スタートゥインクルプリキュア 第31話感想 責任。

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無力な私にも責任はある。だが、力がある者にも責任があるのである。皆を守る責任が。

(主観的)あらすじ

 宇宙星空連合の代表・トッパーが地球にまで追いかけてきました。プリキュアを連合にスカウトしたいようです。けれどひかるたちは地球での生活を大切にしています。彼の頼みを聞くわけにはいきません。

 それでも、トッパーはなかなか諦めてくれません。なぜなら彼にも大切な理由があったからです。
 宇宙からスタープリンセスの力が失われたスターパレス襲撃事件。あのとき、彼は宇宙星空連合をまとめる立場にありながら何をすることもできませんでした。彼には責任がありました。自分の無力さを悔い、それでも星々の輝きを守らなければならない大きな責任が。
 その責任を果たすためにはどうしてもプリキュアの協力が必要です。だから、彼も諦めるわけにはいきません。

 ひかるとトッパーが話しあっているところに、ノットレイダーのガルオウガが襲撃を仕掛けてきました。
 どうやら彼もトッパーと同じように何か大きなものを背負っているようです。宇宙で呼吸できない体質というリスクを抱えながらもプリキュアに戦いを挑み、ひかるが何気なく言った「守る」という言葉に強い執着を示していました。
 そんな彼の凄まじい信念に圧倒され、これまで自分の背負う責任というものを深く考えてこなかったひかるは、ついに立ち上がることができなくなってしまいます。

 けれど、幸いなことにひかるには仲間がいました。ひかるがひとりでは立ち上がれなくなっても必ず助けに来てくれる、頼れる友達が。
 プリキュアの力を束ねても依然ガルオウガの強さには及びませんでしたが、それでもひかるたちはなんとか粘り勝ち、ついに彼の持つ最後のプリンセススターカラーペンを取り戻すことができました。

 12のスタープリンセスが揃ったスターパレスで、プリンセスたちはひかるに、フワに12種類目のご飯を与えるよう促します。
 求められるままひかるがそのとおりご飯を食べさせてみると・・・、なんと、フワが新しい姿に変身してしまうのでした!

 「ここで逃げたらカッコ悪い。そんなの、私のなりたい“野乃はな”じゃない!」(『HUGっと!プリキュア』第1話)
 昨年の『HUGっと!プリキュア』は自らの矜持を貫くため変身しました。
 「このケーキはお母さんへの大好きって気持ちを込めたものだもん。これをあげたら全て捨てることになっちゃう。だから、あなたには渡さない!」(『キラキラプリキュアアラモード』第1話)
 一昨年の『キラキラプリキュアアラモード』は自分の「大好き」を守るため。
 「キュアップ・ラパパ! 怪物よ、あっちへ行きなさい!」(『魔法つかいプリキュア!』第1話)
 その前の『魔法つかいプリキュア!』は自分たちの日常を脅かす敵を追いはらうため。
 「夢。私の夢・・・。私の夢は『プリンセスになりたい』――。私は、プリンセスになりたいの!」(『Go!プリンセスプリキュア』第1話)
 そして『Go!プリンセスプリキュア』は自分と友達の夢を守るために。

 「私はフワを、フワを・・・フワを守るー!!」(第1話)
 直近のプリキュアたちがあくまで自分たちのために変身してきた一方で、ひかるは出会ったばかりのフワを守るために変身しました。続けてララも、えれなも、まどかも、ユニも、みんな自分ではない誰かのためにプリキュアへの変身を果たしました。
 いったい何作ぶりのことだったでしょう。自分のためという理由を伴わず、純粋に誰かを守るためだけに女の子がプリキュアに変身したのは。
 今だから正直にいいますが、私はこの『スタートゥインクルプリキュア』の物語がスタートした第1話、少し困惑していました。――今さらトラディショナルな自己犠牲型ヒーロー像に立ち戻るの? って。

 プリキュアは自分たちの日常を守るために戦うヒーローです。
 その新しいヒーロー像は第1作の『ふたりはプリキュア』から一貫しています。そして、その当時からずっと、自分以外の誰かを守るために女の子たちが戦いで傷ついてしまうというヒーローらしい宿命も。
 その自己矛盾に、プリキュアシリーズはずっと正面から向き合いつづけてきました。

