そっか。未来につなぐような救いは何もなかったか・・・。
ちーちゃんとユーがたどり着いた物語のゴールは、終末でした。
階層都市のてっぺんには何もありませんでした。
“何も無い”が有る、なんてよくある詩人めいたポジティブシンキングを謳う余地もなく、そこで少女たちの物語は静かに終わりました。
その旅路で彼女たちが見届けたたくさんの終末たちもまた、その後誰にも継承されることなく、ここで少女たちとともに消滅することになりました。
何の奇跡もなく。誰の祝福も届かず。頭の上には天井すらなく。
ちーちゃんとユーの物語はここに終末しました。
ああ、よかった。私たちは無事に終末を迎えられた。
ふたりぼっちのあどけない死神たちに感謝を。
そこにせかいのぜんぶがある
「それで思った・・・。見て、触って、感じられることが、世界のすべてなんだって」
私たちは主観によって世界を観測しています。人間に客観を観測する機能はなく、私たちはそれぞれ“私”というフィルターを通してのみ世界を観測できています。つまりはそれが私たちの世界観。
私のいる世界は常に私の目の前にだけあります。
“目の前”というと、ちょっぴり語弊があるのだけれど。
「本を集めるのはさ、もともとおじいさんの趣味だったんだよ。いや、趣味とも違うのか・・・。任務で行った先で本を見つけるたびに持ち帰るようにしてたらしい。読める本も、読めない本も」
本。どこかの誰かが記述した知識、あるいは物語。言い換えるなら、その人の外的宇宙 / 内的宇宙のありようを記録したもの、とでもいえましょうか。
本だけではありません。自動車、食べ物、地図、飛行機、宗教、お墓、建物、夢、歌、写真・・・。人の手の介在した事物にはすべて、それぞれに関わった人々の世界観が内包されています。
この世界には私以外にも世界を観測している人たちがたくさんいます。
私の目の前の世界はたくさんの別の世界とつながっています。それぞれの主観の数だけ、それぞれの世界観があることを、私は知っています。
私は私の主観によって、私のいる“ここ”以外の世界をも観測することができます。
あなたの生きた痕跡を見届けることで。あるいは、直接あなたと出会うことで。
私のいる世界は常に私の目の前にだけあります。
けれどそこには同時にあなたや、他の誰かの世界も存在しています。
「わからないものを見たら、知りたいと思ったり、ずっと遠くに行ってみたいと思ったり・・・」
それらをひとつひとつ自分なりに観測していくのが、ちーちゃんたちの少女終末旅行でした。
終わった世界に取り残された、どこかの誰かの生きた痕跡を見つけ、そこに彼女たちなりの思いを馳せる。終末を見届ける。ちーちゃんたちはそうして他人の世界観を取り込み、自分たちの世界観を拡張してきたのでした。
私はそれが嬉しかったんです。
彼女たちが私より未来に生きていて、目の前にある誰かの終末ひとつひとつを拾い集めて自分のものとしてくれるならば、それはどこかで私ともつながっているのかもしれない。私なりの世界の見方が、ほんの少しでもちーちゃんとユーの世界を広げる役に立てているのかもしれない。そう思えるから。
それは人類の歴史です。少女たちが長い長い人類の歴史の末端にいるのならば、そして目に見える全部の終末を見届けようとしてくれるなら、ちーちゃんとユーという存在は私やあなたを含めた全人類の集大成といえます。
・・・いいえ。人類どころか、この世界に存在したありとあらゆるモノたち全部の、集大成。
「私たちはもう、ひとつの生き物になってしまった。初めからそうだったのかもしれない。――私の手。ユーの手。肌に触れる冷たい空気。その外側にある建物。都市。その上に広がる空。こうして触れあっている世界のすべてが・・・私たちそのものみたいだ」
その集大成から漏れるというのは考えるだけでも怖ろしいことです。
それはつまり、自分という存在が過去にも未来にも永遠に失われてしまうということですから。永遠にひとりぼっちになってしまうということですから。
「たぶん私は忘れるのが怖かった。まるで夢のない深い眠りみたいに、自分の記憶にぽっかり穴が空いてしまうのが」
世界最後の旅行者がたくさんの終末をひとつひとつちゃんと見届けてくれる、好奇心に富んだ少女たちで良かった。
