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(主観的)あらすじ
全てはお膳立てされていた運命でした。
壊滅した宇宙星空連合軍とノットレイダーの残党をかき集め、ひかるたちは旧ノットレイダーアジトに拠点を移したダークネストを追いかけます。
ノットレイダーたちとは長らく敵対していましたが、手を取りあえる関係になったのなら、これまでのことにはこだわらず仲よくしようとひかるたちは動きまわります。実際にわだかまりが残るかどうかは問題ではありません。ただ、ずっとしたかったと思っていたことを、今度こそ実践するだけなんですから。
旧ノットレイダーアジトで待っていたのは、いくつかの人知を越えた真実。
蛇遣い座を除く12人のスタープリンセスたちは、宇宙創造の力の一端であるイマジネーションを、これから生まれくる全ての生命へ分け与えました。純粋に、彼らが将来創造するであろう驚くべきものを楽しみにして。
ただ、ときにはイマジネーションを歪ませ、宇宙の秩序を狂わせてしまう者たちが現れることも予想できていました。けれど彼女たちは楽観しました。イマジネーションを歪ませてしまった者のことは、取り返しがつかなくなる前に、まっすぐなイマジネーションを持つ人々が正してくれるだろうと。
ダークネストとの対決はひかるたちのトゥインクルイマジネーションで充分に渡りあうことができました。この宇宙における“pre-cure”とは、そもそも彼女のような歪んだイマジネーションをあるべき姿へ浄化する、イマジネーション自体が持つ自浄作用のことだったからです。
あとは器であるフワを用いて儀式を行えばダークネストを完全に消滅させることもできるでしょう。儀式とは、プリンセススターカラーペンの力と宇宙じゅうの人々が預かっていたイマジネーションの力、つまりスタープリンセスたち本来の力を再び一カ所に集めることだったのです。
けれど、ひかるの心にはここに来て迷いが生じます。
ひかるは別に、ダークネストを消滅させたくてここに来たわけじゃなかったからです。そして、儀式を行うとフワもいなくなってしまうということも告げられてしまったからです。それはひかるのやりたいことではありませんでした。
ですが、時間の流れは残酷なほどにひかるの決断を待ってくれません。ひかるが迷っている間にも戦いは進み、結局フワが自分の判断でひかるたちからトゥインクルイマジネーションを回収してダークネストに対抗するのを、ひかるはただ黙って見ているだけでした。
こうしてダークネストは消え、フワも姿を消し、宇宙は順当に平和を取り戻すのでした。
考察厨なオタクほどウキウキしていそうな、ニッチにもほどがある種明かし回。(私が世間一般でいう考察厨に当てはまるかどうかは微妙なところですが) 基本的には子ども目線でわかりやすい物語を描いてきたスタートゥインクルプリキュアですが、実はちょくちょくこういうオタク好みな小ネタを唐突にブッ込んでくる側面もありますよね。そもそもベースがSFですし。
トゥインクルイマジネーションが奇跡を起こす力となりうるのは必然。だってそれは人間ひとりひとりのなかに眠る創造神の力のカケラをつなぎなおしたようなものだから。
宇宙の危機にプリキュアが現れるのも必然。だってpre-cureは、人体で例えるならガン化した細胞を元どおりにするべく処理する、いわば抗体反応のようなものだから。
12星座のスタープリンセスにとっては、この状況に至っても未だ当初想定の範囲内に収まっている程度の事態なのでしょう。へびつかい座ひとりの反抗勢力くらいならpre-cureという名の自浄作用に任せておけばどうとでもなります。なにせpre-cureは最大でスタープリンセス12人分の力を行使できますし。
実際、今話のひかるたちは初手でダークネストを圧倒していました。ちょっとトゥインクルイマジネーションを行使しただけでワンパンでした。フワひとりで戦ってですら完勝できちゃいました。戦力差は歴然。今作のラスボスモドキは『魔法つかいプリキュア!』のデウスマスト並みに弱い。
