キラキラプリキュアアラモード第36話感想 違う考え、同じ「大好き」、つなぎあう強さ。

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それ違うよ。私ががんばりたかったんだ。

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※ 本文が消失していたのを修正しました。大変失礼しました。

(主観的)あらすじ

 今日は町内会対抗大運動会! 注目はもちろん、一度頼まれたことなら必ず期待に応えてくれるあきらです。あきらは全種目に出場して八面六臂の大活躍。スター選手として運動会を大いに盛り上げてくれます。
 ところがあきらが風邪をひいていたことが発覚。がんばってほしいとお願いしていたいちかはあきらに無理させてしまったことを申し訳なく思います。けれどあきらはそれは違うと言います。日頃からみんなには感謝している。だから自分ががんばりたいと思ったんだと。
 あきらの気持ちを嬉しく思ったいちかとみんなは、あきらに代わってみんなを笑顔にし、あきらに負けないくらい運動会を盛り上げます。たとえディアブルが来たってその気持ちは変わりません。みんなでがんばって笑顔の街を守ります。

 実は直近3回の2人ペアエピソードでは誰の成長も描かれていません。すでにある程度哲学を固めた6人のプリキュアがそれぞれのたどり着いた境地を披露していく構図になっています。だから誰も間違えませんし、お互いの考え方に迎合もしません。例年だとこういうのは第4クール初めあたりにやっているんですけどね。
 そんななかでも今話はひときわ強烈なガンコとガンコのぶつかりあい。がんばりたいんだというあきら。笑顔になってほしいといういちか。真っ向からぶつかりあうふたりの主張は、実はどちらも否定されません。ぶつけるだけぶつけて、でも結局「それはそれ」とお互い当初の主張を曲げずに最後まで突っ走ります。なんだこの脚本。けれどバラバラの個性こそがキラキラプリキュアアラモード。ペッシュとルージュのプティフール、コラボレーションでめしあがれ。

ブレーキは未実装です

 かつて、自分の体調すら考慮せずあまりに何でもかんでも手を出そうとするので、保健室のベッドの上に軟禁されたあげくチーム最強の武闘派を見張りにつけられたプリキュアがいました。
 いつものごとくドキドキ!プリキュアの相田マナのことです。
 あきらさんあの子に似てる似てるとは思っていましたが、何もそんなところまで似なくても。

 マナは放っておくといつまでも際限なく人助けを続ける子でした。一度風邪をひいて倒れたことがありましたが、そのときですら勝手にベッドから抜け出して働きはじめる有様。完璧ハイスペックに見えながら、実は自己管理が全くできない子だったんです。
 そして怖ろしいことに、ドキドキ!プリキュアの物語は最後までマナのこの欠点を正そうとはしませんでした。最後までパワフルに幸せの王子を演じきりました。彼女は一度たりとも手加減や自重をしませんでした。ブレーキのついていない暴走機関車でした。アホの子でした。

 彼女がそれで大丈夫だったのは、周りの人々が彼女に感化されて助けあいをはじめたことと、幼馴染みふたりの綿密なフォローがあったからです。
 自分単独で問題が出るなら周りも巻き込んで一個のシステムにしてしまえの精神。

 ところでそもそもどうしてマナの人助けにブレーキがついていなかったのかといえば、それは彼女が人助けそれ自体を自分の喜びにしていたからでした。目的と手段が完全にイコール一致していたので、そのエネルギーを減衰させる摩擦機構が介在しえなかったんです。

 すでにあきらも第30話でマナと同じ“プリキュア流幸せの王子メソッド”を完成させています。
 彼女は自分の「大好き」の対象を制限することを放棄し、そしてあらゆる人々と繋がる外部システムに接続しました。
 さっきからムダに捻った表現をしていますが、まあ要するに誰にでも人助けをする代わりに誰からも愛される関係性を構築したわけです。
 「注目はなんといっても中いちご坂チームのケンジョー・アキーラ選手!」
 「やはりスターはいるだけで盛り上がるジャバ」

 今回は一応最近不振の中いちご坂町内会を助けるための賛歌という名目だったはずですが、いつの間にか・・・というほどの間すらなく、もう最初からあきらは運動会参加者全員の利益に与しています。
 あきらはあきらの目に映るすべての人を等しく愛し、そしてそのすべての人から等しく愛される、そういうひとになりました。

