
うん。ローラの歌を入れるのはいいと思う。でも、もっと別の何かも欲しい・・・。

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「襲撃! 最強のヤラネーダ!」
活躍したひと
あおぞら中学校のみんな
イベント大好き、トロピカる部の企画に毎回全力で乗っかってくれるノリのいい仲間たち。今回はトロピカ卒業フェスティバルをより良いものにするため、みんながそれぞれの部活で、それぞれにとって今一番大事な準備に取り組んでいる。本番当日はきっと学校中が賑やかな出し物でいっぱいになるだろう。
トロピカってたもの
トロピカ卒業フェスティバル
通称トロフェス。
いちおう趣旨としては卒業生の追い出し。けれど、卒業生だけじゃなく在校生もみんな楽しみにしているし、追い出す3年生がいない部活の子たちまでもみんなを楽しませたくて色々考えてくれている。
本番は今じゃない。もう少し先。今はあくまで準備期間。しかも土日も学校に来なきゃいけないくらいみんな大忙し。だけど、その準備すらも最高にトロピカっている。本番はどんなにか楽しいことになるだろう?
うまくいかなかったこと
学校中のみんながトロフェスの準備に勤しんでいるなか、最強のシロナガスクジラ型ヤラネーダが襲来。倒しきれずにやる気パワーを持ち去られたばかりか、マーメイドアクアポッドが破損、あげくまなつまで攫われてしまった。
やりきれたワケ
今はまだ何も解決できていない。けれど、残されたローラたちに諦めの気配はない。
舞台演劇というのはだいたい1~2ヶ月程度稽古期間を設けるものなのですが、意外とその舞台用の稽古に入るまでに台本が完成していることは稀です。プロの劇団ほどそういった傾向が多く見られるようになります。ぶっちゃけ、脚本家って劇団内における地位が必然的に高くなりますからね。(※ 大抵は演出家に次ぐナンバーツーの権力者です) どんなに困らされても俳優程度の発言力じゃあんまり強く言えないんです。
私が体験した一番ヒドい例だと、本番1ヶ月前にやっとA41枚のプロットだけ渡されて、ちゃんとした台本が出てきたのは1週間前。毎日数ページ単位の大幅なセリフ変更がかかり、ラストシーンに至っては本番前日に全面改稿なんて舞台がありました。
じゃあ、台本が上がってくるまで俳優は何をするのかといえば、(良く言えば)役づくり。具体的には、ぶっちゃけ妄想ベースでの語りあいです。「このシーン、このキャラがこんな事件を起こすけどどうしてだろう?」「たぶん事前に何かどうしても許せないことが起きるんだよ」「このキャラとこのキャラはこういう関係だから、何か起きるとしたらたぶんこのキャラがきっかけになるんだと思う」「ならこのくらいの年齢で、こういう喋りかたをするキャラとして演じてみようか」 そういう妄想語りをひたすら何日も繰り返していました。
そんなでもまあ、意外となんとかなるものです。セリフなんて1行も読んでいなくても、1ヶ月かけて自分の配役の人間性や周りとの関係性をじっくり考察してあれば、後から極端に想定から外れたセリフでも出てこない限り、その場その場でちゃんと自分自身の言葉としてセリフを読むことはできるもの。(※ 暗記さえ間に合えばね!) 一番大事なのは細かな言いまわしなどではなく、作品全体を通しての各配役の感情のうねりですから。そこさえ解釈が伴っていて、俳優同士の連携が取れていれば、あとは気持ちに言葉を乗せるだけ。台本が上がってこない段階での稽古にもちゃんと意味はありました。
さて。『トロピカル~ジュ!プリキュア』もいよいよ最終局面です。
まなつたちにとって一番大事なものって何だったでしょうか? もちろん「今」です。
だからこそ、ただお祭りの準備をしているだけの日々であっても、本番に負けず劣らずすっごく楽しいし、大事な時間だって実感できます。準備はけっして本番を楽しむために我慢して乗りきるようなものではなく、それ自体もまたトロピカって然るべきです。
でも、だったら、例えば本番の日が来ないとわかっていたとしても、準備は楽しいものでしょうか? だってそうでしょう。大事なのは「今」なんでしょう? 「未来」じゃなくて。
このままではローラはグランオーシャンに帰ったとき記憶を消されてしまうでしょう。そういう未来が来るとわかったうえで、まなつたちは本当に今を精一杯楽しむことができるでしょうか?