ですが、そんな約束された勝利なんてちっともひかるらしくない。
そもそもちっともうれしくない。
トッパーに押しつけられかけた「プリキュアの責任」がただただ重たかっただけだったのと同じです。スタープリンセスたちにお膳立てされた「pre-cureの勝利」なんかじゃ、ひかるが自分で本当にやりたいと思っていたことを何ひとつ達成できません。
せっかくイマジネーションという神の力に等しい思考力を譲りうけたんです。
もっと自由にやりたいことのできる未来を想像して、もっとワガママにやるべきことのための未来を創造してやりましょう。
イマジネーションの力はそのためにこそ私たちに預けられました。
ノットレイダー
「なぜ受け入れる。我々の仕打ち、そう簡単に忘れられるものではない」
「みなさんが心の底から受け入れているのか、私にはわかりません。でも、私は、ただ、前を向いて歩いていきたいです」
前半丸々使ってひかるたち念願のノットレイダーたちとの交流を描いていますが、つまるところ重要なのはこの1点。
ノットレイダーたちは過去に拘泥しようとしてイマジネーションを歪ませましたが、ひかるたちは「前へ進む」理想を第一に掲げていたことで歪むことなくまっすぐでいられました。
ふたつの違いはたったそれだけ。
現実を取るか、理想を取るか。
実際のところ他人の全てを受け入れられる人なんていないでしょう。誰も本当に怒りや憎しみを忘れたわけじゃないでしょう。
たまにそのあたり本気で誤解して、「全肯定」だとか「信者」だとか、ポジティブな人のことをまるで何も考えていないマヌケのように捉えてしまう人も見かけるのですが、違います。彼女たちは「自分が今何をするべきか」「どうすればより自分が幸せになれる未来へ近づけるか」を考え、行動しているからこそ、寛容になれるんです。
許せるから許すのではありません。忘れられるから忘れるのではありません。
許したいから許して、忘れたほうがいいから忘れたことにするんです。
本当なら、自分が今していることの先の未来をほんの少しだけ想像してみればわかるはずの、簡単な理屈だと思います。
だから、たったそれだけの違い。
理屈はともかく感情ではなかなか簡単に割りきれることじゃないと思います。きっと劇中に描かれているほどすんなり仲直りできるような話でもないでしょう。世のなかそんな単純じゃないというのも事実。
だけど、いつか私たちが誰か他人を心から許せる日が来たなら、そのとき胸にあるのはきっと、ひかるたちと同じキレイゴトの理想なんだと思います。
理想さえ抱きつづけることができれば、あとの些事は時間がゆっくりと解決してくれることでしょう。だから、スタートゥインクルプリキュアの物語においてもそのあたりのゴタゴタを今さら細かく描写していく意味はありません。
そこを楽観する代わり、どうか理想について考えることだけは止めないで。けっして諦めないで。
イマジネーションを自分にとっての理想を描くために用いつづけるかぎり、それはけっして歪むことがないでしょう。
理想はいつだってそれぞれの未来に、前に、存在しつづけるんですから。
母心
「イマジネーションを与えるだと?」
「ええ。生まれてくる命に、我らの力・イマジネーションの力を」
「なにゆえに」
「見てみたいのです。この宇宙に生きる者たちがイマジネーション――想像力を巡らしてつくる世界を」
「与えたイマジネーションが歪めばどうする。宇宙の秩序がなくなるぞ」
「歪みは人々のイマジネーションが正してくれるでしょう」
彼女たちのやりとりをただ聞いているだけだと、まるで12星座のスタープリンセスが何も考えていないお花畑の住人のように感じてしまいます。
ですが、よくよく考えてみると彼女たちの言っていることはごく当たり前の良識だということに気づきます。人間として。なにより、これから新しい命を産み落とすひとりの親として。
スタープリンセスたちは新しい命にイマジネーションの力を贈りたいと考えました。創造神たちの想像力ですから、それはもう明らかに大きな力。宇宙をつくる奇跡を起こした彼女たちの本質とも呼ぶべきものです。それを贈りたいと。
