お前のなかの好きなものや大切なものを、お前の手で、守るんだよ!
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(主観的)あらすじ
ひなたはドジっ子でした。友達と遊びに行くのに今日もまた遅刻ギリギリ。しかもバスに乗ろうとしたら財布が無いのに気付いて大ピンチ。また友達に怒られちゃう! 友達はふたりともしっかり者なのに・・・。
急いで財布を取りに家へ走るひなたは、その道中、喋る不思議な猫・ニャトランと出会いました。いつも賑やかなひなたはこのときももちろん盛大に驚き騒ぎます。
ニャトランはうっかり者でした。いつものとおり町でパートナー探しをしていたところ、バス停でアワアワしている女の子・ひなたがリップを落としたのを発見。追いかけて返そうとしたのですが、うっかり彼女の前で人間の言葉を話してしまいました。
当然、ひなたはとても驚いた様子でした。このままでは誰に言いふらされるかわかったものではありません。やむなくニャトランは自分が“ただの”喋る猫であると言い張ることで、ヒーリングアニマルであることをギリギリごまかすことにしました。ニャトランは度胸が据わった子でもあるのでした。
けれど、ニャトランの心配は杞憂。ひなたのことを誤解していました。彼女は最初からニャトランのことを秘密にしておくつもりだったのです。見世物みたいになったらかわいそうだからと。獣医であるお兄さんにだけは、事情を明かして協力してもらおうと考えていたけれど。
そんなひなたの意外な一面にニャトランはピンと来ます。間もなく、またメガビョーゲンが出現。ニャトランはこのときひなたを避難させるのではなく、プリキュアに変身して戦うのどかたちにわざと引き合わせてみることにしました。
果たして、結果は思ったとおり。いいえ、予想をさらに上回ってきました。
ひなたは強い。目の前で恐ろしい怪物が暴れているというのに、まるでいつもどおりのノリみたいに賑やかに笑ってみせました。
そして、ひなたはやっぱり優しい子。自分が危険な目にあっても、自分の身よりのどかたちやニャトランのことを心配していました。
心の肉球にキュンときます。
ニャトランに誘われて、ひなたは自分もプリキュアになることを決めました。
自分にも地球を守る戦いができるというのです。可憐に戦うのどかたちみたいになれるというのです。それができる資格が自分にはあるというのです。何より、ニャトランが「俺はお前と組みたい!」と力強く求めてくれたのです。
断る理由なんてひとつもありませんでした。
3人目のプリキュアはこうして生まれたのでした。
ひなたとニャトランが出会った場所に咲いていた花はポピー。ケシの花ですね。
白いポピーの花言葉は「忘却」。黄色いポピーの花言葉は「成功」。そしてポピー全般の花言葉として「いたわり」「思いやり」「陽気で優しい」などが託されています。
ポピーは古くから鎮静薬としてよく知られた薬草でした。ギリシャ神話の女神デメテルが娘を攫われて悲嘆に暮れていたとき、眠りの神ヒュプノスが彼女のためにポピーを処方して心安らかにさせたという逸話が伝わっているほど。
ひなたに似合っているんだか、そうでもないんだか。「忘却」や「陽気で優しい」あたりはこれ以上なく彼女にぴったりのように思えますが、一方で鎮静薬としての側面は果たしてどうなのか。それから「成功」? 黄色い花の花言葉にもちょっぴり違和感。
ですが、なるほど。彼女が友達に向ける思いを見ているとなんとなく伝わってきます。
ひなたという子は、誰かに優しくできる人に憧れているんですね。自分はそうありたくてもうまくできないからこそ、ドジな自分にも優しくしてくれる周りのみんなを強く尊敬する。自分もいつかみんなみたいになりたいって心から思う。
一見落ち着いているちゆが実は好奇心ベースで行動しているギャップもそうでしたが、活発なひなたが実は優しい子に憧れているというのもなかなかにミスマッチで面白いキャラクター設計です。
そりゃ次話ですれ違うわ。ぱっと見お互いがお互いの理想型なんですもんね。なのに中身はそうじゃない。いっそお互い体を取り替えっこできたらちょうどいいくらいなのに。キミら入れ替わりものアニメの主人公とヒロインか。
「私、ひなたのこと怖がらせちゃってるかも」
「ちゆちー、私のこと怒ってるよね」
来週も楽しみです。
めっちゃいい人!