 「それ違うよ。私ががんばりたかったんだ」
 今回のように風邪をひいて倒れる日もあるでしょう。手加減や自重を覚えなければ、またいつか、必ず。ひとりの力でできる人助けにはやっぱり限界があります。
 けれど、あきらの場合はそれでいいんです。
 彼女が倒れたら必ず誰かが気づいてくれます。そして助けてくれます。今回のいちかのように。たとえあきらの方から助けを求めなくとも。
 だって彼女は愛されているから。
 誰もが彼女のがんばりを見守ってくれているから。
 だから、あきらの場合は今のまま、あえて自分のがんばりにブレーキをつけなくても大丈夫なんです。

 「私、ひとりでお婆ちゃんの家に引っ越してきたでしょ。家族から離れるのはやっぱり少し心細いときもあって。隣の賑やかな声に笑顔をもらったり、近所の人に優しくしてもらったり。おかげで毎日楽しかった。そのお返しがしたかったんだ。だから精一杯がんばろうと思って」

 あきらはすでに「大好き」が循環する輪の中にいます。

笑顔の信奉者

 それはそれでどうよと異議を呈したくなる人もいるでしょうが、いや全くそのとおり。
 どんな問題にも単一絶対の回答なんてありません。あきらとあなたの考え方がそれぞれ違うように、この世界には人の数だけそれぞれ全く異なるものの考え方が存在します。
 それこそが個性の輝き。
 みんなの得意と不得意を重ね合わせて悪意の闇が付け入る隙をなくす、キラキラルクリーマーの破邪の力の源泉ですから。

 というわけでいちかの考え方はあきらと全く異なります。

 「いちか。いつも笑顔でいなさい。いちかが泣いたらね、パパもママも友達も、みんな悲しくなるの。いちかが笑ったらみんなも楽しくなるわ。だから、いつも笑顔でいなさい」
 そう祝福されて育った彼女は笑顔の信奉者です。
 笑顔第一。笑顔こそはじまり。笑顔でさえいられたら結果はだいたいついてくる。

 「ダメです! 気持ちは嬉しいです。でも無理しちゃダメです!」
 なので、どうせ誰かが助けてくれるとしてもあきらが無理するならその時点でNO! です。
 ムリにつくった笑顔は笑顔じゃありません。
 笑顔じゃないならろくなもんじゃありません。
 だから無理はとっとと諦めさせて、早く笑顔にしてあげないと!
 「みんなが笑顔でいるのが一番ですから」

 いちかの目に映る「大好き」の循環は笑顔のかたちをしています。

 「なに、あきらちゃんが?」
 「申し訳ない」
 「スマン!」
 「よーし、あきらちゃんの分までがんばるぞー! おーっ!」

 ほら、笑顔になれば結果がついてくる。
 今日の運動会は、ほら、こんなにも楽しい!

クロス・エンカウンター

 先に引用したあきらのセリフのとおり、実は彼女は普段からこういう優しさに親しんでいます。必ずしもいちかの運んだ笑顔の効能というわけではありません。普段から人助けしてまわっている成果でもあります。
 ですが、結果として今みんなが笑っています。さっきまで無理をしていたあきらも含めて。いちかとしてはそれが何よりも嬉しい。

 おかげで楽しい運動会になりました。
 あきらががんばったおかげで。
 いちかが笑顔を振りまいたおかげで。

 それぞれ異なるふたりの考え方は、ともするとお互いを一部否定しかねないものですが、今この瞬間ふたつは両立しています。
 「私も守りたいんだ! 街中がひとつになった笑顔の一日を!」
 「がんばってくれたんだ! 風邪をひいててもあきらさんはあんなにがんばってくれたんだ!」

 自分とは異なる考え方を認めあうこともできます。
 バラバラの個性だって、同じ「大好き」で繋がることができるんです。

 どんな問題にも単一絶対の回答なんてありません。
 同じ結果ですら見る人によっては違う姿に映ることもあります。
 それでいいんです。
 「大好き」を循環させる方法はひとつじゃありません。そしてひとつじゃないからこそ、悪意の闇がそれをせき止めようとしても対抗できるんです。
 あなたが無理して倒れるなら私が笑顔をつくる。あなたの笑顔が陰るなら私ががんばって守る。
 バラバラの個性、無数の手段を編み合わせて悪意の闇と戦いましょう。

 私たちはみんな、「大好き」でつながっているんですから。

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