あなたはどのいちかが好き? 脚本家ごとのいちかの違いについて。

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 元はかわいいかわいいいちか弁(「~ですぞ」とか言ってるアレ)についてまとめようと思っていたんですが、よくよく見返すとあの特徴的な言い回しが出てくるのって坪田脚本回だけなんですよね。

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※ この記事は第13話放送時点で書いたものです。また、この記事は各脚本家の作家性について語るものではなく、従って他作については考察に含めていません。

 実は今作キラキラプリキュアアラモードは脚本家ごとに作風が大きく異なっています。プリキュアシリーズ自体元々そういう傾向が強いシリーズではあるのですが、今作は例年以上に作家それぞれの個性を爆発させています。こういう処理をするとストーリーやキャラクターが安定しなくてとっちらかった印象になりがち、普通に考えるなら悪手に思えます。
 例えばGo!プリンセスプリキュアなどはキャラクターごとに当番回の脚本担当者を分けるなど、全体としての整合性が高まるような施策をとってきました。ところがそのGo!プリンセスプリキュアとプロデューサー及びシリーズ構成が共通するはずのキラキラプリキュアアラモードにおいては打って変わって、脚本家ごとの作風のすりあわせをほとんどしていない印象を受けます。そうでなければ特定の脚本家しか書かない特徴的な言い回しなんて出てくるはずがありません。

 どうしてそんなことになっているのか。シリーズで最も整合性に気を使っていたGo!プリンセスプリキュアと主要スタッフが共通している以上、私はこれを“あえて”していることだと考えます。そして“あえて”しているからには、そこには制作者の意図が、制作者がこの施策を通じて描こうとしている何かがあるのだと予想します。
 もっとも、主要スタッフの誰かが明言したことでない以上これは個人的な予想でしかありませんし、そもそも私のスタンスとして「制作者の意図なんてどうでもいい。私が作品を通じて受け取ったものが全てだ」というものがあるので、私自身大して重要視しているわけでもないんですけどね。
 こういう見方をしてみるのもたまには楽しいな、くらいの気持ちで考えてください。

 なにせ元はいちか弁を収集しようとしてたまたま書けるようになった副産物ですし。

田中いちか / 強さも弱さも備えた等身大の女の子。

「でもお母さん帰ってこないし。食べてもらえないなら、もうどうでもいいよ・・・」
「そりゃ生まれたときからこの街で暮らしてましたから・・・。もう! 最悪だよー!」
「お父さんまさか一緒に来る気? ダメよ!」

 シリーズ構成でもある田中仁さんが描くいちかは、いかにもそこらへんにいそうな中学生の女の子。特徴的な言い回しやエキセントリックな言動が少ない、ある意味とても地味な子です。変顔を多用したり声優が独特の節回しで演じたりしているのでそこまで地味な印象でもないですが。
 せっかくつくったケーキをお母さんに渡せないと知ると普通にやる気を失うし、知り合ったばかりのクラスメイトがオタクトークを始めたら普通に引くし、カッコイイお兄さんに一目惚れしたら普通に告白しようとするし、イベントにお父さんがついてこようとしたら普通にウザがります。中学生くらいの女の子として当たり前の言動ばかりです。
 ともすると子ども向けアニメの主人公らしからぬ妙なダメさ妙なイヤさもたびたび出てきますが、不思議と不快な印象にはなりません。それはきっと、見ている私たちの「中学生くらいの女の子ってこんなもの」という共通認識に寄りそっているからでしょうね。女の子からしても共感しやすいキャラクターとして受け入れやすいんじゃないでしょうか。

 少しだけ「そこらへんにいそうな女の子」らしさから逸脱しているところがあるとすれば、それは自分の気持ちの向かう先にとことん素直なところでしょう。
 彼女は年頃の女の子らしくしばしば落ち込んだり怒ったり照れたりしますが、いざというときは決して自分に言い訳をつけず、どんな困難が立ち塞がっても正面から立ち向かいます。普通の女の子はあの場面で自己満足のためだけにケーキを完成させません。普通の女の子はあの場面で必死にお兄さんを引き留めたりしません。
 基本的にはそこらへんにいそうな普通の女の子ですが、こういうところはヒーローの素質ですね。

