キラキラプリキュアアラモード第17話感想 「大好き」はここにある。いつだってここにある。

いちか印のキラキラルに賞味期限はないのだー!!

キラキラ☆プリキュアアラモード! Blu-ray Vol.1

(主観的)あらすじ

 今日のいちかは張りきっています。お母さんから手づくりスイーツが届くということで、自分も手づくりクッキーでお返ししようと考えたのです。ところがリオくんはそれが気に入らない様子。いちかの心からキラキラル・・・「大好き」って気持ちを奪ってしまいました。
 「大好き」を奪われたいちかはもうクッキーをつくろうと思えません。けれどペコリンが説得してなんとかクッキーをつくらせてみると、だんだん心の底からお母さんとの思い出が蘇ってきます。いちかの心に「大好き」があふれてきます。
 キュアホイップに変身したいちかは、戦いに敗れたリオくんに「一緒にクッキーをつくろう」と提案します。けれど彼は「スイーツもお前も大嫌いだ」と言い残してどこかへ去ってしまうのでした。

 ジュリオ編の閉幕。正確にはあともう捻り出番があるようですが、いちかたちは彼の絶望を立派に乗り越えました。スイーツは食べたらなくなってしまうけれど、スイーツを食べた幸せは思い出となって、その後もずっと心に残りつづけます。パティシエは孤独じゃありません。あなたがスイーツに込めた思いはいつまでだって、無駄になんかなりません。
 新たなる敵ビブリーの初手はキラキラパティスリーとお客さん・・・つまり、つくる人と食べる人の断絶。敵が変わってもテーマ自体は連続しています。スイーツが届けば気持ちも繋がることは証明できました。では、そもそもスイーツを届けられなかったら? そうなってもパティシエはスイーツに思いを込めることができるの? キラキラプリキュアアラモードの思索は続きます。

 ・・・いちかが疲れてウンヌン? 数話前にそんな予想を立てたこともありましたね。さすが私の展開予想はいつも外れる。

「大好き」が遠い

 リオくんの思い出のなかの女性はプリキュアでしょうか。ヒイラギの頭飾りをもつプリキュア。
 ヒイラギは魔除けとしての作用から「用心深さ」の花言葉を託されます。同じヒイラギの頭飾りを持つジュリオにぴったりな、他者を遠ざけようとする心を表す花言葉。
 ところでヒイラギには別の花言葉もあります。「保護」。やっぱり魔除けですからね。こういう明るい花言葉だってもちろんあります。
 だからでしょうか、このタイミングでリオくんが彼女のことを思い出したのは。
 医者のいない地域の人々のために世界中を飛び回るいちかのお母さんの姿には、ヒイラギの花言葉「保護」がぴったりよく似合います。リオくんの思い出の人も、もしかしたらそんな感じの人柄なのかもしれませんね。キラキラプリキュアアラモードにおけるプリキュアは「スイーツで世界を笑顔で包み込んだいにしえの存在」ということですし。

 「お母さん、外で好きなことしてるだけだよね。勝手じゃない? 放っておかれて寂しくないの?」
 リオくんの言うことはだいたいいつも自己紹介。寂しいんですね。
 どんなに近くても、どんなに遠くても、本当なら「大好き」な気持ちは変わりません。「大好き」は自分の気持ちだからです。だから相手がどんなところにいようが、その気持ちは変わらない、はず。
 けれど悲しいことに、実際にはなかなかそうはなりません。寂しいからです。遠いと、相手が今どんな気持ちでいるのか確認できない。遠いと、自分が今どんな気持ちでいるのか伝えられない。不安になる。なんだか恐くなる。「大好き」を疑いたくなる。それが「寂しい」という毒。
 「寂しいは寂しいけど・・・」
 その気持ちはいちかもよく知っています。第1話、お母さんが急に帰ってこられなくなったと知ったとき、彼女はつくりかけのケーキが手につかないくらいに落ち込んでしまいました。
 大好きな人に自分の「大好き」を伝えられない、その辛さ。いちかはそれをよく知っています。