持てる者の責任

 「才能のある者は最高のステージに立つべき。それがパリにはある」(『キラキラプリキュアアラモード』第37話)
 「ほまれをここに縛るのはやめてくれないか。君たちとほまれは住んでる世界が違うってわかってる?」(『HUGっと!プリキュア』第8話)
 才能に恵まれた者は、その実力を最高のかたちにまで研ぎ澄ますべき義務がある。そういう思想があります。なぜならその才能を腐らせることは、才能を持たないせいで夢を諦めざるをえなかった全ての人々への侮辱に値するから。
 選ばれた人にしか上り詰めることができない、はじめからごく限られた席しか用意されていない栄誉というものはどうしても存在します。魂を凍らせるような思いで自らの無力さを飲み込んだ人たちが現実にはたくさんいます。栄光へと至る輝かしい坂道は、幾億もの無力な屍たちを積み重ねて舗装されています。
 だから。
 人は、力ある者へ、その力に見合う責任を求めます。

 「失った星の輝きを取り戻す。私にはその責任があるである。だが、無力な私には頼るしかないのである。君たちの力に」
 「無力な私にも責任はある。だが、力がある者にも責任があるのである。皆を守る責任が」

 私個人の思いを述べるなら、それはとても残酷で、とびきり理不尽な言い分だと思っています。
 だってそれは、結局のところ、自分の夢を諦めた人たちによる、無関係な他人への夢の押しつけでしかないのですから。
 だってそれは、結局のところ、夢へ至る競争に敗北した人たちによる、自分たちを押しのけた成功者への羨望なんですから。
 私は彼らのような身勝手な人たちが嫌いです。だからこそ、そんな彼らに勝手な理想を押しつけられてしまうヒーローという存在もかわいそうで、大嫌いでした。

 ただ、彼らの言い分にもひとつだけ納得する部分があります。
 ――もし、誰も選ばれし者の栄光を引き受けなかったとしたら、そのとき本来彼らが引き受けるはずの役目は誰が負ったらいいんだろう?
 たとえば、子どもたちに夢と憧れを提供するヒーローたちがこの世からいなくなったとしたら。そのとき子どもたちは誰を手本として立派な大人を目指したらいいんでしょう。両親? 先生? テレビの有名人? 今度は彼らにヒーローと同等の役目を押しつけるつもりですか?
 結局のところ、ヒーローという生きかたがいかに苦難に満ち、多くの傷をその身に刻むものだったとしても。彼らが存在してくれることは子どもたちにとって必要です。

 「地球のため。みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないこと、あるんじゃないの?」(『ふたりはプリキュア』エンディングテーマ『ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!』)
 プリキュアは自分たちの日常を守るヒーローです。
 「・・・しまった。宿題忘れた。卒業文集まだ出してない」
 「・・・そういえば私もおばあちゃまにアサリ買ってきてって頼まれてた。どうしよう、お味噌汁の具」
(『ふたりはプリキュア MaxHeart』第47話)
 たとえ世界を守る戦いに身を置いていても、彼女たち自身はいつもごく私的な日常への愛を胸に戦いつづけてきました。

 それでは、足りないのでしょうか?
 力ある者として無責任なのでしょうか?

 「『守る』だと? 守るなどと、軽々しく口にするな!」
 「お前に。お前などにこの宇宙が守れるというのか。お前の手には余る!」

 多くの人への責任を負おうとせず、ただ個人的な思いだけで戦うのでは、・・・守れないものというのもあるのでしょうか?