どうしてそんなものを贈りたいのかといえば、人々のつくる世界を見てみたいから。たったそれだけ。けれどすごいことを言っています。この創造神たちは、せっかく自分たちでつくった世界のありようを、人間たちの手でつくり変えてみせてほしいと言っているんです。
ところでそれに伴うリスクをどう考えるか。回答=心配しなくても自分たちでうまいことやってくれるでしょう。イマジネーションの力を信じてほしい。・・・まさかの投げっぱなし。
つまり、彼女たちは私たちに“親を越えること”を期待しているんですね。
いつか大きく育ったら、自分たちの想像を超えた大きなことをやりとげてビックリさせてほしい。
困ったことが起きても自分たちで乗りこえられる、逞しくて賢い子に育ってほしい。
きっと子育てをしている親なら誰でも当然に抱くであろう、子どもの将来への期待。
子どものいない私ですら、今の子どもたちには私よりも少しはマシな人生を送ってほしいと願って、仕事したり日頃親切にしたりこういうブログを書いたりしているんです。自分の子どもがいる親ならなおさらでしょう。神様とはいえ、こんなのどこにでもある平凡な親心だと思います。
対してへびつかい座のスタープリンセス・ダークネストはちょっと過保護すぎますね。
危険かもしれないからって、親を越えるかもしれない可能性の芽を最初から摘み取っちゃったらお互いつまらないでしょう。親は順当に育つ子どもの姿しか見られませんし、子どもも親の敷いたレールから一生抜けだせません。
それで本当にあなたと子どもたちは笑って幸せに生きられますか?
それで本当にあなたは胸を張って子どもたちへ未来を託せますか?
あなたはいったい何のために新しい宇宙を、新しい子どもたちを産み落とすことにしたんですか?
「案の定、イマジネーションは憤り、悲しみ、妬みとあまたの歪みを見せはじめた。よって、我はこの宇宙を消すと決めた」
それとも、不本意に子を生んでしまったからこそ、子殺しが親の取るべき責任だとでも?
pre-cure
「やつらがお前たちを動かしていたのは――我を消すため!」
「・・・え。消す、って」
「全ては宇宙を守るため!」
そんなこと言われても、困る。
親同士のイザコザに子どもを巻き込まれても、大いに困る。
そこだけはスタープリンセスたちにも最大限反省していただきたいところ。いくら切羽詰まっているとはいえ、ひかるたちにとっても自己防衛だとはいえ、それでも子どもを親殺しに巻き込もうだなんて残酷なことすんな。
「歪んだイマジネーションを正す。前へと戻すべく浄化する。“pre-cure”の力が」
もっとも、pre-cureという機構自体は人の個性というよりイマジネーションの力自体が持つ自浄作用、一種の免疫系みたいな扱いっぽいので、スタープリンセスたちからしたらあんまり個人として尊重してあげられない部分もあるのかもしれませんけれど。
たしかに、今のひかるたちならダークネストと充分に渡りあうことができるでしょう。むしろ圧倒できるといっても過言じゃなさそうなくらいです。宇宙じゅうのイマジネーションの力を束ねることができるトゥインクルイマジネーションでスタープリンセスたち本来のパワーの半分。残り半分の力であるプリンセススターカラーペンとその器・フワも揃っているので、実質的に今のひかるたちはスタープリンセス12人分の力を行使できるわけで。
また、「自分の思うようにできなかった」という後悔を行動原理としているダークネストは、まさにこの人自身が歪んだイマジネーションの権化みたいなものなので、pre-cureシステムによる討伐対象としてもまったく問題ありません。
相手が子殺しを企てている肉親みたいな存在、というのはさすがに想定外でしょうが、基本的にダークネスト=宇宙のためにpre-cureが倒すべき驚異と解釈するのは、pre-cureの存在意義から考えて正当なことといえるでしょう。
だからどうした、って話ですけどね。
それは結局、ひかるたちの戦いじゃないので。
