 違うニャン!!」
ブルーキャットが何のつもりでペンダントをそのままにしておいたのか、本当のところをひかるは知りません。
もしかしたらひかるの想像したとおりかもしれませんし、ただなんとなくの気まぐれだったかもしれません。気持ちが焦って普段しないようなミスをしてしまっただけかもしれません。あるいは他の企みがあってのことだった可能性もあります。
けれど、そんなのどうだっていい。それらはどうせこの時点のひかるには知りえないことで、すなわち今のひかるの目に映る現実とは一切関係ないんです。
ひかるにとって、ブルーキャットは間違いなく優しい人でした。
それがブルーキャット自身が思うのとは違う、ひかるにとって信じられるブルーキャットの現実でした。
「私、想像してたんだ。宇宙を。ずっと。ずっと。ずうっと。想像してたんだ。だから大好きなんだ。宇宙のこと、わかってないかもしれない。けど私、大、大、大好きなんだ!」(第11話)
ひかるは自分が知っていることしか知りません。そして、自分がそれしか知らないことを知っています。自分以外の人ならまた別のことを知っている場合があるってことも。
けれど、ひかるは知っています。
これはこれで、信じるに値する確かな自分の姿なんだって。
私は知っている。私の全人生をもって知っている。
どこまでも他人でしかないあなたの隣で
さて、ブルーキャットが信じるべき確かなものとはいったいどれでしょうか。
ブルーキャットは知っています。自分が目的のために手段を選ばない、非情な怪盗であったことを。
ひかるは知っています。彼女が思いやりに満ちた、優しくて頼りになる女の子だってことを。
あらゆるものごとには多面性があって、ひとりの目からはひとつの姿が、そしてふたりの目からはふたつの姿が見えてきます。
きっとそのどちらもがありのままの真実。
もし、あなたが他人という、そもそも不確かでしかない存在を信じることができたら――、ですが。
ブルーキャットはオリーフィオの夢が儚く潰えた現実を知っています。
ブルーキャットはこれまでひかるたちが自分の思ったとおりに動いてくれなかった現実を知っています。
ブルーキャットはプリキュアの力をもってしても変えられなかった現実の堅固さを知っています。
「ブルーキャットと同じフワ! ブルーキャット、言ってたフワ!」
・・・その一方で、ブルーキャットは知っています。
「私とあなたは同じよ! あなたがフワを救いたいように、私もこの星のみんなを救いたいの!」
ブルーキャットのなかにもひかると同じ気持ちがあることを。
ブルーキャットのなかにもひかると同じように、不確かな夢を追いかけて現実を変えたいと願う、どうしようもなく切実な思いがあることを。
「あなたには関係ない! 何も知らない他人でしょ!」
どこまで突き詰めても他人はやっぱり他人で、お互い全部の気持ちを理解しあえるようにはきっとなれない。結局のところ不確かな存在。
「わからない・・・。星のみんなは救いたい。でも、その前に。・・・倒れているんだ。目の前で。この子たちが!」
でも、本当は自分のことだって全部知っているわけじゃなかった。知らない自分がいた。自分が気づいていなかったところに。他人にしか見えていなかったところに。確かなものなんて、自分のなかにすらなかった。
ブルーキャットは知っています。
他人は必ずしも自分の思うとおりに動いてくれないことを。
ひかるたちの力では現実を変えられないだろうと想像できることを。
その一方で、時折彼女たちが思いもよらない力で想像を覆してくることがあることも。
そんな不確かなものはアテにできないから、これまでは頼らないようにしてきましたが――。
ブルーキャットは、自分が本当は他人のことを何も知らないことを、知っています。
「知らないからだよ。知らないから、もっと知りたい。私も会って話してみたい。この星の人たちと。・・・だってさ、“キラやばー!”だよ! なんでも好きな姿に変われるなんて!」
ひかるは自分にはまだ知らないこともあるってことを知っています。それでも、その未完成な自分を信じています。
知らないことがあっても、想像してみたり、新しく出会ったりすることはできるから。
知らないことを想像してみたり、知らない人と出会ったりするのが、ワクワクするって思えるから。
そんな自分が大好きだから。
だから、ブルーキャットも好きな自分になってみればいい。
確かか不確かかで選ぶんじゃなくて、自分がそうしたいかどうかで考えてみたっていい。
あくまで自分を信じてみるのもいいでしょう。
他人を信じてみるのもいいでしょう。
