
ひとりぼっちじゃないよ。諦めないで、ビブリーも。ウィ。

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(主観的)あらすじ
キラキラパティスリーが無人島に漂流しちゃいました。帰るためにはスイーツをつくってキラキラルを貯めなければいけません。いちかたちはスイーツの材料を探して島を探検します。
探検中、シエルは同じく漂流したビブリーと出会いました。どうやら彼女はひとりになることが苦手なようですが、プリキュアと馴れあうつもりもないようです。
一方いちかたちは天然の氷室を見つけてペンギンかきごおりをつくっていました。シエルはみんなでつくったこのスイーツをビブリーにも食べてほしいと考えますが、ビブリーはそこに込められたキラキラルを奪ってイルを怪物にしてしまいます。しかもどういうわけか、イルはビブリー自身にまで見さかいなく襲いかかります。
シエルはビブリーを守って戦い、もう一度彼女にペンギンかき氷を差し出します。結局食べてはもらえませんでしたが、シエルは食べてもらえるまで諦めないことを誓うのでした。
ビブリーリスタート回。お久しぶりの黒須脚本は相変わらずヒロイックでしたね。近年のプリキュアのトレンドとは明らかに異なる懐かしい作風なので見分けやすいです。
そういえばこの感想文では今までビブリーに関してろくに触れてこなかったんですよね。登場当時のストーリーがスイーツを食べてもらうということ(思いを伝えること)の意義に焦点を合わせていたので、そちらに主軸を合わせて感想を書くと、ちょっとノリが違う彼女のキャラクターには言及する余地がなかったというか。
ストーリーの焦点は再び移り、現在プリキュアが戦う相手は純然たる外敵、つまりそもそもスイーツを食べる気すらない悪意の塊に変わりました。ビブリーもその一味として、プリキュアがどれほど好意を伝えてもスイーツを食べてくれません。果たしてどうすればプリキュアの「大好き」は純粋な悪意にまで届くのでしょうか。
泣きべそビブリー
超かわいい! かわいい・オブ・ザ・かわいい! 作画もノっててなおさらかわいい!
まあそういうのはほどほどにしとくとして。
涙がふるふるよく動く動画、私こういうの大好物なんですよね!
ほどほどにしとくとして。
「私がこんなに苦しんでるのに、みんなで楽しくチャラチャラキャッキャしちゃって! 許さない。楽しそうなヤツ、幸せそうなヤツ、愛されてるヤツ、みんな、みんな!!」
ビブリーのバックグラウンドが明らかになりましたね。ひとりぼっちがトラウマだから、他人がのほほんと仲よくしているのがムカつく、と。
グレイブとエリシオにもこういう弱みはあるのでしょうか? あるのなら「大好き」を届けるための取っかかりになるのですけれど。
「イヤだよ・・・。イヤだよ・・・」
幼い頃のビブリーが泣いていた街は闇のキラキラルで染められていました。つまりはビブリーがひとりぼっちになってしまったそもそもの原因からしてノワールの仕業と考えられるわけで、なかなかにコテコテの出来レースですね。
「愛しているよ、君だけを」
初対面でいきなりこういうことを言いだすのはナンパ野郎か結婚詐欺師と相場が決まっているもので、まあ、ろくなもんじゃないです。当たり前のようにジュリオやシエルにも色目を使ってましたねこの人。人というか、そういう概念存在なんでしょうけど。
「君だけを」というのがミソ。「この人には私しかいない」というのは「この人の傍は私だけの特別な居場所」という安心感を生みだすと同時に、「私がいなくなればこの人はダメになってしまう」という強迫観念にもなります。
ふたりだけの“絆”といえば聞こえはいいですが、そもそも絆の原義は犬の首輪につけるロープのことです。本来はそれほどロマンチックな言葉じゃありません。
ふたりだけの特別な繋がりというのは必ずしもいいものとは限りません。それはときに閉塞感を生み、もしかしたら他のたくさんの人とも関係を構築できたかもしれない可能性を潰してしまう、あなたをひとところに縛りつけるロープにもなりえます。
魔法つかいプリキュア!の序盤でみらいとリコの関係を「小さく閉じた輪」と表現したのは、あのふたりにもこういう危険性があったからです。もちろん彼女たちは「手をつなぐ」プリキュアなので、最後までそういう関係のまま終わると本気で危惧したわけではないですが。
最終的に彼女たちは、ふたりで温めた友情を原資に、輪の外へと大きく手を伸ばしました。結果、世界にあふれるたくさんの祝福の力を借りることを可能とし、ふたりとはーちゃんだけの力では本来どうすることもできない「悲しいお別れ」にすら打ち勝つとびきりの奇跡の魔法を行使できたわけです。
