お願いラテ! 地球さんからもらったパワー、ラテを守るためより、お手当に使ってほしいラテ!!
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(主観的)あらすじ
キュアアースの正体は生まれたばかりの精霊さんでした。ラテを守りたいというテアティーヌ様の祈りに応え、地球が先代のプリキュアの力と姿をもとにして生みだしたんだそうです。
だから彼女の行動原理はラテを守ること、その1点。故に、彼女はきわめて合理的な発想でラテを守ろうとします。ラテを安全なヒーリングガーデンへ連れ帰ればいい。
のどかたちは焦って追いかけます。
だって、精霊さんはラテの気持ちを全然考えていません。ラビリンたちもラテを守るという大切な使命を預かっています。そんなみんなの気持ちをないがしろにしてほしくありませんでした。
けれど、押し合い問答のさなかにのどかは気付きました。精霊さんは本当にラテたちの気持ちがわからないだけなんだと。のどかは彼女に聴診器を渡し、ラテときちんと話しあうようお願いするのでした。
メガビョーゲン出現。
今日のバテテモーダはキュアアースを倒すべく秘策を用意していました。前回のメガビョーゲンが残したカケラ。こいつをメガビョーゲンに与えると、まるで長い時間地球を蝕んだときのように、一瞬で大きくパワーアップするのです。
苦戦するのどかたちを見ながら、ラテは精霊さんに自分の気持ちを訴えます。まだ帰りたくないと。できることは少なくとも地球をお手当てしたいと。その願いを、どうか手伝ってほしいと。
精霊さんの心が不思議と揺さぶられます。どうしてなのか自分でもわかりませんが、ラテの手を取りたいとどうしようもなく思えました。
精霊さんとラテは、ふたりでキュアアースに変身して地球をお手当てすることに決めました。
気持ちが定まったなら後のことはあっという間でした。
キュアアースは地球から授かった圧倒的な力によって、バテテモーダごとメガビョーゲンを浄化。
そして、精霊さんはラテとともに地球に留まることを決め、のどかたちに頼んでアスミという自分だけの名前をつけてもらうのでした。
彼女は先代プリキュアの姿と力を受け継いでいますが、先代プリキュアその人ではありません。
彼女はテアティーヌ様の願いに応えて生まれましたが、テアティーヌ様の気持ちをそのまま引き継いだわけではありません。
彼女は地球によって生みだされましたが、地球の意志を代弁する存在ではありません。
彼女はラテを守りたいと言いますが、それは生まれついての使命であって、ラテの願いでも自分自身の願いでもありません。
面白いキャラクターですね。ディスコミュニケーションの権化みたいな立ち位置です。
この子は複数人に望まれて生まれましたが、そのいずれの願いにも支配されていません。生まれてしまえばあとは完全なフラット、白紙の心。まるで赤ちゃんのように将来やりたいことを何も持たず、そして個人的にやりたいことがないので誰からも人となりを理解されません。自分自身ですら自分の思いをうまく理解できません。
理解不能な存在――。その意味では、実はビョーゲンズと大差ない存在です。
最近理解不能な相手との対話をフィーチャーした展開が多かったのは、この子を友達として受け入れるためだったんですね。
のどかは彼女の置かれた状況を正しく理解してあげることができました。
ラテは彼女に自分の思いを理解してもらうことができました。
何もわからないまま使命と力だけ持って生まれた――。そんな誰とも重なることのありえないムチャクチャな境遇、のどかもラテも自分の経験に当てはめて考えることすらできないはずなのに。
それでも、彼女と理解しあうことができました。
まあ、彼女自身についての物語は次話以降なんですけどね。