ただし、どちらも結局不確かな存在でしかなくて、本当の意味で全部を把握することはきっと難しいでしょうけれど。
どちらにしても不確かでしょうが、でも、あなたが「この人なら信じられる」と思うことは自由です。たとえ不確かな存在であっても。
その確信はきっと自信になって、自己愛になって、これからあなたの心の強さを支えてくれることでしょう。いつかのひかるがそうなれたように。
だから、好きなものを信じたらいい。
「ちょっとそのペン預かっておいて」
誰も信頼することができなかったひとりぼっちの少女は、この日、自分が心から信頼したいと思える人を見つけることができました。
コメント
字幕放送によると、ブルーキャット/キュアコスモの本名は「ユニ」なのだそうで。
この名の由来は「ユニークな特性ゆえに迫害された少数民族の末裔」ということか、はたまた「男にも女にも化けられるユニセックス擬態能力」か。
……あるいは「ユニバース(宇宙)をユナイト(結合)する存在たれ」という願いを込めてオリーフィオ師が名付けたものなのか。自分たちを迫害し荒涼たる星へ追いやった者達を恨まず、新天地の開拓に専念するよう説いたオリーフィオは、更に進んでユニと名付けた娘に「レインボー星人と他星人との架け橋たること」を望んだのかもしれません(彼女が宇宙船の操縦や異星文化への適応に長けているのもそういう事情があったからかも)。
しかし……あの災厄がレインボー星を襲い、オリーフィオの掲げた理想が脆くも崩れ去ったとき、ユニはーーーーーーいささか狭量なナショナリズムもしくはパトリオティズムに傾倒していく……。「他星人を信用しない」「利用はしても協力は受けない」「自分自身の人生を犠牲にしてまで(前科者になってまで)民族の為に献身する」「同胞の生命救助のみならず民族の宝の回収にまで血道をあげる(民族アイデンティティへの固執)」……。まあ、民族アイデンティティを拠り所にでもしないと今にも心が折れてしまいかねない状態に追い込まれていた、ということではあるんでしょうけど……。
そんなユニ改めブルーキャットが、狭量な自分のことを親身になって心配し体を張って守ろうとする他星人と出会ったとき、キュアコスモーーーーーーコスモポリタンという名を持つプリキュアとなったのは、彼女がオリーフィオの掲げた理想に再び回帰し始めた第一歩だったのかな、と。
考えてみれば、我らが主人公・星奈ひかるがキュアアースではなくキュアスターを名乗っていたのは、彼女が「宇宙の全てが大好き。だから全てを守りたい」という筋金入りのコスモポリタンであることを示していたんですね、もともと。
ただ、そうなってくると天宮えれな/キュアソレイユと香久矢まどか/キュアセレーネがいささか太陽系ローカル志向(太陽と月)な名を持っているのは、彼女達がスター・ミルキー(星空連合加盟星の公務員)・コスモらフロント組(=コスモポリタン勢)に対するアンチテーゼの役割を担っているということなのか、あるいは二人の抱える打ち破るべき”殻”の存在を暗示しているのか……。
“universe”も“unite”も“unisex”も、どれも接頭辞“uni”のつく単語ですね。お察しのとおり、“uni”には「ひとつの」とか「合一の」とかといった意味があります。“unique”はまた別だったかもしれません。
この“uni”な思考って多様性を考えるうえではなかなか難しいんですよね。
どんな人でも平等に、同じ扱いを受けていいって考えるなら、みんなが“uni”になるというのは寛容な概念になります。でも、どんな人でも平等に、同じ扱いを受けるべきだって考えかただと、みんなを“uni”にすることにはとたんに窮屈なニュアンスが感じられるようになります。
世のジェンダー論者やLGBT活動家がしばしば反発を受けてしまうのは、このように“uni”な価値観には多面性があるからですね。マイノリティの権利だけを訴えるだけでマジョリティに配慮しないようでは、いつまでたってもみんながひとつの価値観に納得できるようになんてならないでしょうさ。
誰にでも思いつく単純な方法で、全宇宙に架け橋をかけられる方法がひとつあります。
全部自分のものにしてしまえばいい。
全宇宙の富も資源も生命も、全部自分ひとりだけのモノにしてしまえば、宇宙に存在する価値観はひとつきりです。誰の反発も受ける恐れがありません。宇宙中みんな平等で、宇宙中みんな幸福です。みんなっていっても1人しかいないわけですが。
でもまあ、そんなノットレイダーな世界は普通に考えてノーサンキューですよね。
だったら、いくら大変でもみんなで“uni”になれる方法を考えるべきなんでしょう。
ブルーキャットに獣人形態あって本当によかった!