私たちはふたりの少女とともに在りました。
私たちは世界の全部とともに在りました。
そしてみんなひとつとなって、みんないっしょに最後の終末を迎えました。
私たちは世界で一番幸せです。
あるいは
私たちはちーちゃんとユーの物語の終末を見届けました。
ええ。設定上は私たちの方がちーちゃんたちより過去の存在ではありますが、しかし現実としては私たちの方がちーちゃんたちの終末を見届けることとなりました。
今度は私たちが運ぶ番です。
少女終末旅行という物語の終末を見届け、世界観を新たに拡張し、さあ、あなたはいったいこれから何をすべきでしょう。
「地図をつくったり。飛行機をつくったり。機械たちがこの都市を維持しようとするのも。私たちが一番上を目指すのも。人がこんなに大きな都市をつくろうとしたのも」
「いつかすべてが終わると知っていても、何かをせずにはいられない。そういう何かしたいって気持ちの源みたいなものが心の中心にあって、それが全部つながっているような」
「そして、その長い長い連なりの最後に、私たちがいるんだろうか・・・」
きっと何をしたっていいんだと思います。
失われない限りは。この世界に連綿と続く歴史の一部になれさえすれば。誰かに生きた証を、終末を見届けてもらえさえすれば。
いっそのことちーちゃんとユーの物語のその後を描いてみるのというのもアリでしょう。私、こっそり見に行きますよ。あなたが望むと望まずとに関わらず。
そういうことをしてさえいれば、私たちはいつか長い長い時間の果てに、また、ふたりの少女とともに世界で一番幸せな終末を迎えることができるでしょうから。
我ながら宗教じみた言い回しになってきましたが(いつもか)、こんなの一言でいうならものっすごい簡単な結論ですよ。
「生きるのは最高だったよね」
人生の終わりには後悔を残さず、胸を張ってそう言い切ってみせたいものです。それだけ。
「絶望と、なかよく」です。
どうかみなさん良い終末を。世界の終末にまた会いましょう。
コメント
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アニメ1話の感想記事から見直しましたが素晴らしい感性と文才をお持ちですね。
私はもう少しこの二人の旅の意味を考えたいと思います。
ああ、私に続きを書く才能があればどんなにか…
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文章やイラストとして出力するのが難しいのなら頭の中で描けばいいのだと思います。いわゆる妄想です。
他人と共有できないことだけ少し歯がゆいですが、私はそれも立派な創作行為だと考えます。
たぶん、割と満足できるし、割と訓練にもなるはず。
進路指導教諭に「とりあえず小論文の配点が高い大学を候補から外せ」とまで言わしめた私が、今ではこうしてムダ長い感想文を書きまくっているんです。
たぶん、意味はあるはず。
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疲ぃ様
妄想も創作、その通りだと思います。
ただ出力の問題以上に自分自身がこの完成された作品に何を加えるべきか分からないという問題があります。
このまま自分の中で終わりを受け入れるのは寂しいけれど、自分でもどうしたいか分からない感じはエヴァの旧劇を思い出しますね。
とりあえず6巻で何らかのプラスαがあることを信じて3月まで生きることとします。
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ああー。それは確かに。
私の妄想も似たようなものです。あんまり言語的じゃないんですよ。そして絵画的でもない。本当にただ指向性を持たせただけのモニャモニャみたいな。
「きっと幸せなはず」とか「きっと満足しているはず」とかそんな感じの。
だって私、小説家じゃないし、イラストレーターでもないですし。だから脳内ですらそういう具体性を持たせるのは得意じゃないんです。
そのモニャモニャした感覚のルーツを劇中からチマチマ拾っていくと・・・感想文になるんですかね? (わからん)
とりあえず、お互い死ぬまでは生きるべ。