今話はそういう物語。まなつの言う「今、一番大事なことをしよう!」というスローガンは、いったいどうしてあんなにもトロピカった日々をつくることができていたのか? 「今」とは何か? どうして「今」が一番大事なのか? そういった根本的な部分を、今、改めて問い返されています。
過去と現在と未来は連続しています。過去をないがしろにして現在はなく、未来なくしても現在はありえません。
いつか目標を完遂するために――
「魔女さまのことは心配だけど、エルダ、やる気パワーを取りに行くの面倒くさーい」
あとまわしの魔女はもうすぐ寿命を迎えるそうです。それを避けるために、愚者の棺を解放して不老不死の力を手に入れたい。寿命すらも永遠に後まわししたい。
なにかと面倒くさがりの魔女の侍従たちでしたが、これまで何のかのいっても仕事はしてきました。“永遠の後まわし”は彼らの主君にとっても、そして彼ら自身にとっても悲願だったからです。仕事はやりたくありませんでしたが、だからこそ、仕事をやらなくてよくなるためにこそ、今はやりたくないことを仕方なしにがんばらなければならない場面でした。
どう言い繕ったってやりたくないことには変わりないので、長引けば長引いただけ全員不満が溜まる一方ですが・・・?
実際、彼らの身になってみれば現状は最悪の一言ですよね。
仕事とか寿命とか、イヤなことを後まわしにしたくてがんばっているはずなのに、実際に起きていることといえばイヤなこと“以外”を後まわしにしてしまっているわけですから。むしろイヤなことにこそ正面切って向きあわざるをえなくなっているのが最近の彼らです。
現代において一般的な「やる気」観は、あとまわしの魔女たちのような人々のためにあるものでしょう。
やりたくないことがあるのは仕方ない。でも、やりたくないことから目を背けていても事態は好転しないので、招来のために今だけ歯を食いしばって努力するべきだ。「やる気」はその字面と裏腹、やりたくないことを耐え忍ぶためにありました。
けれど、『トロピカル~ジュ!プリキュア』における「やる気」とは、その真逆にある価値観です。
「やる気」は字面どおり、やりたいことをやるためにこそあります。一番大事なのは今。未来ではなく今。まなつたちはより良い未来をつくるために今を犠牲とする考えかたを良しとしません。
「そう! いつだって今が大事だよ! だから、私は大人になったら――」
「大人になったそのときの私が一番なりたいものになる!」(第34話)
そもそも未来とは今の延長線上にあるもの。今を大事にせず未来を大事にできるものか。今を楽しめずして未来を楽しめるものか。そうではなくて、今を一生懸命に生きるからこそより良い未来に辿り着ける。
そういう価値観です。
「夕日が沈んだらみんなおうちに帰る時間。でも新しい朝が、明日が来れば――」
「『また会える』。夕日がきれいなのは、そう信じているから」(『魔法つかいプリキュア!』第48話)
同じシリーズの『魔法つかいプリキュア!』にもつながる考えかたですね。
今が幸せであることは未来のありようとけっして無関係ではない。今日が楽しかったことを喜んで、また明日も楽しく過ごしたいと思う祈りが未来をつくる。今日が幸せだったからこそ明日の自分は今日と同じくらいまた幸せになろうとするし、幸せになりたいからには精一杯そのための努力をするはず。毎日毎日、いつまでもずっと。だから私たちは未来でも幸せなままだ。
だからこそ、あとまわしの魔女たちは不満の多い日々を毎日毎日再生産してしまうんです。
「今」を大事にしないから。
幸せだった今日が明日も続いていくように、つまらなかった今日もまた明日に影響してしまうものです。
この文脈があるからこそ、「やる気」はやりたくないことを耐えるためではなく、やりたいことに喜んで取り組むためにこそ発揮されるべきだということになるわけですね。
近視眼的な「今」と影
「――私、この町に来て、みんなと出会えてよかった」
不意にローラの口を突いて出た言葉がみんなの心に響きます。
たった一言のつぶやき、飾り気も文芸的レトリックもないほんの十数字、日常にありふれた退屈な言葉が、不思議と大勢の人を感動させることがあります。
なぜなら人は言葉そのものに感動するわけではないからです。そこに込められたドラマ、血肉ある感情、人生観と世界観、熱情、切なる祈り。そういった思いの迫力にこそ人は感動を覚えます。言葉はそれを運ぶ荷箱でしかありません。
