サニーボーイ 第10話考察 シュレディンガーのパンドラボックス。

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・・・あき先生のおっぱい。

「夏と修羅」

気になったポイント

「能力」

 長良は未知なる瑞穂の能力について「静止に関わる何かなのかもしれない」と、ほとんど直観的に推測した。「僕たちは決まってしまった漂流に囚われつづけている」ことを根拠として。何故か?
 この推測は“「この世界」のルールは全て漂流者たちの能力によってつくられている”という前提のもとに考えられている。そうでなければ根拠と推測が関連づけられない。そして、彼の推測は的中した。

 また、長良は「瑞穂は誰かが死ぬのを見たくなかったんだ」と、能力の起源が個々人のパーソナリティに由来することにまで言及している。こちらもすでに当然の前提であるかのように。

「能力遺物」

 そもそもあれらの品々はどうして能力“遺物”と呼ばれているのだろうか? 入手手段は「この世界」の攻略だったはずなのに。いったい誰の遺物だというのか。
 漂流者たちはあの頃からなんとなく気付きはじめていたのだろう。それぞれの「この世界」固有のルールは、自分たちが漂流してきて目覚めた能力とどこか似ていると。場合によっては再現可能かもしれないと。

 そういえばこの世界『バベル』にあった天地逆転ルールはコウモリの能力によって人為的に定められたものだった。
 こだまが腫瘍に冒された後、彼女の万物を司る能力【M】はそのまま能力遺物として受け継がれた。
 そして今回、この世界『戦争』を攻略された戦争と思しき人物は能力遺物になり、希に至っては「この世界」の攻略を経ることすらなく能力遺物へと姿を変えた。

「この世界」

 すなわち、「この世界」の攻略とは、それぞれの「この世界」を司る漂流者に死を与える行為だったのかもしれない。あるいは、それぞれの心のなかに隠された妄執やこだわりといったものを解きほぐし、解消させる行為だったのかもしれない。
 それぞれの能力を能力たらしめるルーツが失われたあとに残る遺品が、「能力遺物」。

 そういえば全ての「この世界」にまたがって適用される共通ルールがいくつか存在していた。
 1つ、特定周期で時間が遡るルール。2つ、正当な所有物以外が焼失してしまうルール。3つ、そもそも漂流先の世界自体が複数の「この世界」として多元的に存在しているルール。4つ、その無数にある「この世界」を漂流者たちが認識し、渡り歩くことが可能なルール。5つ、時間の流れが時と場所によって異なるルール。6つ、全ての漂流者は永久不変の存在であるというルール。
 1つ目はソウとセイジの【リバース】。2つ目の出所はまだ不明。3つ目はやまびこ先輩の【心の内側の具現化】。4つ目は言わずもがな長良の【観測者】。5つ目はあき先生の能力【相対性】。そして6つ目が今回明らかになった瑞穂の本当の能力【誰かが死ぬのを見たくない】。
 「なにも瑞穂だけが原因じゃない。漂流は仕方のないことだった」(第9話)とはそういう意味か。

 ルールの元となっているであろう能力保持者の世代がバラバラだということは、実は全ての漂流者は世代を問わず同時にこの世界へ漂流していたのかもしれない。

ヴォイス

 「この世界」に実在しているということは、彼も元中学生の漂流者なのか、あるいはあき先生含め本当に神様的な存在のどちらかということか。

骨折の能力【モノローグ】

 「相手の思考が物語のような語りで聞こえる」能力。
 よくある能力の割にやたら持って回ったような説明だが、その意味は試しに自分の思考を文字起こししてみればわかるはずだ。無意識の独り言を録音してみるのでもいい。通常、人間の思考というものは私たちが思っている以上に散文的でとりとめのないものだ。なぜなら他人に伝えようというプロセスを通していないから。思考の前提を共有できていない他人にも理解できるような翻訳をしていないから。だから現実的にはある人が誰かの思考を100%そのまま読み取ろうとしても、相手が何が言いたいのか全く理解できないだろう。他人の思考を理解するためには一度物語化する必要がある。
 そういうプロセスが必要なかったなら、小説家や画家、作曲家、アニメーター、俳優、歌手など、全ての創作家(表現者)たちは生みの苦しみを味わうことがないだろう。いや、そもそもそういう職業が成立することすらなかったはずだ。もし人間が自分の抱く思いをそのまま他人に伝えられるのなら、いちいち絵画や音楽、アニメなどの様々な媒体・無数の創意工夫と技法を通して“まわりくどく”表現する必要などないのだから。