 どうしてこういうキャラ付けになっているのかといえば、それはおそらくシリーズ構成が担当する脚本だから。
 田中さんの担当はストーリー上重要だったり繊細な舵取りが必要だったりする回ばかりです。そしてプリキュアシリーズは自分たちの日常を守るヒーローの物語なので、何か困難が立ち塞がるときはいつだって日常の中にその打開策があります。
 だからそういう物語の主人公はどこにでもある日常に自然に溶け込まなければいけませんし、同時に多くの人が日々の中に埋没させてしまいがちなかすかな希望でもちゃんと発見できなければいけません。二面性が出るのは必然です。

 等身大の女の子であり、ヒーローでもある。田中さんちのいちかさんはそういう女の子の共感と憧れを集められる、ステキな主人公です。

伊藤いちか / 天真爛漫な楽しい女の子。

「さっきはごめんなさい。歌詞を考えてたなんてつゆ知らず」
「確かにキラパティはゆかりさんほどビュリホーじゃありません。でも!」
「きっと・・・ううん。絶対帰ってくるよ、ゆかりさんとあきらさん。私、ふたりを信じる」

 坪田さんのいちか訛りとはまた違いますが、伊藤睦美脚本のいちかの言い回しもなかなかエキセントリック。今や脚本家の壁を越えていちかの口癖として定着した「なんですとー!?」も、初出は伊藤さんの担当回でした。

 こちらのいちかはマイペースで、他人がどうとか考えすぎずにいつも楽しいことをしている子です。
 あおいが新曲の歌詞について悩んでいる間、彼女はひたすら脳天気に雲の話をしたりアイスクリームをつくったりしていました。それらは結果としてあおいの助けになりましたが、別にあおいの悩みを解決しようとしてそういうことをしていたわけではありません。ただただ自分が楽しいと思うことをして、そこにあおいを巻きこんだだけです。
 ゆかりとあきらのおっかない親衛隊に囲まれたとき、彼女はゆかりとあきらがこれからもキラパティに来てくれる根拠を自分の視点から探し続けました。ひまりとあおいが親衛隊のペースに飲まれて反論できなくなっても、実際自分たちも不安に思っていたことであっても、彼女は諦めずにゆかりとあきらが自分たちの元に残ってくれることを信じ続けました。

 魔法つかいプリキュア!を思い出すスタンスです。あの物語は何でも全部みらいたち自身の手で解決することを良しとはしませんでした。彼女たちの周りには無償で手を貸してくれるたくさんの祝福が存在していて、だから彼女たちにはその助けを信頼したうえで行動することを求めていました。世界の優しさを描いていました。
 これまで伊藤さんが書いた脚本は2本ともそういう「祝福」の存在を前提に描かれています。第3話はいちかの親愛が無自覚にあおいを救うお話。第10話はいちかたちでは解決できない不安をゆかりとあきらが打ち払ってくれるお話。どちらも問題と解決が因果で繋がっていません。助けを求めてすらいません。それでどうしてあおいやいちかの悩みが解決したかといえば、それはただ元々世界が優しかったから。世界中の誰もが生まれたときから祝福されているからです。

 伊藤脚本のいちかは目の前の問題に関係なくスイーツをつくります。それがいちかにとって一番楽しいことだからです。すると不思議と問題が良い方向に転がります。周りのみんながいちかの楽しそうにしているところを好ましく思うからです。伊藤さんが描いている脚本は今のところそういう物語です。

 伊藤さんちのいちかはどことなくみらいやリコ、はーちゃんに似ています。何の義務にも縛られず、毎日を一生懸命楽しくしようとしている女の子。彼女の天真爛漫さは私たちの世界が優しいことを示しています。

