元は同じだったかもしれないが――、今はもう違う。
「この鮭茶漬け、鮭忘れてるニャ」
気になったポイント
この世界『ソウセイジ』
雪原に開いた巨大なクレーターのような世界。例によって(意外と久しぶりに)人間の生存に適さない正統派の「この世界」だといえる。
髪の毛一本の違いで仲違いしたソウとセイジが能力の発動権をかけて数千年間争いつづけていた。厳密には毎回ソウのほうから決闘をふっかけて、セイジに返り討ちされるというのがお決まりの流れだったようだ。
なお、ソウは決闘のたび生きた動物を神への供物として捧げていたが、これは能力の発動と関係なかった様子。自力ではセイジに勝てないことがわかっていたから神頼みしていたに過ぎない。
ソウとセイジの能力【リバース】
「全てを巻き戻し、世界をリセットする」能力だとされる。誰も完全に発動した瞬間を見たことがないし、発動してしまえばソウとセイジの記憶までリセットされるはずなので実際のところは不明。この能力を利用すれば元の世界へ帰還できるかもしれないが、それも実際のところは不明。
ソウとセイジふたりともが同じ能力を持っており、片方が発動しようとしてももう片方が重ね掛けすると無効化されてしまう。
能力遺物【スキップ】
セイジを出し抜くためにソウが使用した。オモチャの光線銃のような見た目で、撃つと相手の体に大穴が空き、間もなく砂となって消滅する。
【スキップ】が具体的にどんな意味を指すのかは判然としないが、おそらくは発現すべき事象の先送り、もしくはUNOのように手番を飛ばす効果だと思われる。いずれにせよ、後から撃ったソウの銃撃が先に命中し、先に撃ったセイジの銃撃は彼が消滅した後になってソウに命中した。あき先生は最初から共倒れを狙っていたのだろう。
とら・さくら・げんの能力【ニャマゾン】
その本質はコピーだとされる。人知れず密かに元の世界にある品物をコピーして持ち帰ることができる。猫3匹で城を運んでいたり、札束を空から降らせたりしていたことに関しては深く考えちゃいけない。辻褄を合わせようとするとたぶんギャグマンガ時空になる。
やっていることの仕組みがヴォイスから告げられた漂流の真相そのものであるため、この漂流を引き起こした原因ではないかと疑う余地があった。幸い瑞穂が自分と猫たちの能力の本質を理解しておらず、気付いたラジダニも口をつぐんでくれたため、今のところ誰にも糾弾されることなく済んでいる。
朝風の能力【スローライト】
重力を操る能力だとされているが、世界間を渡ってみせたり、子ども部屋をつくってみたり、イマイチ全容がよくわからない能力。いなきゃいないでもあき先生自力で世界を渡れちゃうし。
根本的に朝風自身が変わろうとしない人間だからか、何でもできる能力のように見えて、現実には何も起こせていない。
ときめきダニ高校
「一緒に帰って同じ畳の人に噂されると困る・・・」だけならともかく「しょうがない。一人で帰るか」まで押さえているとか、毎度のことながらキミいつの時代の中学生なんだ。シーモンキーに至っては流行っていたの昭和40年代のことだし。
骨折
あんまりにもあんまりな役名でスタッフロールに登場した赤いヘアピンの少女。元の世界で左腕を骨折しており、その状態で漂流してしまったため、以来永遠に治癒することなくギプスをつけて生活している。
あき先生派のなかでは珍しく明るい性格で、実際仲間ともあまりウマが合っていない様子。それでもあき先生を選んで着いて行っているのは、怪我人ゆえに誰かに庇護されなければ生きていけないという自己認識によるものだろうか。
欺瞞
「この世界を変えるにはあの双子の能力が必要だ。でも、どちらか片方でいい」
あき先生は自らの理想を実現するために必要な【リバース】の能力を求め、この世界『ソウセイジ』に現れました。
「双子が持つ能力【リバース】は全てを巻き戻し、世界をリセットすることができる。もしそれが起きたら、静止した存在の私たちも漂流直前に戻るんじゃないかっていわれてるの」
「それに【リバース】は双子それぞれが持っているから、どちらかが【リバース】を使ってももう片方が【リバース】を使えば、巻き戻しの巻き戻しで元に戻るの。それが何千年も続く双子の争い“リバース・リバース”なんだって」
何故なら【リバース】はきわめて強力な能力だったからです。ともすれば全漂流者の悲願、元の世界への帰還すらも可能だったかもしれないほどの。利用価値は計り知れません。