あき先生の能力【相対性】

 詳細は相変わらず不明だが、どうやら相手に合わせて波長を合わせられるような類いの能力らしい。朝風の性癖ドストライクなおっぱい母性キャラを演じられているのも能力の一環なのかもしれない。
 朝風の能力と相性がいいとのことだが、肝心の【スローライト】の効果自体がよくわからないのでこちらも詳細不明。もし朝風が死を司る能力を行使できるようになったらあき先生も同じ能力を使えるようになるとか、そういう感じだろうか?

瑞穂の能力【?】

 「誰かが死ぬのを見たくなかった」という思いから発現した能力。祖母が施設行きになり、飼い猫3匹が捨てられるかもしれないと恐れ、恋した(依存した)先生は学校から放逐されてしまったという散々な身の上を思えばいかにもそれらしいと取るべきか、そのうえでなお性根がお人好しすぎると取るべきか。
 瑞穂と縁のある全ての生物の状態を漂流直前のままで固定し、すなわち永久不変の不死者とする能力。無意識ではあるが、どうやら【ニャマゾン】を使って漂流者たちコピー体を「この世界」に招き寄せたのは瑞穂だったようなので、実質的に漂流者全員が彼女の能力の対象になっている。

やまびこ先輩の能力【?】

 心の内側を具現化するのは彼の固有能力だったはずだが、今回戦争の心象風景そのままの姿のこの世界『戦争』が登場した。ちなみに前話の世界も『ソウセイジ』という名だった。心の内側を具現化できるのはどうやらやまびこ先輩だけではないらしい。というか、彼の能力の対象が自分自身だけではないと考えるべきだろうか。

長良の能力【観測者】

 公式サイトでは「この世界」そのものをつくりだす能力だとしてあるが、実際に「この世界」をつくる能力を持っているのはやまびこ先輩だ。この能力はヴォイスの言っていたとおり本当に「可能性の箱を開けているだけのただの観測者」だったのだろう。
 “可能性”という言葉が意味を持つのは、未来へと進む時間の流れが存在するときだけだ。シュレディンガーの猫よろしく、可能性というものは、時間が進み実際に確認するというプロセスを経るまで、永久にただの可能性でしかない。

この世界『サイハテノステーション』

 『ハテノ島』から『サイハテノステーション』へ。あき先生が生徒たちを護送した終着点。あき先生派の生徒たちはここで丸1年遅れの卒業式を行った。駅であり列車も止まってはいるが、その線路は目の前の海で途切れていて、何故だかやたらとウニが転がっている。
 この世界ではもはや元の世界へ帰るなどという叶わぬ夢を見る者はおらず、今さら悲嘆に暮れる者もいない。皆が日々忙しなく歩きまわり、あるいは馴染みきった日常にそれなりの楽しみを見出してもいるらしい。

 「みんなやることも、やれることもない。列車の行き先も、与えられる役割も、敵が誰なのかもわかってないんだ。ここにはぼんやりとした不安だけがある。私たちは死なないはずなのに」

この世界『戦争』

 『傷アート』じゃないのか。
 土も木も鳥も空も、全てが乳白色の陶器のような質感で静止している世界。傷口のようにざっくり裂けた深い断崖の底にだけ血のように赤い色が存在し、戦争と思しき心の空虚な男子生徒がそこに向かって永遠に落ちつづけている。
 朝風の【スローライト】で珍しく真っ当に重力操作し、男子生徒の落下を止めることで世界の攻略がなされた。同時に谷底の赤も消え、白い虚無だけが残された。

 「ここには大きな傷だけが残ってる。彼は時間を過ごしすぎたんだ。もう止めてあげよう」

 「君に戦争を止めてほしいんだ。彼を殺してほしい。これは今まで誰も成し遂げてはいないことなんだ。君がこの世界に死をつくるんだ。君ならできる」

 そこで脈絡なく2本のソーセージの画が出てくるあたりもうね。そうでしたよね。ソウとセイジ、消滅してましたよね。しかもそこにいるあき先生がやったことでしたよね。「誰も成し遂げてはいないこと」だなんて嘘っぱち。