犬飼いちか / 周りによく気がつくお姉さん。

「・・・ごめんなさい。うまくいかないときなんてないですよね」
「わあ! ベーキングパウダー! また忘れるところだったよ」
「っしゃ。ひまりんの笑顔完全復活!」

 いちかといえば落ち込んでいる人にめざとく気がついてそっと手助けしてあげるシーンが印象的ですが、あれのほとんどは犬飼和彦さんの脚本回に集中しています。ついでにいうと「ドンマイ」とか「グッジョブ」みたいなラフな言葉を多く使うのも犬飼脚本の特徴ですね。

 この子はとってもパワフルです。
 プリキュア伝統の「絶対に諦めない」のモットーを色濃く継承し、シュークリームづくりにおいては七転び八起き、諦めることなく何度も何度も体当たりで挑戦しました。(そして全部失敗しました) ペコリンを励ましたときもそう。商店街PR動画のときは挑戦役をひまりに譲りましたが、持ち前のパワフルさを生かしてイチゴンとして存在感を発揮していましたね。

 けれど彼女の一番の魅力は、むしろ人の心の機微にいち早く気付ける聡さの方でしょう。
 誰かが落ち込んでいるとき、真っ先に気づくのはいつも彼女です。そして面白いことに、彼女はそうして落ち込んでいる人を見つけても直ちに励ましには行きません。自分がしてあげられること、してあげられるタイミングを見計らって、一番辛いときにそっと手を差しのべてくれるんです。普段のイノシシっぷりがウソみたいに、こういうときの彼女はいつも聡明です。
 それでいて根っこはパワフルなものだからたまらないですね。悲しんでいる人に引きずられて自分まで悲しくなる、みたいなことがありません。ホームシックにかかったペコリンに寄りそって努めて明るくふるまい、ペコリンが笑うまでじっくり付きあってあげていた彼女はいつもより大人びて見えました。

 犬飼脚本は毎回挫折からの再起を描いていて、比較的負荷がキツめというか、ウェットな作風です。毎回誰かしらがとことんヘコみます。いちか自身だったり、ペコリンやひまりだったり。見ている私たちの気持ちもちょっぴり重くなります。そんなとき、彼女の聡さは何よりも救いになりますし、彼女のパワフルさは重い気分をカラッとはね飛ばしてくれるんですよね。
 犬飼さんちのいちかは作風にぴったり合った、お日様みたいに爽やかなお姉さんです。

坪田いちか / エキセントリックにがんばり屋な女の子。

「ううー。絶対に諦めませんぞー」
「てゆーか、チャレンジ精神!」
「来ないなら こっちが行くぞ キラパティオープン!」
「眠い・・・宇佐美いちかは眠いですぞ―」
「うむ。新スイーツのひらめきの山はなかなか高く険しく苦戦を・・・」
「褒められると参るー照れる―踊るー」

 個性豊かないちかたちのなかでもひときわ異彩を放ち、しかも回を経るごとにどんどん尖りつづけているのが坪田文さんの描くいちかです。超かわいい。
 彼女にへにゃへにゃおどける機会が与えられるたび、キラキラプリキュアアラモードの迷言録はズンドコ分厚くなっていくことでしょう。つられてたまにひまりまで変なことを口走ります。超かわいい。迷言禄、誰か編纂してください。

 奇矯な言葉づかいにばかり目が向いてしまいがちですが、実のところ彼女の個性はそれだけではありません。こう見えて彼女は人一倍のがんばり屋さんです。
 猫をなでることから新レシピのアイデア出しまで、彼女はいつでもどんなことでも一生懸命です。そのむやみやたらな全力投球ぶりは大いにゆかりの興味を惹き、個性バラバラなキラパティメンバーの精神的支柱となり、現在はリオくんまでも惹きつけています。がんばっている子って、やっぱり見ていて気持ちがいいですよね。