「ええっ! ウソ、優しい! めっちゃいい人!」(第1話)
「わー! 知ってる、知ってる! 昨日のめーっちゃ優しい子!」(第2話)
「もしかして拾ってくれたの!? わー! ネコちゃんありがとう! 賢い! 優しい! かわいい!」
「みなぴ。りなぽん。ありがとう! 優しい! またウチのジュースごちそうする!」
ひなたはものすごいハイテンションで感じた気持ちのままストレートに褒めてくる子です。
それは初対面ののどかに対しても、ニャトランに対してもそうでした。仲よしの友達にだってそのスタイルは変わりません。きっと彼女は誰に対してもいつもそうなのでしょう。ステキな子です。
それにしても・・・。この子はどうしてそんなに優しい人が好きなんでしょうね? 彼女が誰かを褒めるときは常にその優しさに対してです。
そこを念頭に置いて改めて彼女のこれまでを振りかえってみると、なんとなく察せられるものがあります。
「わーっ! ごめんね、ごめんね! 大丈夫? めっちゃ痛いよね? ケガとか平気!?」(第1話)
「ちょっと。彼女困ってる」
「え、ウソ! ごめん!」(第2話)
どうやらひなたは相当な粗忽者。いっつも慌てていて、いっつもわざとじゃないのに誰かに迷惑をかけちゃっている子です。今話でも友達との約束に盛大に遅刻していました。
「優しい!」と同じくらい「ごめん!」を連呼する子です。公式サイトのキャラクター紹介でも、あれだけ口癖みたいに繰り返している「優しい!」には特に言及なく、「ごめん!」のほうだけ書かれています。
まあ、なにせ彼女の「優しい!」はいつも「ごめん!」とセットですしね。片方だけ言及しておけば事足りる感じはある。
この子は、自分がいつも周りに迷惑ばかりかけているからこそ、それでも優しくしてくれる人たちのことをすごいと思っているんですね。
周りのみんなが当然のようにかけてくれるのと同じ優しさを、彼女はうまくこなすことができません。
「あ、危ない! ・・・うええっ!?」
足を滑らせたニャトランを助けようとしたのはいいものの、結局自分も一緒に転んでしまいました。
「やめれ! 苦しい!」
感謝の気持ちを全力で伝えようとして、かえって迷惑がられもしました。
友達との約束に毎回遅刻するのだってわざとではないのでしょう。焦って走りまわったり、遅刻確定に本気で落ち込んだりしているところに彼女の誠意が伝わってきます。友達もそれがわかっているからこそ彼女を嫌わずにいるのでしょう。
みんな優しい。
私はこんななのに。
みんなの優しさに私は全然釣りあっていないのに。
なのに、優しくしてくれる。すごい。
私なんかと全然違う・・・。
その驚きと尊敬があるからこそ、ひなたの「優しい!」の言葉は過剰なほど激しいテンションとともに贈られます。
ハタから見ているぶんには彼女も充分すごい子なんですけどね。根が楽天家なのか、あれだけしょっちゅう謝ってばかりなのに、自分を責めるより周りを尊敬するほうに気持ちが向いていますから。誰にでもできることじゃありません。
彼女はまだそういうすごい自分に気付いていない様子ですけど。
「ひなたちゃんって優しいんだね」
「ええ? そんな! 私なんて全然全然」
たぶん、謙遜じゃなく本気で言っています。
「いや、だから・・・。見世物になる前に保護するとか、迷子ならおうち探すとか、早くお兄に相談!って思ったら慌てちゃって・・・」
この子はそんな大きな親切を自分ひとりでやり遂げられるとは思っていなくて、最初からお兄さんの力に頼ろうと考えていました。
その考えかたはもちろん正しい。冷静で完璧な行動選択だと思います。もっと褒められるべきです。・・・だけど、似合いません。だからこそ、のどかたちも聞いていて意外に感じたんです。
らしくない。
その親切のかたちは、本当に彼女の望んでいるやりかたなのでしょうか。
「・・・あ! のどかっちとちゆちー!」
「このままふたりを置いて行けないよ!」
誰かのために、自分の身の危険も考えず、その場の感情のままガムシャラに飛び込んでいく。
そういうありかたこそがひなたの本当にやりたい自分らしさなんじゃないでしょうか。
だって、いつも優しいみんな、自分ひとりで立派に、なおかつ自然体で、いつもひなたに優しくしてくれているんですから。
ノリの合うやつ!