今話は前話の続き、ちっぽけなラテが自分の願いを叶えるための方法についてです。
敵
「ふん。『これ』って、言ってくれるじゃないスか!」
「名前など知る必要はありません。今、この場で浄化しますので」
理解しあえない者同士が衝突したときどうなるかはわかりきっています。
「ウソだよ! 私楽しかったのに! なんでそんな酷いこと言うの!?」
「酷いのはのどかのほうラビ! ラビリンはイヤだったのに!」
「何が!」
「言いたくないラビ!」(第15話)
「――そっか。その子、全然楽しくなさそうなんだ」
「ええ。でも、どうやって女将みたいにおもてなしをしたらいいかわからなくて」(第17話)
「私、ちっちゃい頃から水泳も体操もピアノもダンスも、お兄やお姉のマネしてがんばっても同じにできないの。何してもぜーんぶダメ。そういうのテンション下がるじゃん。だから続かなくなっちゃって」(第13話)
「悪いけど、大樹には行けないよ」
「生きるということは変わっていくことなの。今さら顔を合わせても、私たち、もうきっと話すことなんて何もないわ」(第16話)
「あなたたち、なんでこんなひどいことするの!?」
「ひどい? 何が」
「地球を病気にしてみんなを苦しめることだよ!」
「決まってるだろ。俺はそのほうが居心地いいからさ」
「自分さえよければいいの!?」
「いいけど?」(第6話)
どちらかの思いが踏みにじられる。あるいは、どちらともの思いがズタズタに傷つけられる。
ろくな結果は待っていません。
「それでは、私はヒーリングガーデンへ参ります。大切なラテ様を安全な場所にお連れしなくては」
ラテにとって目下最大の敵は、この少女でした。
ラテは地球をお手当てしたいと望んでいました。かつてのお母さんのように。今ののどかたちのように。
今はまだ弱くて、メガビョーゲンの出現を知覚することくらいしかできないけれど、いつか“自分の力で”地球をお手当てしたいと願いつづけていました。
だけど、この人はそんなラテの思いを踏みにじろうとしています。
現実として今のラテが地球にいたってメガビョーゲンを倒せるくらい強くなれるわけじゃないのだけれど。前話でその現実をこれ以上なく突きつけられたばかりなのだけれど。それでも、この人はそれに挑戦しようとするチャンスすら奪おうとしてきます。一切の悪意なく。
そしてラテはこの人に反発することすらできません。
ラテはまだ、言葉を話すことすらできないんですから。
「ラテは・・・。ラテは――」
たとえ言葉を交わせたとして、本当に自分の剥き出しの思いをぶつけていいものか少し迷います。
彼女は理解不能な相手。自分のことをわかってくれそうにない人。
ワガママを言ってみたところで許してもらえるかわかりませんし、それだけじゃなく変に困らせてしまうかもしれません。お互いに不幸になるだけかもしれません。
これまでなら、そこまで現実がわかった時点で諦めていたかもしれません。
自分の弱さを噛みしめ夜中ひとりでメソメソ泣くだけ。それで我慢していたかもしれません。
けれど。それじゃ何も解決しないんだって、それじゃ自分自身が納得できないんだって、ラテはすでに理解しています。
「ラテもみんなみたいに――、地球さんをお手当てするラテ!」(第19話)
たとえ自分がどんなに弱く、行動した結果がどんなに無様なものになるか分かりきっていたとしても。
それでも、ラテはその現実を覆して自分を変えてみせた人たちの勇姿を見ています。
目の前に敵がいるなら戦わなければなりません。
理解不能なままぶつかりあうのではなく、――変身することで。
「ねえ、ラテ。ラテはどうしたい? ママのところに行きたいならちゃんとそう教えてね」
変身
現実には子どもが子どものまま夢を叶えられる機会なんてほとんどありません。
「大きくなったら何になりたい?」
普通の子どもが夢を叶えられるようになるのは、大人になってから。