「その感じだよ、ローラ」
「え? 『その感じ』って・・・?」
「さっき失敗したセリフ、今みたいに言えばいいんだよ」
俳優は他人の書いた台本を読むだけの機械ではなく、むしろ言葉ひとつひとつに自分らしい感情のうねりを込めるクリエイター。世に数多ある奇跡の名演は、その悉くが俳優のパーソナリティと切っても切り離せない関係にあります。
「そ、そうね・・・」
でも、だからこそこれはいうほど簡単にできる話ではありません。
だって、物語のロザリア姫とローラはどこか違う。ロザリア姫がセリフを紡ぐあのシーンは、今ローラがおやつを食べているこの場所と違う。
『私、この町に来て、みんなに会えてよかった! おまんじゅうよりも、栗羊羹よりも、みんなに出会えたことが私の一番の幸せ――』
今のローラのなかにある思いは、あんなふうに情熱的に自分のなかの思いを打ち明けるロザリア姫のものとは違います。
・・・違ってしまっています。
ローラ自身、そこに明らかに違いがあることがわかってしまうのです。
「――そして、ラストシーンは大冒険の末にたどり着いた伝説の灯台で永遠の友情を誓うシーンで終わるんだけど、もうひとアイディアが・・・」
幸せですとも。みんなと一緒にいられる今この瞬間は。
でも、ロザリア姫とローラはどうしようもなく違うんです。
「人魚の世界と人間の世界は交わってはいけない。人間と関わった者は、その記憶を消されるのです――」
だって、ローラには“永遠の友情”なんて無いんだから。
今のローラには“永遠の友情”なんて無条件に信じられないから。
「今、一番大事なことをしよう!」
その「今」が、暗雲に包まれた「未来」に侵食されようとしています。
そろそろ認めなければならないでしょう。本当の意味で「今」だけを見つづけることなんてできないんだってことを。
ローラの笑顔を陰らせる不安の存在にまなつも目ざとく気付きます。
その不安は、まなつにとってもけっして知らないものではありません。
「でもさー。やっぱ大人になったときのことなんてわかんないよねー」
「まなつは大人になりたくないの?」
「そういうわけじゃないけど」(第34話)
「ねえ、ローラ。ローラが女王様になったらグランオーシャンに帰っちゃうの?」
未来なんてわからない。だって、自分たちはまだ「今」しか見ていない。
もちろん、「今」に主眼を置くからこそ見えてくることはあります。今日も明日もいつか遠い未来も、いつもそのときどきの「今」において一番大事なことに努めていれば、きっといつまでもトロピカった毎日を送れるはず。あのときはそう結論しました。今でも変わらず確信しています。
「帰ってもまたときどき遊びに行くわよ!」
「あ。じゃあ、私もときどき遊びに行くね!」
そう。いつだって自分が一番大事なことをやればいいだけ。そうすることに決めておけばいいだけ。それで不安は解消される。はず。
違う。
「・・・ローラ? もしかして、人魚の国の掟のことを考えてるの?」
「だ、大丈夫よ! 私が女王になったら、そんな掟変えちゃえばいいことだし。心配なんてない! 全然ない!」
もし、未来の自分にとって手に余る問題があったとしたら?
ローラは現女王様のことを敬愛しています。あの人のようになりたいと思ったからこそ次の女王を目指しています。
掟は、そんな憧れの人すらも屈して受け入れているものです。ローラなんかに、本当に変えてしまえるようなものなんでしょうか?
わかりません。できるかもしれませんし、できないかもしれません。未来のことなんて今のローラにはまだわかりません。
だから、万が一失敗してしまったそのときは。
「・・・それに、もし掟が絶対だっていうのなら、私は――」
「ローラ・・・」
ローラの不安を打ち払うための言葉をまなつは持ちません。
まなつもローラと同じ、「今、一番大事なことをやる」ことを信条にしている子ですから。
けれど、「今」を見据えつづけるかぎり、「未来」に立ち塞がりうる障害への対策を事前に考えることはできないでしょう。
よしんば半可な考えで未来に目を向けたとしても、その結果があとまわしの魔女たちを踏襲してしまうのは火を見るより明らか。「今」を一番大事にすること自体は間違いなく正しいことなんです。それをないがしろにしたら「今」も「未来」も両方ダメになってしまう。
でも、だったら、いったいどうすれば?