いや実情はあまりよくないですが。差別イクナイ。
スターカラーペンダントを盗らなかったのは「追いかけてくれることを期待した」のかなと思いましたが、おっしゃる通り確証が得られないですね。
ひとつ分かるのは、フワが食べれもしないマタークッキーしか持ってないのにそれを見せてしまうくらいには案外正直者なんだなってことでしょうか。
それからプリキュアに助けられる時いつも意外そうな反応を見せるくらい、そういうことに臆病なんだってことも。
後者に関してはレインボー星人特有の事情もあるとはいえ「勝手に協力させといて失礼な奴だなあ」とつい思っちゃうんですけどw
で、ひかるたちの中にある自分と同じ部分を認識してしまった以上、アイワーンもまた大切な存在を奪われたヒト同士だとして向き合わなくてはならないですが……
さてどうしますか、雨上がりに出る虹は。
スターカラーペンダントの件については、私は「特に狙いはなく、ただ無自覚に迷いを抱いていただけ」説を掲げたいところですが、もちろん確証はありません。
そんな感じでひとつの出来事に対して各々好き勝手に想像できるのっていいことですよね。たぶん。
助けてくれる他人がいるっていうのは、それこそオリーフィオが目指していた未来だと思うんですけどね・・・。ブルーキャットはその理想が無為に終わるのを見ているのでしゃーない。
ブルーキャットはアイワーンに手を差しのべなければ自己否定してしまうようなものですし、それにひかるもブルーキャットを「知りたい」という理由で救ったなら、アイワーンに対しても「知りたい」という気持ちを向けなければ道理が通りません。
現実的には私たちが他人の事情を知る機会なんてそんなにあるものじゃないですが、知らないなりに私たちは日頃から相手の期待していることを想像したり、お互い不快にならないよう思いやりを向けあったりしているものです。意外と難しい話じゃない。・・・と、思います。
今まで少し気になっていたことがあったのですが、10・11話においてノットレイダーになにかしら事情があることが示されたにも関わらずその後、その事に言及されてないことです。
ユニ関連の話を追っていくうちにふと思ったのが、今はまだひかるたちにはノットレイダーの抱えてるものを受け入れる力がないのかもしれません。その力をつける準備段階として今やっているユニの話があるのかもしれません。
そう考えるとノットレイダーの抱えてる事情は更に過酷なものになりそうです。
まあ、現実的には他人の事情を全部知れるってこと自体稀な話ですから。
ちなみにブルーキャットも鉱山の人たちに危機を伝えるよう頼まれていたはずなのに、なぜかひとりで脱出しているんですよね。そのあたりの経緯にも何か重たかったり後ろ暗かったりするものが隠れていそうな感じ。
ですが、現実に置き換えて考えてみると、こういうのって全部知ったうえで手を差しのべることも当然できますし、逆に何も知らなくても助けてあげられることってあるものですよね。『スタートゥインクルプリキュア』がどちらの方策を選ぶのかはわかりませんが、ここ数年のプリキュアは敵の事情を知らないまま救いの手を差しのべる傾向が強かったりします。
前回ロープ片手にビュンビュン飛び回ったせいで分かりづらいですが、鉱山から祭壇まで普通は乗り物使うような距離っぽいですし。
しかも煙から逃げてるわけですから、単純に間に合わなかったんでしょう。
仮に物理的に間に合わない距離だったとしても、オリーフィオに頼まれた以上はそれが果たせなかったときブルーキャットの心に傷がつくんじゃないかな・・・? と、思って実は今週鬱エピソードが来るんじゃないかと身構えていたんですが、少なくとも今週はそういうの来ませんでしたね。むしろひかるが傷ついた11話のリフレイン(そして克服の物語)でした。
相手の事情は知りませんが、手を差し伸べると言えば、ハートキャッチですね(少なくともテレビ本編ではデューンの事情は明らかになりませんでした)。
そもそも事情がある敵とは限りませんが、ハピネスチャージとキラキラは相手の事情を知り、助けようとしました。Hugっと!は相手のことはわからないけど、応援するというスタンスでした(意図的に自分の事情は話さないようにしてた)。要は敵が自分語りをしてくれるかどうかですね。
今作は自分語りをしてくれそうな雰囲気です。
あそこで純粋悪に対して「くらえ、この愛」をしたのは面白い展開でしたね。終盤戦は「憎しみは自分を不幸にするだけ」みたいな流れだったので、あの展開が来ること自体は順当だったんですが、まさか一切デューンの事情が語られないまま愛を貫きとおすとは。(そういえば小説版だとルーツが語られているんでしたね)
そう考えてみると、『ハートキャッチプリキュア!』のあのラストバトルは今週のアイワーン救済とけっこう共通点が多かったかもしれません。
『ハートキャッチプリキュア!』は例外かもしれませんが、あの時期(いわゆる救済路線世代)のプリキュアって、敵を浄化するときにちゃんと相手の事情を聞いて、それを解決できるアドバイスというか心の持ちようを提示したうえで浄化していたんですよね。問題解決と浄化がリンクしていたんです。
私はそのパターンが崩れたのが『Go!プリンセスプリキュア』以降の個人主義世代だと思っていて、さらに『HUGっと!プリキュア』からさらにまた新しい流れになりつつあると感じています。『HUGっと!プリキュア』って、浄化するとき敵の事情を全然理解しようとしないんですよね。パップルのときみたいに仮に事情を知っても、それとは全然別の文脈で救いを与えようとする。ちゃんと語りあう機会を持つのはむしろ浄化してしばらくしたあとだったりして。
アイワーン浄化は『HUGっと!プリキュア』以上の尖りっぷりでした。でもプリキュアの友達にならず、ノットレイダーにも戻らずのいい感じの立ち位置に落ち着いたようで、そのうちいろいろと語ってくれる日が来そうですね。