映画 プリキュアドリームスターズ 感想 努力と祝福を継いで、また新しい思いの強さを描こう!

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私と、お友達になって!

このブログはあなたが視聴済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。
例外的にネタバレ抜き(当ブログ基準)の記事もあるのでよろしければどうぞ。

 前説を見ていて、しみじみモフルンって便利なキャラクターだなあと思いました。保護者役も無邪気な子どもも両方できるんだからズルい。
 ザックリしたディテール部分の話題は別記事に分けたので、こちらの記事ではサクッとテーマ部分だけ語ります。

プリンセスの条件 / ほほえみになる魔法

 初期以外のプリキュアは毎年何かしら独立したテーマを掲げています。
 Go!プリンセスプリキュアのテーマは「夢」。もう少し深く突っ込むと「夢を追いかける努力と苦難はあなたを成長させ続ける」といった感じになるでしょうか。
 魔法つかいプリキュア!が掲げたテーマは「手を繋ぐ」。こちらももう少し深く語ると「みんながお互いを祝福しあう関係性はあなたを苦しめる孤独にも打ち勝つ」といったところ。
 今作の主人公・サクラを見つめるプリキュアたちの視線は、それぞれが経験してきた物語の色に彩られています。(まあ設定的には本編とパラレルなんですが。ノーブル学園と魔法商店街が物理的に地続きな世界ですし)

 友達兼お母さんのシズクと離ればなれになったサクラが、その寂しさに耐えかね涙をこぼすシーン。
 このときはるかを初めとしたGo!プリンセスプリキュアチームは厳しい視線でサクラをじっと見守るだけでした。誰も手出ししようとしません。彼女たちが描いてきた物語は自分ひとりで夢を追いかけ続ける努力を求めるものでした。夢を追いかけ力をつけ、たとえ絶望が立ち塞がってもそれを打ち破ってさらに強くなろうとする物語でした。彼女たちからすると、サクラの絶望はサクラ自身の力で乗り越えなければいけない試練です。
 一方、みらいはとっさに駆け寄ろうとします。その役目はサクラのそばに寄りそういちかのものだったのでリコに制止されましたけどね。彼女たちが描いてきた物語は他人と繋がりあうことを是としてきました。祝福しあうことによって、人の心を蝕む孤独に打ち勝つ物語でした。彼女たちからすると、サクラの孤独は誰かとの繋がりによって取り除かれなければいけない不幸です。
 それぞれ歩んできた物語が違うので、考え方自体が大きく違います。

 キュアフローラがサクラに言葉を贈ります。「希望は絶対見失っちゃいけない」 それは誰しもが胸に抱いているはずの初期衝動で、つまりあなたがそれを大切にする限り、絶望には必ず打ち勝てるのだから。
 キュアミラクルがサクラに言葉を贈ります。「いつだって仲間を信じて」 それは本当は誰しもに与えられているはずの幸福で、つまりあなたがそれに気付きさえすれば、孤独には必ず打ち勝てるのだから。

 さて、キラキラプリキュアアラモードは?

ダイスキにベリーをそえて

 強敵・五月雨の正体はシズクでした。薄々は勘づいていたものの、いざ目の前に示されるとどうしようもなく悲しい真実というものは存在します。なにせ昨日まで自分を守ってくれていた人が、今日は自分の友達を傷つけていたんですから。忘れられちゃったんですから。サクラはくずおれます。

 キュアホイップがその手を引きます。悲しみでいっぱいのサクラに代わってシズクをどうにかしようとはしてくれません。何を言っても頑なにサクラにやらせようとします。
 だって、これはサクラの問題なんですから。シズクが敵になって悲しいのはサクラ。今泣いているのはサクラ。キュアホイップではありません。今回のプリキュアは完全な部外者で、単なる善意の助っ人です。赤の他人が記憶をなくした友達をどうこうできるはずがないじゃないですか。プリキュアの力を借りたって、この問題は窮極的にはサクラが自分の手で乗り越えなければいけないんです。