大人になるまでじっくり力を蓄えて、心が萎えてしまいかねない途方もない時間を耐えながら、いくらがんばっても夢に届かない自分の無力さを噛みしめながら、それでも夢に向かって努力しながら、そうしてやっと、夢を叶える機会を得るものです。
都合よく超人的な力を手に入れて今すぐ夢を叶えられるようになるなんて、そんなの仮面ライダーやなろう小説、あるいはプリキュアの世界くらい。
だったらやってやろうじゃないですか、夢の先取り。
だってこの物語はプリキュアなんですから。
子どもが現実にどうしても夢を叶えられない理由は“今はまだ大人のように強くない”ただその1点。それさえ解決できたなら、子どもにだっていくらでも夢は叶えられる。子どもがいかにして夢を叶えたらいいのか、その理想像をテレビの前のみんなに示してあげられる。
憧れのヒーローとして、夢を抱く全ての子どもたちの代表として、みんなのお手本になれる。
「お願いラテ! 地球さんからもらったパワー、ラテを守るためより、お手当に使ってほしいラテ!!」
今、ラテの目の前にはそういう現実にはありえない、けれど将来的にならいつか誰にでも手に入れられる、とてつもなく強いパワーがありました。
もしも夢見る子どもが今すぐ大人と同じ強さを手に入れられたとしたら。
そのとき、子どもが夢を叶えるために必要なことは――。
「お願い、ラビリン。私は運動得意じゃないけど、お手当てだけは、プリキュアだけは、何があってもがんばるから! 苦しむ地球をラビリンと一緒に助けたい! これが今、私の一番やりたいことなの!」(第2話)
「怪物は私も恐いわ。でも、それ以上に大切なものを守りたいの。どうしても守りたいの! あなたは?」(第3話)
「え、私もなれるの? ・・・地球を、守る。――うん。わかった。やるよ、ニャトラン!」(第4話)
ワガママになることです。
周りに迷惑をかけてしまうかもしれないことを恐れて、やる前から諦めてしまうのではなく。できる力があるならみんなの助けにもなれるんだと自分を信じて、勇気を出すことです。前へ一歩踏み出すことです。
ぶっちゃけ大人になっても夢なんて叶えられない人のほうが大半なわけですが、そのなかで夢を叶えてみせた数少ない大人というのはだいたいこの手の我が強い人たちばかり。自分を信じられる、信念のまっすぐな人たちばかり。
だったら子どもが大人顔負けの力を持ったなら、それで夢を叶える方法なんてわかりきっています。
「ラテのお願い、聞いてほしいラテ。のどかたちのところに。のどかたちのところに行きたいラテ」
「ラテはここにいたいラテ。ヒーリングガーデンには帰りたくないラテ」
「そのお顔でそんなこと言わないでラテ。精霊さん、ママのお手当てのパートナーそっくりラテ。なのにそんなこと言われたら悲しいラテ」
「地球さんが泣いてるの、ラテだけがわかるラテ。それしかできないけど、がんばりたいラテ」
こと、『ヒーリングっどプリキュア』におけるプリキュアのパワーは、心の肉球にキュンときたパートナーとの関係性のなかに生じるものです。
いくらひとりで努力しようと夢を叶えるための力なんて宿りません。巡り会えた人に遠慮せず、躊躇せず、自分だけのワガママな思いをまっすぐ伝えてはじめて、彼女たちはプリキュアに変身できるんです。
「ラテはここにいるけど、ラテもみんなと一緒にお手当てしてるラテ!」
ちっぽけなラテにできることなんて今はたかが知れています。
それでも誇るべきです。自分の強さを。未来を先取りすればさらにできることが広がっていくはずの、自分の可能性を。
信じるべきです。子どもでもこのくらいのことができる。だから大人の力を手にしたら何でもできるようになる。そのための努力を費やせる情熱が自分にはあることを。
今の私は多少カッコ悪くとも、強くなった私は絶対すごくカッコいい!