 だいたい、もし本当に「この世界」に死が存在しないんだとしたらどうして戦争を怖れるのでしょうか。
 彼の目的は神殺しでした。ついでにいうと実際に『祝祭の森』の生徒たちを殺してもいました。彼は殺せる力を持った人間です。神とやらに通用するかは知りませんが、少なくとも不老不死たる漂流者を殺す程度のことはできます。
 朝風よりは広く情報を押さえている視聴者なら誰もが思うことです。「こいつら朝風をうまく騙して自分たちの脅威を取り除こうとしているんだな」って。

 また、結局のところ今回朝風が為したことはごく普通の「この世界」の攻略です。いつものようにパズルめいた解法を示して能力遺物を回収しただけです。1人(※ 希を含めると2人)の人間を消滅させはしましたが、少なくともあれは私たちが知っている戦争の姿ではありません。
 あんなものを「この世界に死をつくる」行為と呼んでいいのならば、同じことを長良がとっくに何十回とやっています。

 残念、朝風。その偉業はすでに手垢まみれのようです。

 「私は帰るよ。たとえ自分が死んでいようとも、私は自分の運命を受け入れる」

 そして死といえば気になるのがもうひとつの死。
 自分で発した言葉どおりこちらの世界でも同じ運命を辿ることになった希の死。
 どうして彼女はこんなところで死んでしまったのでしょうか?

おっぱい

 「・・・あき先生のおっぱい」

 ↑でカッコつけた問題提起しといておっぱいです。
 はい。おっぱいです。
 さあ、おっぱいです。
 いざおっぱいです。
 おっぱいなら仕方ないよね。
 思春期のオトコノコ×おっぱいです。抗えないのも無理はない。
 誰だっておっぱいには逆らえない・・・とはまったくもって思わないけれど、もし世界に朝風が100人いたら100人全員があき先生について行ったことでしょう。そのくらい、おっぱいは強い。朝風特効。

 「あいつら、俺を笑ってたのかよ・・・!」
 「よしよし」

 おっぱいに顔を埋めながら壁を殴る衝撃的な絵面。
 これぞ朝風です。これでこそ朝風です。朝風にはこういう絵面がよく似合います。
 もはやあき先生のおっぱいにエロティシズムを感じる人はいないでしょう。アレってばもう完全にママンのソレ。何度フィーチャーされようともただただ朝風のマザコン疑惑が増していくばかり。

 あき先生は元々無力感を強く感じている生徒たち、すなわち自分には何も為せないのだと信じ、すなわち何かが起きたときは自分ではなく他人のせいだと考える性向の生徒たちを多く引き連れていました。
 そういう生徒たちにはあき先生のキャラクターがてきめんに刺さったからです。きわめて横暴な性格で、他人の思想に平気で口を出してくる、そして自分の思想を押しつけてくる――。
 楽なんです。自分で何も決めなくていいから。自分で何も責任を取らなくていいから。全部あき先生が決めてくれるから。そういうの、一般にマザコンっていいます。

 「結局何者にもなれなかったな。みんなより自慢できるのも皆勤賞ってだけだし、俺、これからどうなるんだろう・・・」

 あき先生がいる間はみんなそういう将来のこととか考えずに済みました。
 朝風なんかなおさらだったでしょうね。“救世主”。自分にふさわしい将来の夢と、そこに至るためのレールまで丁寧に敷いてもらえていたわけですから。

 「私があんたをフった理由を教えようか。私は朝風を尊敬できない。だから付きあえない」
 「みんなだって、神だって俺のことを認めたんだぞ」
 「他人がどうこうじゃない。あんた自身が決めた価値の話だ」