 けれど、同時にいちかはよく知っています。
 「お母さんは私のことわかってくれてるよ。だって、お母さんのマドレーヌ、こんなに美味しいのは、私を大好きっていう気持ちだもの」
 スイーツは人から人へ、キラキラルを届けてくれます。すなわち、「大好き」って気持ち。食べた人に幸せな気持ちになってほしいと願う祝福。スイーツなら届くんです。どんなに距離が遠くても、直接会ってお喋りできなくても、「大好き」はちゃんと伝わるんです。
 「ねえお母さん。どうしてお母さんのケーキはこんなに美味しいの?」
 「それはね、お母さんの気持ちを込めたからよ」
 「気持ち? どんな?」
 「いちかが大好きって気持ち。その気持ちをケーキの中に込めたのよ」

 いちかはそのことをよく知っています。だから相手の気持ちが確認できないなんてことはありません。お母さんの贈ってくれたスイーツが美味しいなら、それはお母さんが私を大好きでいてくれているなによりの証。だから自分の気持ちを伝えられないなんてことはありません。美味しいスイーツを贈ってあげられたなら、それは何よりも雄弁に伝わるお母さんへの私の気持ち。
 そうやって「寂しい」をやっつけられたなら、どんなに遠く離れていようと「大好き」は永遠に変わりません。

 「おかしいよ。なんでそんなふうに思えるの? ひどいことされてるのは君の方だろ。なんで怒らないの!?」
 悲しいことに、リオくんはスイーツのそういうパワーを信じられなかったんでしょうね。だから遠く離れた人と気持ちを通じあわせられなかった。「寂しい」に負けてしまった。「大好き」を信じられなくなった。
 パティシエの孤独。どんなに心の中に「大好き」があふれていたって、どんなにスイーツに「大好き」を込めていたって、それがちゃんと相手に伝わると信じられなければ「大好き」は無駄になるだけです。誰からも「大好き」が届かず、誰にも「大好き」を届けられず、その至る先は・・・。
 全身の宝石と金箔を使いきった幸せの王子はそれ以上人助けができなくなりました。世界平和のために戦ったハピネスチャージプリキュア!のキュアラブリーは自分の手に何も残らず泣きじゃくりました。「大好き」を摩耗しきったパティシエの心は・・・いつか「大嫌い」に反転してしまうのでしょうか。
 「いちか。俺はね、スイーツが大っ嫌いなんだよ」

「大好き」がなくなっても

 「『大好き』? 『大好き』って、何?」
 リオくんの手によって、いちかはキラキラル(「大好き」って気持ち)を奪われてしまいます。
 今回の話においてはリオくんがムリヤリ奪ったかたちになっていますが、実はこれ、私たちも似たようなことを日常的に経験しています。

 スイーツを食べるとき、その美味しさに私たちは元気になります。幸せな気分になります。
 けれど、それは食べ終わったらそれでおしまいです。食べているときはあんなに幸せだったのに、気がついたらいつの間にかあのときの気分はどこかに行ってしまっています。食べ終わっちゃうのをもったいなく思うことすらあります。
 あのときの元気は、幸せは、どこに行ったの? ひょっとして消えてしまったの?
 だとしたら。食べたら消えてしまうスイーツ、それってもしかしたらものすごくくだらないものなのかもしれない。
 そんなふうに思ったこと、あなたはありませんか? (ダイエットの大義名分として)

 リオくんはお母さんのマドレーヌを食べたいちかの心に生まれたキラキラルを奪い、あれほど熱心に語っていた彼女の「大好き」を喪失させました。
 「スイーツなんかで何がわかる」
 食べたら消えてしまうスイーツ。食べ終わったらいずれ消えてしまう幸せな気分。そんな儚いものに何の意味があるというのでしょう。
 そんな儚いものに頼る「大好き」が、永遠に心を蝕みつづける「寂しい」に対抗できるわけがありません。それともまさか永遠にスイーツをつくり、永遠にスイーツを食べつづけろとでも? そんなことをしたらスイーツとともに「大好き」もどんどん消えていって、いつか「大好き」が枯渇した心は「大嫌い」に反転してしまうだけです。
 スイーツを食べる意味って、何なんでしょう。