ひかるたちはプリキュアの力を得た者の責任として戦っているのではなく、あくまでフワや周りのみんなを守りたいという自発的な思いによって戦っている子たちです。
ひかるたちはプリキュアですが、pre-cureではありません。
「プリキュア、早く! 宇宙を守るのです!」
こんな命令、聞いてやる必要はこれっぽっちもありません。
むしろ聞くべきではありません。
やるべきことは常に自分のやりたいことと一致しているべきです。
かわいそうに。ひかるたちは横暴な生みの親ふたりの間で板挟みになって、すっかり萎縮してしまいます。
混乱しきって、スタープリンセスたちの夫婦ゲンカのとばっちりから自分の身を守ることすらままなくなってしまいます。虐待だコレ。
「大丈夫フワ。フワがみんなを守るフワ!」
だから今回はひかるたちに代わってフワがpre-cureの役割を代行します。むしろダークネストの言っていることが本当なら、非生物であるこの子がpre-cureとして割を食いつつ宇宙の人々を守るこの構図こそ正統な雰囲気すらあります。
フワはひかるたちのかけがえのない友達なので、実際にはカケラも正当性なんかありませんけどね!
さて。
そんなわけで創造神(親)たちにお膳立てされたpre-cureとしての最終決戦は、ひかるたちにとって何から何までろくでもない結果をもたらすだけで終わりました。延々自分たちと直接関係ない話ばかり聞かされるわ、親殺しさせられかけるわ、大切なフワまでいなくなってしまうわ。前話が不幸の底になると思っていましたが、今話はそのさらに下を行きましたね。
見ている側としてはそもそもひかるたちが誰かと戦っていた、という印象すら稀薄に感じるほどでした。ほとんど家庭崩壊した環境下の虐待児を見せられているような感覚。
このクソッタレな状況を今度こそ脱するために、ひかるたちは自分たちのための戦いをはじめなければなりません。
「宇宙のため」とか「スタープリンセスたちのため」とかじゃなく、ちゃんと自分を幸せにするための戦いを。
さしあたってはフワを取り戻さないとね。
ダークネストが言うには本来のフワはスターパレスの一部にすぎない存在のようですが、知ったことか。
ひかるとフワの友情は、ノートの1ページからはじまりました。
「あ、そうだ! こうして、こうして、いいねいいねー。・・・できた! オリジナル星座完成! かわいすぎ! キラやばー! うーん、流れ星に感謝だねえ。なんて名前の星座にしようかなあ」(第1話)
それは偶然の出会いではなく、かといって昔から知っていた仲でもなく、ひかるの想像力が宇宙全体を駆け巡ってたぐり寄せた、ひとつの奇跡でした。あのときひかるはトゥインクルイマジネーションを完成させておらず、ましてプリキュアへの変身すらも果たしていないままで、人の身に余るほどの大きな奇跡を起こせていました。
イマジネーションが創造神からの借りものにすぎないだなんて誰が決めた。
そのギフトは宇宙の人々にとってかけがえなく素晴らしいものでしたが、それでいて彼女たちは創造神から与えられたものの範囲内に留まるつもりなんて微塵もありませんでした。受け取ったギフトを我が物顔で存分に振りまわし、ときに失敗して自分を苦しめ、ときに周りと衝突して喧嘩もし、そしてときには自分の作品としてステキなものをいくつも完成させていきました。
他人から受け取ったものを我が物顔で、正々堂々自分のものとして。
フワと会いたければまた会えばいい。
プリキュアになりたかったらまたなればいい。
あなたのイマジネーションは誰にも奪えません。
神様から受け取ったギフトは今や私たちのものです。
もっと自由にやりたいことのできる未来を想像して、もっとワガママにやるべきことのための未来を創造してやりましょう。
イマジネーションの力はそのためにこそ私たちに預けられました。
コメント
宇宙を生み出したイマジネーションは半分がフワに、残り半分はトゥインクルイマジネーションに委ねられています。
あの、もしかして今【12のスタープリンセス自身】はイマジネーションを失ってませんか?