 近年のプリキュアは個人主義です。自助努力で絶望と戦うGo!プリンセスプリキュアはもちろん、周囲からの祝福を前提に孤独を打破する魔法つかいプリキュア!すら自分と他人は完全に切り離して考えます。もちろん独りよがりは否定しますし、周りの人々の支えもありがたい力となっていますけどね。ベースはあくまで自分の力です。
 では最新作・キラキラプリキュアアラモードはどうなのかというと、これもまたしっかり個人主義の系譜を受け継いでいます。みんなでスイーツをつくるのは自分が楽しいから。プリキュアに変身してスイーツを守るのは奪われたくない大切な思いが込められているから。庇護するべき第三者の不在。いちかが変身した動機からして、大好きなお母さんに贈ることのできないケーキでもちゃんと完成させたいという自己本位でした。
 サクラという庇護対象がいたって彼女たちのスタンスは変わりません。困ったことがあるんだね。悲しいことがあるんだね。じゃあ「一緒に」頑張ろう。苦しいときは私たちが「支えて」あげる。あなたの問題はあなたにしか解決できないというスタンス。
 映画 ハピネスチャージプリキュア!でプリキュア最後の救いたがり・キュアラブリーがぶつかった限界ですね。あれは限界にして近年のプリキュアを形づくるひとつの答えでした。いかなヒーローとて個人の問題を前にしては傍に寄りそってあげることくらいしかできないけれど、今泣いている子にとってはそれこそがありがたく、それが自分の足で立ち上がる力になります。戦うだけがヒーローではありません。

 キュアホイップがサクラに言葉を贈ります。「私たちがいるよ」 プリキュアにできることは唯一それだけ。抱きしめてあげることはできても、手を引いてあげることはできても、サクラの苦難を代わってあげることだけはできません。けれど、彼女たちは頑張るあなたをずっと見守ってくれています。

桜MISSION

 せつなさみだれうち。章題に使おうと思っていたネタですが、ここまで来たら歌のタイトルで揃えた方がキレイだったので使いどころを失いました・・・。(どうでもいい)

 長々と語っておいて、結局未だキラキラプリキュアアラモードの独自性には届いていません。上で書いたのはあくまで近年のプリキュアに共通する要素です。
 この映画における「キラキラプリキュアアラモードらしさ」は、おそらくクライマックスシーン。キュアホイップではなくサクラの口から語られます。

 「私のお友達になって」
 記憶を失い、五月雨という名の敵となったシズクに対して、サクラはそういう言葉で語りかけます。
 「思い出して」ではなく。だってこれは窮極的にはサクラの問題です。記憶を失ったなら、今のシズクはサクラのことを思い出したいと考えてはいないでしょう。シズクと友達になりたいのはサクラだけ。一方向の思い。悲しいけれど、それがサクラの目の前にある現実です。彼女にできる最大限の現実的な問題解決です。もう一度最初からやり直そう。自分ひとりの願いでできることはそれだけなのだから。

 プリキュアの力を借りて、勇気を振り絞って、それでもサクラがひとりで選択できるのはそういう悲壮な答え。「キララキラリラ凜々しい覚悟の傷跡」 カッコイイけれど、ちょっぴりビターです。
 ここからハッピーエンドに持ち込むにはもうひとりの願いが不可欠です。もうひとり、そう、シズクの願いが。
 思い出して。彼女は五月雨となった後もあなたにだけは攻撃できなかったではありませんか。あなたを目の前にしたとき葛藤に苦しんでいたではありませんか。記憶を失ったなんて、そんなの見せかけです。彼女はあなたを覚えています。あなたのことが今も大好きです。
 サクラの振り絞った勇気にシズクが応えます。記憶を取り戻します。一から友達をやり直すまでもなく、あなたとシズクは初めからお互い好き合っていて、初めから友達です。「アリトアラユル涙は喜ぶ笑顔のためにある」 サクラとシズクはふたり協力してハッピーエンドへと到達します。

 キラキラプリキュアアラモードは自分の楽しみのためにみんなでスイーツづくりに挑戦する物語です。5人が5人ともそれぞれスイーツに対する思い入れが異なっていて、それぞれがそれぞれの楽しみのために協力しあっています。気持ちバラバラ、けれどひとつのチーム。
 この関係性はきっと、Go!プリンセスプリキュアにも魔法つかいプリキュア!にもなかった、新しい思いの力のかたちを描けるのではないでしょうか。サクラとシズクを見ていて私はそう思います。
 みんなバラバラだからこそ、思いを重ね合わせたときには思いもよらなかった何かを生みだせるかもしれない。小麦と卵と砂糖を混ぜ合わせたらふわふわのケーキができあがるように。
 個人主義に立脚しながら周りの友達にも目を向ける、プリキュアシリーズの新たなステージに立つ可能性です。

 Go!プリンセスプリキュアは夢を追う個人の努力で自分を高めていく思いの強さを描きました。
 魔法つかいプリキュア!は祝福されていることを前提に幸福を信じる思いの強さを描きました。
 キラキラプリキュアアラモードは先人たちが描いたそれらふたつの思いの力を継承し、また新しい思いの物語を紡いでいきます。

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