少女終末旅行 第4話感想 終末記録装置。

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全然暖かくなくて。真っ暗で何も見えなくて。誰もいなくて。

―― 未観測

 昔はケータイのカメラでよくパシャパシャしてました。
 でもなんか友達にいちいち撮ってもいいか声をかけるのが面倒になってきて、そうしているうちにそこらのなんでもない風景ばっかり撮るようになって、気がついたら飽きてやめてました。
 よく考えたら撮るだけ撮って一度も見返してなかったですしね。内部メモリがいっぱいになったらダーッと消して、また新しく撮っての繰り返し。
 要は想い出になるようなものを撮ってなかったんでしょう。なにかを残したいと思って写真を撮ったことはなかったかもしれません。

 ちーちゃんとユーは何のために写真を撮るんでしょうね。
 記憶なんて生きる邪魔でしかないのに。記録したところで見てくれる人なんてどこにもいないのに。

 ええ、まあ、さっきから結論ありきでポエムってます。

今を残せば今は昔

 「3、2、1、ハイチーズ」
 前話でカナザワからもらったカメラをさっそく使ってみます。チーズの意味すら知らないけれど、とりあえず形から入ってみます。さしあたっては何のために撮るかも考えずオモチャにして使い倒してみます。
 でもちーちゃん、この時点でユニークなオブジェとユーを並べていて、ちゃんと旅行写真の体になっているんですよね。くそう、私すでに負けてる。
 ユーの方も最初の数枚こそただの壁面を撮っていましたが、すぐにお気に入りの石像ばっかり撮るようになって、そのあとはちーちゃんの顔を撮ろうとしてましたね。なんというか情緒レベルで負けてるな私。

 「たくさん撮ったな。バカみたいに」
 「まだ怒ってる?」
 「怒ってない」
 「――ほらこれ輪っか! 輪っかがついてる!」
 「こっちはなんか生えてるぞ」
 「ユーは変な石像撮りすぎ」
 「いーじゃん減るもんでもないし」

 何の気なしに撮ったお遊びの写真なのに、気がついたらそれを具にしておしゃべりが花咲いています。ただの画像データが何やら胸を暖めるものに変わっていきます。

 今日一日にあちこち見て回ったことがさっそく想い出として堆積していきます。
 どこかに。たぶん心の中に。ついでにカメラの中にも。
 記憶なんて生きる邪魔でしかないのにね。記録したところで見てくれる人なんてどこにもいないのにね。
 それでも、こうして会話が弾むということは、ふたりにとってこれはステキなことなんだと思います。

 「不思議だよね。食べ物は食べたら減るのに、撮ったらずっと残ってるって。いつか街が崩れて、あの石像もみんな壊れても・・・写真に残るって、いいかも」
 うん。こういうときは私なんかのヘッタクソな文章より、ユーのふわっとした感性の方がよっぽどうまく言語化してくれますね。

 「ねえ、ユー。人はなぜ生きるんだろうね。・・・私たちはさ、こうやって食料を探してさまよっているでしょ。見つけて。補給して。また移動して。そうやって行き着く先に何があるんだろうって」
 前話のちーちゃんの問いかけへの答えを言語化するとしたら、たとえばこういう考え方もあるわけです。
 結局少女たちの旅は破壊の道行きでしかないのだけれど、それでもたとえば写真のように、残せるものはきっとある。行き着く先に残せるものはきっとある。
 ・・・その残したものを誰かが見てくれるかどうかはまた別として。

 だから記念写真を残しましょう。
 今日が消えてしまう前に、ふたりで過ごした今日を想い出として記録しましょう。
 そうすれば今日というこの日はいつまでも消えずに済みますから。
 終わった過去の1ページとして、ずっと記憶と記録に残りつづけますから。

私は私に見えない

 今週の原作改変ハイライト。
 寺院が真っ暗になったとき、原作ではちーちゃんはあんなイタズラ心を発揮せずに即座に声をかけあいます。
 アニメ版のはちょっぴり強引な状況生成ではありますが、おかげですごく良い絵になりましたね。絵というか、まあ、放送事故かと思うくらい真っ暗なんですけど。

 「ちーちゃん」
 「真っ暗だ」
 「おーい」
 「ねーえ」

 あなたは今どこにいますか? それをどうやって確認しますか? どうやって証明しますか?
 自分が生きているか死んでいるかの問題よりは簡単です。
 私の目に映るここは私の部屋。だから私は今私の部屋にいる。それで証明終了。
 でも、もし目が見えなくなってしまったなら? 音が聞こえなくなってしまったなら?

