先日のミニライブの余韻がまだ残ってまして。
で、曲の感想文のつもりで今思っていることを出力してみたら自分語り半分、ぽえむ半分の謎文章ができあがってしまいました。
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誰があなたを規定するんでしょうか。
好きなこと。嫌いなこと。嬉しいこと。悲しいこと。腹が立つこと。楽しいこと。つまらないこと。心震えること。大切なこと。忘れられないこと。忘れたいこと。大嫌いなこと。大好きなこと。
あなたらしさをつくったのは誰なんでしょうか。
空の色。風の音。森の匂い。砂の感触。水の冷たさ。花のかたち。鳥の声。シルクのなめらかさ。林檎の味。
あなたの知る世界の姿を決めたのは誰なんでしょうか。
あなたです。
あなたが好きなことと私が好きなことはたぶん違います。
あなたの瞳が捉える“青”の色と私の瞳が捉える“青”の色もきっと違います。
あなたが知るあなたらしさと私が知るあなたの人となりは、絶対に違います。
あなたを規定するのはあなた自身です。
少なくとも、あなたにとっては。
そこを履き違えるとひどく苦しい思いをすることになります。
誰かはあなたのことを優しい人だと言うかもしれません。
別の誰かはあなたのことを賢い人だと言うかもしれません。
また別の誰かはあなたのことを強い人だと言うかもしれません。
そんなあなたは結局どんな人なんでしょうか。
優しくて、賢くて、強い人?
では、さらに別の人があなたのことを冷たい人だと言ったら?
優しくて、賢くて、強くて、なのに冷たい人?
自分らしさを他人に規定してもらおうとすると、だんだんわけがわからなくなります。
あなたのことを優しいとか賢いとか強いとか冷たいとか言うそれぞれの誰かさんにとっては、あなたがそこまで複雑なものには見えていないはずなのに。
「誰が決めたラインかわからないけれど」
あなたらしさを規定するのはあくまであなたです。
あなたの目の前にあるその枠線を守ろうと思ったのはあなたです。
もし気に入らなかったらはみ出しちゃってもいいじゃないですか。
守ろうとするのも破ろうとするのもあなただけの決めごとなんですから。
「はみ出したら今の私に戻れなくなるわ」
今までの自分らしさという枠組みからはみ出るのは確かに不安なものです。
けれど今までのあなたらしさを規定していたのはあなたで、これからのあなたらしさを規定するのもあなたです。
あなたがあなたらしさを規定するのは今までもこれからも変わりません。
変わらないものがあるなら、そこまで不安に思わなくても大丈夫じゃないですか。
・・・まあ、ぼちぼちキレイゴトを書きすぎて私自身むずがゆくなってきたところですけどね。
現実には他人からの評価を気にすることも大切なのでなかなか思うようにはいきませんとも。
他人から見たあなたらしさを守ること、超大事。割とダイレクトにお給料に響きます。
ですがそのへんはまあ、テキトーに演技しときゃいいんじゃないですかね。
どうせ10人に見られたら10通りのあなたらしさが生成されるんですから、いちいちそんなもの本気にしてたら身が持ちませんよ。
そんだけ「あなたらしさ」があればどうせどっかで矛盾は出るんですから、せめてあなたにとってのあなたらしさくらいは自分の気持ちだけで決めてもいいんじゃないですかね。
唯一最悪なのは考えること自体を放棄しちゃうことです。
「はみ出さずに見本みたいに色を塗るばかり」
「今日も“良い子”になる私がいる」
「どうして空は青いのか、森は緑色なのか、ああ、考えたこともなかったのに」
自分らしさの定義を固着してみたところで、現実のあなたの個性まで固定化することはできませんから。
人は自分のすべてを把握することなんてできません。
第一、人は日々刻々変化するものです。
何かを好きになったり嫌いになったり、新しいものを見たり新しい人に出会ったり、いつの間にか昔のことを思い出さなくなっていたり。そのたびに私たちは変わっていきます。少しずつ。あるいは劇的に。
「私らしさってこういうことだ!」 と決めつけてみたところで、どうせ明日には矛盾しています。
常に変わっていくことを前提に、私たちはいつも自分らしさというものを考え続けた方がたぶんステキです。
メンドクサイですかね?
やー、私は結構楽しいと思いますよ。
私にとって一番親しみ深い存在って、結局のところ私自身ですから。
私は私が大好きです。
客観的に見てたぶん大した人間じゃないけど。気にしなーい。
自分研究上等。
私は主観に生きる。そもそも客観って誰視点だよ。都合のいい他人をつくるな。
そんなわけでしてね。
「すべて闇に染めよう。最初から黒なら悩まないだろう」
そんなふざけたことをそそのかしてくる悪意全開なヤカラの言う事なんざ全力で却下ですよ。
そりゃ全部黒くしちゃえば枠線も何もなくなるでしょうさ。
でもね、黒って、絶望って、自分が憎いって、――それ結局ソイツが規定したあなたらしさじゃないですか。
あなたが自分で考えて、納得して、そのうえで絶望したわけじゃないじゃないですか。
「黒」ですら、さっきの優しいとか賢いとか強いとか冷たいとかみたいな他人からの評価の一種でしかないわけですよ。
そんなものに振り回されることの、いったいどこにあなたらしさがある。
キラキラプリキュアアラモードが描く「大好き」の物語は、みんなそれぞれに違うバラバラの個性を前提としています。
枠線からはみ出しちゃいけない、みたいな定型的なあなたらしさは初めっから求めていないんですよ。
あなたはどんなあなたになってもいい。
あなたはあなたらしさをどんなかたちにも規定していい。
「違うけれどおそろい」
私たちは“みんな違う”という共通点でつながっています。
だから、あえて真っ黒に塗りつぶすような、誰がやっても同じになる「絶望」にだけは、落ちないでください。
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