出会ったばかりであなたのことをまだ何ひとつ知らない赤の他人は、そのほとばしる熱量をもって、過小に脆弱なあなたが本当は強い人であることを信じてくれることでしょう。
ラビリンがそうであったように。
ペギタンがそうであったように。
ニャトランがそうであったように。
「あ・・・。これは何でしょう。心が、私のなかの地球のパワーが、高まり、渦巻き――。いいえ。苦しいのではありません。よくわかりませんが――。それでもあなたの手を取りたいと、どうしようもなく思ったのです」
心の肉球に、キュンとくる。
きっとあなたの持てる可能性を、誰より早く信じたくなる。
「ラテ様。あなたをお守りするためのこの力、あなたの願いのために使わせていただけますか?」
この手を離さない
ラテのパートナー・精霊さん(アスミ)にはまだ自分というものがありません。
生まれたばかりで、何かしたいという気持ちもなくて、まず自分自身がどういう人物なのかということすら全然理解できていません。だからこそ、生まれついての使命などという胡乱なものに疑問も感じず従おうとします。
自分の心がまだ空っぽなので、周りの人に個人的な思いというものがあることを想像することすらできず、彼女たちが合理的な行動を妨害しようとする意味を理解できません。自分と他人とがそもそも別の行動原理で動いていることにすらまだ理解が及んでいないでしょう。
今はまだ、誰も彼女のことを理解できず、また、彼女のほうも誰のことも理解できません。
それでも、ラテの思いは届きました。
理屈ではない、共感でもない、ただのひたすらな熱量の暴力によって彼女の心はこじ開けられ、そしてときめきました。
理解できない相手がいる。
そんな現実があるとして、そんな相手とはお互い傷つけあうことしかできない、なんてことはありません。
だって、私たちは何の知識も誰との繋がりも持たない白紙の存在として生まれ、そして間もなく両親との繋がりを築き、やがてその関係性のなかで他の誰かとも絆を持てるようになる“私”として育っていったんですから。
誰だってそういうものです。
後期EDテーマ『エビバディ ヒーリングッデイ!』は、前期に引きつづき友達とのつながりのなかで成長していけることを歌う曲となりました。
今はまだ空っぽで誰からも理解されがたいアスミですが、今回ラテと特別な絆を結び、のどかたちから名前というかけがえのないものを贈ってもらうことができました。きっとそう遠くない未来に、彼女も多くの人に理解可能な存在として変わっていけることでしょう。
コメント
「そのお顔でそんなこと言わないでラテ。」
このラテのセリフ、非常にマズいのは、RUR-9500″ルールー・アムール”を開発した頃のドクター・トラウムの発想と似通ったものになってしまっている点なんですよね。精霊少女を「先代プリキュア・フウの代替物」とみてしまっていて、精霊少女自身の自立した人格を少々ないがしろにしてしまっている。
前回における「勇気」と「無謀」・「責任感」と「独りよがり」を取り違えてしまっていると言わざるを得ない突撃に続いて、判断の甘さ・視野の狭さなど、ラテの側にも「一人前のヒーリングアニマル」「ヒーリングガーデンの次期女王」となる上で学んでいかなければならない事は非常に多い、と示されたのが今回のエピソードで……。もしかすると、次回以降の「キュアアース/アスミ強化月間」は、彼女のパートナー・ラテの成長物語ともなっていくのかなと感じたのですが、はたして。
ところで、「最後の時です。きよめられなさい」「名前など知る必要はありません。今この場で浄化しますので」と、仮面ライダーかスーパー戦隊みたいな殺意高めの決め台詞ーーーーーーその起源とも言える勧善懲悪痛快娯楽時代劇のヒーローみたいな決め台詞(「てめえらに明日のお天道さんは拝ませねえ」「てめえら人間じゃねえ。たたっ斬ってやる」とか「三つ醜い浮世の鬼を退治てくれよう桃太郎」とか「俺の名前は引導代わりだ。迷わず地獄へ落ちるがよい」とか)をブチかまされるキュアアースさん……なんですけど、彼女のこういうスタンスを今後の展開で否定的に扱うべく、前回今回とお出しされた筈で……。従来になく「バトルをストーリーの中核に据える」方針を鮮明に打ち出している本作ですが、一方で、それら王道バトルヒーロー作品とは画すべき一線(差別化要素)として「勧善懲悪への否定的(ないしは懐疑的)姿勢」をアピールしてきた点は、「プリキュアシリーズの歴史における”転換点”「ヒーリングっどプリキュア」の役割」として注目すべきことだと思いますが、さて。
