魔法つかいプリキュア!第40話感想 祝福の魔法。私が幸せになるためにみんなを幸せにする魔法。

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私はリコが笑顔ならそれでいいの。私の願いはただそれだけだから。

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(主観的)あらすじ

 料理研究家のお母さんをはじめ、リコの家族が勢揃い。今日はリコのお誕生日会です。美味しい料理にたくさんのプレゼント、それから絵本の読み聞かせ。毎年の恒例です。けれど、リコは盛大なパーティーがちょっぴり苦手なようです。
 そこにいつものようにシャーキンスが襲ってきます。ですがプリキュアはもちろん負けません。彼女たちの楽しい日常はたくさんの祝福によって守られているのだから、ムホーの混沌なんかには決して塗りつぶされません。
 家に帰ってリコは家族にお礼を言います。「今日はありがとう。来年もお祝いしてくれたら嬉しいな」

 祝福回。当初優秀な家族と比較して自分を卑下してばかりいた、リコの物語がハッピーエンドに到達しました。夢の問題がまだ残ってはいますが、もはやそちらも解決しているようなものです。今のリコのまま順当に成長していった先に、きっと彼女の目指していた理想があることでしょう。
 サラリとリコの母親が皿洗いで手作業に優越する魔法の便利さを示しましたね。魔法の限界を示すシーンも多い魔法つかいプリキュア!ですが、本質的にこの物語は魔法を否定するものではありません。魔法とそうでないものはそれぞれ得意分野が違うだけで、基本はあくまで対等です。たまにこういう描き方があるとわかりやすくていいですね。
 ちなみにチョコレートに胡椒を入れるというのは割とよく知られたテクニックらしく、私も一度食べたことがあります。一粒500円もする超高級トリュフチョコレートでした。身の丈に合わないにも程がある。超美味しかったけれど。

お祝いの意味

 美味しいものを食べて、プレゼントをもらって、みんなにチヤホヤしてもらう、特別な日。誕生日が嫌いな子どもはそうそういないんじゃないでしょうか。けれどどうしてお祝いをしてもらえるんでしょうね。
 それを疑問に思う子どもが多いのか、はたまたそれを知ってほしい大人が多いのか、子ども向けアニメのお誕生日回の多くはそれを教えてくれる物語になります。

 大人ってすごいんですよ。子どもの何倍も身長があって、軽々だっこしてくれる力持ちで、子どもが知らないことをたくさん知っています。なのに、子どものためにごはんをつくってくれるし、おもちゃを買ってくれるし、遊んでくれます。愛してくれます。子どもにはそれに見合うだけのお返しをする力がないのに。不思議。
 不思議の最たるものが誕生日。この記念日、別に子どもは何もしていません。ただ生まれてきただけです。頑張ったのはお母さんで、お医者さんで、お父さんや他の家族も祈ってくれていて、なのに子ども自身はただオギャーと泣いただけです。そもそもそれすら子どもは覚えていません。
 けれどお祝いしてくれます。その日頑張った当の本人が、その日何もしていない私のために。不思議。矛盾しています。いったい私のどこにお祝いしてもらえる資格があるというのでしょう。

 リコは初めの頃、魔法を使えない劣等感に苛まれていました。彼女が思うように魔法を使えなかったのはどちらかというと心構えの問題で、だから劣等感を抱えこむほどになおさら魔法がうまくできないドツボにはまっていました。なにせうまく使えないのは自分だけで、家族はみんな立派な魔法つかいばかりだったのですから。
 そんな立派な家族が、どういうわけか情けない自分をいつも愛してくれていて、ことに誕生日は特別盛大にお祝いしてくれる不思議。納得がいきません。居心地が悪いです。自分にそんな資格があるのかと疑ってしまいます。
 「私の娘の大好物なの。今日は娘の誕生日だからつくっちゃいました」「食べてくれる人を思って、心を込めてつくれば」「愛情、は・い・れ」 それほどの愛情を与えられる理由が、リコにはどうにもわかりません。