ただ、現状では何の役に立たない能力でした。ソウが【リバース】を使おうとしてもセイジによって打ち消されてしまうから。
あき先生が【リバース】を利用するためにはセイジの存在がどうしても邪魔でした。
「本当はわかっているんだろう? セイジには勝てないって。だから祈るんだろ?」
ソウとセイジの決闘は何千年繰り返していてもソウの全戦全敗で、それでもソウは諦めずセイジに挑みつづけ、セイジも飽きることなくその挑戦を受け入れつづけてきました。この膠着した世界を動かす方法は、もはやソウが勝利する以外にありえませんでした。
だからあき先生はソウにだけ肩入れし、彼に必勝の策を授けました。
「もう、何をすればいいのかわからない――」
けれどここであき先生の誤算。
セイジを失ったソウはどういうわけか生きる意欲を失い、自ら死を選びました。
あき先生のせっかくの暗躍はことごとく徒労に終わり、【リバース】が手に入ることもなく、この世界に大きな穴が残るだけの結果となりました。
「――そうだ。ずっと同じ結果じゃつまらないだろう?」
はい。ここまで全部嘘っぱちです。
あき先生は【リバース】なんて欲しがっていません。
セイジだけでなくソウの体にも大穴が空いていたことが何よりの証拠です。ソウは自害するまでもなく、あのあとどっちにしろ砂になっていたことでしょう。彼女は最初からソウとセイジの両方ともを消滅させるつもりで、そういう能力遺物を渡していました。
だいたい、彼女があんな危険な能力を欲しがるわけがないんです。
「貴様らはもう元の世界に帰ることはできない!」(第5話)と主張し、そうやって希望を摘みとったうえで生徒たちを従えている彼女にとって、元の世界に帰ることができるかもしれない可能性というのは自分の求心力を失わせうる猛毒です。
朝風以外「この世界」で有利な能力を持たない生徒たちは、元の世界に帰れないことを認めたからこそ、あき先生による庇護を必要としているんです。長良たちのしていることを無駄なあがきと決めつけ、何もしないで無気力に生きることこそ最善だと思うから、あき先生が正しいと信じられるんです。元の世界に帰れるんだったらわざわざこんな横暴きわまる教師モドキの言うことなんか聞いてやる道理がありません。
あき先生が普段から主張しているのはそんな、停滞しようとする無気力な自分を受け入れる思想です。
「ずっと同じ結果じゃつまらない」だなんて、いかにも彼女らしくありません。
あき先生の狙いはむしろ、この世界『ソウセイジ』から帰還可能性の芽を摘むことにありました。
『ハテノ島』に現れて長良の心をへし折ろうとしたときと、実は同じ目的だったんですね。
あき先生にとって【リバース】の存在は脅威でした。
今のところ当人たちはくだらない諍いにかまけて元の世界への帰還を試そうともしていなかったようですが、なにしろケンカの原因が髪の毛1本です。長良のように植毛できる能力遺物を持った漂流者が現れたとき、どうなるかわかったものではありません。
(※ 瑞穂の提案した“髪の毛を抜く”だとうまくいかなかっただろうと思われます。そもそも漂流者は永久不変の存在なので、抜いてもどうせすぐ生える)
だからあき先生は最初から彼らを消滅させるつもりで行動していました。
厄介なのはふたりともが【リバース】の能力持ちだったこと。しかもお互い嫌いあっているように見えて、その実ふたりともお互いに依存しあっている関係性。あき先生が片方を消滅させたところで、残ったもう片方が「まだ決着がついていない」とかなんとか言って世界を巻き戻してしまうでしょう。
同時に、しかも当人の納得のうえで消滅させる必要がありました。
「おめでとう。どうだね、勝者になった気分は」
「ああ。・・・なんだか、すごくむなしい」
「何故よ?」
「もう、何をすればいいのかわからない――」
策は成りました。
ひとり相撲
「そんなオモチャで何ができる。お前はどこまで落ちぶれるんだ」
「もうひとりの自分が勝手に歩きはじめたあの日から、俺はお前を消すことだけを願いつづけてきた」
「お前には無理だ。俺とお前の能力は同じなんだから」
「本当はわかっているんだろう? セイジには勝てないって。だから祈るんだろ?」
「・・・そうだよ」
ソウとセイジの間に温度差があったことには気付いていたでしょうか?