 こうくるとなるほど、骨折が朝風に惹かれた理由もわかるというものです。

 「ブサイクゴリラが出しゃばりやがって。ここでは俺が選ばれた人間なんだ。今まで散々見下しやがって」

 「おいおい! コイツ超面白い顔してんな。消えろ消えろ! 二度と俺の視界に入るな!」

 子どもっぽいからです。すぐ調子に乗って、器が小さくて、視野も狭くて。
 そういう、よりにもよって放っておいたら絶対ダメになる人にばかり胸キュンしちゃう難儀な人というのはいるものです。愛されるより愛したいとでもいうのか。そりゃあまあ、愛しがいはある。骨折はどうやらそういうタイプだったようです。

 「でもいいんだ。俺はお前らとは違うから。月とスッポンどころじゃない。クソと便器だ」
 「――今日もノってますね」

 いいよね、こういう謎語録。ツッコんじゃいけないやつをこっそり収集することには、ちょっと性格のよろしくないステキな充実感があります。カワイイ。わかる。

 「あの人が朝風くんを悪いほうに引き込んでいく」

 「でも朝風くんは自分が世界を変えられると思ってる。“俺にしかできない偉大なこと”に取り憑かれてる。・・・私に朝風くんを変えることはできないから」

 「希だけだった。何の偽りもなくみんなと接していたのは。――希なら朝風くんを」

 骨折が朝風に対して抱く思いは、実際のところあき先生がしていることと大差ありません。守ってあげたい。導いてあげたい。幸せにしてあげたい。
 恋をしている割には、相手から何をしてほしいみたいな気持ちが全然出てこないんですよね。朝風が希にホれていてもフツーに応援しちゃうくらいですし。反対にあき先生との交際は猛烈に反対しています。目線がもう完全に保護者なのよ。

 「私はいつか彼が世界から見放されて、ひとりぼっちになって、最後に自分のところに落ちてくる――。そんな日を妄想する」

 もしそんなことになってくれれば、こんな私でも永遠にいい子いい子してあげられるのに。

523日後の卒業

 「その女は全てお見通しだからだ。こいつは人の心を読む能力を持ってる」
 「・・・ホントか? 全部わかんのか。俺の気持ちも、今考えてることも」
 「ごめん」

 いや、【モノローグ】なんかなくても朝風の気持ちくらい誰でもわかるから。希じゃなくてもわかるから。

 「私があんたをフった理由を教えようか。私は朝風を尊敬できない。だから付きあえない」
 「みんなだって、神だって俺のことを認めたんだぞ」
 「他人がどうこうじゃない。あんた自身が決めた価値の話だ。・・・私は帰るよ。たとえ自分が死んでいようとも、私は自分の運命を受け入れる」
 「俺はお前ほど強くはなれない。与えられた能力でした自分を肯定できなかった。俺はお前みたいにはなれない。だから追いかけていたのかな。でも、それも今日までだ」

 いじけた顔を見るだけで、強がった言葉を聞くだけで、本音がどういうつもりかすぐに透けてしまう。そんな人間としての薄っぺらさは、彼の全てが借りものだからでした。
 彼が偉ぶれるのは【スローライト】のおかげ。今ここにいるのはあき先生に連れてこられたから。“救世主”などと呼んで自信を持たせ、励ましてくれたのもあき先生(のおっぱい)。戦争を止めて英雄を目指すのも、ただ神が敷いたレールの上を走っているだけ。
 彼自身の持ち物だったのは、せいぜい小学生じみたひねくれた恋愛感情、あるいは“憧れ”とでも呼ぶべき希への思いだけでした。

 「結局何者にもなれなかったな。みんなより自慢できるのも皆勤賞ってだけだし、俺、これからどうなるんだろう・・・」

 それはきっと、彼と同じ年頃の少年なら誰もが抱くであろう思い。
 まだ何者でもない。子どもらしく誰かに縋らなければ生きていけない。なのに、これからは大人として自分の力で生きていかなければならない。何を頼りに? 依って立つものなど、自分には何もないというのに。

 まだ。
 まだ。
 まだ。
 じゃあいつ?
 卒業まで?
 タイムリミットは卒業式まででいい?
 待って。まだ覚悟ができていない。準備ができていない。
 まだ。
 まだ。
 もう?
 まだ。