 「私、はしゃいでたかも。新しい友達ができて、宇宙にも行けて、とってもキラヤバー!な毎日で。みなみじゅうじ座――サザンクロスは天文台からは見えないけど、宇宙なら見えるかなって、みんなを誘ったの。でも、そのせいで・・・」(第11話)

持たざる者の責任

 「私は――、守れなかったである。私はスタープリンセスを、宇宙を守れなかった。自分の弱さを知ったである。だが、私はトップを、リーダーを退かないである。・・・何故だかわかるか?」
 トッパーは、自分には責任があると言いました。
 力なき者のくせに。
 どうせ自力ではその責任を果たしきれないとわかっているくせに。
 その責任を果たすため、力ある者にも自身の責任の一部を押しつけようとしているくせに。
 ――それでも、彼はけっして自分が負うべき責任を手放そうとはしませんでした。

 「宇宙空間でも呼吸ができるようになるか。・・・私もだ」
 「ヤツらの技が効いていたのか? ガルオウガ様は宇宙空間では呼吸が――!」

 プリキュアの手にプリンセススターカラーペンが揃うかもしれないという重要な局面で、ガルオウガは自ら出撃する決意を固めました。
 他の幹部にはない、自分だけが持つハンディキャップを自覚したうえで。
 ダークネストの加護がなければろくに戦えないことを承知したうえで。
 ――それでも、彼は自分が臨むべき戦いを全うしようとしました。

 トッパーとガルオウガはお互いによく似ています。
 自分には成しきれないとわかっている大きな責任をわざわざ背負い、そのうえで何かできることを求めもがきつづけているという点において。

 おかしな話です。
 力ある者に責任が押しつけられてしまう状況が存在してしまうのは、そもそも責任を負うこと自体、力ある者にしかできない行為だからだというのに。
 どうして力なき彼らがあえて責任を負おうとするのでしょうか。

 「私の星では13歳で大人ルン。だから、ロケットを直してプルンスたちを連れていくっていう、大人の責任があるルン」(第2話)
 たとえばララあたりも彼らとよく似た精神性を持つ子です。
 彼女は自分の故郷の星では実質子ども扱いである、ランク8調査員でした。双子の兄や他の職員の監督下に置かれていました。
 そんな自分の置かれた状況に満足できず、彼女は自分の責任でフワとプルンスを保護しようと未知の宇宙へ飛び出していったわけですが――。
 「プリキュアってバレちゃったこと、迷惑にならないルン?」
 「迷惑どころか誇りに思ってるルン」
(第30話)
 彼女が真に責任を負える大人になれたことを確信できたのは、それから30話近くも経過してようやくのことでした。
 長い、長い道のりでした。

 ララは努力しました。力なき身から力ある者へ変身しようと。
 ただ、責任を負いたいという、一見本人には不利益しかなさそうな目標のためだけに。

 さて。彼らは、そして彼女は、いったい何のために自ら進んで責任を負いたいと考えたのでしょうか。

 そこに、“持てる者”であるひかるが負わされようとしている責任の意義についての答えもあるはずです。きっと。絶対に。
 責任って、何なんでしょうね。

 「でも、それが私の運命。もう変えることはできない。どんなに抗っても。短い間だけど楽しかった。・・・ずっと忘れない」(第12話)

南十字星への足跡

 と、まあ、ここまで散々思わせぶりな前置きをバラまいてきましたが、ぶっちゃけその答えが出るのは今話じゃないんですよね。おそらくは次話です。新アイテム(?)と新必殺技のお披露目回ですし。
 今話におけるひかるは、トッパーからの要求にもガルオウガとの舌戦にも、まだ明確な回答をしていません。

 ただ、それでも彼女は今話をうつむかずに乗りきることができました。
 「これしき、か弱き小さな拳で!」
 「私ひとりだったら手に余るかもしれない。でも、みんなの力が合わされば!」

 仲間が支えてくれたからです。

 宇宙を守るだなんて大きな責任、ひかるの手にだってきっと余ります。
 ひかるはこの責任を負うことを望まないかもしれません。
 もしかしたらすでに責任を負わされてしまっているかもしれません。
 責任というものが今どこにあるのか、今はまだ誰の目にも確認できません。

 ただ、少なくとも今のひかるにはこの大きな責任を背負いきれるだけの大きな力が宿っています。・・・たった5行で矛盾したことを書きました。

 でも実際そうなんです。今のひかるは強い。だって、仲間がいるから。
 「リーダー? 私のこと?」
 「うむ。プルンス殿の話に寄れば、君が初めにプリキュアになり、ララくんたちに道を示した、と。まさにプリキュアのリーダー」