どうすれば、未来への不安に怯えることなく、トロピカってる今をありのまま享受できるようになる?
だから、繰り返さないために
「いいですねえ。はるか昔、魔女様が滅ぼそうとした世界もこんな感じだったでしょうか。あのときは伝説のプリキュアに邪魔をされてしまい、魔女様の望みは叶いませんでしたが――」
「あとまわしの魔女は大昔にも街をこんなふうにしようとしたの?」
「そのとおりです。もっとも、そのころは“破壊の魔女”と呼ばれていましたが」
「“破壊の魔女”?」
「私はまだ若造でした。あのころの魔女様はそれはそれはステキだったのですよ」
どうやらバトラーの目的は、あとまわしの魔女たちとは少し異なっているようです。
何かイヤなものを後まわしにするためではなく、むしろ自分にとって一番大事だったものを取り戻すためにこそ、彼は行動しているようです。
同じような信念をもって行動している子がもうひとりいましたね。
「これからは後悔しないようにな。そのとき感じた、一番大事なことをやるんだ」
「――だから、私は決めたんだ。初めて会った人には最初に名前を聞こうって。いつでも“今、一番大事なこと”をやろうって」(第37話)
まなつです。
まなつとバトラーの行動原理はよく似ています。もう二度と後悔したくない。同じことを繰り返したくない。だから努力する。過去の失敗に怯えるのではなく、今、自分にできることに目を向けて。
余談ですが、そういうキャラクター性だからバトラーはしばしばプリキュアシリーズ伝統のお約束を破るような作戦を使ってくるんでしょうね。
バトラーの目的はかつて“破壊の魔女”と呼ばれていたころの魔女の威勢を復活させること。そのために魔女本人すらも欺いて(※ “あとまわしの魔女”のままの永遠なんて彼は望まないでしょう)、これまでずっと暗躍していたようです。
今のところ、それ以上の望みは持っていないように見えますね。部下としての、若干歪んだ敬愛なんだと思います。
さて。どう思いますか?
バカバカしいと思いませんか? 世界中に大迷惑をかけてまで、そんな個人的な感傷のために自分の全力を捧げるだなんて。
愚者の棺を解放して、彼の期待していたとおりの結果がもたらされたとして、そのあとどうするつもりなんでしょう? 魔女の暴力の赴くまま今度こそ世界を破壊しつくして、で、そのあとは?
まなつと同じです。バトラーにそれ以上の未来に関する展望はありません。
まなつの場合は未来でもそのときどきの「今、一番大事なこと」をやるという考えも持っていますが、“破壊の魔女”などという物騒な存在を信奉しているバトラーにはそれも期待できないでしょう。
ろくなもんじゃない。
逆説的に、バトラーがそんなんだからこそ、まなつにはまだ足りないところがあると指摘することができます。
「今」が一番大事なのはいい。そのうえで「未来」をいったいどうしたいのか。
過去を繰り返したくない気持ちはわかります。そこを起点に今自分がどう行動するべきか考えているのも13歳にあるまじき立派な心がけだと思います。
でも。
「今」とつながっているのは過去だけじゃないですよね?
