映画ヒーリングっどプリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!! 感想 頼まれなくても勝手に救う、身勝手なほどに優しい人たち。

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いっしょに夢見て、いっしょに乗り越え、みんなといる“今”。生きてる感じがする。

EDテーマ『やくそく』

このブログはあなたが視聴済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。
例外的にネタバレ抜き(当ブログ基準)の記事もあるのでよろしければどうぞ。

ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!

活躍したひと

のどか

 何もかもを諦めない優しい主人公。難病で長期入院したことがあり、そのときたくさんの大人たちに優しくしてもらえた経験から、多少無理をしてでもあらゆる人に優しくあろうと日々努力している。心に“特別な”夢のつぼみを抱いているが、その実、彼女の夢は「友達と一緒に当たり前の日常を過ごしたい」というちっぽけなもの。
 いつもの変身バンクに登場する花はシャクヤク。花言葉は「思いやり」「はにかみ」「謙遜」

カグヤ

 ゆめアールの看板キャラクターであり、開発者・我修院博士の養子でもある13歳の女の子。いつかみんなの夢が叶えられたらいいと心の底から願っている。その正体は奇跡の花の精霊で、ゆめアール開発を手伝うなかでほとんどの力を使い尽くしてしまい、物語開始時点から数えて2日後の誕生日に消滅する運命にある。
 彼女と深い関わりを持って登場する“奇跡の花”のモデルはハス。花言葉は「清らかな心」「雄弁」「離れゆく心」

我修院博士

 奇跡の花を発見しゆめアールを開発したコミュ障科学者。かつて深い絶望を経験したことから、夢と希望であふれる幸せな世界をつくりたいと本気で願っていた。ゆめアールはそのための手段。ただし、今はもうひとつ身勝手な夢を抱いてもいる。
 ちなみに下の名前はサレナ。ロボットアニメオタクの間では割と有名な単語で、ユリの花のこと。花言葉は「純潔」「純真」「虚栄心」。たぶんサレナがユリって意味だというところまでは知っていても、これがモンゴル語だということまで知っているオタクは少ない。

エゴエゴ

 ビョーゲンズを元にしてつくられた人造精霊。けっして邪悪な心性ではなかったものの、少々褒められたがりなところが目立つ。造物主のために働いても褒めてもらえなかったことが不満で裏切ることになる。

生きてるって感じのもの

 誰もが心に抱き、叶えるため努力しているであろうもの。
 カグヤには夢のつぼみとして具象化して見えており、一部の人のそれは特別なパワーを秘めているとされる。該当者はのどかとのぞみの2人。しかし、のどかの夢の内実は上記のとおり。のぞみも『Yes!プリキュア5』では、自分が立派な夢を持てていないからこそみんなの夢みる気持ちを大切に思っている、というキャラクターだった。

ゆめアール

 心に思い描いた夢を現実に映し出すことができる、画期的なエンターテイメント。一見ARのようなものに見えるが、東京の街中どこでも使うことができ、しかも実際に触ったり食べたりできる。
 ・・・というのは表向きの触れ込み。我修院博士がこのシステムを開発した目的は、みんなの夢を奇跡の花のもとへ送ることにこそある。

うまくいかなかったこと

カグヤにとって

 お母さんのことは大好きだし信じているが、お母さんが仕事で忙しくしているせいで少々コミュニケーション不足。そのせいでお母さんの愛情を疑うことになってしまった。

我修院博士にとって

 夢と希望に溢れる幸せな世界をつくろうとしたところ、意図せず愛娘の命を犠牲にするかたちになってしまった。救うためには奇跡の花の力が必要。しかし、本来世界を変えるために使う予定だったその力を私的な目的のため使うのは自分の夢を諦めるということであり、ゆめアールに参加してくれた人々への背信行為であり、そしてなにより夢に賛同してくれた愛娘を裏切ることであった。
 誰にも打ち明けることができず、ひとり追い詰められていた。