ラビリン、ペギタンに続いて、やっぱり最初の出会いは意図せぬものとなったニャトラン。
出会いなんて本来そういうものなのかもしれません。そもそも、まずは会ってみなきゃ、その人のことなんて全然何ひとつ知ることができないわけですしね。
多くの人が出会いは運命だと感じるのももっともなことです。だって、誰しも最初に出会ったときはみんな他人。会ってから好きになる。好きになったあとで出会いを振りかえってみて、よくぞ有象無象の他人のなかからこの人の出会いを引き当てたものだと奇跡のような確率に驚くんです。本当は順序が逆なのに。最初に出会いがあったからこそ、私たちはその出会ったうちの誰かを好きになった。生まれついて好きになれる誰かがいるから出会ったってわけじゃない。出会った人のなかから好きになる1人を見つける確率なら、せいぜい何千分の1か、何万分の1か――。
「あ、俺もテキトーにノリの合うやつ探すわ」(第1話)
ニャトランのパートナー探しは難航しました。
ノリの合うやつを探すっていっても、根本的な問題として、そもそもそこらの道ばたで自分のノリをアピールしながらブラつく変人なんてそうそういませんからね。その条件で探すなら最初から探しかたを間違えています。そのレベルでオープンなのはアメリカ育ちのHIPHOP育ちとか自称している人種くらいなものでしょう。夜の原宿駅前あたりなら見つかる可能性もあるでしょうか。(テキトー)
「なあ、ひなた。俺のこと、他の人には秘密にしてくれよな」
「もちろんだよ! てか、最初からそのつもりだし! だって見世物みたいになったらかわいそうじゃん」
結局ニャトランがこの人と見定めたのは偶然知りあったひなたであり、それもノリのよさではなく心に秘めた優しさを気に入ってのことでした。
「ああ。やばー。またやっちゃった・・・」
「『また』って?」
「私、目の前のことでいっぱいになって、すぐ他のことを忘れちゃうんだよね」
「任せとけよ、ひなた。『ひなたは俺を助けようとして遅れたんだ』って、ちゃんと説明してやるからさ」
ノリでいうなら、ひなたのノリはむしろニャトランと全然違っていました。
意外にマジメで機転も利くニャトランはたいがいのことをソツなくこなしますが(※ ただし肝心なところがヌけている)、ひなたはその逆。アクティブな第一印象の割に内面は鈍くさく、いつも失敗ばかり。普段から割と好き勝手しているニャトランと違って、全然自分の思ったとおりの生きかたができていませんでした。
それでも、ニャトランはひなたを選びました。
「えー! かわいいー!! なになに、メチャクチャかわいいー! どうやって着替えたの? 魔法? 誰デザイン? あはっ。超かわいい!!」
彼女が強い子だったからです。
ここのセリフ、ひなたが本気で能天気なことを言っているのか虚勢を張って強がっているのか今ひとつはっきりしません。直前に唇を震わせているカットが入ってはいますが、ミスリードのための演出という可能性も充分あります。というか普通なら私も素直に受け取りたいところなんですが。
ただ――。
「ぷっ、ははははは。ひなた! さっきまであんなにビビってたのに、なんだそれ!」
「え、や、だって、つい。・・・あ。そう言われたら怖くなってきちゃった」
こっちのシーン、ニャトランだけコケてないんですよね。自分でヤジっておいて、ひなたならこういうことを言うだろうと彼は予想できています。
たぶん、ニャトランにはさっきまで恐怖していた子が「かわいいー!」と叫ぶまでの感情の流れが見えています。「目の前のことでいっぱいになって他のことを忘れてしまう」というような脈絡ない感情ではなく、ちゃんと恐怖と「かわいいー!」が一続きのものとして筋道立っている思いのありようが。
負けてなるものか、と。
ここで怖がりたくない。
目の前で必死に戦っている子たちの足手まといになるような子にだけはなりたくない。
こんなときまで一方的に優しくしてもらうだけの情けない子でいたくない。
「こらー! そこの怪物、ふたりを離しなさいよ! これ以上何かしたらただじゃ済まさないからね!」
「ちょっと飛ばされただけ。これくらいへっちゃら、へっちゃら」
結局私には何もできないのかもしれないけれど、せめてあのふたりと釣りあっていたい。
誰かのため、自分にできることを探して必死にもがく、気高いほどの優しさが、ニャトランの心の肉球をキュンとときめかせました。
お前の手で、守るんだよ!!