「もし本番で失敗しても、そのまま演技を続ければいいと思う」
「そっか! それなら安心だね」
舞台演劇においてごく初歩的な考えかたです。
テレビドラマと違って舞台演劇はその場限りの生公演。取り返したくても犯した失敗は絶対にやりなおすことができませんし、そのくせ、その回の公演が終わってしまえばどこの記録にも残らない失敗。
舞台の上では犯した失敗を気にしてくよくよする意味なんて一切ありません。そんなムダな後悔よりも、そのあとに続く、目の前の「今」が大事。多少無様に見えたとしても、強引であったとしても、しれっと図太く続きを演じられるのが優れた俳優です。
まなつ。
幼い日のあの小さな失敗、たくさんの後悔はすでに取り戻し終えています。あなたはローラとまた再会できましたし、あの頃よりももっとずっとステキで、恥じるところのない女の子に成長することができました。あなたは自分にできることを精一杯やりきりました。
・・・あのときの反省を根底においての成長の余地は、もうたぶんほとんどないと思います。
「なんで? さんごだってすごいじゃん。かわいいものが好きで、メイクも得意だし」
「得意っていっても本気で勉強したわけじゃないから。でも、私もみんなみたいにキラキラしたい。もっと心からトロピカりたい――」(第39話)
あなたはもっと先に進める子のはずです。
さんごが願ったように、あなたももっともっとキラキラできる力を眠らせているはずです。あなたの限界は絶対にこんなものじゃない。トロピカる部での活動以上にもっとたくさんの人を楽しませられるようになるでしょうし、あるいは記憶をなくしたローラと3回目の再会をすることだってできるはず。あなたにはまだ無限の可能性が残ってる。
どんな人になりたいですか? 将来どんなふうになりたいですか? 憧れている人はいますか?
お父さんが言うように、今夢を定めたところで必ずしもそのとおりの未来が約束されるわけではありませんが、けれどお父さんが言うように、今未来についての夢を持つことそのものが大事なんです。
「未来」のための「今」を、もう一度考えてみてほしい。
今、一番大事なことをするために。
コメント
できるかどうかもよく分からん不老不死をあてにしてあれだけ苦しむくらいなら、もうさっさとお迎えが来る方が幸せなのでは……。
殆どバトラー視点の話しか分からないので、結論出すのは少々早いですけど。
高校で演劇部に所属してた頃、顧問がそれはそれは熱心な先生でした。
当時はひたすら指示を完遂することに必死で、まなつたちみたいに自分から動き回る余裕はあまりなかった気がします……
自分がどっちかというとあとまわし寄りの気質ゆえ半ば自業自得なのは自覚しつつ、今更になってちょっとうらやましく思うような。
ちなみに裏方担当でした。
トロフェス本番はおそらく最終回のエピソードでしょう。
大きな戦いを経て少なからず得るであろうものが、ぜひ素敵な劇の糧になりますように。
まだ伝説のプリキュアとの因縁が回収されていないので、あとまわしの魔女が不老不死を求める理由はそのへんかもですね。何か果たさなきゃいけない約束があるとか。約束の履行をだらだら後まわししておけば、縁も長いこと切れなくていいですし。だからといっていつかは果たさなきゃいけないと思うと焦燥感は募るもので。永遠を手にすることで、そういうダブルバインドから解放されたいのかなー、とか。
まあ、どっちにしろ本人は具体的なところ忘れちゃってるみたいですが。
顧問の先生・・・? 誰だっけ・・・? いたっけ・・・?
(前?)風紀委員長·角田正美さん、生徒会室にデスクがあるってことは生徒会役員に就任したんですね(副会長とか?)。
選挙の対立候補を政権内に入れるのは“挙党体制”アピールの基本ですが、「フリーダム過ぎる」トロピカる部と「杓子定規過ぎる」角田さんに“抑制と均衡”をやらせて、共に生徒会に有益な手駒として活用しようという、一条里香生徒会長の深謀遠慮でもありそうで。
いや、一条さんってそもそも「白鳥百合子前生徒会長の忠犬」「白鳥会長のカーボンコピー」「昼行灯」を演じながら、実は白鳥百合子政権の頃からあおぞら中学校生徒会を牛耳ってきたフィクサーだったでは……?
正直、「クールビューティで憎まれ役も厭わない策士」と個人的に期待していた白鳥百合子さんが、回を追うごとに小物ぶりとポンコツぶりをさらけ出していったことに少々寂しさを感じていたんですが(勝手な期待)、そうか、全て一条里香の仕組んだ事だったのか(勝手に満足)。
(まあ、白鳥百合子を「規格外の策士」ではなく「等身大の中学生」とキャラ造形する方が“女子中学生達の青春群像劇”プリキュア作品の登場人物として相応しい――――という配慮なのかもしれませんが)
それはともかく百合子よ、学校内で唐突にメス顔晒すのはアカン。いかがわしいぞチョメチョメ。
そんな新興国の軍事政権みたいな。
私だったらトロピカる部こそ真っ先に政権に取り込んで骨抜きにするか、もしくは即暗殺ですね。民衆のヒーロー的立場の人間は(たとえ当人同士の信頼関係が良好であっても)在野のままにしていたらアカン。どんなに手を尽くして懐柔しようと国民全員が政権を支持してくれることはありませんから。
マジメに話をするなら、白鳥さん元々手続きと形式でガチガチになってるだけで、ヌけてるところだいぶヌけてますから。なにせあの脳筋直情あすかでも一杯食わせられるんですよ?