エゴエゴにとって

 自分の夢は誰よりも大きなものだからという理屈で他人の夢を踏み台にすることを自己正当化しようとしたが、“みんなの夢を守る”プリキュアに何故か妨害された。

やりきれたワケ

 誰が諦めようとしても、半端に妥協しようとしても、のどかが絶対に諦めようとしなかった。
 また、我修院博士のこれまでしてきたことが、本人も想像していなかったかたちで奇跡を呼び起こした。

シゼル

 「寒くはないか、メルディ」
 「うん」
 『インフェリア歴187年。シゼルは夜空に浮かぶセイファートリングを見上げて、ふたつのことを考えていた。ひとつは、リングを挟んで相対するふたつの世界の不思議について。そして、もうひとつは――』
 「いつかセイファートリングの上に腰掛けて、この子と歌を歌えたら――、ステキであろうな」
(『テイルズオブエターニア ドラマCD第5巻』)

 月夜をバックに我修院博士がカグヤに絵本の読み聞かせをするシーンで私がまず思い出したのは、『テイルズオブエターニア』にあった印象深いシーンのひとつ。世界を破壊せんと企てる邪悪の化身が、かつては愛娘とともに夜空を見上げるひとりの母親だったという、ささやかなエピソードでした。
 終わらない戦乱の世。力ない者から殺され、持たざる者こそ奪われて、地べたにはぬいぐるみを握りしめた幼子の死体が転がっている。そんな世界で、シゼルは活動家の夫とともに、争いと不公平のない新しい世界のありかたを訴えつづけました。
 けれどそんな彼女に待っていたのは破滅の運命。重臣に裏切られ、愛する夫を目の前で殺され、そして今まさに娘の命すらも摘みとられようとしている――。絶望に心塗りつぶされて、彼女は邪神に肉体を乗っ取られてしまうのでした。
 彼女自身はあくまで夫を愛し、娘を愛し、平和を愛し、世の理不尽を悲しんでいただけだったのに。

 我修院博士もそういう人物でした。
 彼女が望んだのは「人々は夢と希望で溢れ、今よりもっと幸せな世界」。絵に描いたようなキレイゴトですが、彼女は本気でした。
 花寺のどかが長期入院という辛い経験によってみんなに優しくありたいと思うようになったのと同じように、我修院博士も深い絶望を経験したことにより、こんなキレイゴトを本気で叶えるための努力を続けてきました。

 奇跡の花を発見することができたのは、そんな彼女だからこそだったのでしょうか。
 誰よりも思いやり深く、誰よりも真剣で、誰よりも実現困難な夢を助けるために、奇跡がもたらされたのでしょうか。

 我修院博士は優しい女性でした。
 奇跡の花の発見は彼女の夢を現実のものとするための光明となりました。花に宿っていた精霊の力はゆめアールシステムを完成させるためのキーにまでなりました。
 ですが、それとは別に、彼女は精霊をひとりの人間として扱うことも望みました。名を与え、養子とし、親として惜しみない愛情を注ぎました。

 「ただのつくり話だ。泣くな。私はずっとお前の隣にいる」

 我修院博士にとって大切なものがひとつ増えました。

 夢。夢と希望で溢れる、今よりもっと幸せな世界をつくりたい。長いことそれを実現するためだけに生きてきた。
 愛。何にも換えがたい愛娘。母親の夢を理解し、協力してくれる。けれどそんなこと関係なく、ただずっと隣にいてあげたい愛しい人。

 その、どちらか片方だけを選ばなければいけないとしたら?

 「夢を叶えたいのだ。たとえそれが身勝手な夢だとしても」

 我修院博士は選びました。
 そして、選んだことを秘密にしました。誰にも、娘にすらも、このことは絶対に隠しとおさないといけないと思いました。
 優しい人だから。
 お母さんがどちらとも選びがたいものを選んだのだと知ったら、きっとあの子は傷ついてしまうから。
 あの子もまた、優しい子だと知っていたから。

ゆめアールの真実

 「さあ。イメージして。ちゆちゃんを応援するの。いい? いくよ! みんなの心に――」
 「ゆめアール!!」

 もし現実にゆめアールが存在したとしたら、あなたは何に使うでしょうか?

