真・女神転生5 プレイ日記 その1 魔界:東京タワー前まで

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神に引き裂かれた知恵と生命よ。汝らは協力し、未来をつかみ取らねばならぬ。光を目指すも闇を望むも自由だが・・・、いずれ天地を越えた地で相まみえよう。その日まで、その力をもって戦いぬくがいい!

このブログはあなたがプレイ済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

現況

 見よ、この1mmも面白みのない無難なアセンブリを!

前書き

 いつものように東京が滅んで悪魔が跋扈する世界に放り出されました。
 私は自分が生きたい世界のありかたを選択しなければなりません。

 今回の主人公の名前は紫繕セイカ(しづくろ-)。漢字で書くと「醒禍」になるという設定付きの厨二病ゆんゆんなネーミングセンス。
 赤にも青にもなりきれず、禍いに巻き込まれてようやっと目を醒ました愚鈍な半端者。私はいい歳してこういうノリが大好きです。
 さて、彼はこれから先、何者になっていくのでしょうか。

 そんなわけで真・女神転生です。
 プレスターンバトルのピーキーすぎるゲームバランスに一喜一逝しながらチマチマ進んでいくゲームです。
 このシリーズのコツはとにかく敵にターンを回さないこと。運悪く味方の弱点を2~3回突かれただけであっという間に壊滅or即死するゲームなので。もちろん主人公の耐性やバトルメンバー次第である程度安定させることはできますが、それにしたって限度がありますし、毎回毎回最適解を整えながら進むのもメンドクサイ。MPを湯水のごとく使って可能なかぎりリスクを遠ざけつつ、それでも何時間かに1回はゲームオーバーするものだと割りきっていたほうが精神衛生上望ましいでしょう。
 2D10でファンブルが出たようなものだと思えば諦めもつく。ファンブルが出るくらい何回も振ってしまった自分が悪い。
 ちなみにここまでで早くも1回パトりました。(※ 「パトラッシュする」の略で、“ゲームオーバー”の意。3のゲームオーバー画面が『フランダースの犬』最終話っぽい感じの映像だったことに由来する) 細かくセーブできるような性格じゃないので2時間くらい時間をムダにしました。

 毎度おなじみLaw(法と秩序)・Neutral(どっちつかず)・Chaos(自由と混沌)のマルチエンディング制なんでしょうが、今のところどのエンディングにするかは決めていません。
 私の思想的にはLawにシンパシーを感じやすいはずなんですが、メガテンのLawって大抵唯一神の下での独裁支配がセットで付いてくるのよね・・・。私は社会契約による秩序が大好きなんですが、同時に民主主義の信奉者でもあるので、あのあたりちょっと受け入れがたい。人間自身が自らの責任において制定するわけではない法規なんてものにいったい何の価値があるものか。

 まあ、ストーリーを追いながらのんびり身の振りかたを決めていきましょうか。

サブイベント:誘惑する恋の精を倒して

 今回の範囲ではアプサラスとリャナンシーの対立が印象的でした。
 アプサラスは力の弱い悪魔を集めて自分を信奉させて、代わりに彼らを守ってあげる立場。
 リャナンシーは自分に従おうとする悪魔に自助努力を促し、芽がある者だけを引き立ててやる立場。

 まあ、その2択だと私は前者を支持するかな。

 リャナンシーのほうがぱっと見で夢のある前向きな思想、プリキュアイズムっぽくもあるんですが、私としてはああいうのを夢を追う者のあるべき姿とは認めたくないんですよね。
 だって、夢を叶えられなかったら破滅するんでしょう?
 そんなのは“夢を叶えるための努力”とはいわない。そいつはむしろ“生きるための戦い”です。
 より良い未来をつかみ取るために努力しているんじゃなく、死にたくないから半強制的に努力させられているだけです。そんなもの、今日を食いつなぐためだけに命を削る日雇い労働者と何が違うというのでしょうか。
 リャナンシーに従った時点で悪魔たちは実質的に自分の運命を選び取る権利を失います。“夢”を語りながら、彼らに理想の明日を夢見る余裕なんて与えられません。見据えるのは目の前にある現実だけ。

 そんな生きかたのどこに夢があるというのでしょうか。
 そんな生き様に誰が憧れるでしょうか。

 私にはアプサラスのやりかたのほうがまだ夢があるように見えます。
 社会的弱者に与えられるセーフティネット。夢に挑み、一度は敗北した者にもいつかまた再挑戦するための権利が与えられうる縦軸のバッファ。
 もちろん、ぬるま湯に浸かり、ふやけ、再び自分の両足で立ち上がるための気力が萎えてしまう者もいるでしょう。現実的にはそういう者たちこそ多数派なのかもしれません。
 けれど、彼らには選択肢がある。生きるか死ぬかの切羽詰まった生活にはない、自分の人生を自分で思い描けるだけの余裕がある。多様な未来の可能性がまだ残されている。
 生存権だけでも保障される、という環境には則ちそういう価値があります。
 あとは本人が努力するかどうかを決めるだけ。

 夢は、生きるためではなく幸せになるために見るべきものだと、私は思います。
 努力は、誰かに強制されるのではなく自分のために始めるべきものだと、私は思います。

 そういう意味で、私だったらアプサラスを支持するでしょう。
 リャナンシーが嘯く「夢」というものを守るためにこそ。

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