 「あの世ってのはこんな感じなのかな。全然暖かくなくて。真っ暗で何も見えなくて。誰もいなくて」
 あなたはどこにいますか? 本当にそこにいますか?
 たとえば、いつの間にか気づかないうちにあの世に来てしまった可能性とか、考えられませんか?
 本当に?

 「ちーちゃんがいなくなったら・・・私どうしよう」
 ユーが銃を構える描写、これもすごくいいですよね。状況的に銃なんか要らないはずなのに、それでも不安で仕方なくて、無意識に頼れるものに縋っちゃう感じ。
 そう。それが信仰というものの起源です。生きているだけでなんとなく心細くて、不安で、今すぐ縋れる存在がどうしてもほしかったから、だから人は神様という概念を創造しました。
 いつでも私たちを見てくれている存在。元々はお祈りに見返りなんて必要なかった。ただ、自分が生きているか死んでいるか、どこにいるかを確かめてくれる誰かがほしかっただけ。たったそれだけの機能であっても、存在してくれるだけで、私たちはずいぶん楽に生きられるようになるから。

 でもユーにはそんなの必要ないですよね。
 ユーにはちーちゃんがいてくれるんですから。

 たとえ目が見えなくても音が聞こえなくても、隣に誰かがいてくれさえすれば、きっとその人があなたがここにいることを証明してくれます。あなたがここに生きていることを見ていてくれます。
 カナザワがふたりにカメラを託したのも、きっとそういう理由なんですよ。
 彼はずっとひとりだったけれど、幸運にして自分を見てくれるちーちゃんとユーに出会えました。だから、ふたりに自分を忘れずにいてもらうために、自分とともに旅してきたカメラを託したんです。

 消えてほしくない想い出の日を写真にして残すのと同じことです。
 自分という存在をこの世界から消したくないから、神様だとか隣にいる誰かだとかに見ていてもらおうと願うんです。

さよなら神様

 ・・・とかなんとかだいぶ逸脱したことを書いていたら、この神像そっぽ向いてるじゃねーか。

 「死後の世界を明るく照らす存在」
 だから、まあいいのか。
 この神様が見ているのは現世の私たちではなく、あの世に旅立った人たちなわけで。
 この神様を創造した人はよっぽどのへそ曲がりか終末ドン詰まり直面中だったかに違いない。

 「でもわからないな。立派な神様も結局ニセモノなんでしょ。こんな大がかりなものをわざわざつくる意味って何なんだろ。死後の世界なんて誰にもわからないのに」
 さて。その意義はきっと、このふたり自身にも係ってくるものだと思うんですよね。

 「さっきの暗闇の中でユーが言ったよね。『あの世もこんな真っ暗な世界なのかな』って。そういうふうに思いたくないから、石像をつくって光を灯したりするのかもしれない。――安心したくてさ」
 であるならば、この神様はこの終わってしまった世界において、自身に託された役割を全うしたのでしょう。
 この寺院の建つ都市にはすでに誰も住んでいません。信仰者たちはみんなあの世に旅立ってしまいました。きっとこの神様が光を照らしてくれている、暖かくて明るい極楽浄土へ。
 このそっぽ向いた神様は、人々が自らの終末を見届けてもらうために創造したものだったわけです。

 でも、それならこの神様の終末は誰が見届けてあげたらいいんでしょう。
 信仰者を全員送るべきところへ送った時点で彼女はすでに自らの存在意義を失っています。もう誰にも必要とされていません。
 それなのに、移設されることなく、破壊されることなく、悠久の時間の果てにいつか朽ち果てる日を待ち続けなければいけません。この世界自体がすでに終わってしまっているにも関わらず。ひたすら。孤独に。
 そんなの、かわいそうじゃないですか。

 だから今日、ちーちゃんとユーが現れたんです。
 彼女の役割が終わったことを見届けてあげるために。
 「ガッカリだよ。神様にはガッカリだよ」
 「あんなのただの石像だよ」
 「あの世を見ながらのレーションも乙なもんだね」

 無信心にもほどがあるやりとりを経て、この寺院が本当に役割を終えたことを証明してくれます。
 ふたりの少女が刻んだ足跡を最後に、今日、神様はようやく終末を迎えます。
 この終末はふたりの想い出として世界のどこかに刻まれることでしょう。
 お疲れ様でした。

 少女たちが旅するこの世界はすでに終わっています。
 なのに、本当は終わっているはずなのに、自らの終末を誰にも見届けてもらえていない存在がまだたくさん残っています。そんなささやかなことすら誰にもしてもらえないくらいにこの世界はどうしようもなく終わってしまっているから。
 そんな彼らに終末を届けるため、無自覚な死神ふたりが旅行します。

 ときに壊すことで。
 ときに残すことで。

 さて次回は一番映像化を楽しみにしてたエピソードだー。

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