 夢を叶えたい?
 どんな夢を?

 おいしいものを食べたい?
 そのくらいならまあ、叶えられるかもしれません。

 友達と楽しい時間を過ごしたい?
 友達と一緒に来てくれたら、そのお手伝いくらいはできるかもしれません。

 ダンサーになりたい?
 それはゆめアールでは叶えられません。

 国立競技場の大会に出てみたい?
 それもゆめアールでは叶えられません。

 そう。ゆめアールにできることは案外少ないです。

 「いつかまたここで、今度は本当の大会で跳んでみたい」
 「それがちゆの夢ペエ?」

 実はゆめアールはみんなの夢を叶えるためのシステムではありません。
 ゆめアールはあくまで夢のかたちを現実に映し出すだけのもの。
 自分の夢は、結局自分で努力しないと本当に叶うことはありません。
 ・・・努力したところで本当にみんながみんな夢を叶えられるかはともかく。

 「みんなの夢の力を空に送るよ! 行っけー!」

 ゆめアールの本当の目的は、みんなの夢の力を集めて奇跡の花の開花を促すことにあります。
 奇跡の花へ夢の力を送るために、一旦夢を心から取り出して現実に投影しているだけにすぎません。
 奇跡の花が開花すれば願いが叶うといわれています。我修院博士の狙いはあくまでこっち。

 我修院博士はその力を使って「夢と希望で溢れる、今よりもっと幸せな世界」を実現するつもりだったんだと思われます。
 ちょっと騙し討ちみたいな印象もありますが、もしそれがうまくいけば、結果的にゆめアールは本当にみんなの夢を叶えるためのシステムになりえたでしょう。私たちにとってもそれはけっして悪いことではなかったはずです。
 あのコミュ障博士、そこまで見越してゆめアールシステムの本質を公表しなかったんでしょうね。奇跡の花を悪用しようとする者が現れるのを恐れたのか、それとも単に自分ひとりで活動したほうが動きやすいと考えたのかはわかりませんが、何にせよ結果さえ出してしまえば事後報告でもあんまり怒られずに済みます。コミュ障はわりとそういう判断しがち。

世界を選ぶか、娘を選ぶか

 ところが、ゆめアールシステムの完成直後にカグヤの寿命が残り少ないことが発覚し、状況は一変します。

 世界を変えるか、娘を救うか、我修院博士は奇跡の花の力の使い道を選ばなければならなくなりました。
 カグヤと出会う前だったらこんなことで悩むことはなかったんでしょうけどね。なまじ精霊を夢を叶えるための道具ではなく娘として扱ってしまったから、博士にとっての大切なものが2つに増えてしまったから、彼女は苦しむことになります。
 結果、彼女はカグヤを救うことを選びました。
 夢と希望で溢れる世界を実現する夢は諦めるしかなくなりました。

 博士、この時点で「ゆめアールはカグヤの命を救うための事業だ」って公表しちゃえばよかったのにね。
 リアルに考えたらそりゃまあそんなオカルトドン引きですが、プリキュア世界でならきっとチャリティ感覚で協力してくれる人が大勢現れたでしょうに。

 なまじっか切実に困っていることを秘匿したまま行動したものだから、まともにやってたら何十年かかるかわからない! →こっそり夢のつぼみごと盗むしかない! →それだと犠牲が多すぎるから特別な夢のつぼみを持ってるキュアドリームを利用しよう! →夢の力の抽出に思ったより時間かかるからもう東京じゅうの夢のつぼみを奪いつくすしかない! ・・・なんていう典型的なダメスパイラルに陥っちゃったわけで。
 全然余裕を持てなくて周りのことが見えていなかったせいで、エゴエゴは怒らせるわ、カグヤには泣かれるわ、もう散々。
 困っていることを打ち明けない人の問題はここ最近のプリキュアシリーズにおいて特に重要なテーマのひとつになっているので、博士のようなコミュ障はそりゃあもう徹底的にどん底まで転がり落ちていく展開になりましたとも。