 その答えはごくシンプル。とっても明快です。
 「私はリコが笑顔ならそれでいいの。私の願いはただそれだけだから」 自分の願いを叶えるためだからです。子どもが幸せになること自体が親の願いで、だから親は子どものためになんでもできるし、見返りを求めません。
 いってしまえばただの親の都合です。自分が幸せになるために、あなたを幸せにしているんです。だから「魔法や勉強も大事だけどね」、それはそれとして、あなたの能力や劣等感とは関係なしに、ただあなたを幸せな気持ちにするためだけに、特別な日をお祝いするんです。
 だってあなたの誕生日は、親にとってあなたを一番愛おしく感じられた、記念すべき日なんですから。

 お誕生日おめでとう。私はあなたが大好きです。あなたの笑顔が私を幸せにしてくれます。
 だから、生まれてきてくれてありがとう。

あなたにしかできないこと

 だとしたら、親ほどの能力を持たないあなたであってもできることはありますね。それはあなたにしかできないことです。
 あちらはあなたの笑顔を見るために、あなたを幸せにしてくれました。だからあなたが笑顔を見せてることが何よりのお返しになります。それで釣り合います。だってあなたが笑ってくれなかったら、あなたの幸せを確かめられなかったら、あちらの願いは成就しませんから。
 あなたにしかできないことがあります。さて、あなたはやりますか?

 リコが魔法を使うコツを掴んだきっかけはみらいとの出会いと、それから姉への思いでした。「お願い、壊れないで」 リズ先生の補習授業でリコははじめて自覚的に誰かのために魔法を使い、大好きな姉に氷のペンダントを贈ることができたのでした。
 「誰かのため」というなら第1話でバッティから逃げるときもみらいのためにほうきの二人乗りを成功させていたんですけどね。本当は元々できていたことなのに、自覚があとから追いつくのがリコの難儀なところです。かわいい。
 リコは自分の家族が大好きです。好きだからこそリズ先生の前で意地を張ったり、構ってくれない父親に拗ねてみせたりしました。「立派な魔法つかいになる」 彼女のふんわりした夢は劣等感の象徴でしたが、大好きな家族への憧れでもありました。「リコ、あなたにとっての立派な魔法つかいってどんな人なのかしら」「それは・・・お父様にお母様、それにやっぱりお姉ちゃんよ」

 今、あなたにしかできないことがあります。それはあなたの家族を幸せにしてあげられる、とってもステキなことです。あなたは家族が大好きなのでしょう? さて、あなたはやりますか?
 「やっぱり苦手だわ、このノリ」 だなんて言っていられませんね。

祝福

 「生命など、いかに生まれてこようといずれ混沌に消えゆく定め。祝福する意味などなかろう」
 見当違いも甚だしい。祝福は誰かに何かを成させるためにするものではありません。それはあなたを幸せにするもので、そうして私も幸せになるためのものです。行く末なんて問題にしていません。

 タンザナイトというパワーストーンは持ち主の人生と意志を司ります。目の前の選択肢からより良いものを選び取り、そのための障害になるなら過去の過ちを克服するためのパワーを与えてくれます。過去・現在・未来を通じてあなたの人生が幸せなものになるために。

 行く末なんて問題にしていません。だって現在と過去は連続しています。そしてそんな現在と未来もまた連続しています。未来のことばかり気にする必要なんてありません。だって過去が幸せなら現在だって幸せで、きっと未来だって幸せになれるはず。今できることをして、今ある幸せを喜べばいい。きっとそうした先にステキな未来が待っています。
 リコはこれまで未来のことばかりを追いかけて失敗を繰り返してきました。立派な魔法つかいを目指して、けれどちっとも立派になれませんでした。
 しかし「見方を変える」ことで、彼女は大きく成長しました。「魔法すごく上達したわね」 尊敬する母親に褒めてもらえるほどに。

 だって、リコの過去と現在はたくさんの祝福に包まれていたのですから。
 生まれたとき、彼女は流れ星の祝福を受けて特別な杖を授かりました。
 魔法学校に入学する前、彼女は姉の祝福とともに大切なペンダントを託されました。
 魔法に失敗するたび、彼女は魔法商店街の人々の祝福によって支えられてきました。
 毎年誕生日が来るたびに、彼女は家族から盛大な祝福を受けてきました。
 それからもたくさん。学校の先生やみらいの家族、友達、人魚、ペガサス、みらいやはーちゃんやモフルン。
 将来の夢ばかり追いかけていた瞳を少し別のところに向けると、そこには彼女を幸せにしようと祝福を贈ってくれているたくさんの人たちの姿がありました。それで幸せになれないわけが、成長できないわけがないんですよ。