あんな感じで立場が変わるたび表情まで変わるのはあんまり繰り返すと老ける原因になるので誰か気をつけてあげてほしいところ。まあ、大抵ああいうふうになる人にとっては不治の病なんですが。
トロピカる部が民衆のヒーロー足り得ている理由は、トロピカる部が権力(生徒会)と緊張関係にあるからで、トロピカる部が生徒会と癒着してしまったら(癒着·「生徒会のヒモ付き」イメージが着いてしまったら)、民衆の支持は損なわれ、存在価値が(生徒会にとっての利用価値も)激減してしまうんですよ。
そして、権力なんてものは反体制派の存在を「よきにはからえ」と黙認しているうちが華で、余裕がなくなって反体制派の弾圧に狂奔し始めるとだいたい終わっていくものでね。
……うん、やっぱり老獪だな一条里香。
ところで、伝説のプリキュアが何故ローラにではなく夏海まなつにばかりメッセージを送って来るのか、これまで見えてこなかったんですが……
「もし掟が絶対だっていうのなら、私は――――」とひとりごちたローラが“勝利への光明”ではなく“破滅への予兆”を纏いはじめた辺りにヒントがあるんでしょうか。
たとえば――――ローラさんが“破壊のローラ”になってしまうのを食い止めて欲しい。もし止められなかったなら、破壊のローラを封印=“あとまわしのローラ”化して、世界を破壊から救って欲しい。それが出来るのは、ローラさんの親友である夏海まなつ、あなたしかいない――――みたいな……?
私の感覚だとトロピカる部が支持を受けているのはイベントを企画してくれる(※ パンを配ってくれる)からなので、権威と結びついても特に活動に支障ないかなー、とか。むしろ実務的にはこまごま便宜を取り計らってもらえるほうが動きやすい。まあ、あからさまに癒着していると政権が支持を失ったときに風当たりが強くなってしまうので、外郭団体扱いは維持したほうが都合いいのですが。
伝説のプリキュアは単に自分の後任だからまなつに引き継がせたがってるんじゃないですかね。グランオーシャンの常識を知らない、かつ人魚の友達である人間だからこそ吹かせられる新しい風がある。そんな感じ。
だけど不甲斐ないことに、自分にならできる、自分にしかできないと信じていたことを最後までやりきることが叶わず、同じ立場のまなつに続きを期待している、と。
なにせローラですら掟ひとつ変えることにも不安を感じるくらいです。(※ 憧れの女王様が無理だと断じているわけですから当たり前なのですが) グランオーシャン外の人間が引き受けた役目は、やはり人間が引き継ぐべきなんでしょう。
前週の日曜のトロピカル~ジュプリキュアはタイトルにもある通り最強のヤラネーダが登場する話でした
まなつがローラ・アポロドロース・ヒューギヌス・ラメールに「ローラ。その意気」と気合いを入れたのはシックリ着ました
これはキュアホワイトソックスがたった1人で次々とウザイナーを浄化していくプリキュアの自作小説の第3話にて、キュアホワイトソックスは「私はネバーギブアップです」と女子寮の寮長に返事を返しました
これを見たキュアベースボールギャンブラーが『その意気ですよ○○○さん(キュアホワイトソックス)』と心の声でエールを送りました
すると2018年の4月から日曜の10時に引っ越したテレビ東京系の幼稚園児向けのアイドルアニメにて、主人公が自分の描いたマスコットに「その意気だよ キラッチュ」とエールを送り、赤毛のツインテールお嬢様も「その意気ですわ」と同じ話で口にします
そして女児向けプリキュアでは「ローラ。その意気」と順序を逆にしましたが、プリキュア的にも8時30分から10時までに始まる女の子向けのアニメ的に感慨深ったです!!☆☆♬
で、次回は来年も正月明けの日曜
私は来年の正月も箱根駅伝を見て楽しむなどしたいです
駅伝は後続のランナーのことも考えながら力走すべき
でもって駅伝のアンカーはチコちゃんに叱られるで紹介された通り、綱の最後の頼みなので、全員悔いが残らないよう力走して欲しいですね
意気はその人のやる気そのもののことであり、またそれを見ている人にもやる気を引き出させるものでもあります。つまりトロピカってるってことですね。どんな平凡な人間にも扱えるごく身近な魔法のひとつです。
人間が超常的な奇跡や魔法のように感じる現象のうち結構な割合で精神的な領域が多く含まれるものだと思いますが、その割に精神領域の超常現象って意外と簡単に、人為的に起こせるもの。ただ自分がほんの少し意気を示すだけで、周りの人々の意気もまた軒昂にさせることができるんですから、エネルギー保存の法則も何もあったものじゃありません。マジで魔法です。
この年最後の回で、まさか、まなつがシロナガスクジラのやらねーだに飲み込まれてしまうとは・・・。
あれ、その話、どこかで聞いたことがあるような・・・。
そ、そうか!