 まあ、言えなかった気持ちもわかりますけどね。
 どうやらカグヤは自主的にお母さんのゆめアール開発に協力していたようですから。お母さんの夢が夢と希望で溢れた世界をつくることだってことまで聞いていたようですから。
 奇跡の花の力を自分の延命のために使うだなんて彼女に知られてしまったら、きっと彼女は悲しみますし、お母さんの夢を奪ってしまったと罪悪感に苛まれるでしょうし、作中でそうだったようにきっと延命を拒んでみんなのために奇跡の花を使おうとします。
 娘にそんな思いをさせるのは・・・、そりゃあ、お母さんとしては絶対に嫌ですよね。

特別な夢のつぼみ

 ところで“特別な”夢のつぼみって、結局何だったんでしょうか?
 どうやら普通の夢のつぼみより強い力を秘めているらしいってことくらいしか直接的には語られていません。

 「私はね、みんなと一緒なら場所はどこでもいいの」

 特別な夢のつぼみを持っているはずののどかの夢は、フタを開けてみればとてもささやかなもの。
 好きなものを食べられるようになりたい。どこにでも自由にいけるようになりたい。友達と一緒に過ごしたい。
 言ってしまえば全部すでに叶っています。彼女が望んでいるのは、そんなありふれたいつもの日常です。夢と呼べるような夢ではありません。

 「人の応援より、のぞみはどうなの? やりたいこと見つかったの? 先週、手芸部に入ったって言ってたよね」
 「ええっと。糸がどうしても針の穴に通ってくれなくて」
 「先々週は演劇部にいたよね」
 「うーん。転んだ調子にセット壊しちゃって、出入り禁止」
 「その前は吹奏楽部」
 「演奏聴いてたら・・・、熟睡しちゃった。エヘ」
 「『エヘ』じゃない! まったく、次から次へコロコロと」
 「だって、見つからないんだもん。『これがやりたい!』ってものが」
(『Yes!プリキュア5』第1話)

 ちなみにもうひとりの特別な夢のつぼみの持ち主、夢原のぞみはそもそも特定の夢を持てない子でした。・・・ひなたに負けず劣らずの粗忽者だったせいで。

 特別な夢のつぼみの持ち主というのは、けっして大きな夢を持っている人という意味ではありません。
 もしそうであったなら世界を変えようとする我修院博士の夢のつぼみは最初から輝いていたでしょうし、東京全体を支配しようとするエゴエゴにだって特別な夢のつぼみが宿っていたことでしょう。

 特別な夢のつぼみというのはそういうものではありません。

 「私ね、長い間病気で休んでいたの。ずっと、ずっと、思うように動けなくて。何もできなくて。辛くて。悲しくて。寂しくて。・・・でもね、お父さん、お母さん、お医者さんたち、たくさんの人が励ましてくれて。助けてくれて。そうやって元気になれたの。だから私、思ってた。今まで助けてもらったぶん、たくさんの人にお返ししたいって。いろんな人を助けたいって」(『ヒーリングっどプリキュア』第2話)

 「アンタはココの夢をバカにした! 絶対悪い人よ!」
 「夢? ハッ! くだらない!」
 「夢はとっても大事なものなんだよ。自分がボロボロになっても叶えたい、大切なものなんだよ。それをバカにするなんてサイテー! だから絶対に渡さない!!」
(『Yes!プリキュア5』第1話)

 心に特別なつぼみが宿る人というのは、何よりも真っ先に、他人の幸せを本気で願える人のこと。
 自分が持たないものですら慈しみ、憧れ、叶えるための力になりたいと望める優しい心の持ち主。

 「誰かを思うとき。誰かと笑うとき。たしかに世界は輝きを増す。あたたかい奇跡に包まれた、同じ星で生きている GraceFlowers」(挿入歌『GraceFlowers』)

