キラキラプリキュアアラモード 総括感想その7 スイーツさんたちのあしあと

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キラキラキラルン・キラキラル。これからも笑ってくれると嬉しいな。大好きだよ!

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(主観的)あらすじ

 むかしむかしあるところに、おいしいスイーツさんが住んでいました。スイーツさんはそのおいしさでみんなを元気に、笑顔にすることを生きがいとしていました。
 けれどある日、スイーツさんはひとりの気難しい人と出会い、その人を笑顔にすることに失敗してしまいました。しかもその人はスイーツさんに失望するとかえって暗い気持ちを色濃くし、似た境遇の人々を集めて世界を闇に染めようと暴れはじめました。
 自分の限界を目の当たりにしたスイーツさんにはもうどうすることもできず、彼らを救う役目は6人のプリキュアに託されることになりました。

 プリキュアのひとり、ねこさんは誰の目をも惹きつける美しい子でした。けれど、自分にはトキメキが無いような気がして、美しいだけの自分がなんだかつまらなく思えていました。
 そんなねこさんが、ある日トキメキいっぱいのお友達に懐かれて、変わりました。
 こんなステキなお友達をトキメかせられる私の美しさ。これって、なんてステキなんだろう!

 プリキュアのひとり、いぬさんはどんなときも妹を守ることのできる強い子でした。けれど、あるとき愛する妹が遠くに行ってしまって、その強さの向かう先をなくしていました。
 そんないぬさんが、妹の代わりに街のみんなに愛をふりまいていくうちに、変わりました。
 みんなを思う私の愛は私をどんどん強くしてくれる。これって、なんてステキなんだろう!

 プリキュアのひとり、らいおんさんは青い空に向かって吠えたいと願う自由な子でした。けれど、自分のお世話を焼いてくれる家の人に気遣って、なかなか思うように自由への情熱を発揮できずにいました。
 そんならいおんさんが、情熱的なあなたが好きだと言ってくれる仲間と出会って、変わりました。
 私はやっぱり自由に焦がれて情熱を燃やせているじゃないか。これって、なんてステキなんだろう!

 プリキュアのひとり、ぺがさすさんは仲よしの弟と一緒に夢を追いかける子でした。けれど、ある日大きな失敗をして、自分と弟、ふたりともの夢へと向かう大切な希望を壊してしまいました。
 そんなぺがさすさんが、それでも自分の希望を分け与えてくれる弟のおかげで、変わりました。
 弟が希望を分けてくれたのと同じに私もみんなと夢を分かちあえる。これって、なんてステキなんだろう!

 プリキュアのひとり、りすさんはスイーツのことばかり考えている知性豊かな子でした。りすさんはこの知性をみんなと分かちあいたいと考えましたが、けれど勇気が足りず、諦めていました。
 そんなりすさんが、なけなしの勇気を全身で受けとめてくれるお友達と知りあい、変わりました。
 勇気さえ出せば私の知性でも誰かに喜んでもらえるんだ。これって、なんてステキなんだろう!

 プリキュアのひとり、うさぎさんは食べると元気になれるスイーツが大好きな子でした。けれど、みんなを笑顔にすることに一生懸命なうちに、だんだん自分の元気をおざなりにしてしまっていました。
 そんなうさぎさんが、みんなの笑顔と出会えるお店をつくって、変わりました。
 みんながくれたこの元気で絶対にあなたも笑顔にしてみせるんだから! これって、なんてステキなんだろう!

 6人のプリキュアはそれぞれの出会いをきっかけとして、自分のはじまりに「大好き」を見いだしていきました。
 彼女たちは自分の「大好き」を元に闇に惑わされた人々のはじまりに「大好き」を見つけていき、ときにもっとたくさんのみんなの「大好き」も借りながら、少しずつ心の闇を払っていきました。

 そんなプリキュアの個性の輝きにスイーツさんは悟ります。
 確かに自分にはできないこともあったけれど、自分にしかできないこともやっぱりあったんだと。自分にできないことはみんなの助けを借りればいいし、自分にできることでみんなを助けたらいいんだと。
 スイーツさんのはじまりの「大好き」は、みんなを元気に、笑顔にすることでした。プリキュアと出会えてスイーツさんはそのことに改めて気がつきました。

 だから、スイーツさんはうさぎさんとともに旅立つことに決めました。
 世界中のみんなと一緒に、世界中のみんなを元気に、笑顔にするために。

スイーツさんたちのあしあと

起源(大好き / ペコペコ+)
「私はね、みんなの笑顔が見たくてプリキュアになったの」
挫折(嘘つき / キラキラ-)
「私の心は深くて暗い闇に染まっている。それでも私を笑顔にしたいというなら、私だけにスイーツをつくれ・・・!」
変身(出会い / キラキラ+)
「わかったのよ、6つのクリスタルの意味が。それはあなたがたひとりひとりの個性の輝き。――そして気づいたの。私の中にもあるその輝きの、力の強さを!」
不安(大嫌い / ペコペコ-)
「スイーツがなかったらペコリンとも出会わなくて、みんなでキラパティをやることも、それに、お母さんに大好きを伝えることもできなかったんだ。スイーツがなかったら・・・ううん。スイーツがあったからだ!」
統合(気付き / ペコペコとキラキラを!)
「ならこれを持っていくジャバ。お主の願いはこのキラパティで叶えてほしいジャバ」