ラテのそのセリフは私も同じく引っかかったんですが、ひとまずはどこにでもある普通のヒーロー信仰と解釈しました。ラテは先代の人となりを詳しく知っているわけじゃなく、単にお母さんと一緒に戦った人として憧れているからです。その点で『HUGっと!プリキュア』のドクター・トラウムとルールー・アムールの関係とは違います。
あのシーンのラテが求めていたのはあくまで単純な力とプリキュアらしさであって、先代のパーソナリティではありません。特定個人の代わりになってほしいと言っているわけじゃなく、不特定で漠然としたな理想像を求めたんだと思います。
ぶっちゃけ私はむしろ一番嫌いなやつなんですけどね。個人へのヒーロー性の押しつけ。ヒーローなんて生きかたはフィクションだからこそ成立するものであって、生身の人間がヒーローらしくふるまおうとしたらどこかで絶対失望が生じてしまうものですし。
ただ、ラテの場合は彼女への願いを通して自分が(バディとして)強くなることを求めていたのがポジティブです。誰かに身勝手なヒーロー像を押しつけるのではなく、ヒーローに憧れた自分自身が理想を追いかけ強くあろうとするのなら、それは誰かを苦しめるものではない、健全な心の働きだと私は思います。
ちょうどキュアアースも今どきのヒーローらしからぬ冷酷な(というか敵に無関心な)一面を見せました。ラテとアスミはこれからまだまだたくさんのことを考え、たくさん成長していく必要があるということです。
そういう子たちのためになら、ヒーローというものが存在してもいいというのが私の考えです。
去年の13星座のプリンセスがもっとプリキュアに絡んできたら、だいたいあんな感じなのかなと。
向こうはもう神様的存在なので、殆ど放任してくれて丁度よかったかもしれません(今更)
キュアアースは先代プリキュアの力を直接借りてるようなので、ラテが介入する必要などないと考えてました。
しかし今回アースウェンディハープを初めて出したあたり、多分ですがあくまでもお手当する力の源はヒーリングアニマルであって、人間はそれを増幅させる役割なんですかね。
何にせよ、ラテの夢の一端が叶ってよかったです。
物語に出るキャラクターを魅力的に描くには、信念や価値観の構築が大切だと聞きます。
その意味でアスミってかなり扱いが難しいと思われますが(なんたって無個性に等しいのに販促対象キャラですから!)、そこはスタッフの腕の見せ所とお見受けしました。
……いや、あの無垢さは最早立派な個性ですかね。
完全にFAIRY TAILの風魔導士の名前と間違えました、ウィンディでした……orz
ラテのお手当てのためにキュアアースの力の中枢・風のエレメントさんの力を自分から切り離しましたからね。一度ヒーリングボトルに変えた力を再使用するためには毎回ヒーリングアニマルと協力してフルチャージ、力を励起させる必要があるのかもしれません。(※ プリキュアの物語じゃどっちにしろ絶対説明が入らない部分)
なんにせよラテが自分の強さを実感できる要素があってよかったです。
私は物語(ドラマ)というものは登場キャラクターたちを軸に組まれるものだと思っています。キャラクターの信念と行動が物語を動かし、ままならない葛藤が起伏をつくり、そのなかでテーマが描かれていく。キャラクターそのものが物語の根幹なんですから、キャラクターが存在する理由そのものにも当然に必然性があるべき。
まあ、実際にはそういう物語作品ばかりじゃないんですが、プリキュアシリーズは比較的こういうストーリーづくりをする傾向の強い作品だと感じています。
ならばアスミがああいう人格なのにも必然性があるはずで、あのユニークなくらいの無人格ぶりは絶対他にない物語を紡いでいくだろうと期待しています。
ちなみにWendyというのは『ピーター・パン』のヒロインの名前として流行したもので、それ以前は英語圏においてマイナーな人名だったそうです。語源としてはドイツ北東部に住む民族名に由来し、古い言葉では「進む」とか「行く」とかって意味があったようですね。