 物語当初、彼女の存在はララたちにとっての道標でした。ユニークな考えかたを見せてくれ、新しい生きかたを教えてくれる、まさにサザンクロスのような存在でした。
 そんなひかるが自分の好きなままに行動し、他のみんなはひかるを信用して後ろをついていく――。序盤のひかるたちはそういう関係性でした。
 彼女たちの関係性が少し変わったのは、物語が大きな山場を迎えた第11話以降。ひかるが自分の気ままさに疑問を感じ、けれどララたちから承認の言葉をもらって立ち直ってからのこと。それまでひかるはララたちが自分のことをどう考えているかあまり考えてこなかったのですが、このとき以降、彼女は自分がいかに友達から信頼されているかを自覚したうえで行動するようになります。
 有り体にいえば、ひかるはそれまで以上に自分らしくゴーイングマイウェイ、ある意味で傲慢な言動ができるようになっていったんです。

 「――そうだね。こうしてさ、パジャマでみんなとおしゃべりだなんて、みんなに会う前、ちょっと前の自分からじゃ想像できなかったよ」
 「私さ、友達と遊ぶよりひとりで天文台行ったりするほうが楽しかったから。星座とか宇宙人、UMAを調べてるほうがさ。でも、わかったんだ。ひとりでいるのも楽しいけど、みんなとこうしているのもすっごく楽しいんだって」
 「みんなで新しい世界を知ったりとかさ、とっても、とーっても! キラやばー!なんだよね! だから、みんなで一緒にもっといろんなところに行きたいんだ!」
(第26話)
 最初のころは自分ひとりで遊んでいるようなノリだったんですよね。いっつもひとりで先走っていて、後から追いついてきたみんなに自分の行動意図を説明するのが異常にヘタクソな子でした。
 最近はむしろ説明すること自体ブン投げています。突然突飛な行動をはじめて、間髪入れず次またゴーゴーです。そこは自分のヘッタクソな言葉を尽くすより、ララたちの理解力に任せた方が手っ取り早いと信頼しているから。代わりに、自分が今どんな気持ちでいるかを素直に語るようになっています。
 微妙な違いのように見えますが、とても大きな成長です。

 かつて遼じいはひかるをサザンクロスに似ているとしたうえで、サザンクロスはただの道標ではないと言いました。
 「旅人はね、サザンクロスを見ながら遠くで待つ大切な人や、新たな大陸を思い描いたんだ。サザンクロスは人々に進む力を――イマジネーションをくれる星座なんだよ」(第11話)
 サザンクロスのほうから旅人へ道を示すだけでなく、旅人のほうもサザンクロスを見て自分の歩む力を湧きあがらせているんだと。
 そのとおり、ひかるが後ろに目を向けてみれば、ララたちはちゃんと自分の意志で自分に付いてきてくれていました。今のひかるはひとりで好き勝手しているように見えて、その実ひとり遊びをしているわけではありません。ララたちが当然についてきてくれるものだと確信しているからこそ、安心して自分も前へ進めています。

 ひかるは自分に友達がいることを自覚して、強くなりました。
 ・・・たったこれだけのことを説明するのにやたら苦労するなあ、この子の独特のキャラクター。

 今のひかるにとって、他人に対する責任なんてものは、実は大した重荷ではありません。だって全部を自分ひとりで背負わなきゃいいだけなんだから。普段からララたちにいろんな期待を向けられているはずなのに、実際の彼女はすごく身軽です。ララたちの気持ちを確認する前以上にフリーダムできています。
 トッパーやガルオウガが妙に悲壮感漂わせているから重苦しい問題のように見えているだけで、今彼女の前に提示されている“責任”という問題は、きっともっとずっと簡単な言葉で言い換えることが可能なもののはずなんですよ。

 さて。
 責任って、何なんでしょうね?