ソウがセイジに挑みつづける理由は劣等感です。実際、彼はここまでずっと負け越していて、勝つためにうさんくさい神頼みまでしています。
対して、セイジは自分とソウの間に能力の優劣はないと認識しています。自分が勝ちつづけているのも単純にソウが気持ちで負けているからだというくらいにしか考えていません。
自分と相手とが違う存在だと思っている側が精神的に不安定で、自分と相手とが同じ存在だと思っている側は悠然と構えている構図です。
普通、逆じゃね? とか私なんかは思うわけですが。
ただでさえ生まれつきの双子じゃない、ドッペルゲンガーみたいな関係なのに。
「君たちはただのコピーなんだよ」
「どういうこと? もうひとり私がいるんだけど」
「・・・僕たちは選ばれなかった。もう僕たちに帰る場所はない」(第6話)
たぶん、その感覚もまた彼らが漂流者だからなんでしょうね。
彼らは漂流しました。オリジナルを元の世界に残して。彼らはオリジナルとは違う、コピーだからこそ漂流させられるという憂き目に遭いました。
自分がいくらオリジナルそっくりなコピーだとしても、向こうはオリジナル、こちらはコピー。そのありかたには明確な違いがあります。少なくとも彼らはその違いを感じています。
コピーは、ただコピーであるというだけでオリジナルより劣り、だからこそコピーだけが理不尽な思いを強いられているんです。
「でもさ。ケンカの原因が髪の毛1本って本当なの?」
逆説的に。
明らかに同一の存在であるはずの自分たちが、それでもどこか違っているのならば。しかもその違いに優劣がつけられてしまうのならば。
ここにもまた、オリジナルとコピーの力関係が存在しているのかもしれない。
オリジナルだけいい思いをして、コピーのほうはまた理不尽を強いられてしまうのかもしれない。
「元の世界の1人から2人コピーされるなんて、そんなことあるのかな?」
「それってなんか注文ミスみたいな感じだね」
だから違いを認める側だけが強烈な不安を感じるんです。同じだと思う側は呑気でいられるんです。
そして、だからこそソウはどうしてもセイジに勝たなければならなかったんです。
髪の毛1本なんてくだらない違いでお互いの優劣が決定してしまわないように。せめて自分が劣っている側だということだけは断固として認めないように。
「この世界を変えるにはあの双子の能力が必要だ。でも、どちらか片方でいい」
ちなみに朝風さんはどう思う?
つい最近まで救世主だなんだとチヤホヤしてもらえていたのに、なんかいきなり自分の上位互換みたいなのが現れたわけだけれども。
あき先生、最近【スローライト】のこと放っぽいて【リバース】の勧誘にばかりご執心みたいだけれども。
「あき先生が戻るまでここからは出ない。お前らみたいなやつらがどこにでも居場所があると思うなよ。――力がないやつはひとりで生きていけないだろ。誰かが助けてやらないと」
言われましたもんね。あのとき。
「君たちだけが特別だと思っていたのかい?」(第6話)
ね。
“救世主”じゃなくなった朝風には何が残る?
【ニャマゾン】でも元の世界には帰れたはずなのに
今話の核心はそこにありました。
コピーの側だと自認する子どもたちが、その恐怖に怯える話。
「私たちが黙っていたのは瑞穂のためなんだ。これが知れて責められるのはあの子だからね」
「だが、このことがわかっていたら彼らはあのとき確実に帰れていたはずだ。彼らが望んだ未来に」
【ニャマゾン】は元の世界に存在するもののコピーを「この世界」につくりだすことができます。
たとえ世界にひとつしかない品物であっても、生きものであってすらも。
ひとたび【ニャマゾン】が発動すれば、対象となった存在は元の世界と「この世界」の両方に同時に存在することになります。
瑞穂が【ニャマゾン】を自分やクラスメイトたちに使っていたとしたら、彼らはたったそれだけで元の世界へ帰還することも可能だったでしょう。
あの卒業の日までは、彼らにとってオリジナルとコピーは区別のつかない同一存在だったはずなんですから。
「長良は悪くないよ。結局は確率の問題だったんだ」
「たしかに。僕たちがオリジナルになれる可能性はあった。見直したよ、長良」(第6話)
今はもうできません。
彼らは“自分たちこそがコピーであり取り残された側なんだと自覚してしまったから”。
仮に今、彼らに【ニャマゾン】を使ったとしても、彼らはただのコピーとして「この世界」に取り残されてしまう側でしょう。
ディレクターズカット作戦はこんなところに不足があったんですね。
彼らはあのフィルムの向こうの世界こそが元の世界、あちら側に映るものこそがオリジナルだという前提で考えてしまっていましたから。
「おめでとう。どうだね、勝者になった気分は」
「ああ。・・・なんだか、すごくむなしい」
「何故よ?」
「もう、何をすればいいのかわからない――」
今回、コピーの側であるソウは自分のオリジナルたるセイジに勝利しました。
けれどそれがなんだというのでしょうか?