 「スイーツは食べたら消えちゃうけど、受け取った気持ちは思い出になってずっと残る!」
 第11話、「たかがスイーツだろ。キラキラルの容れ物じゃねえか」と言い捨てるガミーに対し、いちかはこう反論しました。
 思い出。
 そう。第1話、帰ってこないお母さんを思ってうさぎショートケーキを完成させたいちかを突き動かしたもの、それが思い出でした。
 あのときいちかはお母さんから何も受け取っていません。何のスイーツも食べていません。けれど立ちあがることができました。お母さんとの思い出をふり返り、涙を拭いて、自分のためにケーキを完成させることができました。
 いちかがお母さんのケーキを食べたのなんてずいぶん昔のことのはずです。食べたときの元気なんてとっくになくなっているはずです。なのにあのとき彼女がケーキに向き合うことができたのは、それでも間違いなくお母さんがつくってくれたケーキの思い出でした。
 確かにスイーツを食べたときのウキウキした気分は、食べ終わってしばらくしたらどこかに消えてしまいます。けれど、だからといって無意味だとは言わせない。
 だって思い出はいつまでも残るから。あなたがスイーツに込めて届けてくれた「大好き」は、「思い出」としてずっと私の胸の内に残るから。
 だからスイーツが運ぶ「大好き」は、大切な人と離れてしまった「寂しい」にも打ち勝てる!

「大好き」が生まれる場所

 これまでこのブログの感想文では、主につくる人と食べる人が相互にキラキラルを生みだす「双方向性」をテーマに置いて語ってきました。
 今回のエピソードはそのメカニズムについてもう少し詳細に説いたものです。・・・というか、より正確には今回のお話が“主”で「双方向性」が“従”というべきか、ぶっちゃけ私が微妙に読み間違えていただけなんですが。
 つくる人と食べる人双方がキラキラルを生みだす必要があるのは確かです。それがなければこの関係は食べる人がつくる人に一方的に依存するかたちとなってしまい、つくる人の心を摩耗させ、やがては破綻してしまうでしょう。

 ただし重要なのはそこではなくて、つくる人の「大好き」が食べる人の心に息づくところにあります。
 ひまりのスイーツ知識を聞いた女の子は、そこに込められたひまりの「大好き」を心に受け止めました。
 あおいの執事の水嶌は、歌とスイーツに込められたあおいの「大好き」を心に受け止めました。
 あきらは妹のみくちゃんがどんな思いでお手伝いしてくれたかを知り、ケーキと一緒に彼女の「大好き」を心に受け止めました。
 ゆかりはいちかが指摘してくれた手つきによって、自分の心の中にちゃんと「大好き」があることに気付きました。
 それがあるからこそ、みんなそれぞれにたくさんのキラキラルを生みだしてきたんです。

 スイーツはただ幸せな気分を運んでくれるだけじゃなく、食べると心に「大好き」という思い出を残してくれます。初めは一方的にキラキラルを受け取るだけだった人を、今度は自らキラキラルを生みだす側に変えてくれます。
 このあたり、ドキドキ!プリキュアと同じメソッドですね。精力的に人助けして回る相田マナの愛が幸せの王子と違って枯渇しないのは、その愛が助けられた人の心に根付いて、助けられた人が今度は誰かを助ける側に回ってくれたからでした。ひとりで何でもかんでもやっているように見えて、その実彼女は結構周りに頼ってくれるんですよね。
 全体の「大好き」(あるいは「愛」)が無限に循環するので、結果としてスイーツをつくる人(あるいは相田マナ)の枯渇を防ぐことにも繋がりますが、そちらはあくまで副次的な作用。メインはあくまで「大好き」が思い出として心に息づくことです。