 最近は彼女に向けられる期待が飛躍的に増大しており、そのうち忙しさにかまけて初心を見失ってしまうのでは・・・なんて、密かに危惧しているのですが、まあそういうお話をやるにしても担当は田中さんになるでしょうか。

 自分の好きなことをやっているだけで周りのみんなが集まってくる、という点では伊藤脚本の「祝福」に似ていますが、この子の場合はみんなの優しさではなく自分の魅力で周りを動かしているのがユニークなところ。一種のカリスマ性ですね。
 それから何気に犬飼脚本のような聡さも持ち合わせています。あちらと違ってお姉さん的な気づかいとまではいきませんけど。

 坪田脚本は基本的にいちかの成長を扱いません。いちかは自由気ままに周囲を引っかき回す役で、それに刺激を受けて周囲の誰かが勝手に変わっていくという物語構成です。新技を獲得した第12話ですら心情描写が密だったのはいちかではなくリオくんでした。どちらかというとヒーローものではなく群像劇に近いスタイルですね。
 成長を扱わない以上、物語の要請として彼女に求められるのは他人の心を揺さぶるひたむきな努力の姿であり、あるいは猛烈にエキセントリックな個性の塊です。坪田さんちのいちかはそういう、見ていて楽しい面白い子です。

黒須いちか / ド王道のお助けヒーロー。

「モー、なんでこうなるのー」
「がんばってください。応援してます!」
「まだまだあるかも! 私たちのキラパティならできること」

 黒須美由記さんはまだ1話しか担当しておらず、正直なところまだまだその個性は未知数です。

 その担当した第9話だけを見るなら、この物語は昔ながらのお助けヒーローものです。プリキュアシリーズでいうと映画のNew Stage3部作に近い作風ですね。 ヒーローとして完成されている(精神的に安定している)主人公がゲストキャラの悩みを解決していくタイプのお話。
 この物語のいちかは多少ドジだったりウカツだったりはするものの、ヒーローの本分たる人助けにおいては全くの無私無欲、無条件で行動します。そういう装置、そういうシステムです。テレビシリーズでプリキュアのこういう姿を見るのは本当に久しぶりな気がしますね。もしかしたらフレッシュプリキュア!以来でしょうか。

全部いちか / カラフルにみんなおそろい。

 ・・・というわけで、予定外に長々と書いてしまいましたが、等身大だったり天真爛漫だったりお姉さんだったりがんばり屋だったり、いちかのキャラクターは毎話全然違う造形になっています。その割にはネットの評判等を見ても、不思議と全部合わせて「宇佐美いちか」というひとつの人格として語られているように思いますね。

 現実の人間は時と場合に合わせて様々に自分の役割を演じ分けるものです。どんなお調子者でも誰かが泣いているときはしんみりしますし、どんな冷血漢でも家族の前ではそれなりに優しくなるものです。あなたもそうでしょう? 私だってそうです。
 いちかのキャラクターは脚本家ごとに変わります。けれどそれは、脚本家ごとに違う傾向の物語を描くからです。それぞれがいちかの違う側面を切り取ろうとしているからです。そうして多面的に描かれたいちかは複雑で、肉厚で、立体的な、いちかにしかない特別な個性を獲得したのではないでしょうか。
 いちかはどんなときでもいちかです。いくつもの顔を持っていますが、その全部を合わせて「宇佐美いちか」です。

 キラキラプリキュアアラモードは個性バラバラな5人(あるいはもっと大勢の人)がスイーツを通じて繋がっていく物語です。けれどちょっと待って、実はひとりの個人のなかですら、時と場合によっていろんな顔があるよね。だったらどんな私も「私」であるように、どんな私とあなたもみんな合わせて「友達」だよね。たくさんのフルーツやクリームを飾りつけられたプリンが、全部合わせてプリンアラモードと呼ばれるように。
 そういう意味で、この脚本家ごとに作風が全然違う製作体制はキラキラプリキュアアラモードによく合っていると思います。楽しいですよね、どのお話も。

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