そんなことに何の意義があるというのでしょうか?
ソウはとっくに自分がコピーの側であることを認めてしまっていたのに。
もうかれこれ何千年も敗北ばかり積み重ねてきたうえで、ようやくただ一度きりの勝利。
その勝利の意義は、果たして髪の毛1本よりも太いものでしょうか?
たかがその程度のことが、“自分はオリジナルである”という証明になりうるのでしょうか?
わかりません。
誰も教えてくれません。
その意義を唯一理解してくれそうな双子の片割れは、すでに消滅してしまいました。
Be careful of your thoughts,
「双子が持つ能力【リバース】は全てを巻き戻し、世界をリセットすることができる。もしそれが起きたら、静止した存在の私たちも漂流直前に戻るんじゃないかっていわれてるの」
「『いわれている』?」
「ここは巨大なクレーターの底だし、これまでに何度かリセットが起きたのかもしれない。でもリセットだからね。双子も覚えてないみたい」
「そりゃそうか」
ところで、そもそもの話【リバース】の能力にいったい何の価値があるのでしょう?
だって、誰も認識できないんです。周りにいる人たちも、使った本人も。誰も発動したことを認識できないのなら、そんなもの最初から存在していなかったのと同じではないでしょうか?
【ニャマゾン】も同じこと。【ニャマゾン】は元の世界と「この世界」とにコピーをつくりだす能力です。もしかしたらこの能力を使って元の世界へ帰還することもできるかもしれません。
だけど、この場合「この世界」には依然としてコピー体が残されるはずです。コピーの側は元の世界へ帰ることができません。コピーにしてみたら、そんな帰還方法にいったい何の意味があるというのでしょうか?
ソウとセイジの諍いは髪の毛1本から始まりました。
ソウにはその違いがとてつもなく重大なものであるように感じ、一方セイジにとってその程度の違いは自分たちが同一存在である事実を揺るがすものではありませんでした。改めて問います。どうしてソウはそんなくだらないものにこだわってしまったのでしょうか?
「私たちが黙っていたのは瑞穂のためなんだ。これが知れて責められるのはあの子だからね」
「だが、このことがわかっていたら彼らはあのとき確実に帰れていたはずだ。彼らが望んだ未来に。・・・黙っていたのは本当に彼女のためなのか?」
「何が言いたい」
「本当は自分たちのためなんじゃないか? 瑞穂と離れてしまう――」
「違う。あの子は私無しでは生きていけないから」
「・・・私はそうは思わないがな」
さて。ここにも不思議な認識でいる猫がいます。
瑞穂が猫たちを心から大切に思っているのは事実でしょう。
祖母が施設に入ることになり、彼女は自分の目の届かないところで母親に飼い猫が捨てられてしまうことを危惧して、学校にまで連れてくるほどになりました。もうひとり大切な人だった“先生”がいなくなった空き教室で、彼女はひとり猫の相手をしながら毎日を過ごしていました。
「今ごろ嵐が怖くて震えていないだろうか。もうあの家では一緒には暮らせない。離ればなれになるってわかっているんだ。あの子は子どもなんだ。まだ、ほんの小さな――」
けれどこの猫・さくらの頭にあるのは、そういう瑞穂の献身や愛情深さではありません。もっとずっと昔、ひとりでは何もできなかった幼いころの彼女の姿です。さくらにとって瑞穂はそのときのイメージのまま変わっていません。
さくらにとって瑞穂は、守ってあげなければ生きていけない幼子でした。
瑞穂にとっては立場が反対。むしろ瑞穂がさくらたちを守ってあげる側でした。
依存心がなかったといえば嘘になります。“先生”を失った瑞穂にとってはつい最近まで猫たちだけが心の支えでした。だけど、それは幼いころの瑞穂のありかたともまた違っていました。瑞穂は何もできない幼子などではなく、確かに猫たちを守ってもいました。
長良たちと親しくなった今の瑞穂は、さらにまた変わってきています。