 「誰かくじけても誰か立ち上がる。助けあい、支えあうから、まわる世界」(EDテーマ『やくそく』)

 (※ ラストバトル中にこのあたり関連の大事なセリフがいくつかありましたが、メモしている暇なんてあろうはずがないので割愛)

 つまるところ、ひとりでがんばるよりみんなで協力したほうが大きな夢を叶える力になる。そういう話ですね。
 『HUGっと!プリキュア』の応援についての考えかたや、『スタートゥインクルプリキュア』のトゥインクルイマジネーションにも似ています。誰かを助けられる人というのは、それだけ誰かに助けてもらえる機会も増える。たくさんの人との繋がりが生まれる。自分の夢も、周りの人の夢も、全部丸ごと大きく叶えることができる。

 だから、夢みる人よ、優しくあれ。

 終盤で我修院博士の夢のつぼみが特別な輝きを放ったのもそういうことですね。
 彼女は元々みんなのために世界すら変えたいと願ってしまうほどのお人好しです。「身勝手な夢」と嘯く夢ですら自分ではなく娘のことを思ってのもの。なにせ世界で最初に奇跡の花にたどり着いてしまうような人物ですよ。奇跡を起こせるくらいの夢の力を持っていて当然。

 それまで輝いていなかったのは、彼女が自分の殻に閉じこもっていたから。
 本当は娘のためであるはずの夢を「身勝手な夢」だと言って、本人に黙ったまま、誰にも相談せず、誰の力も借りず、誤解されたらされっぱなし、全部自分で背負い込んで、全部自分で片付けようとする。本当は誰より優しいくせに、全然優しくないって顔をする。
 そんな、ひどく拗らせたコミュ障だったから、せっかくの優しい夢を輝かせることができなかったんですね。

 結局のところそれが全ての原因。今回の事件は何もかも我修院博士の不始末のせいです。

 そして、そんなバカだからこそ、起こせる奇跡がある。

生きてるって感じ!

 せっかく奇跡の花に集められた夢の力はカグヤの意志によってみんなのもとへ返され、カグヤを延命する手段は失われました。だからといって我修院博士元々の夢が叶えられたわけでもなく、博士の手のひらには喪失だけが残りました。

 自業自得のバッドエンド。
 けれどまあ、まだマシなほうなんじゃないですか? プリキュアの奮闘によって娘の最後の瞬間に立ち会うことができ、みんなの夢の力を奪った罪も清算され、本人としては充分満足できる結末に落ち着きました。

 私だったらこれで納得するところ。私だったらこれをバッドエンドだとは思わない。私は満足する人の味方です。ハタから見てどんなに悲惨であろうと、どんなにかわいそうであろうと、本人が満足しているようであれば私はその思いを祝福します。
 私は自分が客観的にものを見られるとは思いません。誰も主観抜きで物事を捉えることなんてできないと考えます。だからこそ、私は私の主観を尊ぶし、他の人の主観も尊重します。だから、本人がいいというのであればそれでいい。
 繰り返しますが、私だったら我修院博士とカグヤのたどり着いた結末をありのまま祝福します。

 「カグヤちゃんの命が失われようとしているの。私は友達を失いたくないの・・・!」

 一方、そうじゃない子がひとり。

 我修院博士がこれで満足していようが、カグヤがこれで満足していようが、知ったこっちゃない。
 のどかは手前勝手なワガママで、誰よりも諦めの悪い優しさで、他人の物語に強引にページを足していきます。

 のどかはそうでなくちゃ。

 「・・・嫌。だって、ここを離れている間に取り返しがつかなくなっちゃったらどうするの? このステキな作品たちは? つくった人の――長良さんの思いは? 私は絶対守りたい! ここを離れたくない!」(『ヒーリングっどプリキュア』第10話)