「なあ、ひなた。俺と一緒にプリキュアにならないか」
今、ニャトランの目の前に尊敬すべき人がいました。
「あの怪物。ビョーゲンズから地球を守るんだ」
その人は身に余るほど大きな夢を抱いていて、
「お前のなかの好きなものや大切なものを」
その人は周りにいる人みんなを愛していて、
「お前の手で、守るんだよ」
その人はみんなに優しくするために必死にもがいている。
「ひなた。お前ならできる」
もし叶うならその人が夢を叶えるところを見てみたい。
「ていうか、俺はお前と組みたい!」
むしろ、手伝ってやりたい。
今、ひなたの目の前にずっと追いかけてきた夢がありました。
「あの怪物。ビョーゲンズから地球を守るんだ」
それは何気ないことのようでも自分にとっては大それたことで、
「お前のなかの好きなものや大切なものを」
それはずっと友達やみんなから預かってばかりだった愛おしい負債で、
「お前の手で、守るんだよ」
それをみんなと同じようにできるようになりたくて、必死にもがいてきた。
「ひなた。お前ならできる」
やっとできるようになるらしい。
「ていうか、俺はお前と組みたい!」
まずはひとり、目の前に私を求めてくれる人がいる。
ニャトランが思い起こすのはいつも真剣だったひなたの表情。
欲しいのはノリのよさなんかじゃない。不器用でも必死に抗おうとするひたむきさ。誰かのためにがんばろうとする情熱。自分にはないもの。
ひなたが思い起こすのは自分を励ましてくれたときののどかとちゆ。
憧れていたのは当たり前の優しさ。自分の力でできる親切。彼女たちと同じ力を持てたら、その当たり前が怪物をやっつけられるほどに大きく広がるらしい。
「うん。わかった。やるよ、ニャトラン!」
こうしてひなたはなりたい自分に変身できるようになりました。応援してくれるニャトランと一緒に。
「大丈夫?」
「ありがとう!」
今のひなたならちゆたちを助けることもできます。
「スパークル、大丈夫?」
「うん。ありがとう!」
彼女たちの助けを気兼ねなく受け取ることもできます。
釣り合いが取れた、同じ仲間として。
「勝ったの? ――やったー! 私すごーい!!」
ふたりのノリは全然違っていて、ふたりの性格はまるで違っていて、きっと出会う前に相手のことを知れたのなら、ニャトランはきっとひなたをパートナーに選ばなかったでしょう。
けれど、実際は出会いました。そして好きになりました。好きだから、普通なら情けないと感じそうなところまでカッコよく見えてしまいました。今のニャトランが知るかぎり、彼女ほど自分のパートナーにしたいと思える人は他にいません。
「プリキュアかー。のどかっちもちゆちーもすごいね。なんか、戦うお医者さんって感じ」
「お前もだぜ、ひなた。これからも俺と一緒にお手当てしてくれるよな」
「あっ・・・」
誰かに優しくできる人。
ひなたの夢は叶いました。今回はあくまでニャトランが手伝ってくれた借り物の力かもしれないけれど、ステキな夢でした。
「いいよ。だって、みんな困ってるんでしょ!」
この夢は、どうやらもうしばらく続きを見ていてもいいようです。
いつかひなたが本当に自分の力でみんなに優しくできるようになる、その日まで。
コメント
ひなたが粗忽者なのはドジっ子というより、発達障害(ADHD)のように見えますね。作中ではっきりと触れられるかはわかりませんから素人判断でははっきりとは断言できないのですが、描写がリアルだなと感じました。
ただそれを個性として扱っていること、周りの理解があることを描写してあってほっとしました。
あと今回の変身バンクに変身アイテムの収納が無くて手に持ったままなのが珍しいですよね。大体ケースが出現してそれに入れたり、前作やスイートプリキュアみたいに変身アイテムが変化する描写が必ずあったので。
ADHDの診断基準には“対人関係や社会生活に著しい障害がある”という要件もあるので、まずは本人か家族が診断を受ける気になるかどうかですね。
そういうわけで、申し訳ないですが私は精神障害を個性と見る向きには否定的な立場です。当事者が困っているからこそ障害。・・・個性だからって、必要なサポートを受けさせようとしない親御さんも結構いるんですよ。(プリキュア関係ない)
今作、ステッキ=妖精=一緒に戦うパートナーなので、共闘感を出すためにも収納はしないんでしょうね。手を使ったアクションが制約されてなかなか大変そう・・・ではあるんですけど、よく考えてみてくださいよダンナ。それはつまり、子どものプリキュアごっこに付きあうお父さんが殴られずに済むということですよ。