 キラキラプリキュアアラモードの各個人エピソードはすべて同じ構造になっています。

起源:元々誰もがそれぞれに自分の「大好き」を持っていました。
挫折:けれど、何かを嫌いに思う気持ち・・・心の闇に冒されたせいで、自分の大好きなものにまで素直になれない「嘘つき」になってしまいました。
変身:そんなある日、自分とは違う個性を持った仲間と「出会い」、お互いに影響しあって変わっていきました。
不安:違う個性と出会うということは自分の個性も見つめなおすことにもつながり、彼女たちは改めて自分の心の闇、「大嫌い」と向きあうことになりました。
統合:そして「気付いた」のです。大好きも大嫌いも、本当はどちらも今の自分をつくってくれたステキなものなのだと。ありのままの自分全部、大好きになれるんだと。

 その構造はいちかたちプリキュアのみならず、この物語のもうひとりの主人公・スイーツさんにも適用されています。
 ルミエル、あるいはキラキラパティスリー、あるいはひとつひとつのスイーツといったかたちで劇中に登場したスイーツさんは、プリキュアと出会うことでノワールらの心の闇を乗り越え、本来の自分のやりたかったことを取り戻すことになりました。

 キラキラプリキュアアラモードの物語は大いなる物量戦です。手を変え品を変え、自分じゃ思いつかないことその人ならできること、あの手この手でどうにかこうにか自分の「大好き」を達成します。

ツッコミ

 料理アニメとして見ると、キラキラプリキュアアラモードはすっごい変な作品です。
 なにせスイーツが事件解決の直接の鍵にならないんです。
 そう、キラキラプリキュアアラモードの敵キャラって、どいつもこいつもスイーツを食べようとしないんですよ。スイーツを中心に据えた物語のくせに。

 昔の料理アニメは事件が起こればとりあえずライバルなり審査員なりに料理を食べさせて、おいしい料理のパワーで事件をねじ伏せてきました。巨万の富とか世界の危機とか誰かの生き死にとか、どんな荒唐無稽な状況であっても、とりあえず料理だけは無条件に食べてもらえました。その線だけは絶対に譲りませんでした。
 けれどキラキラプリキュアアラモードではその従来の作法が通用しません。せっかく目の前においしそうなスイーツがあるというのに、どいつもこいつもキラキラルを吸い取るだけなんです。(例外はひとりだけ。ホット―、お前のことだよ!)
 彼らがスイーツを食べるのは本当に最後の最後。それぞれの起こした事件が解決し、彼らが改心してはじめてスイーツの出番となります。ただし、事件自体は解決済みなのでさらっと流されがちでしたけどね。

 要するにこのキラキラプリキュアアラモード、「食べてもらえるようになるまで」を描いてきたわけです。こんなの従来の料理アニメはまずやりたがりませんでした。だって肝心の料理が目立たなくなりますもん。
 それを、やりました。プリキュアとスイーツのダブルヒーロー制を組むことによって。
 ははは。バッカじゃねーの。

 いやホントバカみたいな定石外しです。邪道も邪道です。
 だって考えてもみてくださいよ。画面においしそうな料理が登場したなら、視聴者は普通それがどんなにおいしいのか興味を抱くはずです。劇中で誰かに食べてもらって、味を教えてほしいと思うはずです。料理アニメの面白さの核ってそこだったはずなんですよ。本能に訴えかける要素があったからこそ、料理アニメは一時期流行したんです。
 そういうサイコーに手堅い要素を、あえて外したんです。キラキラプリキュアアラモードってば。
 バッカじゃねーの。もう一度いいますが、バッカじゃねーの。
 こういうところ最高にプリキュアらしいですよね。さすが女の子向けアニメにガチの肉弾戦を持ち込んだイロモノの血統なだけあります。プロレス技は捨ててもヘソ曲がりなところは健在か。

 ですが、ただ奇をてらうだけじゃなくそこにちゃんと意義を埋め込むのもまたプリキュアらしさ。
 「食べてもらえるようになるまで」を描くからには、もちろん「食べてもらえるようになるまで」を通してはじめて描けるテーマを扱います。
 キラキラプリキュアアラモードはいわば料理アニメの前日譚です。敵にスイーツを食べてもらう瞬間ではなく、敵にスイーツに食べさせたら事件を解決できるという論理が組みあがるまでの過程を物語の核としました。