「ノワール様にあわせる顔がなくて、ちょっと旅に出て、帰ろうかと思ったら、ボートは流されてるしイルの力も消えちゃって・・・どうしてくれんの!」
「それって自業自得じゃ・・・」
23話で吹っ飛ばされて遭難したのかと思いきや、まさかの自業自得。ですがこれはギャグ以前にもっと根本的なところで自業自得でもあります。
ビブリーはノワールひとりとの関係性に縛られてしまっていて、彼と会えなければひとりになるほかありません。なにせ他の誰とも繋がりを持っていないんですから。
「ひとりはイヤ。ノワール様、私をひとりにしないで」
そう言いながらも、彼女をひとりにしたのは他でもない彼女自身です。
イマジナリーフレンド
子どもが架空の友達をつくり出して、あたかもそこに本当に意志を持って実在するかのように接すること。ぬいぐるみなどに仮託させることもあれば、何もない空中に登場させることもあります。
心理学用語ですが、物語の題材として面白いこともあって、一般にも割とよく知られていますね。 ただしフィクションではきちんとした学説と単なる俗説が混じって説明されがちなので、鵜呑みにしないよう気をつけましょう。似た立ち位置の用語として「解離性同一性障害」や「サヴァン症候群」、「高機能自閉症」などもありますが、これらの誤解されっぷりときたらだいぶヒドい。
イマジナリーフレンドについて現在確からしいとわかっているのは、感受性と想像力が豊かな子どもほどつくりがちなこと、友達ができればそのうちいなくなること、くらいです。(学生の頃の知識なので最新の学説ではもう少し違うかもしれませんが)
ビブリーのように閉じた関係性の中にいる子がイマジナリーフレンドをつくることは実はそう多くないのですが(依存相手の他に友達をつくるなんてそもそも裏切り行為ですしね)、まあノワールの方からイルを授けたわけですし、そのあたりはあんまり厳密に考えなくてもいいかな。
ただ、ビブリーのイルに対する接し方はフィクションにおけるイマジナリーフレンドの定型として見た方がわかりやすいですね。
常にビブリーと共にいて、口を開くときもビブリーの意に沿う言葉しか話さなかったイル。彼はビブリーにとっていつも都合のいい友達でした。
ところが今、ビブリーの彼に対する信頼が揺らぎはじめています。プリキュアをやっつけてくれるよう何度もお願いしたのに、なぜか毎回負けてしまうからです。イルは彼女にとって、言うことをなんでも聞いてくれる都合のいい友達のはずなのに。
何度も信頼を裏切られた結果が今話です。イルはもう言葉を話しません。動きません。力になってくれません。信頼が揺らいでしまったから。
空想上の友達はその実体を現実に立脚しない分、確かに都合のいい存在です。ですが空想であるがために、残念ながら現実の理不尽さに対して全くの無力です。夢で現実は変えられません。
子どもは友達との関係のなかで、現実のままならなさを学びます。すると気づくんです。「都合のいい友達」という存在の矛盾に。イマジナリーフレンドは現実を学んだ子どもたちの前から、いつかふと姿を消してしまうものです。
「動け! 動け! 動けー!」
「ほら、もたもたしないでさっさとやっつけてよ!」
「どうしたの? あっちよ、あっち!」
もはやそれは友達に対する態度じゃありません。自分ではまだ気づいていないでしょうが、ビブリーはすでにイルを友達ではなくただの道具として外部化しています。
「イル、どうして?」
それは友達じゃないからです。気持ちを汲んでくれる友達じゃなくて、ただの無機質な道具だから、必ずしも思ったようには動いてくれません。これこそが空想と現実の違い。都合のいいものなんてなくて、理不尽なものばかりなのが現実です。
都合のいい友達なんて初めからいなかった。空想と現実のギャップが彼女を苦しめます。
また、ビブリーにとってイルはただのイマジナリーフレンドではなく、敬愛するノワールが授けてくれた大切な存在でもありました。
ビブリーがイルを大切にしていたのは、彼がノワールの代わりでもあったから。
そうであるなら、友達としてのイルが失われた今、ビブリーのノワールへの敬愛も揺らぎはじめているかもしれません。・・・とても残酷な話だけれど。
大好きなノワール様はあなたに何をしてくれた? 友達をくれた。でもその友達は失われてしまった。むしろ初めからまやかしだった。――じゃあ、結局ノワール様があなたにしてくれたことって、何だったの?
「イル。応えてよ。私をひとりにしないで、イル! イル!」
「イル。イル。どうしちゃったのよ。・・・あっ」
たったひとつの関係性にのみ縋って生きてきた子どもが、もしその唯一の関係性を失ってしまったら・・・。さて、どうなるんでしょうね?