「この猫、生きてっから! 誰かに縋っても何も変わらないんだ! 自分でどうにかするしかないんだよ!」
認識が。
自分をどう思うか、他人をどう思うか。その認識が人間を変えます。
実際のところはどうだかわかりません。もしかしたらさくらの認識のほうこそ正しいのかもしれない。瑞穂の本質は幼いころと変わらず、今はただ、少し気を張って無理しているだけなのかもしれません。
けれど少なくとも、今の瑞穂が思う自分自身は、そんな無力な子じゃない。
「お前らみたいなやつらがどこにでも居場所があると思うなよ。――力がないやつはひとりで生きていけないだろ。誰かが助けてやらないと」
そういう側面もあるかもしれない。
朝風がいたから助けられた場面もたくさんあったかもしれない。そんな朝風ですらどうにもできないことでも、あき先生なら守ってくれるかもしれない。希のように生きるために役立つ能力を持たない漂流者は、庇護してくれる人のもとにいたほうが賢明なのかもしれない。
「でもね。それでも、私の居場所は自分で決めさせてもらう」
以前の希はそういう子でした。他人の意見なんて全然通らなくて、どこまでもまっすぐ自分の思いだけを信じきっていました。
「はっ。ひとりじゃ何もできねえくせに。いいかげん認めろよ、お前はみんなのお荷物だっての。ご立派な意見を持ってたってお前にゃ何も変えられない」
今は、揺らぐ。
自分に対する認識が変わったから。
自分にだって情けなくも死んでしまう可能性があることを知ってしまったから。
「来ないで。私、今、イヤなやつだから。誰かが全部終わらせてくれないかなって、本当は私、そんなズルいことばっか考えてるんだから」
希がそう思うのなら、きっと希はそういう子なのでしょう。希にとっては。
認識が変われば人は変わります。同じ1人のオリジナルから派生したはずのソウとセイジがそれぞれ全然違う性格の人間になったように。
こんな後ろ向きな希はたぶん私たちの知っていた希とは全然違う人物でしょうが、これも希のひとつのありかた。ひとつの可能性。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」(マザー・テレサ)
あなたが自分をそういう存在として認識するのなら、きっとその認識はあなたそのものになるでしょう。
「・・・僕は君のおかげで変われたから。君が、光を見せてくれたから」
だけどここに、もうひとつの希がいました。
それは希が自分で思う希の姿ではありません。これは長良が知る希のありかたです。
もしかしたら希も他人からは見えないドス黒い思いを抱えているのかもしれない。ネガティブな気持ちを我慢して気高くふるまっていたのかもしれない。
けれどそういう希の視点とは関係なしに、ここに長良が思い描く希のもうひとつの可能性がありました。
「帰ろう」
希がこの可能性を選ぶかどうかは自由です。
希が、長良の認識する希らしく生きようと思うかどうかは自由です。
自分の認識だから正しいとか、他人の認識だから押しつけだとか、私はそういうふうには思いません。
希がどう生きようと思うのかは希の自由意志で決めていいことです。
たとえ誰かの受け売りであったとしても、希がそれでいいと思うのなら、それが希の認識。
希の言葉で、希の言葉で、希の行動で、希の習慣で、希の性格で、そしていつか希の運命になる。
新たな【コンパス】の光になる。
私はそれでいいと思います。
「ただ、大きな穴だけが残ったね」
自分とセイジの違いにばかり執着していたソウの自己認識は、セイジが失われた時点で全て消滅してしまいました。
希にとっての長良のような存在はもはや彼の傍におらず、ただ、ただ、彼はひとり孤独に、自分が生きる意義を喪失してしまいました。
あとに残ったのはぽっかりと空虚な思いだけ。
それは少し、さびしいことなのかもしれません。
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