 「“私は私の心に従う”。そう思ったんだから、そうなんだ」

 そりゃあまあ、希みたいな芯のある子は頼もしく見えますよね。大人のあき先生と同じくらい。子ども視点からだと。
 薄っぺらな両足じゃひとりで立つことすらままなりません。せめて自分の体重を支えられるだけの強度を持った芯がなければ。

 だけど、今度こそ卒業です。
 あき先生から改めて卒業を言い渡され、希への恋心にもはっきり決着がつけられた、今。

 「そう。わかった。なら、これでさよならだ」

 今日は朝風の本当の意味での卒業式。
 誰かに縋るばかりではなく、自分を信じて、自分だけの力で立って歩いていくことになる記念の日。

 「ちょっと、朝風くん!?」
 「・・・あ。俺、どうして――?」

 だから。
 今日からの朝風には、もう、希は必要ない。

運命

 「この人、空っぽだ・・・」

 「ここには大きな傷だけが残ってる。彼は時間を過ごしすぎたんだ。もう止めてあげよう」

 何をもって人の死としましょう?
 心が死んでいても体は生きつづけるし、希望が死んでしまっても妄執だけは生きつづけるもの。
 反対に、肉体が死んでも思いは残るもの。残された誰かが継承し、その人の心のなかで生きつづけるもの。たとえ「この世界」が死んだとて、それならそれで能力遺物が残る。

 「私、死んじゃってた」(第6話)

 元の世界で希はすでに死んでしまっているようでした。
 その事実は希の心を少なからず波立てました。

 「私が行っても役に立てないから」(第7話)

 それまでの希らしくないことを言うようになりました。

 「来ないで。私、今、イヤなやつだから。誰かが全部終わらせてくれないかなって、本当は私、そんなズルいことばっか考えてるんだから」(第9話)

 それまでの希らしくないことを考えるようになりました。

 【コンパス】の光は見えなくなり、誰よりもまっすぐだと思われていた希の芯も揺らぎはじめました。
 その意味では彼女の芯の強さもまた、朝風と同じ、借りものだったのかもしれません。

 「私は帰るよ。たとえ自分が死んでいようとも、私は自分の運命を受け入れる」

 立派なことを言っているようにも聞こえますが、その決意はいったい誰のためのものなのでしょう。少なくとも自分に得がある選択ではないでしょうに。

 流されてはいませんか?
 “運命”などという誰かの敷いたレールに沿って、無責任に自分の歩む道を選ぼうとはしていませんか?

 “運命”は、今日、希を殺しました。
 誰のせいでもなく。

 今日は2回目の卒業式。
 子どもであることを許される時間は終わり、みんな大人にならなければいけなくなりました。
 自分が薄っぺらだろうが芯があろうが自己責任で、今日からは自分の両足だけで立たなければなりません。
 それが大人になるということです。
 自力で立てなくなった者は、『サイハテノステーション』の住人たちのように日々の小さな楽しみだけを糧にして、ただ人混みに埋もれていくだけ。

 ・・・本当に?

 「右が瑞穂が注文したニワトリで、左が僕が頼んだやつだ」
 「ねえ。本当にやるの? ・・・やっぱやめ――!」
 「瑞穂は、誰かが死ぬのを見たくなかったんだ」

 いいえ。たとえ自力では絶対にできないようなことであっても、誰かがしてくれることはある。
 誰かが自分に働きかけてくれたことで、ようやく前へ進めるようになることはある。
 子どもでも。大人であっても。
 大人がみんなひとりで生きているだなんて、そんな寂しい勘違い、私は認めない。

 「やっぱり、朝風くんを変えられるのは希だけだった」

 現実は案外そんなものです。
 世のなかみんなひとりで生きているように見えて、案外そんなこともない。

 「今度は僕が光を見せるんだ」

 今日、希が死にました。
 希が頼った“運命”は死への道行きでした。
 死こそが希の運命でした。

 だけど、彼女にはまだ長良がいます。
 希には変えられなかった運命も、他の誰かになら、まだ、変えられるかもしれません。
 彼は【観測者】。閉じたままでは確定しえない可能性の箱を開いて見届けてくれる人。

 ボーイミーツガールという物語類型は、まず主人公がヒロインに憧れて成長し、それから今度は主人公がヒロインの指針となって成長を促すところまでやって初めて完成となります。

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