侍ジャイアンツ!
番場蛮の父親が、鯨に飲み込まれてもその腹を割砕て生還したあの話。
かの番場蛮自体も、巨人入りにつき、巨人に入ることで、巨人という鯨の腹を破ってやると言ったとか。
今回のプリキュアはしかし、昭和後期のエピソードや文物に対してのオマージュがものすごく多いと感じておりますが、まさか、年またぎで、こう持込まれるとは、夢にも思っていませんでした。
そういえば、喝御大こと張本勲氏が、プリキュアの裏番組・サンデーモーニングの御意見番を引退されることになったのも、この年末。
しかも最後は、王貞治氏とのOH砲での出演。
その裏のプリキュアでは、彼らも出ていたあのアニメのエピソードをほうふつさせるシーン。
しかも、伝説のプリキュアが登場したその時、裏では、これぞ伝説のOH砲が出演開始。
なんか、自分の幼少期が遠くなっていくと同時に、それを乗り越えて、若い力がこれからうんとたくさん出てくることの象徴のような気がしましたね。
ちなみに、私の自宅には、当時の巨人監督・川上哲治御大の色紙があります。
プリキュアを観るおっさんになっても、世界の王のさらに先人の偉大さを忘れたことは片時もありません。
とにもかくにも、ローラには、人魚界に革命を起こしてほしい。
もちろん、ロシア革命や文化大革命のような革命ではなく、世界の王から奪三振記録をとった江夏豊投手の晩年のリリーフエースとしての地位を確立したような「革命」を、彼女には望んでおるのです。
~それにしても、ここでクジラ、まなつの父親は「大洋」さん。
合せて、大洋ホエールズ!
欲を言えば、この回の放送でまんじゅう云々の時、「三原最中」を出してほしかったな(苦笑~そういう私は、三原大洋の優勝を2回阻止した藤本定義さんが監督をされていた当時の球団、他でもない、阪神タイガースのファンです~汗)。
おまけ:三原最中の効果は絶大。藤本監督が選手に三原最中を食べさせた結果、1964年はマジック1の大洋ホエールズを破って、阪神タイガースがリーグ優勝を果たしました。
今からでも遅くない。プリキュアのみんな、まずは、三原最中を食べて、まなつ君を救うのだ。わっはっは!~これはギャグ?です。
私があんまり詳しくないのでいちいち拾うようなことはしていないんですが、プリキュアシリーズ自体、探せば意外とパロディ要素出てくるんですよね。
野球で例えるなら、ローラは江夏豊よりもハンク・アーロンが似合いじゃないですかね。
ベーブ・ルースの英雄的ホームラン記録を更新するも、諸般の事情からベースボールファンからは支持してもらえず、本人はベーブ・ルースをリスペクトしているにも関わらずまるでヒールのような扱いを受ける日々。そこに、遠い日本のプロリーグで自身の記録をさらに上回る本打数を叩き出した王貞治の話を聞きつけ、心が救われたという。以後、ハンク・アーロンはベースボール界の発展に尽力し、次第にファンからも支持されるようになっていったとかなんとか。(※ 野球に詳しいわけじゃないのでところどころ間違っているかも)
この場合、現女王様がベーブ・ルース、まなつが王貞治って配役ですね。