ね。よく考えてみてください。今作のプリキュアは殴りません。キックします。
今日初めて気づきました。
「そういやアニメによく出る、若者向けのいわゆる服屋さんって見たことない……実際自分が服買うのってゆめぽーと的な施設ばかりだ」とw
それはさておき。
ちょうど録画してたマギアレコードというアニメで「親友と出会う確率」を説くシーンがありました。
算数苦手人間の計算を信じるなら、ララがプリキュアになる確率の倍ほどでした。
それだけでも大変ですが、1話時点でヒーリングアニマルたちが置かれた境遇はかなり酷だと思います。
本当はメガビョーゲンなんか出てほしくないのに、出ないことには禄にお話もできないんですから……。
私なんて全身ユニクロですが? ちゃんとした服屋さんは学生時代に友達の買い物に付きあって入ったきり。白いフリルワンピースだけ何着か並べられて「どれがかわいい?」とか聞かれても特にテンション上がらなくて困ったものです。ファッションショーに出るようなアート寄りの衣装を見るのは好きなんですけどねー。
”統計学マジック”なんて揶揄する言葉があるように、一見客観的に見える数字だって結局前提と考えかた次第。世界人口だとか生涯に出会いうる人の数だとかを分母にすれば、親友というのはものすごく希少なものですし、まだ人間関係の狭い中学生にとっての知りあいを分母に考えたら親友と出会う確率なんてそこそこ出会うべくして出会った感のある数字にもなりえます。で、希少と考えるにしろ必然的と考えるにしろ、どっちの確率にしたって大切な出会いは運命的と感じられるわけで。奇跡なんてどこにでも転がっている。
私としてはその数字をどう捉えるにしろ「それはステキなことだね」と祝福するまでです。
ニャトランの心の肉球をキュンとさせたのは平光ひなたという”人間”だったのか、はたまたキュアスパークルとしての”資質”だったのか……。
たぶん、後者……なんでしょうね。ニャトランって、ひなたのプリキュアとしての資質を試すべく彼女にわざと危ない橋を渡らせてみたり、彼女を「その気にさせる」説得(おだて)に長けていたり、「プリキュア適性者を発掘してスカウトする」為ならば手段を選ばないマキャベリストの感があります。スポ根物の熱血コーチみたいな「情熱的な冷酷さ」の持ち主。
この辺ラビリンとは対照的で、ラビリンは花寺のどかという”人間”に惚れ込んだ為に、のどかを危ない目に遭わすまいとパートナー解消を申し出たりするんですね。スポ根的基準で言えば「甘い」。
一方ーーーーーーひなたは、自分の”特性”からくる「負い目」でかなり自己肯定感が低いようで……ニャトランに「プリキュアとしての資質」を褒められて、さぞ嬉しかっただろうと思います。初めて自分に(少しは)自信が持てた、と。
ただ……そうなるとひなたが「プリキュアであること」に自分の存在意義を見いだして依存してしまいそうな危うさも感じるんですよね。それこそ何らかの理由で変身出来なくなった日には「プリキュアになれない私なんてただの役立たずだよぅ」とか言い出しかねない感じが。
はたして、”熱血鬼コーチ”ニャトランと”ピーキーな才能に全てをかける”平光ひなた/キュアスパークルの師弟コンビが、”人間”平光ひなたの存在意義にたどり着く時は来るのか。ーーーーーーま、その前に次回早速”体育会系エリート”沢泉ちゆと一悶着あるようですが……。
ひなたのプリキュアに臨む気持ちは実際依存的だと思いますよ。ダメダメな今の自分から抜け出して、借りものの力で自己実現を試みるようなやりかた。でもそれって変身ヒーローもののド定番だったりします。
依存すること自体はそう悪いことじゃないと私は思います。たとえ借りものの力であっても、何かを為せたという経験は自己肯定感を高めるはずなんですよ。そして自己肯定感が充分に高まったなら、普通なら依存先から自然と卒業していくもの。それこそプリキュアの最終回のように。
『スタートゥインクルプリキュア』最終回で星奈ひかるが語った「久しぶりにララやみんなの夢を見てさ。プリキュアになって。フワもいて。いい夢だった」ってあのセリフ、すごい好きなんです。幸せな体験は前向きにがんばるための強力なエネルギーになると私は思います。
もっとも、いつまで経っても依存から卒業できないケースもやっぱりあって、だから「依存はよくない」って話になるのもわかるんですけどね。その場合はまず「なぜ自己肯定感が高まらないのか?」から探るべきだって大学で教わりました。
ニャトランはどっちかというと、ひなたに惚れ込んだから彼女のなかに資質を見つけようとした、みたいな解釈ですね、私の場合。