さて、pre-cureの力です。
preとは前という意味ですが、forwardとはまた違って『以前』とか『あらかじめ』というニュアンスになりますね。
言い回しから察するに、儀式とやらが行われれば全宇宙の誰も彼もがサザンクロスショット撃たれた直後のような状態になるんでしょう。
……利益だけ考えたらなかなか素晴らしい力ですが、同時につまらないという話も納得です。
ひかるたちも本当に大事なことはいつも浄化技に頼るのではなく(諸事情で毎回向こうが取り返しつかなくなるため、結局は撃ちますが)自分たちの言葉を尽くそうとしてましたし、pre-cureはそもそもある意味過去に戻るためのものだったんですし。
少なくとも、ひかるたちが運命に呑まれる子じゃないってことだけは知ってます。
ほら、1/2かける12人分の力をもってしてもへびつかい座1人にいいようにやられちゃった人たちなので・・・。ひかるたちの活動開始を確認できた時点で、今さら自分らががんばるよりこの宇宙の人々に預けた残り半分のイマジネーションの自浄作用(pre-cure)に任せたほうがいいんじゃね?みたいな考えかたに至っているのかもしれません。
イマジネーション=創造力としての意味合いとしても、彼女たちはこの宇宙を創ったあとは他に何かを生みだそうとしたそぶりはなく、ただただ宇宙の行く末を見守るつもりでいたようです。彼女たちにイマジネーションの力が必要だったのは宇宙創造の瞬間が最後で、そのあとは彼女たち自身この力を持てあましていたのかもしれませんね。・・・どうせ創造神の仕事を続ける気がなかったのなら、半分といわず全量を宇宙にバラまいてもよかったのでは? (人の血の通わない発想)
スタープリンセスたちによるとpre-cureは歪んだイマジネーションを元に戻そうとする自浄作用のことらしいので、そもそもがひかるたちの世界観と今ひとつ噛みあわないんですよね。ひかるたち、被害者を守りたいという気持ちはあっても、別にイマジネーションの歪みを元に戻したいという思想は持ちあわせていません。ユニに怪盗を辞めさせようとした一件がありましたが、あれも「ブルーキャットじゃなかった昔のユニに戻ってほしい」ってわけじゃなくて「周りの人を思いやれる今のユニと矛盾したことをしないでほしい」という気持ちが大きかったですし。
ひかるたちにとって歪んだイマジネーションは前の状態に戻すべきものではなく、これから前へ進ませるべきもの。それこそ“pre”じゃなく“forward”なんですよね。“pre-cure”はひかるたちらしくないです。
ニンゲンたちはどこから、やってくるの?
「ねぇ!本当のことが知りたいの!」
……教えてやろう。ニンゲンは12星座のプリンセスが「イマジネーション」投与実験に使うべく生み出した”モルモット”だったのさ。単なる”道具”。それ以上でもそれ以下でもない……。
本作主人公・星奈ひかるの行動原理は知的好奇心。彼女の旺盛すぎる好奇心はしばしば暴走してトラブルを引き起こしてきました。仲間を危険に晒したり、目の前に立ちはだかる”敵”のトラウマを無用に刺激してしまったり……。
それでも、自分の無神経さ・無責任さを修正しながら、ひかるは決して「知る」ことを止めようとはしなかった。むしろ自分の限界を「知る」ことで押し広げようとしてきたんですね。実際ひかるは「知る」ことによって多くの困難を乗り越え、遂には”敵”をも仲間とすることに成功した。
しかし……ひかるはとうとう「知る」ことの持つ最も厄介なリスクに直面することになる。ーーーーーー”真実”とはしばしば不都合な、不愉快なものであると理解しなければならない、という事実に。
やはり、「知らぬが仏」ということなのか……。実際、多くの人が不都合で不愉快な真実と向き合うことを避けるため目を閉じ耳を塞ぎ、時にはフェイクニュースに飛びついたり、都合の良いシナリオを自分の中にでっち上げて、その中にのめり込んだりさえしている。その方が”利口な”生き方だから……。