 前作Go!プリンセスプリキュアは夢を追いかけてひた走る物語でした。けれど春野はるかが挫折したとき、彼女をもう一度奮い立たせてくれたのは夢そのものではなく、家族や周りのみんながくれた祝福でした。
 応援してくれるから努力できます。一緒に頑張ってくれるから前を向いていられます。だから夢は過去・現在・未来全部に繋がっていて、だから夢ははるかの全部なんです。

 ハピネスチャージプリキュア!は一方的に与えるばかりで周りを顧みない少女が再生する物語でした。いかに大望があれど、祝福を受けない(祝福に気付かない)少女はやがて疲弊し、倒れてしまいます。都合のいいヒーローじゃあるまいし。それでは何も成せません。

 人はひとりでは何もできません。だから闇の魔法つかいやムホーは否定されます。ひとりで全部できるとうそぶくから。人には祝福が必要です。祝福に気付ける瞳が必要です。
 だから自分が情けないと思う前に「見方を変え」ましょう。きっとあなたを祝福してくれる人がどこかにいるはずですから。
 それから「感謝」しましょう。それはあなたがその人に贈る、あなたにしかできないかたちの祝福になります。

 はじめリコが(一方的に)距離を感じていた家族は、彼女が「見方を変える」ことで少しずつ距離を近づけていき、今回ようやく彼女の「大好き」にふさわしい本来の距離感を取り戻しました。祝福を贈りあえる距離になりました。
 「誕生日のお祝い」に対して「感謝」。祝福に対して祝福。ようやくリコは素直に家族と手を繋ぐことができました。
 自分が手を伸ばすだけではダメで、相手が手を伸ばしてくるだけでもダメで、お互いに手を差しのべあってはじめて人は手を繋ぐことができます。遠い距離を近づけることができます。
 少し前までみらいたちは閉じた小さな輪の中に収まっていました。3人で手を繋ぎあうことはできても、外の人とは手を繋げずにいました。だからはーちゃんを助けられなかったり、何かと限界を感じる場面がありました。
 その問題を解決するのが「言の葉」で、今回リコが家族のために改まって感謝を言葉にした意義です。やっぱり言わなきゃ伝わらないし、言ってもらった方が嬉しいですから。この系統の物語ははーちゃんが担っているので、今後も別の形で示されていくことでしょう。

 そんなメンドクサイことをしてまでみんなと手を繋ぐ意義がどこにあるのかという根本的な疑問が、これまでリコが担ってきた物語で、つまり祝福だったわけです。
 ひとりの努力には限界があるからみんなで愛を贈りあおうというのがドキドキ!プリキュアの物語でしたが、それをもう少し掘り下げた形ですね。どうして愛を贈りあわなければいけないかといえば、それは具体的な助け合いのためだけではなく、それによって伝えあうことができる「胸のときめき」「キュンキュン」、すなわち愛とか祝福とかいうものが、人の力をひとりでいるよりもずっと大きく高めてくれるからです。
 ただ自分が幸せになるために贈った祝福が相手も幸せにして、そうして手を繋いだ数だけみんなで幸せになっていくステキ。

 手を繋ぎあいましょう。ひとりでいるより、それぞれでいるより、みんなでずっと幸せになるために。
 魔法界とナシマホウ界の距離も近づき、みんなで手を繋ぐ物語はさらに加速します。ひょっとして次回さっそくリコの夢の問題まで決着するのでしょうか。楽しみです。

今週の魔法文字

絵本のタイトル:「HUTAGO BOSI」
「ふたご星」
 メタなことをいうなら今回シリーズ構成さんが脚本担当ですから、当然この内容はかなり直接的に今後の展開に関わってくるでしょうね。

幼いリコの誕生日飾り:「OMEDETOU BIRTHDAY」
「おめでとうバースデイ」
 見逃しをこっそり追記。いやほんとどうして見逃したのやら・・・。

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