 スイーツに込められた「大好き」は思い出に変わっていつまでも残りつづける。だからただ「大好き」を奪われただけなら平気、へっちゃら。思い出を心に抱く人は、「大好き」を受け取る側でありながら、自ら「大好き」を生みだす側でもあるのだから。
 いちかがスイーツをつくるとき、そこに込めるキラキラルを生みだしているのは彼女自身です。その場で生みだしているのだから、たとえゼロからだって大丈夫。思い出がキラキラときめきつづける限り、「どんだけ奪われたって、私の『大好き』はここからたくさん生まれてくるんだから!」

 面白いのは、思い出の元となるのは誰かがスイーツに込めた「大好き」なのに、それを動かし新たな「大好き」を生みだしつづけているのは食べた人自身だということです。この理屈ならパティシエは孤独になんかならない。パティシエがひとりで摩耗しつづけることになんかならない。パティシエが「大好き」を込めてケーキをつくるごとに、それを食べて自分も「大好き」をつくってくれる仲間が増えていくってことなんですから。
 それは必ずしもスイーツをつくるというかたちで現れるわけではありません。キラキラパティスリーの大多数のお客さんは食べるだけです。けれど、スイーツを食べることで思い出をときめかせ、彼らはスイーツに込められた以上のキラキラルを再生産してくれます。あるいはもっと他のかたちでキラキラルを生みだしている人もいるかもしれません。らいおんアイスを食べて歌を歌ったあおいのように。いずれにせよ、ひとりのパティシエがスイーツに込めた「大好き」は、いろんな人を繋いでどんどん大きくなっていくわけです。

 ・・・とまあ、ここまで考えていくと、この理屈の弱点も同時に見えてきます。
 すなわち、せっかく「大好き」をいっぱい込めてつくったスイーツが誰の手にも渡らなかったらどうなるのか。それはやっぱりどこにも広がらず、ただ無意味なものとして捨てられるしかないのか。
 どうも次回はそういうお話になりそうなのですが、これいったいどういう答えをつけたらいいんでしょうね? 正直さっぱり解決策が思いつきません。
 第1話で贈る相手のいないうさぎショートケーキをつくっていた以上、そこには何らかの答えが用意されているはずですが・・・。ダメ。無理。展開予想すらさっぱりだー。
 素直に降参して次回を楽しみにすることにします。

今週のアニマルスイーツ

 ウサギクッキー。難易度星3つ。パンダクッキーと同じく難易度の大半はアイシングと自作の型抜きですね。1枚に3色×固さ2パターンのアイシングを使うとかどんな苦行だ。いちかが使っていたウサギ型くらいなら普通にどこでも売っているので、リボンのかたちまでこだわる気がない人は適度に妥協しましょう。
 ちなみに焼き物全般にいえることですが、砂糖は無理に粉糖を使わなくても大丈夫です。多少色ムラ味ムラが出ないこともない(らしい)ですが、日本で売っている粉糖はそこらへん妥協しても許されるくらいメッチャ高いので。湿度が高いお国柄、コーンスターチなどが添加されていることもしばしばですしね。市販品は基本的にデコレーション用だと思ってください。チョコレートケーキとかによくかかってるアレ。
 ただしアイシングなんかだと加熱しない分粒子の大きさが食感にモロに反映されちゃうので、こちらはやっぱり粉糖の方がいいです。

 ところで小麦粉、卵、バターの組み合わせがベースになるスイーツって星の数ほどあるはずですが、リオくんどんだけいちかを見くびっているんですか。この子いちおうスポンジケーキやシュークリームもつくれるんですよ? 下手しなくても私よりずっとスキルありますよ?
 今回はお母さんに「大好き」を届けるためだからか、ずいぶん材料に迷っていたようですが、どうやら結局いつもの小麦粉+発酵とかじゃない普通の無塩バターでつくったようです。リオくんがちょっかい出した結果、テーマが「思い出」になったのでそれにふさわしいかたちというわけですね。

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