 だってこの子、取捨選択ができない子なんですよ? 目についた人、モノ、何もかもに最大限の親切を貫く手加減知らずですよ? 医者が患者に対応するときの優しさに憧れて、不特定多数に対して同質の優しさで接しようとするアホの子ですよ?
 このときも口ではラビリンに「また同じ間違いをしたら指摘してほしい」って言っておいて、同日中に結局また無茶を通す決断をしていますからね。本人すら生きることを諦めていたエレメントさんを救うために。

 この子は助けを求められたから助けるっていう子じゃないんです。
 自分が助けたいから助けるって子なんです。

 だから、今回もそうします。
 ろくに助けを求めない我修院博士にすら協力します。
 何もわかっていないエゴエゴに懇切丁寧に夢が強い力を持つ条件を教えてあげます。
 納得ずくで自ら延命することを放棄したカグヤのことだって、もちろん救います。
 個人的な理由で。

 「手伝うよ。私たちにも何か手伝えることないかな? 困ってる人、放っとけないよ」

 この子はいつでもそういう子でした。
 助けるべき人を、相手を見て選ばない。
 自分が助けたいと思ったから助ける。
 おいしいものを自由に食べるのと同じノリで。
 好きな場所に自由に出かけるのと同じノリで。
 助けたいと思った人を自由に助ける。
 しかも極端に優しいせいで、ほとんどの人を放っておけない。

 「生きてるって感じ!」

 そりゃあ、そんだけ何にも縛られず好き勝手やっていたら生の実感も湧くわ。

 似たような人、劇中にもうひとりいましたね。

 我修院サレナ。
 「人々は夢と希望で溢れ、今よりもっと幸せな世界」とかいうバカげたキレイゴトを大真面目に追求して、実際あと少しというところまでたどり着いてみせた、きわめつけの理想主義者。あるいはバカ。自由人。誰よりも優しい人。
 誰がそんな世界をつくれと頼んだ?
 誰が今の現実が辛いと嘆いた?
 そんなの関係なく、彼女は自分が悲しいと思ったから世界を変えることにしましたし、自分がかわいそうだと思ったからみんなに夢と希望を与えたいと望みました。

 さて、ところで。
 誰かのことを思って抱く優しい夢は強い力を持つわけで。

もうひとつの奇跡の花

 まあ、そんなわけで奇跡の花なんかなくたって奇跡は起きるわけですよ。
 我修院博士のつくったゆめアールは、それ自体は夢を叶える役に立ちません。
 ですが、たとえばちゆがそうだったように、夢のかたちを現実に投影することならできます。ちょっとした体験をすることならできます。憧れていたものの姿を改めて見つめて、ますます自分の夢に強く焦がれることはできます。
 夢みる人たちはみんな、我修院博士のつくったゆめアールに喜んでいました。その看板を務めていたカグヤのことを好きになっていました。

 「みんなの心にゆめアール!」

 ゆめアールを通して、みんなの夢は輝きを増していました。

 我修院博士自身は誰にも自分の夢を共有しようとしないコミュ障なので気付いていませんでしたが、今やゆめアールシステムそれ自体が奇跡の花と同等の夢の力を集めた、奇跡生成装置になっていました。
 あとはただ、のどかのようなお人好しが呼びかけるだけでいい。

 それだけで奇跡は成ります。
 みんな自分のやりたいように協力してくれます。
 カグヤに元気になってもらうためなら誰もが一生懸命になってくれます。

 我修院博士の夢、本当はもうとっくに叶っているのかもしれません。

 「人々は夢と希望で溢れ、今よりもっと幸せな世界」

 東京は夢で満ちました。
 未来への希望が以前より強まりました。
 ゆめアールのある世界はみんなが幸せそうです。

 「生まれる前から注がれてきたの。やわらかな愛が最初の記憶。胸の奥の、私のつぼみ。水をあげよう。いつか咲くその日にはあなたにも見せたいから。芽生えたての夢は孤独なんかじゃない。太陽の下、今日も」(挿入歌『GraceFlowers』)

 この世界のありかたは、優しい人の手前勝手な愛が変えてしまったようです。

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