でもたぶん、星奈ひかるはそういう”利口な”生き方はしないし、出来ないんだと思います。愚直で頑固な「知の求道者」。その探求の果てに、創造主のルールをも打ち破る答えがあるのか……?最終決戦、じっくりと見届けたいと思います。
「本当のこと」を知りたいのなら、結局のところ自分で考えてみるしかないです。誰かに教わったことはしょせんその人の主観から見た世界観でしかなく、自分の目で実際にソレを見たときはきっとまた少し違ったふうに見えるはずですから。
これまでひかるたちが知ってきたことは、それこそそういう、主観的な知がほとんどでした。実際に宇宙を飛びまわり、自分の目で見て、自分の手で触れて、「世のなかこういうもの」などという余計な色眼鏡に惑わされることもなく、多様な宇宙のありかたに対する理解を深めてきました。
そういう知る姿勢を学んできたひかるたちからしたら、今話でスタープリンセスたちやダークネストから提示されたような「あなたたちはこういう存在なんだ」「あなたたちはこういうことをするべきなんだ」などという一方的な押しつけはちょっと受け入れがたいものでしょうね。実際、ああいうのは突っぱねて、自分のやりたいことに合う行動指針を自分なりに決めるべきだと私も思います。
ただ、一方でララが「みんなのおかげで、心のなかの宇宙が無限に広がっていくルン」(第25話)と表現したように、自分のなかにない新しい世界観を他人から教わることも大切な“知”です。それはものごとをより多角的に、より重層的に知っていくために必要な視野を広げてくれることでしょう。
その意味で、ひかるたちにとってスタープリンセスたちやダークネストのしようとしていることを単純に否定することもまた、あまり好ましい態度とはいえません。創造神に等しい彼女たちの人知を越えた思いすらもひかるたちは知っていくべきでしょう。ハタから見るぶんには夫婦ゲンカに巻き込まれた虐待児の構図ですが、そんな子どもたちもやがては大人になります。大人の気持ちを知っていく必要があります。
トゥインクルイマジネーションの完成要件に“他者との相互理解”を含めたひかるたちはつくづく大変な道を選んだものだと思います。最終決戦、がんばっていただきたいところ。
このブログでは、幾度となく「1人では願いは叶わない」と言われてきました。真実は最初から奪われる運命でした。あまりにも理不尽です。
思い起こされるのはまどかと父、冬貴の関係です。
スタープリンセスはこの宇宙を創造し、12星座は(おそらく)よかれと思いイマジネーションを与えました。ひかるたちは12星座の指示は正しいものだと従って来ました。まるで親と子のようです。
しかし、まどかが父の指示に従うことに疑問を持ったように上位者の言うことが必ずしも自分のためになるわけではないことがここで示されました。
もはや親の指示に従う時代は終わらせなければいけません。ひかるたちは「どうすべきかは自分で考える」ことを示さなければいけません。
奇跡はひとりの力では起こせません。簡単に起こせないからこそ奇跡なのであって、だからこそ相互理解を通じてつながりあったたくさんの人たちの協力が不可欠となります。
ただし、多くの人とつながりあうだけでもまた、奇跡は起きません。奇跡を起こすためには自分のやりたいことをはっきりイメージして、その夢のためにやるべき目的意識を明確にする必要があります。集めた大きな力を何のために使うのかという指向性が必要なんですね。
それら全ての条件が合わさってはじめて奇跡――トゥインクルイマジネーションが完成します。
だからこそ、スタープリンセスたちから与えられたイマジネーション自体は素晴らしいものとはいえ、その使いかたは彼女たちに指示されるのではなく、ひかるたち自身が考えなければなりません。
奇跡を起こすのは、願いを叶えるのは、いつだって人間です。そんなところまで神様のギフトに頼ってなんかいられません。