プリンセス・プリンシパル イメージソング『Drive My Fate』を日本語訳してみる。

 前もって書いておきますが(しつこい)、私の高校生時代の英語の成績は5段階評価の2でした。
 ましてただでさえ好き勝手な解釈を交えたフリーダム意訳になってますから、その正確さたるや、ねえ?

TVアニメ『プリンセス・プリンシパル』OPテーマ「The Other Side of the Wall」 Single, Maxi

※ 原詞は載せないのでお手元の歌詞カードをご参照ください。

(怪しげな)意訳

もしも私がただの女の子だったなら、
花と頬に白粉をはたいて、
とびきりのオシャレを楽しむのかしら。
もしも私がただの女の子だったなら、
ラブストーリーの主人公にもなれたのかしら?

実際の私は、私の運命へと向かう赤いロンドンバスに乗っているわ。
代価を支払ってね。

悲しいけれどラブストーリーには縁がないの。
私は孤独なのよ。
ああ、なんて可哀想な私。
今の私は恐れているわ。このバスが望まぬ道へと進んでいることを。

どうして私はここから降りて自分の道を切り開けないのかしらね?

日曜の朝はステキよ。
太陽の光が今日一日の爽やかな陽気を保障してくれるわ。
日曜の朝は女の子の時間よ。
私は自ら運転席に座って幸せな運命へと向かうのよ。

ここにあるモノは私を幸せへと運んでくれるのよ。

今この瞬間がただの夢だったなら、
この強制された道行きを「ノー」と突っぱねてやれるのかしら?
夢ならいいのにね。
だから目を覚まして、この悲劇的な運命を乗りこなしてやるわ。

太陽が昇れば、
また新しい一日がやって来る。

日曜の朝はステキよ。
太陽の光が今日一日の爽やかな陽気を保障してくれるわ。
日曜の朝は女の子の時間よ。
私は自ら運転席に座って幸せな運命へと向かうのよ。

日曜の朝はステキよ。
太陽の光が今日一日の爽やかな陽気を保障してくれるわ。
日曜の朝は女の子の時間よ。
私は自ら運転席に座って幸せな運命へと向かうのよ。

ここにあるオトは私に喜びをくれるのよ。

簡単な考察

 この曲はEDテーマ『A Page of My Story』とリンクしています。
 曲のフレーズだけでなく、詞も基本的には向こうの流れを踏襲しています。

 悲しい現実の中でありえない夢を思い描く少女の姿。やはり夢は夢。少女を取りまく現実はとことん苛烈です。
 けれど、どうしてでしょう。こちらの詞からは、どことなくあちらとは印象の違う、ズ太く強かな女性像が浮かびあがる気がします。なんというか、クソッタレな現実を前にしても何かしらの矜持を見せてくれそうというか。転んでもただでは起きないゼ、みたいな。

 たぶん「drive my fate」というフレーズがカッコよすぎるせい。だってこれ、歌詞の流れ的にはロンドンバスをハイジャックして自分で運転している絵ですよね。
 こちらの詞においての「the red double bus」は悲劇的な現実の象徴です。向こうではほのぼのとした夢の象徴でしたから、ちょうど正反対ですね。だから“double”と。
 運命をずっと「destiny」という単語で表現してきたのに、ここぞというときだけ「fate(destinyに比べて悲劇的なニュアンスが強い)」と言い換えて、しかもそいつを「drive」しちゃうんですよ。超カッコイイ・・・。

 「ここにあるモノは私を幸せへと運んでくれるのよ」
 「ここにあるオトは私に喜びをくれるのよ」
 訳していて、突然ナンのこっちゃ? と思いましたが、よく考えるとこれたぶん自動車のことですよね。
 幸せへと運んでくれるモノ。喜びをくれるオト(エンジン音?)。
 別に自動車に乗ったからって、それだけで幸せだったり喜びだったりを得られるわけではありません。この詞にうたわれる現実はその程度じゃどうにもならないくらい悲劇的。
 けれど少女は願います。ロンドンバスを降りたいと。自分の運命は自分で運転したいと。
 少女が夢に思い描いたものは幸せな運命そのものではなく、自分のことを自分で決められる自由意志。「drive my fate」。

 誰にも何も強制されない自由こそが、カゴの中のお姫さまにとっての「幸せ」であり「喜び」です。

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