「もういい! ノワール様は来ない。イルはもう・・・。誰も私の傍にいてくれない! どうせ私はひとりなのよ!!」
現実は理不尽だ
「私、ビブリーにこれを食べてもらおうと」
呼んでもない憎たらしいヤツが勝手にちょろちょろ付きまとうのも、現実の理不尽なところ。
シエルにとって「ひとりぼっち」は敵です。
そいつは大好きな弟を闇に堕としました。自分も堕ちかけました。たとえその原因の一端が自分にあったとしても、いいえ、自分にあったからこそ、今のシエルにはそいつを放っとくことなんて絶対にできません。
シエルの翼はひとりぼっちで絶望した弟がつくりあげ、ひとりぼっちで絶望に沈みかけていた彼女のために届けてくれた「大好き」のかたち。この翼がある限り、彼女はひとりぼっちで絶望の泥に沈もうとする人を放ってはおけません。
「ひとりぼっちじゃないよ。諦めないで、ビブリーも。ウィ」
「こうなったのもみんなあんたたちのせいじゃない!」
「何見てんのよ!」
「あんた何しに来たのよ!」
「私をバカにしてるのね!」
「離しなさいよ!」
「私はあんたの敵!」
どれだけ嫌ったって、どれだけ遠ざけようとしたって、全くもって理不尽なことにシエルはビブリーの傍にひっついて離れようとしません。イルやノワールと違ってなんとメンドクサイこと! これだから現実は!
頼みもしないのにやって来て、頼みもしないのに助けてくれて、頼みもしないのに励ましてくれて、頼みもしないのに一緒にスイーツを食べようと誘ってくれる。
現実ってヤツは全くもってちっともこっちの都合に合わせてくれやしない。イマジナリーフレンドと違って自分とは違う意志を持っているものだから勝手なことばかり言ってくる。いけ好かない。気にくわない。ままならない。
だからこっちだって言ってやるんだ。
「『ありがとう』とでも言うと思った? バッカみたい!」
イルと違ってビブリーは現実に生きる存在のひとりです。理不尽な、現実の存在。
だからどれほどの親切を受けたって、必ずしもそれに報いるだけの好意で返してくれるわけではありません。どれほどの悪意をぶつけたって親切にしつづけてくれたシエルと同じに。
これはビブリーにとって、友達をつくるための偉大なる第一歩。都合のいい夢から目を覚まし、理不尽な現実もいうほど悪いものじゃないなと気づく最初の過程。
「ノワール様は来ない。イルはもう・・・」
だけどシエルは傍にいてくれました。頼んでもないのに、勝手に。
「ビブリーにかきごおり食べてもらえなかったな。でも、今度会ったときはきっと」
「そうだね。いつかきっと食べてくれるよ」
シエルは知っています。いちかは知っています。どんなに現実が理不尽でも、だからといって諦める必要はないことを。
かつてキラキラパティスリーに突然お客さんが来なくなったことがありました。けれど諦めずに頑張りつづけていたらお客さんはまた戻ってきてくれました。
かつて弟に取り返しのつかないことをしてしまったと絶望したことがありました。けれど弟は自分で這い上がって、自分を絶望から救い出してもくれました。
どんなに理不尽な現実が立ちはだかったって、プリキュアが絶望する理由にはなりません。
「諦めない、負けない」
夢を信じつづける心はいつか現実に打ち勝つ希望へと姿を変えます。
夢に現実を変える力はありませんが、夢は現実を変える力になります。
いつだって夢と希望を胸に抱いているから、プリキュアは最後には必ず勝つんです。
今週のアニマルスイーツ
ペンギンかきごおり。難易度星1つ。要はちょっと形を整えてバニラアイスを添えただけのブルーハワイかきごおりですね。
私も初めて知りましたが、公式レシピによると氷をつくるときに砂糖を加えると仕上がりが柔らかくなるそうです。台湾かき氷のフワフワ感って乳成分の作用だけじゃなかったんですね。お餅を求肥にするのといい、砂糖って色々とスゲー。
うまくペンギン型を維持したままシロップをかけるコツとしては・・・公式レシピのように表面を手で軽く押し固めることと、あとは屋台でたまに見かける細口が複数並んでいるような当たりが柔らかい容器を使ってシロップをかけること、それからシロップを事前によく冷やすことくらいですかね?
あるいは氷をつくるときにシロップも混ぜてしまえ。どうせ砂糖入れるんだから。
プリアラ・レッツ・ラ・デコレーションのコーナーではキレイにできてるのに、エンドカードになるとさりげなく左の翼が取れちゃってるのはご愛嬌。
「つららは水が流れながらゆっくりと凍ったもの。流れることで不純物を追い出すため、キレイな氷になるんですよ」
理屈としてはひまりのいうとおりですが、実際は流れきらない成分を閉じ込めていたり、水の流れが止まったあとで汚れが付着したりするので、本当は食用にはオススメできません。トタン屋根にできたつららはペンキ臭く、木の枝にできたつららはカビ臭く、古い掘っ立て小屋にできたつららはなんか埃っぽかったりします。
まあ、それでも私はお腹を壊したことがないのでそこそこ安全なんじゃないでしょうか。子どもの頃は通学路中のつららの味を把握していたものですよ。おいしいところのつららは先に他の子に食べ尽くされていたり。懐かしい。
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