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    コメント

    1. ピンク より:

      ガルオウガがキュアスターの腕を掴んでる間、カッパードが共闘したら楽に勝てたどころか抹殺も可能だったでしょう。
      頭や胴体にカッパードストライクを一発刺せばいいんですから。
      ……今のは冗談ですが、酸欠のガルオウガと入れ替わりでカッパードやテンジョウが参戦するとか、素人目線でも実行可能かつ有効そうな策は普通にありました。

      でもやらなかったしやらせなかった。
      本当に強い人とは助けを求められる人だとよく言われますが、さてどうなりますやら。

      • 疲ぃ より:

         「黙って見ていろ」と言われたら見ているしかありませんね。黙ってはいなかったけれど。

         長期的視野でものを考えると必ずしも勝利を追求することが最善とは限らないのです。プリキュアを倒した後の組織運営を考えると、ガルオウガはどうしても今のうちに身内に自分の強さをアピールする必要があったのです。カッパードの反応を見るに、ガルオウガのカリスマ性は少なからずその腕っ節の強さによって支えられているかもしれないのです。しかしガルオウガほどの強者ともなるとその本当の実力を存分に発揮できる相手は限られてしまうのです。共通の敵がいなくなった後のノットレイダーが空中分解することを避けるためにも、最高にカッコいいロンリーガルオウガ様が最高にマッシブにプリキュアを倒す姿を部下に見せつけて、キャー!ガルオウガ様ステキー!!ってしとかなければならないのです。
         ウソです。

         たぶんあの人はあの人で、ひとりでも全ての障害をねじ伏せられるくらい強くあらねばと気負ってるんだと思いますよ。
         どこかで見た覚えがある光景ルン。

    2. 東堂伊豆守 より:

      私には正直、どうもトッパー氏が信頼できる人物には見えないんですよね。
      だいたい「女子中学生が一人になったところを狙い撃ちして誘い出し、泣き落としに訴えるオッサン」を信頼しろという方が無理だと言わざるを得ない。星奈ひかるを「一番篭絡しやすい人物」と見定め、彼女を一本釣りしてプリキュアチームの切り崩しを図ってきた、という疑念が拭えないんですよね。
      「ひかるが”リーダー”だから”首脳会談”に呼んだ」というのも妙な話。彼女はあくまでチームの”精神的支柱”であってチームの指揮権を保持しているわけではなく、メンバーの運命を一人で決める権限は与えられていない訳で。
      それに、そもそも「(ノットレイダーにも対処可能な宇宙屈指の武)力を持つ者の責任を果たす」ことと「星空連合に加入する」ことがリンクする訳ではない、という問題もあります。
      「トッパーのような胡散臭い人物が率いている」「ノットレイダーの構成員達やレインボー星人のような”虐げられた人々”に手を差し伸べようとしてこなかった」星空連合への加入を拒否することこそ、むしろ「(宇宙最強の武)力を持つ者の責任を果たす」ことではないのか、「力を持つ者は、その力の帰属先や使い途を慎重に見極める責任がある」のではないか、とさえ言える訳で……。
      ーーーーーーま、ともあれ、前回のコメントで「ポリティカルサスペンス路線に進むのか?」みたいな話をしていたら、想像以上にポリティカルサスペンス風味のストーリーに踏み込んできたので少々ビビっております。やりおるのぉシリーズ第16作。

      • 疲ぃ より:

         トッパーさんの今話での立ち回り、真摯かもしれないけれど間違いなく卑怯ですからね。「力がある者にも責任がある」ってどんだけ身勝手な理屈だよと。なにせこの理屈、ひかるには損しかなくてトッパーにとっては利益しかありませんし。あまりにも虫がよすぎます。

         他人が押しつけてくる責任なんてだいたいそんなものです。ろくでもないことばっかり。
         ・・・それでもトッパーやララのように自分から好き好んで責任を負いたがる人たちがいるんですよね。
         前者の責任と後者の責任はいったい何が違うのか。ひかるにとって「力ある者の責任」とは本当に彼女にとって損でしかないのか。“責任”って結局何なのか。

         「力を持つ者は、その力の帰属先や使い途を慎重に見極める責任がある」 たとえば、まさにそういうことですよ。
         それは誰に対する責任なのか。その責任を果たすことでどんな良いことがあるのか。誰のために、そして何のために責任を負わなければならないのか。
         たとえトッパーに押しつけられる責任だとしても、それを本当に負うかどうかを決めるのはあくまでひかるです。ひかるがひかるの意志で責任を負うんです。

         さて。なぜ、人は責任を負うのでしょうか。

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