 だから、スイーツ自体の活躍は意外と目立ちませんでした。
 だから、最終話になってようやくみんなを笑顔にしていくスタートラインに立ちました。
 バッカじゃねーの。(まだ言う)

「大好き」の論理

 いちかたちはそれぞれにふたつの「大好き」を持っていました。

 ひとつは自分のはじまりに見いだす「大好き」。
 「元気」「知性」「自由」「美しさ」「強さ」「夢」
 いちかたちは自分のなかにこういう美点があることをはじめから自覚していました。
 自覚していながら、けれど諸々の経験からその強さを信じきることができずにいました。

 もうひとつは他人との関わりあいのなかで見つける「大好き」。
 「笑顔」「勇気」「情熱」「トキメキ」「愛」「希望」
 いちかたちがお互いの関わりあいのなかで育んでいったものです。
 ・・・というか、実は「大嫌い」として、こちらもはじめから自分のなかに持っていたものだったりします。

 すでに総括感想1~6で(きわめてわかりにくく)書いてきましたが、これらふたつは物語のなかで複雑に絡みあい、「大好き」になったり「大嫌い」に裏返ったりしながらゆっくり育まれていきました。

 「女の子はね、『大好き』から気持ちがはじまるの。だからときどき思いだすのよ。気持ちがはじまったそのときを。大切な思いのはじまりを。思いは女の子の輝く力になるの」
 「大好き」は誰でもはじめから持っているもの。
 「あなたの思いも私たちと同じところから始まってる。『大嫌い』の反対の『大好き』。その思いがあるなら、きっとあなたを笑顔にできる!」
 「大好き」と「大嫌い」が表裏一体であること。
 この2点が特に重要なポイントです。

 どうして料理で事件を解決しようと思ったのか。どうして料理が事件を解決できるのか。
 キラキラプリキュアアラモードは料理アニメが抱えてきたその命題に、「大好き」の論理で答えました。

 ポジティブな気持ちもネガティブな気持ちも、すべては「大好き」からはじまっている。
 「大好き」は別の「大好き」と衝突して「大嫌い」に裏返ったり、誰かの「大好き」と共鳴してもっと強い「大好き」になったり、出会いのたびに変容していく。
 だから、みんなに迷惑をかける事件を起こすような困った人がいたら、その人にはじまりの「大好き」を思いださせるよう、みんなで力を合わせてそれぞれの「大好き」をぶつけれてやればいい。

 よって、自分の「大好き」をたっぷり込められる優れた媒体として、料理はあらゆる事件を解決させられる最善手のひとつである。・・・と、そんな感じ。

 そこで敵に無条件でスイーツを食べさせてしまうと、「大好き」ではなくスイーツそのものがすごいんだって話になってしまうので、キラキラプリキュアアラモードの物語においては敵にスイーツを食べさせることを封印することになったわけですね。

スタートライン

 こうして「大好き」の論理を確立し、キラキラプリキュアアラモードの主人公の一角であったスイーツさんは、1年かけてようやく料理アニメのスタートラインに立ちました。
 どんな物語よりも丁寧に描かれたスタートラインです。「はいはい、どうせスイーツ食べさせときゃ解決するチープな話なんだろ」と茶々を入れられても、「そうだよ。だってそこには『大好き』があるからね」と胸を張っていられる頑強なスタートラインです。
 私の感想文では序盤を除いてスイーツさんへの言及はあまり多くなかったように思いますが、こうしてふり返ってみるとむしろスイーツさんが一番主人公していた印象ですね。

 いちかたちプリキュアの方は意外と今回オールスターズ映画的なお助けヒーローポジションに近かったというか。
 終わってみれば魔法つかいプリキュア!以前で培ってきた論理を積み重ねるのが主で、キラキラプリキュアアラモード独自の飛躍は少なかったように思います。つまらなかったとか既視感があったとかそういう話ではなく。

 特にいちかたちが導いた「大好き」の論理は、ドキドキ!プリキュア以降の個人主義志向を総括しうるものです。
 すべては自分がやりたいから、自分のためにやるんだ。
 それが同時にみんなのためにもなるんだ。
 論理の接続点が不鮮明だったこのふたつを、「大好き」は鮮やかにつなげてみせました。
 今のプリキュアならハピネスチャージプリキュア!のつむぎちゃんと出会っても、自分の無力を噛み締めることにはならないでしょう。(いや、当時も愛乃めぐみは自分にできることを立派にやり遂げましたし、大方の流れ自体も当時とそこまで変わらないでしょうけどね)

 14年。
 プリキュアという物語群に内在する論理はまたひとつ強くなりました。
 来週からはいよいよ15周年という節目の記念作がスタートします。
 キラキラプリキュアアラモードが踏み固めたこの論理の土台の上でなら、新しいプリキュアはまさに「なんでもできる! なんでもなれる!」でしょう。

 スイーツにとってそうであったと同時にプリキュアにとってもまた。
 キラキラプリキュアアラモードという物語は、丁寧に描かれたスタートラインでした。

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